ひばりのたまご
「鳥の旅」
テレビでなら、例えばドラマでならある……、ありえる光景かもしれない。校門前はちょっとした騒ぎになっていた。沢田綱吉は目を丸くする。
隣の従兄弟も驚いて口を窄めている。
今日は、丁度、前を眼鏡の委員長とクラスメイトが連れだって歩いていた。
彼らもビックリしている。
「おい……なんだよアレ……」
「ち、ちかづくな、目も合わせちゃいけない」
二人は、ボソボソしあった末に下を見る。そのまま素早く地味に校門をすり抜けていった。明らかに、校門前の人物を危険認定している。回避している。
「…………」
他の生徒もしかり。
校門を通るときには挙動不審になっている。
校門の内側の少し離れたところ、すなわち綱吉のところでは、小声でヒソヒソ話が盛んに行われていた。おいおい何あれ、変だよ、とか。かえりづれえ! とか。
「これは――、ニュース」
ぽつりと呟くのは従兄弟だ。
リボーンは懐に指を宛ててもいる。そこにメモ帳とミニボールペンが仕込んであるのを綱吉は知っていた。
綱吉は苦い顔をして校門前を見つめる。
天気はいい。しかしまあ、そのせいで、午後の日差しを浴びてる彼のなんと不気味なこと。ミスマッチで怖い。
(ひ、ひばりさぁあああん……ッッ、だよねぇッ?!)
校門に向かって右側、バイクが停めてあった。
傍らで少年が一人、腕組みしている。
ヘルメットをして、ライダースーツ姿。綱吉だって異様すぎると思った。ここはサーキットではない。恭弥とは、確かに、午後から約束はしたけれど!
「うおい、行くぞ。面白そうだ」
「で、でえっ?! だあああ引きずるなよ!」
新聞部部長はライターの鋭い目つきをしてライダーに近寄った。
ヘルメット頭がふり向く。
黒くて不透明のバイザー。その表面がギラリと熱烈に光った。太陽の反射光をこれほどアツく感じたコトはない。リボーンに片腕を取られたまま綱吉は引き攣った。
リボーンは、ライダーの前に立つと片手をあげた。実に気軽に。
「はろー。誰への用件だ?」
「…………」
ヘルメット男が微かにあごを引いた。
腕組みをして直立、その姿勢を崩さずに、リボーンと対峙する。薄ら笑いを貼り付け、相手の動向を見守る部長だが――、ライダーを眺めること五秒、怪訝に眉を寄せた。
「……あ? おい、お前って」
スタイル、背丈、それらを確認するため、ライダーの上下を見やる。
リボーンは今度こそ驚いたようだ。
「ヒバ――」
「だぁああああああああ!!」
唐突に綱吉が大絶叫をあげた。周囲には聞き耳を立てている生徒がいっぱいなのだから仕方ない。
「もういいだろぉおおっ、この人はっっ、多分オレの友達だから!!」
咄嗟だったのでライダーを背中に庇ってしまった。
ライダーは、綱吉の二の腕を掴んだ。
「わっ?!」
「後ろ」
澄んだ声が聞こえた。
やっぱりか、という顔をするリボーンを置いて、綱吉は引っぱられるままにバイクの後部に尻餅をついた。跨るとか、体勢を直すヒマもなく、車体にエンジンがかかる。
「?! ひえっ?!」
「ンだよ、ツナにちょっかいかよ」
面白くなさそうな小言が微かに耳に入る――、ばうんっ!
