W.<ダブル>






『オレたちはダブルに生まれた。わかってるはずだ』
 脳裏に響く声音に、沢田綱吉はハッとした。彼は二の句を続ける。
『ツナができないときにはオレがやる。ずっと昔からそうしてただろ。交代しよう』
「でも……、おれ、近頃思うんだけど。逆効果なんじゃないかなって」
『オレも思うけどさ。でも、ツナじゃどうにもできない』
 う。口ごもる綱吉の頭上で、二つの影が飛び交った。
 ひとつはガクランをはためかし、トンファーを両腕に添えていた。
 ひとつは長針の槍を振り回し、軽やかに屋根の上を跳ねている。黒と白のストライプジャケットの下は、グレーのティシャツだった。
 ガガガッ。酷い音と共に屋根瓦が飛び散った。
「ああ?! 言ってる傍から!」
 逃げ出したが、無数の破片は背中を追った。
 屋根に半身を埋没させたままでヒバリは驚愕した。トンファーが屋根に食い込んでいる。少年の頭上に降りしきる瓦の雨を生んだのは彼なのである。腕を伸ばしたが、届くはずはなかった。
「綱吉!」
「うわああぁぁああ!!」
『ツナ! 引っ込め!』
 脳裏で――、頭に直接響いてく。
 綱吉がギュウっと目を閉じる。彼は、間髪入れずに両目を開けたが、その目つきは異なったものだった。半分ほどに薄く細めて、唇を丸くすぼめる。
 綱吉は、腰を屈めて両手の振りを素早くさせた。
 ぐーんとスピードがあがって、足をとめた時には勢いを殺しきれずに土煙があがった。駆けてきた道筋には、粉々になった瓦が散らばっていた。
 肩を撫で下ろすヒバリの向こうで、六道骸が両目を輝かした。
「おや! あなた――、お会いするのは七十四時間二十五分ぶりくらいですかね?」
「てめーら……」
 ブラウンの両目をさらに細めて、綱吉は両手を拳にした。
「いい加減にしろ! ツナが死んだらどうしてくれるんだ」
「それはない。僕が守りますよ」
「骸。アンタ、いつも言ってることとやってることが違うんだよ。信用できねえ」
「おやおや……。相変わらず、言ってくれますね」
 ニヤリと楽しげに口角をあげる少年。剣呑な眼差しを送りつつ、ポケットからグローブを取り出した。×印のついた黒いグローブは、なかなかハードなデザインが施された名品だ。
 沢田綱吉の普段を知るものであれば不釣合いと揶揄する声があるだろう。が、今の彼にそうした考えを抱くものはいない。キュッと両手をグローブに収めて、綱吉はヒバリへと向き直った。
「ヒバリさんは話が通じるでしょう? 帰ってくれ」
「……、いつ見ても、なかなか馴れないね」
 ひゅっとトンファーで風を切る。瓦の破片が落ちていった。
 黒目をしならせて、ヒバリは微笑んだ。獣じみた微笑みだった。
「ヤダよ。目的変更かな。綱吉と帰るのはやめて、君と遊ぶ」
 なぜただの帰り道が戦場になる。胸中だけでうめいて、綱吉がグローブ同士をバチンとぶつけた。噛み合わせた歯列の向こうから、吼え声をこぼす。
「また痛い目みねーとわかんねえみたいだな……!」
「また?」眉根を寄せたのは骸だ。
 ピッと人差し指を立てる。
「誤解です。先日のあれは敗北ではない」
「いや……、骸は負けただろ。あれは」
 冷静に囁き、ヒバリは隣へとやってきた骸を睨んだ。しかし彼も綱吉へと訂正をやった。
「僕は自力で家まで帰ったからね。救急車送りになったのは綱吉と骸だけ」
「イイワケは聞かない」はねのけて、綱吉が駆け出した。
 一直線に向かってくる少年にため息をやって、ヒバリはトンファーについたトゲを取り外しにかかった。
「綱吉が相手なら、コレ取らないと……」
 隣で、少年の体躯と鋭い眼差しとを見てウットリとするのは骸である。
「やはり荒っぽい綱吉くんもイイなぁ……。一粒で二度おいしいとはまさにコレですね」
「あーあ。君がそんなだから、僕もコイツと争わなくちゃならなくなるんだ」
「そもそもは、おまえらが……っっ」
 ガッ。道路を蹴り上げて、綱吉が飛翔する!
