雨露に罠



 ベッドが軋む。
 少女は滑らかな肢体を投げ出し、するり、と、肩にかけたカーディガンを払い落とした。
 片膝が立てられた。ベッドの向かいで立ち竦む沢田綱吉には、彼女の奥まった部分は見えなかったが、それでも視線は少女の白い指先に注がれた。指先は段々と下に向かっていく。
「ボス。パンツも自分で脱いだ方がいい?」
「…………っっ」
 ずざっ。
 後退りしたが、肩が固定される。
 背中の向こうに立った長身は六道骸だ。彼は、頭の上から綱吉を覗き込んだ。
「この子に脱がせてあげなさい。髑髏、それが男の浪漫ってものですからね」
「わかりました、骸さま」
「綱吉くん? 怖いんですか?」
 つう、と、骸が指の腹で綱吉のうなじを撫でた。
 ネグリジェ姿のクローム・髑髏が羽毛の枕に後頭部を埋めたところでもあった。突き飛ばされた綱吉は、彼女に覆い被さり――すぐに、跳ね起きる。
「あああっ、馬鹿馬鹿馬鹿っっ!」
「据え膳喰わぬは男の恥ですよ」
「こ、こんなの出来るか! っていうかコレのどこが雨宿り?! は、話が違うっ」
「細かいことなんてどうでもいいじゃないですか」
 骸の横顔は涼やかなものだ。平坦な声で告げる。
「髑髏が嫌いですか? それとも僕に遠慮している? 貸してあげるって僕が言ってんですよ」
「かっ、貸すって……」
 絶句する間に、くすりと好色な笑み。
 ベッドの上で、髑髏は横たわったまま主人とボスとの会話に耳を傾けていた。その様子は忠実なポメラニアンのようだ。
「見学していてあげますよ」
 骸の声音はいやに弾んでいた。
「どう見ても童貞ですもんね。態度によっては指導を加えてあげなくもないですし」
「お、お前。何考えてんの?!」
 声が引っくり返っていた。
 外は、雨だ。
 六月に入ってから久しい。骸はますます意気地の悪い笑みを浮かべた。ナナメに伸びた口角が、窓の向こうから響く雨音で彩られて悪魔の笑みに見える。綱吉は、青褪めて部屋中を見渡した。
六道骸が日本での滞在に使用する部屋だ。
 防音は完璧、逃げ道は――、
「髑髏」六道骸は、したり顔でベッドの上に問い掛けた。
「ボスの筆下ろしができればお前も光栄でしょう?」
「うん。ボス、初めてをちょうだい」
「…………あああああ!!」
「往生際が悪いですね。沢田綱吉如きが僕の言うことを聞けないとでも言うつもりなんですか?」
 お前は神か何かか!
 咄嗟に罵倒が浮かぶが、この状況で口にする勇気は無い。背後に骸がいる、それが綱吉にとって最大の障壁だ。
「どうせなら気持ちよくなりたいでしょう?」
 靴底を使って思い切り膝裏を蹴りつける。
「だっ!」
 ふくよかなものが鼻先で弾んだ。
 すぐに退けようとしたが、骸が綱吉の右手の上に自らの右手を重ねる。ギュウッと髑髏の乳房を握り締め――何かわかった瞬間、綱吉が絶叫をあげた、
「やぁめろ――っっ!! 悪趣味だろ――?!」
 けらけらと楽しげに笑い、骸が手をどけた。綱吉は慌てて自分の手を引き寄せたが、遅かった。しっかりと髑髏の胸の感触を覚えてしまった。
「お前、サイテイだ何考えてんだよ……っっ」
 手を擦りつつ真っ赤になりつつ、声をひねり出す。
 骸は徹底的に自らの優位を確信していた。声音に優位に立ったもののおごりが滲み出ている。
「僕を褒めてくれるんですか? 一発ヤッてから褒めればよいものを」
 足首に自らの足首を交差させる。その絡め方は最初こそさりげなかったので気付くのが遅れる。
「綱吉くん。欲望に正直になりなさい」
「んなっ?!」
 足をホールドされた上に捻られて、なす統べなく綱吉は髑髏の上に倒れこんだ。彼女の双丘は小ぶりではあるがふくよかだ。髑髏の顔の両側に手をついて、綱吉が体を起こす。背後の骸を睨みつけた。
「……っおかしいだろ、こんなの!」
「いいのに。ボス」
 鬱蒼と微笑み、髑髏は両手を広げた。
 なすがままだと教えるように足を開いてみせる。骸は、カカトを掴むと強引に靴を脱いだ。自らのベッドに上がり、綱吉の後頭部を掴む。
「綱吉くん。ここまで来て逃げるんですか? それでも、君、男ですか? まさか腐ってるんじゃないでしょうね。下半身にそんなに自信が無い?」
「ばっか、やろお! 痛いっ。放してよっ!」
「いけませんね。楽しみましょうよ……、三人で」
