祝いの場


 波が、眸の中をすり抜けていく。
  眩しすぎてまぶたを開けていたくなかったが綱吉はとりあえず開けておいた。何も見えてはいなかった。だからこれは意地で平気なふりをしているだけだ。
  相手には、意地を見抜かれ、額のあたりに何かを取りつけられた。
「――っぐ、っう、っうわああああ?!」
  後ろに、うしろに、圧がかかる。
  耐えられずに一歩後ずらせただけで全てがダメになって、壁に叩きつけられる。
「あぐっ!!」ドガァッ!!
  大の字になって激突して喘いだ綱吉の周囲にはコンクリート片がガラスの破片としてひらひら飛んだ。
  しばし穴に嵌ったが、やがて自分の体重がために落下して膝を折った。
  その場でうな垂れて動けずにいるとその男は悠長にため息をつきながら向かってくる。
「ダメだなぁ。やっぱり君が勝てる確率はものすごく低いよ、綱吉クン」
「…………そんなことない」
  うすく、目を開けて、綱吉はどうにか喉を震わせた。
  すかさずに脇腹を蹴られ無駄口を咎められた。
「ぐっ! う! あがぁっ、あ! ぐ!」
「はん。手応えがないよ!!」
  白髪のその青年は玩具を咎めるように横たわって動かない相手を嬲る。
  と、綱吉の耳は馴染みの声を聞きつけた。
  痛みも忘れて体を起こし、ぎりりと、奥歯を噛みしめる。
「骸ぉ……!! おまえっ――!!」
「――――」長いしっぽを垂らし、相変わらずの赤と青のオッドアイを持ち、六の印字を刻んだ青年は静かに佇む。白蘭の後ろにて。
  体を起こし、綱吉は毛を逆立てた仔犬のように隅に身を寄せた。
「オレを元の世界に戻せよ!!」
「拒否します」
  はっきり言って、骸は綱吉から目をそらす。
  強がっているとは――わかっている。綱吉の額に燃えていた炎が揺れる。本能はわかっているのか、ハイパーモードが解かれて綱吉は涙声で同じセリフを繰り返す。
「オレを元の世界に戻してよ!! もっ、もおいいよ! 力の差なんてわかってたよ!!」
「ううん。わかってナイっ」
  答えたのは白蘭だ。
  黒いラインが入ったホワイトロングコートにブーツ。ビジュアル重視の格好に、ふざけた物言いが得意な彼だが頭の中は狂っていた。
「わかってないよ、ぜんぜんないよ!! だって逆らうんだモン。君のよーなヤツは殺してもわからないってボクは知ってるよ」
  今にも歌い出しそうに言いのけて、指輪を多量に嵌めたその五本指で虚空を描く。光りの螺旋ができあがるのに少年綱吉はギクリとする。
「も……もう戦わないっ」
  主張するのが精一杯だった。
「やめてください。こんなトコロで戦っても無意味だよ。どこなんですかここは!」
「僕の世界」骸がポツリという。
「骸!!」
  助け船にすがりつく遭難者のありさまで綱吉は彼の方に走ろうとした。
「こんなっ……、もうやめっ――」
  白蘭が、間に立った。
「ダメだよ逃げちゃ。骸クンがせっかく作ってくれた逢瀬の舞台だよ? 逃げてはオトコが廃るよ綱吉クン」
「こんなの勝負にもならないよ。わかってるんだよ。まだあんたには勝てないッ。――お前に言われなくたってわかってるよ!!」
  怯えた目で白蘭に訴えたが、相手が笑顔を崩さないので綱吉は途中から骸に訴えた。
  六道骸は、自分の作りだした廃墟を眺めて黙りこんでいる。
「骸っ、こんな夢さっさとおわらせ――」
「聞き分けがナイねっ!」
  語尾をはねあげ少女のように無邪気に白蘭はこぶしを握る。指輪で作られた螺旋が質量を増した。
  ――くる。予感に、後押しされて、仕方なしに綱吉はハイパーモードになった。
  だが、負け試合なのはやる前からわかっていた。

