シュガーポット


 笑いが、儚かった。
「ハッピーバースデー」と彼は嘘でも口にするみたいに告げ、エナメルバッグを綱吉に押しつける。
「君……、僕に変わって欲しいって言うじゃありませんか、僕も、ヴィンディチェの牢からでて、関わる人間が増えて、君が伝えたかった内容を感じ取れるようになってきたんだと思います。だから、祝うべきこんな日に愚行を謀る」
 綱吉は、髪にブラシをかけ気に入っている服も着いつもより早く起き、綱吉なりに今日を待っていた。黒のバッグを受け取りながら気がついた。
 殺されるんだろうか?
 知らない間に恨みを買った? 騙されていた?
「僕も、変わりたい」彼は微笑みを維持して綱吉を見つめている。
「これをあげます。君を愛してる。どんなことが起きてもどんなことを起こしてても僕の心には君への恋が根づいてる。君との出会いで僕のすべてが変わってしまった」
 綱吉は息が吐けなくなった。視界から温もりが溶けていった。
 やわらかい陽射しは透けるから、吹雪に感じられてくる。駅前の人の流れは止まらないから、死を予感させる。デートだというのに独りでここにきた事実を悔やむ。
 彼は、やはりまだ笑顔で居る。
「何がどう在っても君には恋をする。僕はもう、事実に絶望するのはやめました。でもたまには君に、」
 茶色い目玉が、下を向く。
 バッグの底………小さな四角い箱。綱吉はバッグが骸の好きなチョコレートショップのものだと知っていた。包みがプレゼント用のラッピングだとも。そして、待ち合わせに現れた六道骸が、足を編み上げブーツに突っ込んで長い袖の青い服に半袖のジャケットを重ねている骸が、普段はつけていない白い眼帯で顔の右を覆っていたとしても、何が、本来そこに備わっていたかを知っていた。
 バッグのヒモを握る手が、こぶしが、指も、ピクリともできない。
(ダメだったのかな)
 睫毛の先を羽ばたかせ、少しずつ、綱吉は緩慢な動きでもって顎をあげた。
 信じがたい気持ちが顔に表れていった。
 ガラスの破片を握り潰した、歪な音が聞こえてくる。骸の耳元だ。霧のイヤリングがシャララと。輝きは綱吉の眼に飛び込んで黒いプリズムを放つ。彼は、口角の二つの端を持ち上げ、笑っていたが、その笑みは淡く不確かなものになった。深いところに自ら沈んでいく、危機感だけを強く印象づけられて綱吉が沈黙する。
 骸が喋りかけるが、もはや綱吉の脳では認識ができなかった。
 骸の笑みは濁っていた。
「うそ偽りのない、僕の心に触ってみて欲しくなる。君はそういうのに耐えられる。六道骸っていう本性を晒け出せるようになった僕の強さも、弱さも、君が変えた――きっと何でこんなことしたんだって、僕を詰りたいんでしょうね。理由を強いて言うなら僕は君以外に生涯を添い遂げたい相手がいないってことです……」骸の胸が視界に差し迫り、綱吉は抱き支えられた。
 ヒモを握る手が、開けてある。
 贈り物は二つだった。彼が好きなものと、彼の大事なもの。ぬらつく眼球を直視してから綱吉は思考も喉も動かせず、生きる屍となって骸のなすがままになった。明るい陽射しの下で、流れる人にいちいち避けられながら、少年二人はしばらく停まっていた。やわらかな髪に鼻を埋めて、すんと、骸が匂いを嗅いだ。
 青い眼球が、握られている赤眼の表面を舐めるように見る。綱吉がそうだったように彼も『二』の字に出会った。



 狭い客室は、壁がベビーピンクと水色のストライプだった。
 色とりどり、小さな女の子向けにラッピングを依頼したと思われるプレゼント箱が床をデコボコさせている。綱吉は、咄嗟に手を出していたが、その際に一つを膝で蹴り飛ばした。がさっ、が、と、
「いけませんってば」
 軽やかに、ドアノブを握るより早く手首を捕まえてみせたのは、二十代半ばの青年だ。
 身の毛がそばだって綱吉が呻く。
「放せ!」
「イスをどうぞ。僕がそう言ったの、聞こえなかったんですか?」
 にこやかに、青年が指導する。
「実体……?! なんで、」
「クフフ」
 綱吉の手が、優雅な仕草でもってテーブルに置かれる。