 くつくつと喉を鳴らし、綱吉の頭を揺さぶってみせる。綱吉が衝撃による目眩で前後不覚になると、骸が再び背中を突き飛ばした。
 もはや何度目か。双胸に顔を埋め、指先をひくひくと痙攣させたが、
「ど、髑髏ちゃんっ……!」
 がばり、と、綱吉が体を起こした。
 少女の両肩を掴む。彼女は合点したように笑みを深めた。淫猥な響きを内包したものだ。
 綱吉が頬を赤く染める。
 だが、断ち切るように告げた。
「こんなことしちゃダメだよ。骸なんかと一緒にいちゃダメだ! 髑髏ちゃんにとってよくない!」
「あたしは、骸さまと一緒にいることが幸せなの。大丈夫よ、ボス」
「大丈夫じゃない!」
 元から丸い目がさらに丸くなる。
 髑髏の両眼の中で、頬を引き締めた沢田綱吉が切実に訴えかけていた。
「オレはそんな髑髏ちゃん見るのイヤだ。もっと自分を大事にしてあげてよ」
「ボス……。あたしはね」
「違う。大丈夫なわけないだろ? 骸がすごい大切だからって、こんなことする必要なんか無いじゃないか!」
 少女が大きな瞬きを繰り返す。ベッドの端であぐらを掻いた格好で、六道骸は呆れた眼差しを背中に注いでいた。
「髑髏、言ってあげなさい」
「髑髏ちゃん! 聞いちゃだめだ!」
 戸惑うように綱吉と主人とを見比べる。骸がため息を混ぜたような声音で呟いた。蜜月を思わせるような、甘さのある声音でもあった。
「沢田綱吉は何もわかっていない……」
「うん。もちろん。骸さま」
 それに返す言葉もまた、甘さを含めている。骸は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「髑髏ちゃん……!」
 縋り付くような声があがる。
 だが、骸に向けて頷いて見せた後で、髑髏は満面の笑みを綱吉に向けた。するり、と、首筋に白い腕を絡めてくる。
「でも嬉しい。そんなこと言ってくれるんだね、ボス」
「えっ……」少女の長い睫毛が眼前だ。
 瞬きをして、その状況に気が付いて綱吉が悲鳴をあげた。様子を楽しむように目を細め、髑髏は首を傾げてみせた。悪女のような、悪戯で遊ぶかのような顔をする。
「大好きだよ。ボス。本当に、いいんだよ」
 髑髏の指先が綱吉の服を掴む。
「ど、髑髏ちゃんっ……?!」
 美少女に目の前で口説かれた経験など無い。
 完全に石と固まる綱吉に、髑髏は、頬を朱色に変えた微笑みを向けた。彼女らの様子を観察していた骸が、ふと、笑みを消した。
「あたし、ボスも好きだから」
「あ、あああ、お、オレ、京子ちゃんがいるからっ」
「知ってるよ。ボスの片思いなのも知ってる」
 ニコリとした笑顔は献身的ですらあった。
「それでいいの。でも、……欲しいな。ボス」
  少女の両眼が潤む。薄っすらと張り付いた微笑みは、外から聞こえる雨音と重なって美しかった。髑髏の両眼は見上げるようにして、まっすぐ、綱吉を射る。期待に頬を赤くしていた。それまでになく真剣に、髑髏がゆっくりと囁いた。
「お願い。ボスのことをちょうだ、」
 い。中途半端に途切れた理由は、綱吉にはすぐにはわからなかった。ただ、首に衝撃を感じて、ひしゃげた悲鳴をあげた。
「ぐえ」
「……ちょっと」
 後ろから、首に腕を引っかけたままで骸がうめく。
「髑髏……?」伺うような声だ。
 慎重で、警戒の響きすらある。髑髏に怯んだ様子はなかった。むしろ、不満げに骸を上目に睨む。
「骸さま。どうして止めるの?」
「いえ。ただ、君……」
「ぐっ、ぐるしっ。骸ォ?!」
 珍しく言い淀むのと比例するように、首がキリキリと締め上げられる。綱吉が肘で骸の胸板を叩いた。
 気が付いたとでも言うように、唐突に骸は綱吉を開放した。
「げほっ、な、何すンだよお前は!」
 床に向けて咳込むと、髑髏が綱吉の背中を撫でた。
「ボス。平気?」
「だ。大丈夫だけど」
 片手で起き上がったネグリジェ姿の美少女に、綱吉がまたも顔を赤くする。扇情的な光景だった。
 と、不意に、空気を全く読まないかのように骸が無感情に告げた。
「帰っていいですよ」
「え」
「沢田綱吉。もう、今日はいいです。どうぞどこへでも帰ってください」
「骸さま?」非難のニュアンスを込めて、髑髏。
 髑髏は綱吉の背中にくっ付いた。
「あたし、したい」
「…………」
 眉間に皺を作り、口を引き結ぶ。骸の表情は怒っているようにも見えたので、綱吉は混乱した。
