チャンス



「ボス、ついてく」
 綱吉がスニーカーをはき終えると同時、少女の声がした。
  コンビニにジュースを買いに行くだけの用事だ。十代目がそんなことを! とか、俺もついていく、とか、友人たちならばいろいろと言ってくると踏んで、綱吉は十秒でコッソリ出かけるつもりになった。
  なので、彼女に見つかったことを不審がりつつ、二人は並んで家をでることになった。
「クロームさん、なんでわかったの?」
「…………。ボスのことだから」
  答えになりきっていない言葉で、少女。
  クローム髑髏と名乗る彼女は、六道骸の代弁者であり身代わりでもあり霧の守護者でもある。ボンゴレ十代目候補、沢田綱吉は少女の華奢な体をチラりと一瞥した。黒いスラックスに黒いセーター。髪は、稲妻形の分け目まで揃えて骸と同じように後頭部で束ねている。
 コンビニまでの道のりは十分ほど。
  パーカーについたポケットに両手をいれたままで、綱吉はクロームを見下ろした。
「一度聞いてみたかったんだけど、その髪型、自分でやってるの?」
「朝、起きてたらこうなってたから。骸さまがこうしたいと思う。だから、わたしはそれを再現するの」
 アイツはいたいけな女の子に何をしてんだ……。胸中でツッコミつつ、綱吉は半眼で稲妻分け目を見下ろした。骸って変だよね、と、喉まででかけた言葉を飲み込む。クロームは自らの発言を少しも恥じていなかった。こころの底からそう思っている、それを体で現すように堂々と歩いている。綱吉にはできないことだ。
 口をつぐんだ代わりに、綱吉は自分より背の低い彼女をじっと見た。
(黙ってるとカワイイ子だよなぁ……。純粋そう。骸の毒牙にかからせちゃカワイソーだ)
  その本心は、いつか言おうと思いつつも、まだ言えていない。
(ただでさえバトルな日常に巻き込んじゃってるんだし。骸は何考えてんだ。かといって骸全然姿見せないし。文句いえないなぁ……。この子の前で骸の悪口いうのもなんか気まずいし)
 綱吉自身もそれほど六道骸のことを知っているわけではない。
 とりあえず、世界征服が野望でヒトの命をオモチャだと思っていてろくでもない……でも、仲間を思いやるくらいのことはできるらしい、よくわからない人間だ。まさに正体のつかめない霧の守護者。
 正体のつかめない、と、同じフレーズを繰り返して、綱吉はクロームを見下ろした。
  それはこの少女も同じだ。いまだに少女は素性を離さないし、恐らくあるのだろう本名も語らないし、骸の手足となっていることに対しての自らの感想すらも述べない。骸に絶対の忠誠を誓っているカワイイ女の子で、多分いまのところボンゴレチームのお色気担当なのかな、くらいしか綱吉にはわからない。
 ぽろんぽろん。コンビニの自動扉が開くと同時、電子チャイムが鳴りひびく。綱吉は、この寂れた音色がちょっとだけ好きだ。コンビニエンスストアという、24時間解放している割にどこか無機質で人間味のない空間によく似合った音色である。
 クロームは忠実に綱吉のあとをついてきた。注意深く、周囲を見回す。
「なにか、たべる? チョコとか」
「ううん。いらない」
「母さんからみんなのオヤツ買えっていわれて、元からちょっとだけ小遣いもらってるんだ。クロームさんもお客さんだろ。何が食べたい?」
  考えてみれば、クロームと二人きりになるのは初めてだ。ここぞとばかりに綱吉は攻めに入った。
「…………」 
  戸惑うように、クロームが綱吉を見上げる。
「……ボスは、わたしに選んでほしいの?」
「うん。京子ちゃんとかハルもいるし。女の子の好みって俺よくわかんないし」
 僅かに、クロームは両目を鋭くさせた。
「じゃあコレがいい。激辛のポテトチップス」
「あ、それオイシイよね。らじゃあっと」
  片手でポテトチップスの袋をつかみ、綱吉は飲料の販売スペースへと向かった。ペットボトルのコーラを、ふたつ。会計を終えて外にでると、クロームが行く手に立った。
「聞いてもいい? ボス。個人的なこと」
「? なに?」
「付き合ってる人、いる?」
 ぶふっ。空気に咽たのち、綱吉は顔をポカンとさせた。
「な。なにいって――っ?!」
「気になって。いるの? いないの?」
「い、いない……けど?」
  クロームは綱吉の瞳をじっとみる。
  夜の闇が互いの輪郭をぼやけさせる。コンビニから延びる光り、蛍光灯の白々過ぎる光が額を照らす。間を置いたすえ、クロームはニコリと笑ってみせた。
「じゃあ、まだチャンスはあるんだね」
 花が綻んだような笑い方、だった。
  綱吉はポカンとさせた顔のままで後退った。不意打ちもいいところだった。そういえば、と、初めて女性にキスされたことを思い出す。頬にチュッとやられた感触、まだ肌に覚えていた。
「……く、クローム……?!」
「…………」
  にこにこにこ。
  少女は、照れたように微笑み、綱吉の手首を取った。
「かえろう。ボス。夕ご飯の時間になっちゃうよ」
「えっ?! クローム?!」
 クロームが走り出す。引っぱられながら、綱吉は心拍が加速的に上昇するのを感じた。
 顔が真っ赤になっているに違いない。目の前の少女は、多分、骸のカノジョかそれに匹敵する何かに相当しているのだろうとは綱吉も察している、が。いかんせんクローム髑髏は美少女である。初対面で頬にキス、思春期の綱吉としては意識せずにはいられない。
「お、俺、あんまり強引だと困るから……!」
  あたふたと、意味のないことを呟きつつ、綱吉はクロームの手を振り解いた。
「ボス?」
「な、なんでもない。なんでもないから!」
「……ボス、わたしの知らないあいだに、カノジョ作ったらいやだよ」
 うっそりとした笑い方で、クローム。綱吉はもはや耳まで真っ赤だ。
「クローム、俺のことからかってる?」
「そんなことない。ボスが好きなだけ」
「…………」
 綱吉が沈黙する。
  両肩をふるわせて、少年はそのまま踵を返した。早歩きで帰路につく。
「待って、ボス」後を追いかけながら、クロームは頭のなかに響いてくる声に返事をした。
(はい。骸さま。わたし、ぜったいにボスに女を近寄らせません。骸さまのために取っておきます、ボスを。……はい。はい、骸さま、ぜんぜんチャンスあります)
 はるか遠方、くすくすと上機嫌で笑う意思があることを綱吉は知らない。知るのは、恐らく数年向こうのことで、多分そのときは罠に落ちたあとだろう。






おわり


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07/01/18