 骨組みのテーブルにチェア、洒落たカフェテラスに置いてあっておかしくない品だ。
 チェアの二つのうちの片方、坐している男は、右脚を左の腿にひっかけて足を組み、唇を愛想良くたるませて、特徴的な色違いの両眼をたるませている。
「仕方がないですね。では改めて。座っておいてください。我が侭なおチビさん」
「……何でだっ……!!」
「クフフ。まだ文句があるんですか? とにかく、座ってください。話はそれからだ。何も喋ってあげませんよ」
「…………っ」
 口をパクつかせ、赤くなった後で青くなって、思いを巡らしては白くなる――そして綱吉は席についた。
 ドンと、テーブルを叩く。
「何だよこれは!」
「くふッ」
「おい。何で笑って……っ、わけが、わからない……っ。お前は骸だよな? 何で十年後の姿なんだ? 並盛町は? さっきのは何だよあれ!」
「ああ、失礼。君がかわいいなと思ったから笑っただけですよ、僕は。紅茶、熱いですから、必要なら自分で息を噴きかけてから口をつけてみるんですね」
 差し出されたカップを忌々しげに睨み、綱吉は頭を左右に振る。
 こめかみに汗が滲んだ。
「いりません」
「お口が焼けますよ」
 冷静な声で言って、青年自身はフーと一吹きしてからカップを唇へ傾けていた。黄金の色の水面に、オッドアイが映って歪んだ。
 その両眼の直線上に自分がいるのだとわかりながらも、綱吉は、テーブル中央のハウスボックスに視線を投げていた。
 箱は、開けてある。カップケーキがぎゅうと詰められてある。
 お菓子に疎い綱吉には、一瞬、ままごと遊びのオモチャでも入っているのかと思える眺めだった。リボンの形の赤いクリームが乗っかるカップ、ピンクとブルーでシュガーコーディングされるもの、あるいは花を模るクリーム。または、レモン色の渦巻きがこんもりと盛ってある。
 またも男はクスと鳴らす。
 今度は自分が笑われているのだとハッキリ自覚できて、綱吉は歯噛みする。
「オレが座ったら説明するんじゃ……なかった、です、か? 未来の六道骸ですかあなたは」
「くふッ。おしゃべりに勧誘してみただけですが。でも君よりかは十一も年上かもしれませんね。お誕生日おめでとうございます。沢田綱吉くん」
「…………」
 綱吉は、顰めた眉のまま、まじまじと目の前を確認した。
 ロングブーツを履いて黒のパンツ、紫色のシャツで、黒いジャケットは初めから脱いであってチェアの背に掛けてある。顔。作りも髪も六道骸そのもの。顔の右には『六』の字をつけた眼球。
(別れる間際――や、別れる……なんて、ものじゃ、なかったな。ここはどこなんだ?)
 男は、面白そうな眼をしていて、カップケーキにも似たような眼差しを注いだ。
 のそりと、慎重に――まさか自分を怯えさせないためじゃないだろうなと、綱吉は不思議に思う――個体を取り出してみせる。スポンジは甘みのない濃いブラウン、つまりはチョコレート色で、淡いミント色のアイシングがかかり、ソフトクリーム状の渦を巻く。
「先に、僕が食べておきましょうか。君に毒味はいらないと思いますけど」
 鼻許に近づけた側面を、囓る。
 アイシングもスポンジも一緒くたにした。中から、咥内の奥へ向かって軟らかなガナッシュが溢れてきたのが綱吉にも見えた。難なく骸はガナッシュを舐めとりスポンジをまた囓る。
 ひょいひょいと器用にたいらげていく、その手腕に思わず感心して、綱吉は複雑なものを胃に押しやろうと努めた。この青年が六道骸なら、取りあえず、彼は自分が土俵に乗ってくるまでは恐ろしくしつこく粘るタチだろう。
「あの。オレのほうに一番近いやつ。イチゴのは何でロウソクが乗ってるんですか」
「わかりませんか。ああ、食べられるの、用意しました。多分マジパンですよ」
「オレそんな意味じゃ質問してません……骸……、骸ですよね。あなた」
「そうなりますね。君にもね」
(骸だよなぁ)すぐに、二個目のカップケーキを取るので半ば確信する。バタークリームでたくさんの花を咲かせている、花畑のカップケーキだ。スポンジを包む紙を摘まみ、めくり、剥き出してからガブリつく。
