あるふぁべっとありき







 扉を開けた風紀委員長は、しばらくの間、そこが応接室であることを忘れた。
 すさまじく違和感のあるものがソファーで缶ジュースを傾けていたからだ。
 少年は、傾けた格好を保ったまま目蓋で挨拶をした。遅いと囁きながら、缶をテーブルにおいてバタフライナイフを取りあげる。振り下ろしたトンファーはナイフの刃で受け止められた。
「ずいぶんな挨拶じゃないですか」
「君こそ。喧嘩? ココは僕の縄張りだよ」
「ボンゴレがコチラに入り浸っているという情報を聞いたのですが」
 雲雀が、思わずといった様子で眉根をあげてしまったので、骸は面白そうにして委員長の後ろに眼をやった。
「ああ、やっぱり。いるじゃないですか。こんにちは」
「あ……。こ、んにちわ」
 息を呑んだ綱吉がにわかに後退り、扉に背をつけた。
 トンファーに体重のすべてが託される。
 黒目が窄められた。
「気安く挨拶しないでくれる。耳障りだ」
「雲雀君に伺いをたてる必要があるんですか?」
「綱吉は心で意見を言うコだからね。かわりにいってあげてるの」
「ほお」つまらなさそうに眼を細めて、雲雀と綱吉を見比べた。
 交戦に加わっていない雲雀の左手があがる。袖から滑り出てきた金属の持ち手を掴むが、それと同時に骸がテーブルを蹴り上げた。
 ぎゃあっ。聞こえたのは綱吉の声だ。
 額を抑えて腰を折り、その足元を空き缶がカラカラと転がっていく。
 左のトンファー叩き下ろしたときには、骸はデスクの上にいた。
 片膝をつき、乱した前髪を目の上からどけて、怨めしげに雲雀を睨んだ。
「aまでですか。bまで?」
「はあ? なにそれ」
 期待した答えとはすれ違っている。
 不機嫌を露わに眉間をシワ寄せて、骸が沈黙した。
 彼から漂うものは黒く淀みがかっていたが、バカにしたような、呆れたような気配で満ちていた。
 雲雀は苛立った様子で扉へと振り返る。
 予期しなかった綱吉は、ヒクリと口角を引き攣らせた。額は赤く腫れていた。
「何、あれ。知ってないとおかしいものなわけ」
「そそそ、そんなことないと思います……!」
 大きく首を振ってから、ハタとして骸を見上げた。
「っていうか、どしてオレとヒバリさんに当て嵌めて言うんですかっ?!」
「五割は勘で、五割は事実からの推定です」
「なっ」
 絶句の後に、頬を上気させて叫んだ。
「あるわけがないだろ!! aってキスじゃなかったけ?!」
「おや。これまた推定材料になる反応をありがとうございます。キスで合ってますよ」
「? まったく、話の先が見えないんだけど」
「aはキス。bは触りあい。cは」
 言いながら、骸は綱吉へとナイフの切先を向けた。
「……――ですよ」含んだ笑いが混じった声色だ。
 聞き取れずに、綱吉と雲雀が互いに顔を見合わせる。
 それには気を好くして、少年はクフフと笑ってから付け足した。
「君が女だったなら、dもアリですね」
「はあ……?」まじまじと茶色いひとみが骸を眺める。
「eは、まあ、お望みなら僕は構いませんけどっていうレベルですねえ」
「はあ」器用にナイフをクルクルさせる指先を見て、綱吉は先ほどとは違った相槌を打った。
 疑問系の相槌ではなかった。骸が一人で楽しみ尚且つ自分たちに理解させる気がないことを悟り、会話についてゆくことを諦めたのだ。
 が、雲雀は綱吉と骸の間に割って入った。
「腹立たしいものらしいってこと以外、よくわからないんだけど」
「それでけっこう。僕がボンゴレに教えてあげればよいだけですから」
「何を」「だから、aとbとcを」
 剣呑に眉根を歪めて、雲雀は綱吉の襟首を前から掴んだ。
 うわっと密かな悲鳴をあげるのに構わず、顎を右手の指先で固定させる。次に悲鳴をあげたのは骸だった。その触れ合いは数秒で、雲雀はすぐさま骸へと向き直った。
「次のbは触ればいいんだろ?」
「な、……なん、ですか。今のはっ?!」
「キスだろ。で、どこを触ればいいわけ?」
 綱吉はカーペットにしゃがみこんでいた。腰を抜かしたのだ。
 何が起きたかを理解しきれずに、そろそろと唇に人差し指と中指とを持っていく。赤くなりつつも青褪めるという、器用なことをやってのける少年の前に雲雀は屈みこんだ。