爆音と同時、ライダーと高校生が一人、山盛タナカ高校を後にした。
横乗り体勢から、恭弥に腕をまわしつつ、綱吉が嘆いた。肩越しに校舎が離れていくのを眺めつつ、
「ヒバリさーんっっ、こ、こんなのは聞いてないですよぉおおお?!」
「言ってないからね」
バイクは沢田宅の前で止まった。
彼は綱吉と共に玄関まで入った。肩には小ぶりのリュックとジャンパーを引っかけてる。黒色でスリムでしゃれていた。ビジュアル的な威圧感に負けて綱吉は後ずさりする。
ライダーは小首を傾げている。
「迎えに来てあげたんじゃないの」
「へ、ヘルメット取ってくださいよ……、いつもしてないじゃないですか」
「ああ。持ってはいるんだよ。今日は変装しよーかと思って持ってきた。雲雀恭弥って知られたら面倒くさいでしょ」
「きょ、今日一日そのカッコなんですか?!」
ギョッと青褪める綱吉である。
途端に、ライダーはクスクス小刻みに体を揺らした。
「冗談。まさか」
言葉足らずに囁いて、ヘルメットの両側を手で掴む。
パッ。と、短く切られた前髪が宙を踊る。
窮屈に思っていたのか、頭を抜くなり、フゥッと強く息を吐いた。開放感を楽しむように恭弥はあごを上向きにする。露わになった額には薄く汗が張っていた。
「綱吉、来るの遅かったよ。つまんなかった」
「え?! あ、す、すいません」
「しかもあのデカいのと一緒だし、それってどうなの? まあ別にいいけど。心配いらないよ。着替えあるから」
「そ……そのスーツはウチに置くつもりですか?」
「置かせてもらうよ。いいだろ?」
「ま、まあ。ハイ。って、ヒバリさん。デカいってリボーンのこと?」
「うん。あれで可愛げがあるならいいんだけどね。なんかムカツク。目線が高いし」
リボーンに可愛げとは……。
姿が赤ん坊にでもならん限り、無理だろうと思う綱吉である。
(キャラクターモノとか、けっこー、可愛い系のが好きなのかな、ヒバリさんって)
綱吉は、横目で、ジャンパーの右肩から肘にまで印刷されている片翼を見た。鳥の羽だ。
雲雀恭弥の元からの趣味なのか、例の記憶を手に入れてからの趣味なのか、聞いたことはない。しかし羽根をあしらったデザインはよく似合う。
彼は綱吉の部屋に入るとさっさとライダースーツのジッパーをおろした。
ベージュのパンツに着替え、シャツをきて、羽根付きの黒いスリムジャンパーを羽織る。綱吉も着替えた。黄色い半袖Tシャツの上から、ウール素材のパーカーを来たところで恭弥からの視線を感じた。
彼は、ずっとこちらを見守っていたらしかった。目を惚けさせて何かを言いかける顔をする。
「? ヒバリさん?」
「ううん。別に」
素っ気ない呟きと共に背中を向けられた。
妙な態度だとは思ったが、それ以上に、ベッドに放り置かれたライダースーツが気になる綱吉だ。鮮やかな赤い生地が目を引く。
「これって自前ですか?」
「父方の親戚がレーサーしてるから。借りた」
「へえ! もしかして、それがキッカケでバイクはじめたんですか?」
「そうなるかな。父さんが生きてる頃はよく遊びに来てたからね。乗せてもらってたよ」
恭弥は遠い目をした。綱吉はいささか跋の悪い思いをした。
が、気にした様子もなく、恭弥はトイレ借りると言うと部屋を出て行った。
(…………。あ――。迎えにこなくてもよかったのに。って、言いそびれた)
スーツを見つつ、そんなことを思う綱吉である。言ったら言ったで恭弥は機嫌を損ねるかもしれないが。
(べつに、そんな、恋人……じゃないんだろうし)
フクイラプトルと、サウロポセイドンの消滅から一ヶ月。
休みの日は一緒にいるし、平日も三日に一度は会っている。恭弥は綱吉にとって最も身近な友人になった。ゆうじん。友人……の筈。くり返してみる。綱吉は恭弥が好きだし、恭弥も、ときおりに何かをブツブツと言ってくるが、決定打はない。少なくとも綱吉はそう思っていた。
(一緒に住んでもいいみたいだけど)
どうにもよくわからない。恭弥と二人、不安定なバランスの上に立っているような気がする綱吉だ。
(…………。そうだ。今日……って……)
綱吉は悶々とした。用意しておいたリュックを片手に階段を下りる。と、遅れて恭弥がついてきた。そのときにリビングから母親が顔をだした。奈々だ。
