故郷
ボンゴレ十代目として、日本に帰ってくる日が来ようとは思わなかった。
ボンゴレ十代目こと沢田綱吉は、いささか傷心気分で新宿をひとり歩いていた。
今ごろ、東京を取り締まってるジャパニーズ・マフィアとファミリーの仲間が仲良くお話中だろう。ボンゴレファミリーが独自に製造したはずの改造銃が、いつの間にか日本のヤクザたちの売り物になっていたことから端は発する。
どこのラインから漏れたのか……。
それを聞き出すのが一番で、二番目は、ズバリ制裁だ。
今ごろ、ヒバリ辺りが嬉々として戦死者の群れを積み上げているだろう。よりにもよって初帰国がそんな用件で、しかも明日にはイタリアに帰るという。
嫌気がさした沢田綱吉はトイレの窓から飛び降りた。
二階の高さから。事実そのままに記述すると、脱走というヤツである。そうして、今にいたる。
(あー。いつ死んでもおかしくない世界にいるから、生きてるあいだに戻ってこれたってだけで奇蹟かもしれない)
慰める言葉を脳裏でつぶやく。
でも慰められた気がしない。ハァ。
重くため息をつきつつ、綱吉は風俗店の呼び込みを見つめたりした。日本人で、ショートカットの若い女の子。
(京子ちゃんって、まだ同じ場所に住んでるかな……)
二度、三度とため息を重ねる。
足はなんとなく駅に向かう。もしかして、体が並盛町に帰りたがっているのかも。
と、そこまで考えて、綱吉は目を見開いた。
「…………えっ?!」
駅前の大通りで、すれ違った少年が。たしかに。
「ま、待って!」
深く考えずに、相手の肩を掴んでいた。
夜の新宿に似合わない少年だ。彼は、ポカンと口を開けた。
「へえっ? ……何ですか?」
「名前……。沢田綱吉って言うんじゃないの?」
「十代目。誰ッスか、そいつ」
(はやとぉ?!)
灰色の髪の少年が、隣に立っていた。
その彼の向こうから、スポーツマン風の少年が顔をだす。
沢田綱吉、獄寺隼人、山本武の三人組に見えた。中学生の時の。
「タ、タイムスリップ……??!」
愕然と呟く綱吉に、三人は不思議そうな顔をした。
「お兄さん、誰ですか?」
中学生の綱吉が瞬きをする。
「いや、……ちょっと、きて!」
「あっ?! オイ、コラァッ! 待て!!」
「おにーさん?!」
いいから! 中学生を引きずり、細道に入る。
追っ手を遮るために綱吉は路地へと少年を引きずり込んだ。
「な、なにっ?」
あからさまに綱吉が引き攣った。
両手首を掴まれて、壁に押し付けられた格好なので無理はない。
「おまえ……、いや。君。沢田綱吉だよね?」
「そ、そうだけど……?!」
綱吉が固唾を呑んだ。
(夢か? まぼろし? 一体、どうして……。一昨日、ランボから十年バズーカ借りた呪いかな?)
五分くらい思考して、やがて綱吉はハッとした。
中学生の綱吉が黙り込んでいる。何かしようというワケではなく、単に……混乱のあまりに連れてきただけだ。
解放しようとして、しかし、綱吉はまじまじと彼を見下ろした。
「昔の俺って、こんなんだったっけ……?」
「ひっ?!」
ヒョイッと顎を掬われて、綱吉は肩を強張らせた。
「な、何するんですか……っ?!」
「やだな、何もしないよ」
(自分に何かするわけないじゃないか)
思いつつ、綱吉は相手に額を撫でてみた。
「変な感じ……。あ、でも肌触りいいな。若いからかな?」
「あ、あのっ」中学生は、青褪めたまま赤面した。
綱吉がついにペタペタと全身を触りだしたからだ。
「あっ?! 意外と今とサイズ変わってない? うわー自分じゃ全然意識しないんだけどな。ショックだなぁ」
「…………?!!」
終いにはナデナデと頭を撫でまわされて、少年は目を白黒とさせた。その様子に綱吉が噴きだす。
「なんか可愛いなァ。ダメツナ?」
「っ、な、何でそれを」
「そりゃあわかるよ。俺はね、君のことはぜ〜んぶ知ってるの。知らなかった?」
からかうように声をかけて、綱吉は小首を傾げた。
その口角が悲しげに歪む。
「君はね、俺の血肉なんだよ……。やがて俺と一緒になる」
「な、何を言って……」
「そのままだよ。そのまま言ってるだけ」
そのまま。口中で言葉を繰り返して、綱吉は息を吸った。
ずっと、そのまま、中学生のときのまま変わらずにいることができたら良かった。思い返してみれば、純粋に一番楽しかったのは、この時期だったかもしれない。
「ねえ。今、楽しい?」
「何を言って」
「答えて。答えてくれないと」
綱吉はニィッと目尻を笑わせる。
昔の自分がやたらと可愛く見える。親ばかの気持ちに近い。
「……そうだなぁ」
ゆったりと呟いて、綱吉は瞳を上向かせて空を見た。
