倉庫街



 廃倉庫ばかりが並ぶ、寂れた区域に入った。
 屋根伝いに駆けまわりながら耳を済ませる。
 そうして、滑らかな曲線が中を踊るにいたった。彼女は背中を反らせた。そのままの格好で落ちていって、地面とぶつかるスレスレのところで両足を振り下ろす。ジャッ、と、コンクリートが摩擦に耐え切れずに煙を噴いた。底に鉄を仕込んだブーツだ。高らかにカカトを鳴らして、少女は手にしていた長槍を水平に構えた。
「ボス。迎えにきたよ」
 丸みを帯びた瞳が、すうっと横に引かれていく。
 男たちに両腕を掴まれて、沢田綱吉はコンクリートにうつ伏せにされていた。うつ伏せになったまま、苦しげに目線をあげながらも少女に呼びかける。
「み……、みんなはっ?!」
「知らない。ボスを迎えに来ただけだから」
「おいおい……。女一人で? ボンゴレんとこの女幹部はずいぶん弱ェーなぁ? オツムがよ」
「かわいいねえ。なかなかいい生活か、ボスぅ?」
 からかうかのように、下品な選評がくだされる。
 少女は平然として男を見返した。
「ボス……。返してもらうから」
 槍を構え、片脚を後ろに引く。
「ま。待って、凪ちゃん! こいつらホントに強――」
「関係ない!」綱吉の制止を振り切って、少女が跳躍した。
 槍の先を下にして、重力に引かれるままに落下する。ザンッ! と、コンクリートを削り取った。少女は、すぐさま飛び退いて銃撃を避わした。
「遅いね! お嬢ちゃん、野獣の群れに一人で突っ込んでくるなんてムボーだなぁ!」
「…………ッ」
 僅かに歯茎を見せて、凪は再び駆け出した。
 たたんっ。軽やかにコンクリートを蹴る。二度目の突進は、一人の男の脇腹を抉った。これで残る人数は四人――、組み敷かれたままの沢田綱吉を横目で確認して、しかし目を見開いた。彼は、口を塞がれながらも両手で何かを必死に訴えている。たった今、腹を抉ったばかりの男を指差して――。
「!」
 距離を取ろうとして、しかし遅かった。
 その男は、口角からアブクまじりの血液を流しながらも笑っていた。
「ざぁんねんでしたァ。ひひ。アンタぁ、嬲りもんにされるぜえ……」
「くっ。はなして!」
 血を噴きながらも男は槍を鷲掴みにする。
 狼狽する少女の後ろに残党が殺到した。動きが止まる一瞬が彼らの狙うところだ。短い悲鳴と共に、少女の柔らかな肢体がコンクリートの上に引き倒された。
「あっ?!」
「っ、う、凪ちゃん!」
 口を塞いでいた手を噛んで、綱吉が叫ぶ。
 共に、トシのころは十代後半の少年と少女だ。男たちが下卑た笑いを浮かべる。彼らを睨みつけて、綱吉が顔を赤くした。
「おまえら――。何かしたら怒るぞ! 絶対にやめろ!!」
「あれえ。処刑を止めにきてくれた部下にその物言い、酷いんじゃねーの? ボンゴレちゃん。いたいけな女の子じゃねーか。こんなのを戦わせて、あーあ、ボンゴレってのはひでー組織だ」
「案外夜の方でもお世話になってンじゃねえのお? ひゃはは」
「っざけんな! この!」
 真っ赤になったまま、地べたに押し付けられたままで綱吉が身を捩る。
 その顔面に靴底が振り下ろされた。
「がっ!!」
「粋がるなよ。どうせ殺してやるからさぁ!」
 2度目、3度目と振り下ろされて血が飛び散った。綱吉の衿口を掴んで、空中から吊るしながら男はニヤニヤとして舌をだした。
「ただ、その前に気持ちイくなるのは悪かねーだろ」
 ぎくりとして青褪める。綱吉の喉が、さっと渇いた。
「ボスの前で犯してやろーか? なあ。かわいこちゃん」
「…………」
 三人がかりで組み敷かれたまま、凪は俯いた。
 その瞳には怯えがある。綱吉はきつく唇を引き結び――、両手で男の腕にしがみ付いた。
「馬鹿な真似はやめろ。やったら絶対に許さないからな。お前ら、全員」
「ハッ。よくゆーぜ。おい、やっちまえよ」
「凪ちゃん!!」
 少女の体がひっくり返された。
 蒼白になって叫ぶ綱吉は、さらに両目を大きく見開いた。
 彼女は酷く白い顔をしていたが、泣いてはいなかった。仰け反り、白い顎を晒しながら両目を細める――。
「大丈夫、ボス……」