彼女は、明るい声でハキハキとしゃべりかけた。
「あら、いらっしゃい! ヒバリ君ね?」
恭弥はコクリとあごだけ動かす。
「つっ君をよろしくねえ。今度はウチにも遊びにきてよ」
またコクリとあごだけ動かす。恭弥は奈々の前を通りすぎると玄関で靴を履いた。
「クールな子なのね」
綱吉が近くにくると、母親は首を傾げた。
苦笑する。そうでもない。少なくとも綱吉には。
「ま、そーゆーことだから。いってきます」
「温泉だっけ?」
「そう!」
(そうなんだよな。今回は泊まりなんだよな)
明日は日曜日だ。泊まりがけでツーリングしようと恭弥が言ったのが一週間前。
外にでれば、恭弥は既にバイクに跨っていた。燃料の残りをチェックしている。変装の名分でもなければ、ヘルメットを装着する気はないらしく黒髪がキラッと陽光を反射していた。
綱吉に気づくと、恭弥はグリップに肘をついて気だるげに口を丸くした。
「準備できたの? トイレは?」
「だいじょーぶです」
後ろに跨って、恭弥の前に腕をまわす。
エンジンが動きだした。すぐに、景色が横にすっ飛んでいく。
綱吉はまた悶々としはじめていた。
(今から明日の夜まで、ずっと、ヒバリさんと一緒なのかぁ……)
心臓がうずいた。今日は恭弥と一緒だし、夜も一緒だし、朝も一緒だ。そうなる予定だ。不意に雲雀恭弥と出会ってからの出来事を思いだした。面白いこともあった――感動することも。驚くことも。怖いことも。不思議なことだらけだった。物思いに囚われると同時に、ドキドキと鼓動が早くなった。綱吉は腕の震えを自覚せざるを得なかった。
もっと強く抱きついたら、おかしいって思われるかな。そんなコトを頭の片隅に呟いた瞬間だった。
「?! だあ?!」
突然に、グウンッと加速感が増した。
「ここらへんから検問ないから、スピードあげるよ!」
「は、はあい!」
疾風の中からの叫び声に答えつつ、ギュウと両腕に目一杯の力をこめる。綱吉の頬が赤く紅潮した。同時に青褪めてたりもした。
(こ、こえええええ!!!)
数時間で、バイクは山越えを始めた。
三時間もあれば抜ける山道だ。この向こうに、小さな温泉街がある。
二時間もすぎて、下山道をハイスピードでくだった頃だ。
綱吉は、風に生ぬるさを感じた。
また、幻想がパラサイトを試みて歩みよってきたのだと思った。無視をしようと体から力を抜いた、いつもそうしているからだ。と、聞き覚えのある高音が鼓膜をたたいた。
プワアアアンッッ!
(あ、なんだっけこれは)
テレビで。
ドラマで、事故るときの音……。
と、そこまで考えて、
「ん?!!」
ハッとした。気づけば、ドガンとした強烈な衝撃に押されて、綱吉は空中に放りだされていた。体に力をいれていなかったので実に呆気なく座席からすっぽ抜けたのだった。
うつ伏せになったまま三十分ほど呆けていた。
三十二分十二秒くらいで、綱吉は噛みしめた歯の間からうめいた。
「いっ、てぇエエエっっ……!!」
肘と膝を曲げて、立ちあがろうとしたが、間接部からくる痛みでうまくいかない。仕方ないのでゴロんと回転した。枝葉の隙間から、オレンジ色の光が顔を洗う。
仰向けになったままぜえぜえとした。
鼻下が乾いている気がして、拭ってみると、手の甲に血がくっついた。鼻血を出したらしい。枝で打ったのか顔面が酷く痛む。
(い、生きてるだけでもラッキーだよなこれって)
綱吉は体中に葉っぱやら枝やらを付着させていた。
慎重に上体だけを起こす。
森の中だ。山盛タナカ高校は山にめり込んだ作りになった高校だが、その校舎の真裏あたりの筈……。だから近所といえば、近所なのだが。温泉街も近い筈だが。
広葉樹はうっそうと茂っている。綱吉には空を覆っているようにも見えた。
「ど、どこだここは……」
唖然としてうめいた。目の前が真っ暗になっていった。
「ひ、ひばりさあん。いますかー?! 誰かー、聞こえますかー?!!」
ピチピチピチ、と、鳥が啼いた。
綱吉は泣きたい気分だ。
「だれかぁああああ!! そーなんしゃ! 遭難者がココにいるんですけどぉおおおーっっ?!!!」
あまりの大絶叫に、周囲の鳥がバッサバッサと飛び立っていった。ますます切なくなった。恭弥を思いださずにはいられない。
(そ、そうだ! まず何が起きたのか把握しないと!!)
