日曜レース

 

 

 

「よし、じゃ死ぬ気で逃げろ」
  リボーンの言葉に身構えた。
  けれど、待てども赤子はふところに手をいれない。あの、雷に脳天を貫かれたような衝撃もない。綱吉は、おそるおそると問いかけた。
「あの、死ぬ気弾うたないの……?」
「ア? 誰が撃つっつったよ」
「今、死ぬ気でやれって……」
「バカか。おら、くだんねーこといってねーでとっとと逃げろ!」
「いだ!」尻を蹴られた。
 押し出された彼を、総じて見下ろす瞳があった。
 ヒバリにディーノ。了平にコロネロ。獄寺とシャマル。バッド構えた山本と、なぜだか同席している六道骸だ。彼らの半眼にであって、綱吉はたらりと頬に汗を流した。
「ま、マジで? 生身じゃぜったい――」
「そのほうが面白いだろが。ホラ、スタートだ」
「それが本音かオマエ――――っっ!!」
 このやろう! 胸中で絶叫しつつ、綱吉が駆け出した!
 リボーンがカウントダウンをはじめた。十、九、八……、一。
 だっと、綱吉めがけて足音が駆け出した。各々のエモノを構えたが、真っ先に反乱を起こしたのはヒバリだ。トンファーが、真横を走ったディーノを襲った。
「おー。内紛か」リボーンが明るく笑いだした。
「きょーや! テメー、的はツナだっつってんだろ!」
「うるさいな。あなたを狙った方が僕には楽しめる」
「だあああっ、リボーン! この戦闘狂に何とかいえよ!」
 校舎に駆け込む傍らで綱吉はゾッとした。リボーンが物知り顔で呟くからだ。
「アリだな。勝者は一人で充分だ。仲間揉めも味方討ちも何でもアリだ。とにかく、ツナのもってるリングを奪い取ったやつが勝者だ。……今回の修行レースで、いちばんの好成績をおさめたヤツってことだ。賞金は一億。なぁ、シャマル?」
「ああ、ありがてー。このまえ、カワイー子ちゃんの借金肩代わりしちまって手持ちが少ねーんだよな」
「ま、俺は別に。勝負とあっちゃ負けるわけにはいかないっていうね」
  山本が呟く。が、彼に立ちはだかるのは獄寺隼人だった。
「てめーには負けるか! 十代目の右腕はこのオレがなる!」
「おー。でも、乱闘も充分にアリだぜ!!」
「上等だこのヤロー!」
  担いだバッドを振り下ろす!
  獄寺がダイナマイトを打ち上げた! その下を駆け抜ける影は三つだった。
  彼らは校舎にすべりこんだ。コロネロが言った。
「コラ了平! リボーンの戯言に惑わされンじゃねーぞ!」
「ああ! この機にパオパオ老師にさいっこうの極限をみせてやるのだ!」
「よくいったぜ! それでこそオレの弟子だ!」
  隣を走る骸が、物いいたげな眼差しを向けた。
 彼らが二階に駆け上がった頃、グラウンドから大爆発が立て続けに聞こえた。同時に、バタバタと一階を走り回る足音。真っ先に反応をしたのは、コロネロの頭上を飛ぶ鷹だった。
「ボンゴレは一階に逃げたようですね」
  失態に気がついた三名だが。
  道を引き返す了平とコロネロとは別に、骸は三階を目指して階段をあがっていった。
「どこにいく?!」
「クフフ。僕には僕の作戦があるんですよ」
「構うな了平! 勝利に向かって突き進むぜ!」
「おう!」廊下を飛び出す――と、入れ替わりに横切った影があった。
「うわっ!」響いた悲鳴は、ディーノのものだ。
「ディーノさんっ?」
  階段の途中で足を止めたのは綱吉だ。
  コロネロに躓き、ディーノが膝を追っていた。
 了平がその上から転ぶ……場面までを見て、綱吉は両手で目を覆った。了平の後ろを全力疾走していた獄寺と山本とシャマル。その三人が、さらに蹴躓いてドザザザーっと派手にスッ転んでいった。
「コラァアア!! どけ馬鹿どもが!」
  コロネロが舌を巻いて叫んだ。
「だっ、暴れんな! いだだだ、動くな! 隼人、おまえジッとしてろ!」
「うっせーな! 山本が、……イテーっつの! 間接極めてんだよテメェ!」