 鈴が鳴るような、小さな声がした。
「あたしには、あの人がいるから」
 斬るような声音だった。その一言が合図であったかのように、少女の滑らかな肢体が霧に包まれる。その胸に貪りついていた男が一人、鈍く悲鳴をあげた。クスクスと笑い声を零しながら、ひとつの手のひらが、男の後頭部を鷲掴みにして自らの胸に押し付けていた。肌蹴た胸は、平らで筋肉がついていて、女性らしい勾配は少しも見られない。
「ぎゃああっっ?!」
 慌てて残りの男たちが後退る。
「ふぐうっ?! ぐっ……」
 実に気軽に、バキリと音をたてて首の骨が折れた。
 六道骸は、つまらなさそうに胸の上で崩れ落ちた男を見下ろした。
「なんですかねえ。女の子って、フベンですね」
「お、男……?! な、何が起きて……?!」
 ゆったりと立ち上がり、骸は落ちていた槍を拾った。格好もすっかり変わって、ひらひらと翻っていたスカートではなく肌に吸い付いたような布地の漆黒のシャツ姿だ。
 槍を両手で掴んで、水平にする。
 切っ先を男たちの一人に向けると、にやりと口角を吊り上げた。彼らは一様に目玉が飛び出るほどに驚いて、体を震わせてすらもいる。綱吉が、苦味を帯びた声音で呟いた。
「骸……。おまえ」
「どうも。困りますね。こういう事態は」
「……っごめん!」
 端正な顔立ちをした少年だ。六道骸は、その顔をうっそうと歪めて実に美しく微笑んでみせた。二色の瞳が、夜の倉庫街に怪しげな色を植え付ける。
「君に預けてるだけで、この子の所有者は僕なんですから。管理くらい責任もって綺麗にやってくださいよ」
 他愛のない失敗を咎めるような言い方だった。男たちのあいだにどよめきが起こる。綱吉はコンクリートの上に投げ出された。彼の襟首を掴み上げていた男は、頭を抱えて掠れた断末魔をあげていた。
「あっ、ああっ……?!」
「くく、くふふふ」
 骸は人差し指で自らの唇を撫でた。
「僕のものが二つ、ここにある。君たちはそれに手をだした……。死んでください」
 びくん! 頭を抱えたままの格好で大きく痙攣をした。それきりで、彼は顎が外れたかのように大口をあけて絶命した。泡を噴いて卒倒した仲間の姿に、残党が悲鳴をあげた。
 数人が弾かれたように銃口を骸に向けた。
「何なんだ! くそお!!」
「死んでください」
 にこり。
 首を傾げて微笑んで、骸は同じ言葉を繰り返した。
 発砲とほぼ同時だ。同時だったが、弾丸が骸に辿り付く前に彼の足元から蓮が噴きあがった。コンクリートすらも砕いて突き破って、辺り一面に蓮が咲き乱れる。轟音の最中に悲鳴が混じる。
「うわああ?!!」綱吉は体を縮めて悲鳴をあげた。
 勝負は一瞬でついた。
 水音によって綱吉は悟った。
 恐る恐ると顔をあげてみれば、男たちが全員、足元から伸び上がった蓮によって串刺しにされていた。一様に、この世に似つかわしくない形相で死んでいる。
「…………」絶句する綱吉をよそに、骸は静かに肩で笑っていた。
「昔から、死体の上には綺麗な花が咲くと言いますっけね」
 愉悦の滲んだ声音だ。
 彼は、満足そうに男たちの頭上で咲いた蓮を眺めていた。
 数秒で視線が動く。地面に這いつくばったままの綱吉を捉えて、汚らわしそうに瞳の輪郭を歪めた。
「君はそんなところで何を? まだ処刑人のアジトを掴めないんですか?」
「あ。そ、それは、悪いと思ってるけど……。骸、ここまで」
「僕の女をレイプしようとした彼らですよ。許していいとでも?」
 有無を言わせない口調だ。骸は、冷めた目をして自らの襟を正した。
「困るんですよねえ。こういうの」
「……ごめん。俺が守れなくて」
 骸は、呆れたようにため息をついた。
 青褪めながら綱吉は骸へ駆け寄る。彼は、明らかすぎるくらい明らかに串刺しにされた男たちから目を反らしていた。骸が幻覚を消すと、死体がドシャドシャとコンクリートの上に転がる。鮮血が広がっていくのを見下ろしつつ、骸は綱吉の肩を掴んだ。
「こっち見なさい」
「え?」
 素直に振り返った綱吉は、ぎょっと両目を丸くした。