『綱吉!!』
と、そんな呼び声を、最後に聞いた気がした。
(えーと……、そうだ、ファンタジーが急に見えて、ヒバリさんがハンドルを間違えたんだ。――で、トラックが来て――、ヒバリさんは急いでフェンスの真横にバイクをつけた)
そのとき、超大な加速感が身を襲った。気を抜いたところだ、綱吉は不意を突かれてバイクから落ちてフェンスに激突したあげくに眼下の崖に落ちたワケだ。
「…………」
綱吉はこめかみに人差し指の腹を宛てた。
ちょっとホロリときた。
(ま、間抜けな……っっっ、あ、あああゴメンッ、ひばりさぁあああん!!)
「ヒバリさぁあああーんッッ!!」
耐えきれずに空に向かって叫んでいた。
その数時間後、当然ながら夜が更けた。綱吉は今日一日に対しての諦めをつけていたりした。おやつとして持っていたチョコバーをリュックからだしてモゴモゴさせる。
「あー……」
(だめだ。ケータイつながらない)
傷だらけの顔で、鼻の下は血で汚してチョコバーを咥える。
精神的疲労から、目の下にはクマができていた。
上体は幹に立てかけている。落下の際、腰を強く打ったようで、立ち上がることはできない。自分から人里を目指すのは不可能だ。
「…………」
はあ、と、ため息をついて携帯電話を地に置いた。空を見上げる。
(生きてかえれるのかなぁ……。えらいことになってしまった)
これじゃ、リボーンの作るニュースの主役になってしまう……。アイツは従兄弟の変死体でもいつもと同じ感情排除のニュースを書くのだろーか、と、思うと、切なさと可笑しさが同時にこみあげた。新聞を作るのに命をかけてる従兄弟は相当苦心するに違いない。
(一回くらい、リボーンをギャフンっていわせてみたかったけど。こんな理由でかぁ。さすがダメツナだぁ)
疲れから、ウトウトしつつ、喉を鳴らす。チョコバーを食べきると喉の渇きを感じた。水は持っていない。
「……うぅ、ひもじい……」
さらには寒い。
腕組みして背中を丸めて、出来るだけ夜気から身を守った。
「綱吉!」
(ついに幻聴までかあ)
しかも恭弥の声とは。
ここで泣いたら余計に体力を消耗するので勘弁してくれと思う綱吉である。
「綱吉! 大丈夫?!」
(ぜんぜんです)
「綱吉ってば!」
「うどわぁああああ?!」
ガシッと両肩を捕まれて、綱吉が飛びあがる。
すぐに、腰から脳天目掛けて激痛が走って悲鳴をあげた。
「あぐっっ!!」
「?! 痛むの?」
雲雀恭弥は声音を緊迫させた。
口がパクパクとする。信じられずに、綱吉は空を見上げた。恭弥が苦しげに眉根を寄せて自分をのぞき込んでいる。
「ひ、ヒバリさん。なんで? ホントに?!」
「――――、僕が、探しにこないとでも思った?!」
「そ、そんなんじゃないけどっ?!」
逆上したような剣幕には怯んだ。
憔悴し切った眼差しは睨むほどの強さがある。喉をつっかえさせつつ、綱吉はしどろもどろになりながら答えた。救助に来て貰えた嬉しさと、恭弥の怒りを買ったとの恐怖心が混ざって目がまわる。吐きそうになっていた。
「ど、どうしてここが――、ヒバリさあん!」
最後は泣き声じみた。綱吉を抱きかかえて、恭弥がうなだれる。なまあたたい風が吹いたが、それが今は嬉しい。寒いから。頬に触れる指はごわごわしていた。バイク用の手袋は分厚い。
「綱吉。ほら。泣いてないで」
手で両頬を上向けられたので素直に顔をあげた。
恭弥が嘆かわしく目を細める。
「ひどい顔。汚いよ」
「なっ……、そ、そんなこと言われても」
「血がついてる……」
苦渋に満ちた呻き声だった。
濡れたものが綱吉の目の下を舐めた。付着した泥を拭って、鼻血を舐め取って、顔中を清めようとする。心臓を鷲掴みにされた気がして綱吉は息を止めた。
「ひっ、ひひひひ、ひっ、ばり、ヒバリ!」
息を止めたまま喋ったので失神したくなるくらい苦しかった。
「ごめん。ごめんね。僕のせいだ」
ピチャ、と、舌がなる。綱吉の鼻に舌が当てられた。軽いタッチではなくて、こびりついた血を完全に取ろうとした意志を感じさせる強い触り方だ。