「ツナに二次災害を撒き散らすのが面倒なんだ。オレだってこうも頻繁にでてきたくはない」
 ヒバリがトンファーでもってこぶしをいなし、骸は後退した。綱吉が両手を引き戻すまでの時間は短い。即座に与えられた二撃目にヒバリがたたらを踏んだ。前髪が焦げたような音をたてた。
『どうせ、後で筋肉痛があるもんね……』
 割り込んだ声音で、綱吉がわずかに動きを鈍らせた。
 その間に、ヒバリが右足を振りあげ腹の真ん中へと靴底を押し込む。
「ぐえっ!」
『っ?!! ご、ごめん! 邪魔した?!』
 屋根に這いつくばりつつも、綱吉は首を振った。
『よかった。でもさ、さっきみたいなジャンプはオレの体じゃムリなんだからねっ』
 綱吉はわずかに苦笑した。
 二人の綱吉だが、その身体能力には大きな開きがある。
 普段の人格は肉体を行使しないので、たまに、もう一人の綱吉が表にでて暴れると肉体が追いつかずに酷い筋肉痛を引き起こすのだ。
「ああ。セーブするよう心がける」
『……ごめんね……』
 綱吉は、再び首をふってみせた。口角を拭った。
「オレはツナの影だ。ツナが気に病むことなんてなーんにもない」
 両腕をついて立ち上がる、その動作は一瞬の内に完了した。野性のネコのような鋭敏な仕草だった。綱吉は目尻を吊り上げた。
「どうするんだ?」
 問いかけは、漆黒をした二人の少年に向けられた。
「まだ争うつもりか。オレは早くツナの中へ戻りたいぜ。お前らをノスのがいちばん手っ取り早い解決策に思えるんだが」
「クフフ。けっこうですよ!」
 ヒバリの背後から、骸が飛びかかった。
 黒いグローブが槍を掴みにかかる。歯を剥き出しにして、骸が活目した。
「可愛さ余って憎さ百倍といいますか。君に対する僕の気持ちって、実はけっこう複雑だって知ってました? あっちの綱吉くんには、そういう気分にはならないんですけど」
「くっ――」
 首を伸ばして、骸は甘く喉をうならせた。
「綱吉くんも好きですけど君も好きだな。どうですか」
「なっ、に言ってやがる――」
「二人で僕のところに来てみませんか」
『冗談じゃないんですけどォ――?!!』
「僕なら、君たち二人を揃って受け入れることができる……」
 鬱蒼と微笑みながらも、ギリギリと力を込めていた。綱吉が叫び返した。
「ふざけるな。オレに勝てないヤツにツナをあげられるかぁッ」
 両手から力を抜いた。バランスを崩して骸がよろめく間に背後へと周り、両足を踏ん張らせた。横腹めがけて、強烈な肘打ちを叩きこむ!
「ぐっ!」「!」
 うめいたのは骸だ、が、戦慄の表情を見せたのは綱吉だ。
『ヒバリさん!』脳裏で叫ぶ声がする。ヒバリが太陽と重なって見えて、綱吉は目を細めた。そのあいだに、眉間に膝蹴りが命中した。
「がっ!!」
「そのルール、初耳だな。本気だしちゃうよ?」
 八重歯が光る。ヒバリは、らんらんとした眼差しでもって伏した綱吉を跨いだ。
「勝ったら綱吉もらっていいんだ? 最後まで立ってたヤツが勝者になるの? 上等だよ」
 コンクリートに背中を擦り付け、綱吉は悔しげに歯軋りをした。
 ――骸が槍を振りかぶったのが見えた。ヒバリが、寸でのところで振り返り、トンファーでもって押し留める。
「こ、のっ……!」綱吉の怒りは咄嗟に湧いたものだ。
 体内の彼が、察知して絶叫した。
『おれの体、大切にしてよー―っ?!』
「わかってる。でもヒバリさんも骸も迷惑なんだ。何なのこの人たちは!」
『お、オレに言われても……』ごにょごにょとする沢田綱吉である。
「ツナとオレの前をちょろちょろしやがって勝手に暴れまわる。いい迷惑だ。おまけに妙な趣味してやがるときた!」
「妙な趣味って」交戦しつつ、骸が半眼をした。
「あのですね。僕は君たちの心意気に惚れこんで――」
「黙れ。聞く耳なんか持ってないぜ」
 口角をピクピクさせながら、再び綱吉が駆け出す!