「あ、そうなのか? そりゃスマン……。でも、俺も動けねえんだけどな」
「い、いちばん上っ。転びなれてるオレにはわかるぞっ」
 ディーノがむりやりに手をあげた。 ビッと自らの頭上を指差す。
「一番上のやつがどけばいいんだ!」
「いちばん上のは、鳥ですけど……」
  思わず助言をしてしまう綱吉である。
  コロネロの鷹が、折り重なった六人の上にちょこんと足をつけていた。が。ばさっと羽根を広げる――ほぼ入れ替わりに、六人全員が悲鳴をあげた。
 少年が一人、人間の山を背中から踏みつけたからだ。
「馬鹿じゃないの、君たち」
  げっとうめき、慌てて綱吉が再び階段を駆け上がる。
  ヒバリは綱吉を見逃した。その視線は、足元で、六人の最下層で下敷きにされているディーノに向かっている。
「……よぉ」
  冷や汗混じりに、ディーノが、あげたままの腕をヒラリとゆらめかす。
  黒髪の少年はニッコリと微笑んだ。
「お礼、させてもらおうかな……」
  その黒髪は乱れて、頬にはムチによるミミズ腫れが三本。
  トンファーをちゃきりと構えるのに、悲鳴をあげたのはディーノだけではなかった。
「どうせだから、全員まとめてノシてあげる」ヒバリがそんなことを言って、六人の顔ぶれをチェックするからである。しかし、彼は、メンツが一人欠けているのに気付くと眉を顰めた。
「……アイツがいないじゃないの。六道はどこ」
  囁き、階段を駆け上る後姿に一同がホッとため息をついた。
「……って、だから、和んでる場合じゃないんだって! いちばん上のやつ誰だ――?!」
「俺だけど。あ、山本スけど、ちょ、……獄寺の足にからまっちって」
「いっづう! だからぁ、間接にハマってんだよ! テメエ!」
「おー。オレがなおしてやるから我慢しろ隼人。やっていいぞー山本ー」
「ざけんじゃねー!!」
 じゃねー、と、渾身の叫び声が校舎をぐるりとまわって廊下を走り抜ける。
 聞きつけたのは綱吉である。しかし獄寺たちの惨状に思いを馳せる余裕はない。二年の教室に駆け込み、勢いよく引き戸をしめる――、そのまま、硬直した。
「おまえ……。どーして」
  窓に寄りかかり、骸が、蔑むように目を細めて見せた。
「簡単な推理ですね。追われる身になったあなたは、少しでも安心できる場所を探そうとする。人と言うのは面白いですね? 心細くなると、知らずに馴染みの場所に足を向けてしまうんですよ」
 ガゴンッと濁音が響く。骸が手近にあった机を無造作に蹴り上げたのだ。反射的に身を竦ませると、その間に骸が間合いを詰めた。
 胸倉を掴むと、一気に天井むけて拳を突き上げる!
「ぐっ!」綱吉の足が浮いていた。さて、と、低く骸がうめく。
「……千種と犬の脱獄費の調達は、僕のポケットマネーですませますので、お金は必要ないんですよね。特訓の必要もなくそもそも参加していませんから、勝利の栄光も僕には無関係」
「お、まえ、ならどーしてここにいんだよっ」
  少しでも敵が少ないほうが喜ばしいに決まっている。
  勝負時間は三十分。三十分、逃げ切れば、いちばん真剣に特訓し成果をあげたものは綱吉であると認められるのだ。リボーンは、綱吉に一週間の休暇を約束した。……喜んだ綱吉であるが、それは、まだ他の修行者と骸とが相手であると知らされる前である。
「そうですね……」
  目を細めて、骸が腕を揺らす。
  首がしまった綱吉が低くうめいた。スゥと細めたまなこが、その横顔を食い入るように見る。さらなる沈黙をはさんだすえに、骸はニッコリと微笑んだ。
「君が嫌がるかなーと思いまして。敵は少ないほうがいい、とか、思ってません?」
「んなっ……?!」
「君個人に負けたこと、まだ根に持ってるんですよねー僕はー」
「うだっ、ば、……揺らすな、いっ……。首……っ」
「クフフ」
  楽しげに喉を鳴らすと、骸は綱吉をおろした。