綱吉は、両手を伸ばして恭弥の胸を押し戻そうとしていた。
「っや、やめてくださ……、ひ、ヒバリさんっ。ちょっとー?!」
傷だらけだし鼻血までだしたし、そんな顔を舐められるのは堪ったものじゃない。羞恥に顔を染めて、綱吉は首を竦める。恭弥のが腕力があるから、抵抗しても敵わなかった。
「ヒバリさあん……っっ」
ついには情けなく悲鳴を絞りだすだけになる。
「うん。きれい」
彼がそう呟いたのは五分も後だ。
最後にキュッと鼻の下を親指で拭かれた。カァッと赤面して綱吉は口をパクつかせる。酷くみっともないところを、しかもけっこー汚いところを好き勝手にされた……、と、思うと、手足が内側から熱膨張を起こす。
「ひ、ヒバリさん! こんなことやめてください!」
「まあ半分冗談だけど」
「だああ?!」
「綱吉がいやがったから」
「?! な、なんですかそれは」
聞き捨てならない気がしたが、恭弥は、もう話を打ち切っていた。
肩越しにふり向く――、木の上を。
ホー。フクロウが鳴いた。
「ありがとう。助かったよ」
綱吉は硬直した。まさか。
驚きに目を見開き、見上げるが、恭弥は少し寂しげな顔で苦笑した。そんな目で見ないでとでも言いたげな笑い方をしていた。
「目が見えるっていうから。手伝ってもらった。あとまあ色々と目撃談を」
「ひ、ヒバリさ……、ん……。奇蹟?」
鳥と会話するなんて。
「かな?」
首を傾げて、恭弥はスッと立つ。
「立てないの? けっこう歩くよ。バイク停めたとこまで」
「が、……がんばります……」
雲雀恭弥が黒い瞳を細める。
黒く染まった空と、森。ふたつをバックに、黒髪黒目の少年がこんなことを言うので綱吉はドキリとした。妖艶だと思ってしまった。
「ウソだよ。冗談。本気にしないで」
「?! わっ、うわっ!」
「痛かったらそう言ってね」
屈みこむと、両膝の下と背中とに恭弥が自らの腕を通してきた。
そのまま立ち上がれば、いわゆる姫抱きだ。
体を横にした綱吉を抱え、さりげなく左手にリュックも提げた。ホー、と、再びフクロウが呼びかけてくる。鳥を見上げて、恭弥は頷いた。神妙な顔で。
「うん。よろしく」
「…………」
綱吉は呆気に取られる。
数秒遅れで、心臓が跳ねあがった。
「綱吉、本当にごめんね。迂闊だった。今度からは綱吉だけでもヘルメットつけてよ。……バイクも、やめろっていうなら、やめるから」
そんなことを言いつつ、恭弥が額にキスをしてきた。四肢が硬直する。目を丸くして顔を茹でらせる綱吉を見て、少しだけ、恭弥は照れから口角を歪めた。
「そう言うのは卑怯かな。うん。バイクやめるね」
心臓が痛かった。
夢中になって、綱吉は息を吸った。
「や、やめないでください! 今度からちゃんと気をつけるから。お、オレ、バイクに乗ってるヒバリさん、好きです」
ホー。道を先導するフクロウが口笛をたてる。
その方向に歩きつつ、恭弥は曖昧な笑みを返してきた。迷っているようだ。
「いやだよ。ヒバリさん。だってバイク乗るの好きでしょう」
「…………」
しばしの間を置いて、恭弥が呻く。
「綱吉を大事にしたいよ。僕は」
「そんな――」
「本気で言ってるよ。綱吉は僕に希望をくれた。死ぬしかない運命だったけど、さいごに、綱吉と会えたことで――綱吉が知ろうとしてくれて、ホントに嬉しかったんだ。僕はそれを知ってる。僕は僕の思いを知ってるから」
それで、今でも、また僕を知ろうとしてくれる。それがすごくうれしい。
森を見据えつつ、必要以上に感情を排した声で恭弥は言葉をつなげる。綱吉は、口から妙なものをこぼしそうだった。心臓とか、魂とか。
なんとか堪えた。しかし喉がカラカラになって声が掠れた。
「お、れも。ヒバリさん、大事にしたいんです……。今日のはオレの不注意だから」
唐突に恭弥が横を見た。白いモヤが木々の間を縫って突き進んできている。……すぐに、何事もなかったように、前を見た。綱吉は固唾を呑む。アレらは、やっぱり、厄介だった。
(オレたちを殺す気かよ?!)