 顔色は変えず視線も定まりきっていて沈着そのもの。
 六道骸が甘いもの好きだと知らなければ、付き合いで無理やり食べていると間違えるような白々しさだ。
 綱吉は変わらないんだなと思った。
 何度か、見ている内に、気がつけば下ばかり見るようになった。観念して綱吉は一つ目に手を出した。
 ロウソクのマジパンを口に入れる。
 あんまり味はなかった。カップケーキは、生クリームにしては硬いクリームと、イチゴを乗っけている……。
「……うッ。げぼ!」
「く」
 それまで欠片もこぼさず、器用に食べていた骸が噎せた。アイシングがぱらぱらと散った。
 オッドアイは、慌てて紅茶に口をつけている綱吉を追っている。興味深げな面持ちをナナメに傾けさせた。
「言ったでしょう? 喉が焼けるって。君、甘い物はちょっと苦手ですものね」
「けふッ、あッ、あっまァ〜〜っっ」
 激辛料理に過剰反応するように、綱吉は何度も口を清めた。両眼は潤んでいる。カップケーキは、上に乗るクリームだけが持って行かれていた。
 紅茶を飲みきって、無糖の液体による鎮痛効果でまどろみを得る――アツく爛れたような粘膜にとっては手当てだ。
 骸青年が、喉を鳴らしたので、つい閉ざしていた両眼を開けた。
「……ここまでが計画か」
「わかります? 十四歳の君は、僕の目論見通りに紛れもなく快楽に眼を細める痴態をみせてくれた。それで良しとしましょう。つい今し方の溜め息なんてキモチがイイって悲鳴が聞こえてきそうでしたよ」
「紅茶が本命だったのか。あいっかわらず根性がひん曲がってるみたいですね骸は!」
「ちなみに、スポンジと一緒に食べるモノなんですよこれは」
 カップケーキの新しいのを取り、それを自分の顔の近くで傾けて、骸はにっこりと頬を寛がせる。
 心地よさそうに皮を剥いた。
「こうやって口を開けて。大きくね。それで囓ってみせてください」
「……フォークは?」
「ないです」
「…………」
 ハメられた予感に苛立つも、綱吉もカップケーキの包みを剥いた。
 側面から、かぷりと、そのさまを観察しながらカチャリとカップを取りあげ六道骸はようやく応じる。
「僕は、未来で会ったあの六道骸で正解ですけれどね。で? 質問は?」
「この部屋――」
 ムカムカしているので、綱吉はむしろ自ら話を棒に振った。
「なんですか? このプレゼントの山は? まさかオレにくれるんですか」
「ああ。ええ。まぁ。開けてもらって構いませんよ。君も気に入るでしょう」
「中身は何が? やけに少女趣味っつかロリコンめいてますけど……」
 手近な山をひとつ、崩す。
 壁紙と同じ、ベビーピンクと水色のストライプ柄の包装紙で、小さなプレゼント箱を選んだ。破ってみた指先がすぐさま止まった。背筋は凍りついた。
 プレゼントを山の向こうに放り捨てて、綱吉はカップケーキを口に詰め込んだ。
 甘さで口が焼ける。痛みに痛みをぶつけて痛みから立ち直る、バトルで培ったダメージコントロールである。
 骸は、知らん顔で紅茶を飲んだ。
「テーブルに出しても構いませんよ。今のならピンク色でかわいかったでしょう」
「何考えてんだ……?!」
「今のは当たりでしたよ……、くふッ。まさか、大人の玩具が全てではありません。貴金属やネクタイも混じってる。どっちにしろ二十四歳の君行きだ」
「怒られないのか?! って全部がそーだったら気色悪すぎるわこの部屋! そもそもどーいうセンスでこんなロリコン趣味になってんの?!」
「そりゃ怒るでしょうが、僕は気にしませんし」
「それでいいのーっ?!」
 正直にツッコミはしたが、だが綱吉は男がクッと喉を鳴らすのを聞いて冷静になれた。オッドアイはどこか虚しい色をした。
「――どうして、」
 話を元々のところに戻せば、彼の瞳はますます陰りを強める。
「オレが来るのがわかってた?」
「とある占い師に、君がくると予告されたので。待っていましたよ」
「ここはどこだ?」
「僕のアジトのひとつを、君用に改造してあげた」