  ぐったりしている顎を撫でて、首筋で光る銀色のチェーンを引く。チェーンにはリングが通されていた。骸がリングを引き千切ろうとしたときである。黒い影が、窓を突き破った。
「そこまでだよ!」
「?!」
  綱吉が顔をあげる。
  と、同時に骸が飛び退いた。
「君にも好き勝手はさせない」トンファーがぐるぐると風をきって回転した。
  骸がニヤリとして口角を拭う。脇腹に喰らった一打は、重く、口角が僅かに濡れていた。
「僕は君が嫌いですよ。雲雀恭弥。その、敵なしとでも言いたげな顔つきが気に入らない」
「わお。そうなんだ。僕は君の顔も声も立ち方も振舞いもぜんぶ嫌いだよ」
「気が合いませんね」
「そうみたいだね」
  ニコと骸が目を細める。
「死んでください」
「殺す」ニッとヒバリも口角を笑わせた。
 背筋を仰け反らせるのは綱吉である。ボンゴレリングを握りしめたまま、這って教室をでた。待っていたのはリボーンだ。がっしゃあああと、派手にガラスやら机やら、イスやらの破片が飛び散る室内には目もくれず、静かに綱吉を見下ろす。
 その指は、すっと綱吉が握るボンゴレリングへと伸びた。
「リボーン?」困惑する綱吉だが。
 ミヂッと悲鳴をあげてチェーンが千切れ跳んだ!
「いっだぁ?!」愕然として首を抑える綱吉に、リボーンがあっけらかんと告げた。
「わりーな。どうやらオレの勝ちみてーだ」
『はぁ?!』叫んだのは綱吉だけでない。
 トンファーと槍を交差させたまま、ヒバリと骸も叫んでいた。
「何ですかそれ!」
「ちょっと。赤ん坊、聞いてないよ」
「だってオレも特訓してたもん」
 ニヒルな佇まいは崩さずに、しかし声音だけは拗ねて、リボーン。
 綱吉がうめいた。そういえば、一緒に滝にうたれたり、一緒に山篭りしていた。
「コロネロが参加するって時点で誰か気付くんじゃねーかと思ったんだが……。悲しいぜ、オレは。テメーら全員、目が節穴かってんだ」
「いや……。なんか理不尽な気が」
「文句あんのか?」
「ないっす!」
 正座する綱吉の後ろに立つのはヒバリと骸である。
 憮然とした顔つきの彼らは、他にみるものがないので、しようがなしにお互いを見つめた。じぃと見詰め合うこと二十秒。その時間経過のなかで、彼らは、同時に呟くに至った。
「そうですね」「そうだね」
「僕らが戦うのに理由なんかいらないね」
「そもそも、修行の栄光を手にするために参加してませんからね。僕は君が気に食わないから叩くんですよ」
「まったく同感だ。やっぱり、僕ら、気が合わないね」
 ニコリ。ニヤリ。真正面から笑顔をぶつけて、次の瞬間には武具を振り下ろしていた。
 槍を受け止めたトンファーが、素早く後退して圧力化から自身を引き抜く。
 骸も後退した。しながら右足をヒバリの胴体へと叩き込んだ。綱吉には当たったように見えたが、ヒバリは平然と横にはねて、机へと乗り上げる。
  シャツにかすっただけのようだ。鳥がごとく、ヒバリが跳躍した。
 よろりよろりとしながらも教室の壁に背中をあずけ、綱吉がうめく。リボーンは上機嫌にリングを人差し指にはめこんでいた。
「リボーン。あいつらに、気が合ってるじゃんかってツッコめよ」
「テメーの仕事だろ」素晴らしい光沢を映すリングだった。
「オレの苦労を、テメーらはもっと知るべきだぜ」
  歌うように囁くリボーンだが、綱吉は素早く脳裏でシュミレートしたために聞いちゃいなかった。
  ヒバリと骸に、ツッコんだら、どうなるだろう? まず怒られる。まず睨まれる。まず蹴られる。まず風穴があく。まずご飯がまずくなる。まず夜道が歩けないようになる。まず殺される。さんざ脳裏に浮かんでは消える光景に、しまいには、はらはらとこぼれる涙があった。
「……絶対にいいたくない」
 廊下からは、喧騒と足音とが激しく聞こえてきた。

 


おわり


 

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06.03.31