 その右腕はヒバリを狙った。ひらっとしたステップで風紀委員の腕章がなびく。しかし、それを見越した骸がカカトでもってヒバリの背を蹴りつけた。すぐさま綱吉はターゲットを変える。骸は、拳が腹にめり込む数秒前に飛び跳ねて屋根へと逃れた。
「そんなに、僕の愛情って伝わりにくいですかね」
「僕のもね。ていうか、骸が邪魔するせいだと思うんだけど!」
「それなら、恭弥くんが邪魔するから僕の愛も伝わらないという……」
「アンタら。そういう問題じゃないってそろそろ気がついてイイんじゃないのかっ」
 綱吉の絶叫に、よろめきつつもヒバリは顔をあげた。骸と互いの顔色を窺いあってから、共に綱吉を見つめる。そうして、本当に胸に手を当てた。
「…………っ!!」
『ああっ?! 切れないで! 切れないでツナヨシ!』
 もう一人の綱吉が必死になって叫ぶが、彼は聞いちゃいなかった。
「止めるな、ツナ! もーだめだ。こいつらは殴り飛ばすっ」
「怒った綱吉くんも素敵ですね〜」
「新鮮だね。綱吉は怒らないから」
 ボッと綱吉の額に炎が灯る。
『あ、あああ〜〜……。それやっちゃうの?』
 脳裏で呻き声には聞こえないフリをした。
 この能力こそが、彼を異端たらしめるものだったが、ヒバリは黒目を愉悦に染めた。
 舐めまわすように、全身から闘いのオーラを滾らせる綱吉を見つめる。愛しげでさえある眼差しだった。
「うん……。いつ見てもゾクゾクくる。骸じゃないけど、君は綱吉とは違う。でも僕も君が好きだ。君を見てると噛み殺したくてたまらなくなる。強いから」
 ぺろりと唇を舐めとる。屋根の上から見下ろしつつ、骸は思案げに自らの唇を撫でた。
「…………」
 綱吉の額で燃える炎を見つめる。
 骸は右が赤、左が青のオッドアイを持っていた。
 赤色の中には『六』の文字。やや自己陶酔じみた調子で、小さく呟いた。
「招かれざる能力を持った者同士だからか……。どうしてか、僕、君には殺意まで持てる気もちょっとするんですよねえ。不思議なものだ」
 薄く目を細める。狂気を孕んだ光は、綱吉――、非力な沢田綱吉には見せることのない光だ。力の差を知っているので、沢田綱吉にはじゃれつくことはあれど本気の殺意をみせたことがないのである。
 綱吉は両手を重ね合わせた。
 三度ほど、ふう、ふうと全身を使った深呼吸をした。
 ゆっくり。ゆっくりと、両手を開く。
 すると、額の炎と同じものが両手に宿った。
 当てられたものの邪念を抜き取る浄化の光である。
 神の祝福を受けた能力だったが、体とこころにかかる負荷は並大抵のものではない。使えばリボーンがこっぴどく叱ってくるのも知っていたが。
「ほんっとに……、この前も浄化したハズなのに。ヒバリさんも骸も何でそんなに回復はやいんだよ?!」
「愛の力ですかね」「鍛え方がちがうんじゃない」
『もう、相手にするのやめたい……!!』
 脳裏で頭を抱える彼の姿が見えるようだ。
 綱吉は呆れたように目を細め――、そして、ダッと疾駆した。
 両手に宿る光で二人の少年に掴みかかる。彼らは、嬉しげに四方へと散らばっていった。
「遊んであげてもいいけど、、綱吉に追われるっていうのも新鮮なんだよねえ」
「逃げるな! 大人しくしろヒバリさん! 骸もそっから動くな!」
 絶叫が轟きわたる。夏の昼は長く、彼らの昼もながいのだ。午前授業で終わったはずなのに、どうしてこんなことに。長期戦を覚悟する綱吉だが、脳裏で、悲しげに囁く声がした。
『ツナヨシ……、おれに代わるのは部屋のベッドの中でよろしく』
 頷いた。最近は、いつもそうしている。







06.07.8

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