いささか硬い声で恭弥が言った。
「僕が弱いだけだよ」
苛ついたしゃべり方だ。
「ホントにごめん。あんなに呆気なくふり落とすとも思わなかったけど――、驚いたのはホントなんだ。ごめん。まだまだ僕も中身ができてない」
「そ、そういう問題ですかぁ?!」
誰だっていきなり目の前にジャングルが広がったらハンドルくらい間違えそうだ。そう思う綱吉である。
と、ハッとした。話が反れている。強く恭弥を見上げた。
「ヒバリさん。またオレをバイクに乗せてください。オレもそれが好きなんです。オレのせいで好きなコトをやめるなんて、そんなことして欲しくない!」
「……風がすきなんだ」
「え?」
「風がね。バイクでスピードだすと、風と一緒になれた気がして好きだよ……。僕はね。追い風で走るのが一番好きだ」
でも、と、恭弥はうめく。
「今ならわかる。鳥はさ、風をきって飛ぶんだよ。僕は追い風で飛ぶのが一番好きだった……」
「…………!!」
喉の奥が引き攣った。
元から、乾きでヒリヒリしていたが、それが余計に酷くなる。放心して恭弥を見上げた。
恭弥の頭上に、月が見えた。
フクロウがまた鳴いている。道はこっちだと教えてくれる。
「これって、どういうことかな?」
恭弥は、月を見上げながらそんなことを呟いた。苦笑しながら。
下唇を噛んだ。嬉しいのか、悲しいのか、綱吉にはよくわからない。思わずにもいられない。奇蹟ってなんだろう。何でこんなに恭弥を苦しめるのだろう。
いつか、質問をされたが、綱吉にとっての奇蹟は恭弥自身を示す言葉だ。
雲雀恭弥がここにいることが奇蹟だった。けれどそれは恭弥にとっての苦悩のタネだ。急激に視界がうるんだ。
「綱吉? 痛い?」
歩調をゆるめて、恭弥。
首をふった。
「ヒバリさん。きょ、今日は? もう帰るんですか?」
「え……?」
黒目が丸くなる。丁度、木々の間から、公道が見えたところだった。恭弥は立ち止まって綱吉をジッと見つめた。
「…………」
「お、オレは。大丈夫ですから」
「ホントに?」
「本当です」
レントゲンとか撮ったら骨折くらい見つかるかもしれない。でも、綱吉は今のチャンスを逃したくなかった。恭弥と一緒にいたかった。
雲雀恭弥は沈黙する。やがて、照れを混ぜてささやいた。
「じゃあ、いこっか? 温泉」
◇◆◇◆◇
恭弥に抱かれたままバイクに乗る。それだけで、なかなか、恥ずかしかった。目当ての旅館に着くころには夜十時を過ぎていた。
「アア、ご予約の雲雀恭弥様ですね?」
遅く来た客は、なぜだか少年一人を姫抱きにして登場しているのだが、女将は目を丸くするだけでそんな言葉を返した。沢田綱吉を見ながら。
「へっ?」
女将は、今度は、恭弥を見る。
帳簿にチェックをつけた。
「沢田綱吉様ですね」
「…………」
「…………」
綱吉と恭弥は互いを見つめる。
ぷっ、と、吹いたのは恭弥だった。綱吉は口を引き攣らせて思わず赤面した。腰が痛むがプライドも痛んだ。
「お、おれが沢田です! 高校生です!」
恭弥はニヤニヤしながらキィを受け取った。
「どっちでも同じじゃないの?」
「ぜ、ぜんぜん違いますよ?! ひ、ヒバリさんからしたらそーかもしんないけどっっ、お、オレは正真正銘のぉっ」
「実際、僕より子供っぽいだろ」
サラリと毒を吐いて二階を目指す恭弥である。