「骸さま。いいんでしょう?」
 髑髏も怒ったように言うから、さらに混乱する。
「あ、あのぉ?」
「髑髏がそういうつもりでいるなら話は別になります」
「あたしにもくれるって言った。今更撤回するのは……、ずるい」
「僕に言ってるんですか、それは?」
「うん。独り占めはずるいよ、骸さま」
 少女が声のトーンを落とす。比例するように、骸の口角がひくひくと動き出した。睨み合う両者を見上げつつ、綱吉がうめく。とりあえず、望みが叶ったのだから。
「じゃ、じゃあ、帰るからな、オレは」
「どうぞ」
「ダメ、ボス」
 すぐさま、骸と髑髏が互いに互いの顔を見た。
 先程までの蜜月を思わせる視線の交錯ではない。宿敵同士が睨み合うような眼差しだ。底冷えのする声で骸が告げる。
「我慢なさい、髑髏。綱吉くんもいつまでいるんですか? さっさと立ち去ってください!」
「は、はあああっ?! 何でオレが怒られ……、いや、はい。帰るけど」
 ギラリとした眼差しを返されて、綱吉は引き攣り笑いで頷いた。
 髑髏が両眉を吊り上げる。
 骸さま。怒りに滲んだ呻き声は、しかし、
「あ。でも、髑髏ちゃん、ホントにその……やめようよ。こういうのは」
 もじもじとした綱吉の声によって尻すぼみになった。
 だらしなく眉を垂らしつつ、耳を赤くさせつつ、綱吉は両手を擦り合わせる。髑髏と骸が目を丸くした。
「なんていうのか。オレも男なわけだしさ」
「! うん!」
「そういう格好見せたりしちゃうのってさあ、よくないし……。骸の常識おかしいんだから。それわかってないと」
 下向いての言葉。
 髑髏が歓喜に頬を染める。こくこくと何度も首を縦にしたので、綱吉は嬉しげに頷いた。
「約束だよ」
「うん、ボス。大丈夫。骸さまは骸さまだけど骸さまだから!」
 少年少女をじっと見ていた骸が、不意に、笑顔を浮かべた。
「髑髏」
「はい、骸さま」
「あんまりやり過ぎると臓器返してもらいますからね」
「! 骸さま……」
「おまっ。骸! 何てこと言うんだよこの馬鹿!」
「…………。だって」
 小声で切なげにうめく。
 だが、それはあまりに突拍子がなかったので綱吉も髑髏も聞き間違いだと思った。髑髏はせっせとカーディガンを羽織りつつ唇を尖らせる。鋭い批評が彼女の口から飛び出た。
「優しくされないからって足元見るのどうかと思う」
「髑髏。君ねえ」
 嘆くように骸が自らの顔を抑えた。
「自分が道具の一つに過ぎないってわかってるでしょう」
 骸が綱吉の二の腕を掴む。帰宅のため、雨に濡れたカバンを肩にかけたところだ。口を丸くする間に、反対側の腕には髑髏が飛びついた。
「でもしようがないと思う。骸さま。許して! ついでにそっちの手を放して」
「いい度胸ですね。さすが僕が見込んだ女――、と、でも言いたいとこですが、そろそろ僕もキレます。その手を放しなさい」
「ふ、二人とも? 何だよ、もうベッドには戻らないからな!」
「当たり前だ!」
「へっ?!」
 なぜだが六道骸に怒られた。
 髑髏がいやいやとするように首を振り、強く掴んだ腕を握り締める。彼女があられもない格好をしているのは事実だ。綱吉が口角を引き攣らせ、脂汗を掻いた。
「骸さま! あたしは本当に骸さまもボスも大事なの! だからさっさとこの人ちょうだい!」
「言ってることとやってることが矛盾してるって気付いてくださいよ。僕が大事? なら、君はさっさと手を放すべきだ」
「それはいや。骸さまの言うことでもダメ」
 ぎゅうっと胸が押し付けられて、綱吉が叫ぶ。
「だからさァ! 頼むからこういうことオレにするのやめてってば――。もっと健全に! ノーマルに!」
「ボスがそうしたいなら、それでもいい。二人ですればいいんでしょう?」
「そ、そういう問題だったの?!」
「やめなさい。ダメです」
 半眼で骸が口を挟んだ。
 髑髏が両眉を下げて不満げにうめく。
「骸さま、ずるい!」
「髑髏はホントに僕に似てますねえ!」
 やけくそのように骸が叫んだ。その声の調子で、なんとなく、綱吉は身からでたサビという格言を思い出した。事態が好転したのか悪化したのかはまだ決めかねる。
 外は雨だ。まだ止まない。



おわり



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