 美少女とか美少年とか美青年とか、とにかくキレイな顔がお気に入りだというのは彼の側近を見ればだいたいわかる。幸いなのは、その『お気に入り』に綱吉も入っているらしいという現実で、肉体や顔面を損傷するような致命的ダメージは加えられなかった。
  もしくは、それが骸の望みなのか。
  しかしながら嬲られ続けるのは綱吉の幼い精神には過酷な責めだ。ついには、綱吉が泣きだすと、白蘭は攻撃をやめた。
「飽き飽きだネ。そろそろボクも退屈かな、骸クン。どーすんのこれ。泣いちゃったよ」
「好きにしていいですよ。勝者にはその権利がある」
  蹲って泣きじゃくるだけになっている十四歳を一瞥して、ふうと、憂鬱そうに空を見上げる。
  骸は白いシャツにネクタイをゆるくつけた姿で、綱吉はベッドに入ったときのパジャマだった。白蘭は二人を見比べてその水晶の瞳を細くする。
「……ところで、どーいうカンケイなの? おふたりサン。聞いてイイの?」
「面白い話ですよ? でも言いません」
「骸クンは性格悪いな〜。ま、いっけど。あとで教えてヨ。ところでボクはいつまでココにいるのかな?」
「もうすぐ帰れますよ」
「ところで」と、ふざけるようだった声は陰湿な重みをもってして骸と綱吉の肩にのしかかる。
「綱吉クンの修行でボクのせーしんをダシにするのはやめてほしいナァ。たまになら、遊ぶけどネ。でもボクは真剣勝負なんだよこれでも」
「僕も、真剣ですよ」
「どーカナ。霧の幻術師は信じてないンだヨネ――あ――」ぶるる、と、白蘭を描く線が乱れる。次の一瞬、掻き消えた。
  ふうう。骸はまた嘆息をつく。まるきり他人事で先程から傍観しているのだが、この場の支配者は骸当人だった。
「彼は、」綱吉は見ないままで、骸。
「あの服装を自分でイメージしてこの場にまざっていた。つまり、それが今の君と白蘭との実力差ってことですよ。君は逆立ちしても勝てません。運命が、君を導くというのなら、話は別でしょうけどね。……沢田綱吉? きいてますか」
「…………っく、えぐっ、ひっ、ひっ」
  嗚咽を噛みしめて少年は壁際で丸まっている。
  歩み寄り、骸が後ろに立つと、泣声がなりをひそめた。しかし顔は絶対にあげようとしない。――しゅる、と、動いたのは蓮のつるで、綱吉の胴や肩に絡みついた。
「やめろ……、いやだ……っ」
  抵抗したが、ふりあげた片腕にもつるが巻きつく。ふり返らされ、真っ赤に腫れた目元を見られるとがむしゃらに六道骸を憎たらしく感じた。
「何考えてんだあんた!! こんなっ……、まだ早いってわかりきってたのに!!」
「――――」じ、と、ボロボロにパジャマを裂かれて内出血と青痣をこしらえ、疲弊しまくって息がまだ整えられていない少年の全身を眺めるオッドアイ。それが微かに意思を浮かべる。嘲弄の意思だった。
「ブザマですね。暴行を受けたあとの処女ですか君は」
「ふざけんな!!」
  綱吉は、小さいなりに怒っていた。
  骸がもう二十歳も過ぎている大人で、綱吉よりもずっと大きいことも忘れてがなる。
「なんのつもりだよっ。わざわざ戦わせておれがやられるのみて楽しんで! あ、悪趣味すぎるよ。酷すぎるよ!!」
「ま、その悔しさをバネにしてください」
「な、ん、だそれは。ヒバリさんはちゃんと教えてくれたのに。リボーンだって。スクアーロだって山本に指導してるのに。お前はなんなんだ? ――十年後のこの世界じゃ、敵なのか?」
  その可能性は、勘付いていたが、ずっと気付かないフリをしていた。骸の配下であるはずの髑髏が味方だったせいもある。
  青年の骸は、首をかるく左右にふった。
「十年前から敵じゃありませんか」
「でも霧のリングは受け取った――」そこまで言ってからハッとする。
  いつの間にか骸を味方だと思っていたのは何故だろう。
  そんな気がしたから。憎みきってはいないから。同情の余地があるし、骸にも仲間がいるから。ブラッド・オブ・ボンゴレが既に答えを見出しているから。
  瞬間的に痛みと悔しさを忘れて綱吉は自分の言動を思い返した。骸に聞いた。助けてくれるよう頼んだ。それは見透かす力をもった血が導いたのかも、しれない。骸は応えてくれなかったけれど。
「……これがお前の指導だって……?」
  ようやくでてきた答えで、骸はピクリと後ろ髪を震わせた。
「こんなのが……?」
  その不器用さは戦慄に相当した。綱吉は震えあがって骸を見返す。向こうは、能面のような顔だった。
「……まあ勉強にはなったでしょう?」
「お……ま……、そりゃクロームの指導に姿を見せるワケないな」
  彼女にはこんなスパルタの極地は無理だろうと思えた。
  皮肉は通じたようで、骸は自嘲気味に唇をナナメに持ち上げる。
「僕はね。優しくされた経験がないんですよ。そういうひとが他に優しく当たれると思いますか?」
  ダメツナと言われていた綱吉にもその心当たりはあるので黙った。つるが、体から解けていった。
「でも、オレは、変わったよ」
「若いって、未来があるってことですよねえ」
  ナニをオジサンじみたことを、と、思ったが骸には未来らしい未来がないとも気付く。十年間も牢獄にいて何を考えてきたんだろうか?
  ぐちゃぐちゃにされたパジャマの身だしなみを整え、涙で濡れた顔を手で拭い、一応は礼を言っておいた。
「ありがとう」
「……君ってバカですよね」
「うん。そうだろうな。でも、おまえ、オレの誕生日……、知ってたから、こういうことしたんだろ?」
「…………。僕も素直に喜びたいんですけどね。でも今の君と僕とじゃ壁がありますね。僕ね、十四歳の君にそんな大人ぶられた態度取られるとムカつきますよ」
「……あ、そう……。すいませんでした」
「からかってんですか?」
  本当にイラッとしたよう吐き捨てて、骸は乱暴な手つきで綱吉の頭を一度だけ撫でた。
「それじゃ。お誕生日おめでとうございますね。さよーなら」
「うん…………。またな」
  骸の横顔に、複雑な思いばかりが喚起されるので綱吉は次を意識した言葉を選ぶ。
  オッドアイが、驚いた。
  しかし嬉しそうにクスッと笑った。
「ほんとに君は馬鹿な人ですね。ええ、またね」
  そうして綱吉はベッドに戻っていた。目をこする、と、泣いた痕があった。寝ながらこちらでも漏らし泣きしたらしい。体を起こし、日付を確認すると10月14日だった。誕生日当日。女の子や友達はこれから祝ってくれるのか。
「不器用って、大変なんだな……」
  誰にともなく呟いて、しかし怒りのやり場がないので複雑になる。
  とにかく、まあ、せめて自分だけでも次に会うことがあったら骸には優しくしようと思った。




おわり



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