「ひ……、ひばりさぁん!」
非難の声は廊下にむなしくこだました。
そんなこともあったので、温泉に浸かるころには綱吉は不機嫌になっていた。館内をひたすら姫抱きされて連れ歩かれたのも不機嫌になった理由のひとつ。
(やっぱ素直に帰るべきだったかも)
どんよりとしている傍らで、恭弥は機嫌がよかった。
温泉に浸かっていた。頭にタオルを乗っけて、二人で並ぶと、テレビの中に入った気分だ。リポーターとかは、よく、こうしている。
雲雀恭弥は屋根がないのが楽しいらしい。露天を見上げてニッとする。
「いいお湯」
「……ですねー」
月が天頂にある。
時間が遅いので他に客はいない。
「もう一泊しちゃおうか」
「学校ありますよ」
「休めばいいじゃない」
「そ、それでいいんですか?!」
バシャアッと湯をたてて後ずさる綱吉である。
と、腰に雷撃が走る。イタイ。綱吉が眉を寄せると、恭弥はすぐさま身を起こした。
「無理はしない方がいいよ。ヒビは入ってると思うから」
「……え?! お、おもう?」
「うん。まあ、明日になったら、病院に連れて行ってあげる」
僕のバイクで。しおらしく告げる恭弥であるが。
ゾッとしていた。雲雀恭弥、わかっていながら、温泉行きを承諾したらしい。綱吉の体感では、今の恭弥は、どこかで底の知れぬ人の悪さを秘めている――。人の悪さというより、人間離れした感覚を強く持ち合わせてると言えるかもしれない。それは奇蹟の遺した爪痕かもしれないし、そうでないかもしれない。
まあ考えてもわからないコトだけど、と、思う綱吉である。すぐ別のことを思った。
(……きてる)
白いモヤが湯の上をすべる。
見れば、恭弥は目を閉じて湯のあたたかさに感じ入っていた。綱吉もそうすることにした。ジャングルの生温かな風も、こころごとスルリとすり抜けてしまえば引っかかるモノは何もない。扇風機の冷風がサッと通っていくのと同じ感覚だ。
「いいお湯……」
恭弥が、同じ言葉をポツリとくり返した。
綱吉もくり返す。
「ですね」
のんびりした時間が、二人の絆を強めてくれる気がした。
(こんな時間がもっとできればいいな)
こころの底から思った。
幻想とか、奇蹟とか、あやしげなモノをつないで作るのではなくて――、実感を伴う楽しい思い出をくり返すことで、恭弥との絆を作りたい。そこまで思ったときだ。綱吉は瞼を開けた。視線を感じたからだ。
黒い瞳がこちらを見ていた。彼はだし抜けに首をかしげた。
「で?」
「へっ?!」
「で、いつ、こっちにこれそうなの?」
なんのことかと思ったが、数秒で理解した。
声が震えた。綱吉は固唾を飲み込んでから囁いた。困り顔になってしまった。
「だ、だって。母さんに何ていったらいいかわかんないし……。ほ、本気でいいんですかっ?」
「いいよ。そう言っているじゃないの。何ていうか、って、母親に? あの人にねえ」
記憶を辿って目を細める。そういえば、でかけに顔を会わせていたと綱吉は思いだす。彼は割りと素早く答えをだした。
「いいんじゃない? 嫁入りしてきますっていえば」
「ぶふぅっ!!」
言葉選びに驚くあまりに、綱吉は足を滑らせた。
一度、頭が沈んだが、すぐに湯面から顔を突きだした。腰の痛みにも襲われて涙目だったし髪も顔もグッショリ濡れた!