 ペタペタと胸板をさわり腰を撫でて、首の後ろを擦ってみる。
「あの。ひっ、ひバリさ……ん」
 完全に硬直する綱吉に構わず、雲雀は再び骸を振り返った。
「cは?」怒りを含んだ声色である。
 腹立ちに任せて同じ言葉を繰り返すが、骸はワナワナと肩を揺らすだけで返答をしなかった。やがて俯いてしまったので、怒りに焦れた色をまぜて、雲雀は強く言ってみせた。
「ついでに君ができないっていうdとeもやってあげる。どうすればいいの」
「ッ――」上向いたオッドアイは熱く燃え上がっていた。
「笑わせてくれる……。いいですよ、そうまで言うなら、僕は君らの子供をいただくとします」
「? 何がいいたいの」「できるのならばやってみせろと言うことです!!」
「上等。どうすれば?」
 デスクを降りた骸が綱吉へと歩み寄る。
 その襟首を掴みあげたが、視線は、雲雀だけを荒々しく睨みつけていた。
「cはセックスです」ぶっと綱吉が空気を噴いた。ヒバリは、屈みこんだままで目を丸くした。
 構わずに骸は、綱吉の腹をバンバンと叩いて見せた。
「わかりますか。とてつもなくアホなことを言った! dは妊娠、eは中絶!」
「ちょ……、む、骸も何アホなこと言ってんだよ!」
「この鳥頭が言ってるんですよ!」
 指差されて、雲雀は眉根を顰めた。
 それでも何も返さないのは、つまり、言われたことと言ったことが意味する全容を理解しようと脳裏で探っていたからである。綱吉は骸の腕を逃れて扉へと駆けていった。
「お、オレが妊娠できるわけないだろーが!」
「そんなの見ればわかりますよっ。ただこの鳥頭が」
「その言い方、やめてくれる」
 ぶすっとした声で、雲雀。少年は覚悟を決めていた。
 ウンと深く頷き骸を押しのけ、綱吉の肩を取った。
「やってみる。赤ん坊はどこにいるの?」
『な……』同時に絶句して、綱吉と骸が雲雀に詰め寄った。
「何いってんですかヒバリさん!」
「正気ですか。君にはこのモヤシのよーに細いボンゴレが女に見えるんですか?!」
「ちょ。もやしって何だよ!」「眼球の代わりにゴミがはいってる!」
「僕は一度いったことは曲げない。……綱吉のことは嫌いじゃないし、好きな女もいないし、そうなるのは構わないよ。綱吉がイヤならeはやめて育ててみようとも思う」
『…………』
 少年二人は口をパクつかせ、血の気が遠のくのを感じた。
 雲雀の両目は落ち着きがあって真面目そのものである。綱吉は顔を青くしてから、肩を取る腕に思いのほか強い力が篭っていることに気がついて、助けを求めるように骸を見上げた。同じく青褪めながら、骸が諦めなさいと口早に言い捨てた。
「前言撤回です。子供はいりません。……今回はわたしが悪かったですから」
「君はきっかけに過ぎない。考えてみれば、そんなに悪い話じゃないよ。行こう、綱吉」
「ぎゃっ……。ぎゃああ――!!」
「ボンゴレ!」窓から飛び出た二人の後で、慌てた骸が飛びだした。
 グラウンドを横切り、下校途中の生徒に奇異の眼差しを受けて、少年は頭上に疑問符を浮かべた。綱吉を連れ出して雲雀を振り切る、という当初の予定がまるきり逆になっている……。
「た、たすけて骸さあああん!!」
 しかしながら、すぐに骸は疑問を切り捨てた。
 この先、彼がこれほどまでに必死に自らの名を呼ぶことなどありえないと感じたからである。
 沢田家にてリボーンと合流した。赤子はあっさりと、
「やろうと思えばできるぞ。ボンゴレの技術で」
 と言い切って綱吉を泣かせたが、話し合いの末に骸が頭を下げればやらなくてもよいと雲雀が主張し、これには骸の猛反発があったものの、そうして事態は丸く収まったのである。
 雲雀は機嫌よく並盛中学へとバイクを回収しに向かった。
 一方の骸は哀愁を漂わせつつも、疲れきった様子で部屋をでたが。綱吉にありがとうと泣いて感謝されたので、彼もこの件は不問とするに至った次第である。
 二人のいなくなった室内で、リボーンが囁いた。
「にしても、お前ってホントろくなコトに巻き込まれねーな」
「お、お茶のむだけのハズだったのに……」
 夕焼けを浴びる頬に、ホロリと涙粒が流れていった。

 





 

 


05.1.27

>>>もどる

>>最後には中絶らしいです