黒々として、星も見えない都会のそら。先ほど、風俗店で呼び込みをしていた少女は、ショートカットだけど黒髪だった。
「そうだなぁ。キスしちゃおうか?」
「は、はあっ?!」
綱吉はくすくすとする。
「楽しかった? 教えてくれないの? 俺と君って、一番仲がいいはずなんだけどなぁ」
「お、オレとあなたが……? あっ……、も、もしかして親戚の誰かだったり」
ご満悦の笑みを浮かべて、綱吉は頷いた。
「ハハ。ハズレ。でも近いかな。そうだよ。俺と君、似てるだろ?」
どこか自慢げな響きがある。綱吉は相手の鼻筋へと鼻を寄せた。
背が、中学生のときより少しだけ伸びたので、髪の匂いが嗅げた。
シャンプーの香りは、今の綱吉が使っているようなイタリア製のものとは違う。香りが控えめで、日本らしい……。
「す、すいません。わかんないです」
申し訳なさそうに中学生の綱吉がうめく。
綱吉が、首を振った。
「構わないよ。どう? 今、楽しい?」
「……楽しくないです。リボーンは手荒いし、獄寺くんはダイナマイトばっかり使うし喧嘩っ早いし……。相変わらずテストの点は悪いし、ダメツナだし。山本とか友達はいっぱいできたけどさ」
途中から綱吉はけらけらと笑いだしていた。
「あー、そう。そうだよね。当事者になったらそんなものだよね」
「?」
「コッチの話」
綱吉は、ウインクをした。
中学生の少年がまた不思議そうな顔をする。その額を掻き揚げて、額に唇を押し付けた。軽く吸い上げてみると、体の下から悲鳴が聞こえた。
「な、なにすんですかァッ?!」
「キス。挨拶だよ?」
「あ、あいさつって……、キスが?!」
(そういえば、ここは日本か。まァいいか)
綱吉は、体の下を見下ろした。にっこりとして。
だが、そこには何もない。
「え……?」
両目をしばたく。
その瞬間、ゴツンッと後頭部が殴られた。
「っっ?!!」
「この、ダメ男!」
「――。リボーンっ? て、寒ッッ!!」
目覚めると同時、綱吉は自分の体を抱きしめた。
なぜだか裏路地で寝転がっていた。不透明のゴミ袋が濡れていて、丁度そこが目尻に当たるところだったが、綱吉は驚きのあまり声もでなかった。
本当に細い路地だ。人がひとり、入るのでやっと。
そこの激狭の空間に、十人ばかりの人間がすし詰め状態になっていた。
「な、何?」
朝の新宿だ。
鼻をクスンと鳴らして、綱吉が訝しがる。
「ナニ? じゃねーよ。ナニ考えてんだテメェ……っ。干すぞ!」
小学生くらいの黒髪の子供だ。名前はリボーン。リボーンの後ろから、ヒバリが強引に手を伸ばした。
「イィッ?」迷うことなく、綱吉の襟首を鷲掴んだ。
「干すなんて生ぬるい……。三枚に下ろしてあげるよ」
黒目にぎらぎらした光が宿る。
ヒバリの肩によじ登るようにして、獄寺隼人が叫んだ。
「十代目!! 皆、ホント死ぬ気で探したんですよ?!」
「っていうかリボーンが死ぬ気弾使いまくるから……。まあ、それで見つかったワケだけどよ」
疲れたような、でも呑気な声。山本武だ。姿は見えない。
さらに、獄寺のシャツを引き摺り下ろそうとする手があった。
「沢田綱吉! どこまで迷惑かければ気が済むんですかアナタは……!」
その内に歯痒さにキレたのか、彼は獄寺の背中を踏んづけて顔をだした。六道骸だ。冷気が体に応えるらしく、いつもよりずっと青白い顔をしている。
「この僕に睡眠をとらせないとは……。死にますよ。干して三枚におろす前にこの場で泣いて詫びて欲しいもんですね」
「み、みんな」
綱吉が呆気に取られている間に、重みに耐えかねてヒバリが唸り声をあげた。
「ちょっと……。噛み殺されたいの? 後ろのバカども!」
「十代目〜〜っ。ああっ、リボーンさんっ! おいヒバリそこどけ!」
「狭いんだから仕方ないだろ? 僕を踏み台にするとはいー度胸じゃないの! 噛むよ?!」
「風邪引いたらどうしてくれるんですか、っとに……。くだんない感傷に惑わされたってオチなら蹴りますよ?!」
「油断したぜ……。バカツナ。日本に弱いんだよテメー」
怒りを込めてリボーンが唸る。
ファミリーは揃ってパンツ一丁の姿だ。冬の早朝からその格好。
綱吉は、唯一スーツ姿のリボーンをじっと見つめた。死ぬ気弾をどれほど使ったのかはわからない。団子状態になっているファミリー幹部の後ろから、部下たちの、
「ボス!」
「ボス?!」
「大丈夫か?!」
とかの呼び声が聞こえる。
再び鼻をクスンと鳴らして、綱吉は泣き腫らした両目を手の甲で拭った。
「あ〜……。本当、楽しくない日常だよ。ハハッ」
おわり
06.12.10
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