「なっ、なななに言ってんですか?!」
「冗談だよ」
クスクスしつつ、頭上のタオルを取る。恭弥はそのタオルを綱吉に載せた。
「一割だけね。どうする? 綱吉。僕はさ、誘われたんだよね? 綱吉がここに来たいって言ったんだよ」
「?! え? わ、ちょっ――」
ついばむようにキスをされた。綱吉の頭は真っ白になる。
石に変わった綱吉を見て、恭弥は微かに嘆息した。面白がるように口角をあげてもいるが。恭弥の頬は赤くなる。どういう理由で赤いのか、温泉のせいか個人的な感情のせいかは綱吉の知れるものではなかったが、彼はしばらく無言になった。やがてささやく。
「……まあ、別に、いいんだけど。僕、がっついてるって思われたくないから」
一度、区切った後で、付け足した。
「待ってるから。ウチにくるまではずっと」
「――――」
むに、と、唇が額に触れた。度肝を抜かれてばかりだ。
綱吉は唖然と口をパクつかせる。秒刻みで全身をユデダコと同調させた。視界がわななく――、言われた意味を咀嚼するのに、一分はかかった。
「ひ、ひばりさ、」
つまった声がでる。
(オレ、好きなんだけど。ヒバリさんのこと)
そう思うのに何て言ったらいいかわからなかった。
好き、と、それを伝えるために『好き』というのでは簡単すぎる気がした。だから言えなかった。それに、もう、何度か言ってる気がするから不安だった。
「でようか」
恭弥が腕を差しだした。
湯の下にある体に恭弥の腕が絡みつく。抱き上げられた。瞬間、綱吉は、チャンスだと思った。両腕を伸ばすと、恭弥の首筋にキスを送った。
すぐに、唇を放して今度は軽く舐める。
抱き上げてくれた両腕が震えあがるのを感じた。恭弥が驚愕に目を丸め、戸惑いから呻き声を漏らす。微かで、言葉にすらなっていなかったが、
「……え?」
上擦った声音に綱吉は興奮した。
(ヒバリさん。多分。今――、勢いに任せて好きにされても……。オレは、きっと、)
ジィと見つめる。見つめ返す眼差しは戸惑っていた。
「つ、綱吉? なに……?」
「…………」
思わずうなだれた。
綱吉は顔を真っ赤にしていた。限界だった。ブンブンと強く首をふった。
「な、なんでもないですっっ」
「綱吉――」
「でましょー! 温泉楽しかったです!」
ヤケになって叫んだ。恭弥は、物言いたげな目つきをしたが、実際には何も言わずに綱吉を脱衣所に運んだ。
浴衣を着ると、綱吉は深々と嘆息した。
顔の火照りを鎮めるために扇風機の前にイスを置いて、そこに座っていた。
(だめだなぁ……。なんかもう、何していいのかぜんぜんわからん)
ブゥウウウン。扇風機が高鳴る。
恭弥と目を合わせられないでいた。恭弥も綱吉を見ようとしないで着替えを済ませてしまった。
(こりゃ朝までこのままかな)
苦々しく胸中で呟いた。が、
「うわあ?!」
ヒヤッとしたものが、頬に触れた。
ふり向けば、イチゴのパックジュースが目の前に突きつけられた。
「飲む?」
雲雀恭弥がコーヒー牛乳のパックを片手に立っている。
「あ、ありがとうございマス」
「どーいたしまして。飲み終わったら部屋いこっか」
あごでしゃくってイスの隅に行けと意志を訴えてくる。
小さいイスなので、男二人で腰掛けると狭くて仕方ない。尻と尻とが密着する。なんだか、綱吉は面白い気分になった。
「あの――」
含み笑いをして、恭弥を見やる。
彼はストローを咥えていた。扇風機の風で短い前髪が完全に反り返っている。額が露わだ。
「ん?」
「好きです。オレ、そっちに行きますから」
ポロ、と、ブシュッが同時に起きた。ほとんど同時に二人揃って悲鳴をあげて飛びあがった。
「だああああ?!」
「うわっ」
恭弥はビックリして手を開いた。握りつぶしたコーヒー牛乳のパックが落ちた。傍らには、先に落下したストローがある(ヒバリが引っこ抜いたものだ)。
思わず見つめ合った。
顔と浴衣をコーヒー色に染めている恭弥と、飛沫を浴びて顔にコーヒー色の点々をくっつけている綱吉がいる。
ビックリした顔のままで恭弥が素早く言った。
「いつでもいいから。明日でも今でも!」
「ヒバリさん、ゆ、浴衣! 替えをもらってこないと!」
「綱吉は顔洗ったら?」
あごからポタポタ滴るものを拭いつつ、恭弥。
先に彼がプッと吹きだした。
言っていることもやっていることもムチャクチャだから綱吉もおかしかった。痛い思いも怖い思いもしたけど、二人で旅にでてみて正解だと思った。幻想に惑わされることなんて、石ころに躓くくらいの些細なトラブルにすぎない。生きてれば石にコケることは多い、と、思う綱吉である。
おわり
>>つぶやき(反転
(ハナシが)落ちない…とか思いつつ(えええ
好きあってるんだけどビミョーにすれ違い? なイメージがあったので、こんな話になりました。でも基本は好きあってるのでユルユルゆっくり近づいていきそなふたりかもです
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