 鼻と鼻とが触れるくらい近いところに骸の顔がある、それがわかったのは一秒もしないウチのことで、深く考える前に唇を吸い上げられていた。綱吉の口に齧りつくように大口を開けて、数分に及ぶ口付けを――といっていいほど柔らかなものではなく、乱暴なものだったが――終えると、骸は綱吉の頬をぺちんと小さく叩いた。
「君には多くを期待してません。君は、自分の体を守ることに専念しなさい」
「な、なに……っ?!」
 口を抑えてうろたえる綱吉に、骸は嗜虐に酔ったような眼差しを向ける。ゆるやかに伸びてきた右手が、綱吉の顎を掴んで上向かせた。爪先立ちになりながらも、綱吉は、骸の服にしがみ付くことでどうにか首吊りになることを避けた。
「今回の失態は何ですか。ボスともあろう人が。ファミリーを守る守らない以前に、君は、その鈍臭いところをどうにか治すように――」
 骸は、考えるように視線を空へと流す。分厚く雲が張っていて、星のひとつも見えない。
「もしくは、とっとと僕を水牢からだしに来なさい」
「む、骸……っ?! 苦しい!」
 眉間を皺寄せる少年をじっと見下ろして、目を細める。
 触れるだけのキスが綱吉の額に落ちた。
「君のフォローぐらい、仕事の範疇にしてあげてもいいですから」
「ちょ……、さっきから何してんですか?!」
「親愛のキスでしょう」
 当然のように、しれっと答えて、骸は綱吉をおろした。
 ぜえぜえと呼吸する目の前で六道骸の体が霧に包まれる。包まれながら、骸は自らの体を見下ろした。
「でも、こういう危ないことは他のやつにさせてくださいよ。君が注意するべきでしょう?」
「……あっ」呆然としていた綱吉は、その言葉で我に返った。
「う、うん。ごめん。気をつけるよ」
「頼みますよ。僕の部下たちだ」
 念を押すように呟いて、骸は再び空を見た。
 彼が閉じ込められている牢屋からは空は見えない。綱吉は慌てて付け足した。
「今、情報集めてるんだ。今回も――、貰えるはずだったんだけど。なんか逆に捕まっちゃったけど……、でも。きっとすぐだよ! 急ぐから!」
「沢田綱吉……」
 遮るように、ピシャリと骸が囁いた。
「次に会う時は生身でいられるよう願うとしましょう。それでは。その日を、を楽しみにしてますよ……わたしのボス」しゅう。煙が音をたてる。さながらに霧の爆発だ。一瞬、何も見えなくなる。綱吉が瞬きを繰り返すと、次第にしなやかな輪郭が露わになった。
 少女が、霧の真中に立っていた。
「…………」
 その瞳は、じい、と、自らの手のひらを見つめる。
 右と左を交互に見下ろす。彼女の瞳には奇妙な光が宿る。やがて、きゅっと丸めると、凪は綱吉を見上げた。その足元では霧がわだかまっていた。
「ボス。かえろう」
 右手が差しだされる。
「……うん」
 綱吉は、静かに凪の手を取った。
 そのまま歩き出して、五分もしない内に大勢の足音が聞こえた。
「おいっ?! ホントにこっちに十代目がいるんだろーなー!!」
「極限だ! 極限のバトルだぞ――!!」
「あっ。みんな――っ。こっち!」
 綱吉が凪を引っぱる。二人が繋いだ手を見て、獄寺隼人が顔を真っ赤にした。
「おまっ。姿が見えないと思ったら!」
「あ。一応、凪ちゃんが俺を助けてくれたんだけど……」
「何ィ?! でかしたじゃないか、小娘!」
「……先を越された」
 最後尾についていたヒバリがうめく。
 彼らの様子を眺めまわした後で、綱吉は凪を振り返った。
「助けてくれてありがとうね。でも、次は一人じゃ来ない方がいいよ。女の子なんだから」
 目をぱちぱちとさせた末に、凪は首を傾げた。
「骸さまと同じことをいうんだね。大丈夫だよ」
「そりゃ……骸も色々思うとこあるだろうけど。でも、次はダメだよっ」
 めっ! とばかりに、綱吉は眉根を吊り上げてみせる。殴る蹴るの暴行を受けた後で、綱吉の体にはいくつか痣も見えるのだが。凪は、照れたような上目で、静かに綱吉を見上げた。
「ボス、父親みたいだよ」



おわり



06.12.17

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