「未来の、骸が? 白蘭と戦ったとき、一緒にいたあの骸なのか? ホントに?」
「そう言ったじゃありませんか」
「……なんで、会えるんだよ……」
 綱吉があ然とする。
 チョコレートクリームがどっさり乗っているカップが彼に握られた。それまでにない行動に出た。指で、クリームを掬う。
「スキルですよ。君の友達に、パラレルワールドを渡り歩ける男がいるではありませんか」
「白蘭が協力してるの?!」
 長い指にまとわりつくバタークリームは、舌先が削いだ。骸は両眼で笑っている。
「僕は、目的がなければ動きませんが、彼は違うでしょうね。実の無いイタズラに喜んで手を貸すような享楽家だ」
(骸の赤い目玉。『二』の字をだしてた)
「……骸の、六道輪廻のスキルって、二の字って……」
「餓鬼道ですね。憑依した相手の技を使えるんですよ」
 走馬燈めいた残像が、綱吉の頭に浮かんでは消えた。綱吉は十五歳だった骸を思った。デートに誘い出したのは彼だ。
『君の誕生日、今年はふたりきりで祝っちゃダメですか?』
 彼は、まだきれいにオッドアイを保ち、媚びるような目つきで乞うたものだ。そのときはカフェでお茶を飲んでいた。
『学校も休んで。朝から。僕と。君がいやならそれでいいですがこんなお願いは今回限りにすると約束はします。ダメですか?』
『……えっと……』
 何を言っているのか、綱吉は理解に手間取る。
 しかし恥じらいながらも甘えてくる姿には心を動かされた。深く考えず、顎を下げ、要求を飲んだ。
(白蘭の技を――って、パラレルワールドを渡るスキル?)
 なら、元の世界に戻るには――
 綱吉の表情を眺めるだけで、二十五歳の男も悟った。にこと、笑みを丸め、濡れた人差し指を己の上唇へと引っかける。
「占い師はね、かなり有能です。どういうワードで君がここを去るか、予想もついた。綱吉くん。僕は君を愛していますよ。君がどんなふうになっても、どんな罪を犯しても、どんな仕事をしていても」
「…………骸サン」
「アリベデルチ。綱吉くん」
 伸ばした後ろ髪の先っぽが、チェアにぶつかって弛んでいる。男が小首を傾げれば弛みは膨らんだ。浮かべている笑みが悪戯っぽく密やかなものへと変わるので、綱吉は、あの日のように心を動かされ気がつけば頭を頷かせていた。とても大事なことだと感じた。
「うん。また、来るよ」
 骸が、紅茶に口をつける。
「そうですか? なら、待ってましょう――」カップのフチよりクスッとした笑みが垣間見えた。陶器の白さが広がり、綱吉は視界がトんだと悟る。



 二本の腕が胴を抱いていた。胸も腹も髪もぴったりくっつく。綱吉は、骸の体温にずっと包まれていたんだと悟る。頭を持ち上げれば右側に眼帯をつけている面輪があった。
 青い瞳、きりりとした眉、整った顔立ち、伸ばした前髪は左右に別けて襟足の毛は肩にかかるより短い。記憶通りの十五歳の六道骸だった。
 食いついてくる、青い眼が綱吉にとってまぶしい。
 綱吉は、彼を見てから、片手に持たされているものを見た。改めて手の内を広げればチョコレートショップのバッグのヒモと――赤い眼球が転がった。
 ゴロリと横向く球体からも、『二』の字が読み取れる。
「捨てちゃう気か」
「君にあげてみたくて」
 つい考えてみると、骸は早々に助け船をだした。
「君なら使いこなせるだろうなとは、予測がつきました。そうも簡単にパーフェクトに扱われるとちょっとどうかなとも思いますがね」
「なんで白蘭は契約した?」
「僕はそんな気はなかったんですが、パラレルワールドについて訊いたら見てきちゃえばとね」彼にとってはこの方が面倒臭くないんでしょうと骸は言う。うろつく内に、この計画を思いついたという。ちょうどよく綱吉の誕生日が近かったという。はた迷惑な話だと思ったが綱吉は黙って聞いた。
 骸は、帰還してきた魂ごといまだに綱吉の背を腕で抱く。
「六道輪廻のスキル、どうでした? 君もその目玉を移植すればもっと使える。君なら片方が赤くなってもきれいな筈だ」
「いらないよ」
「僕も、いらなくなった」
「…………」
 白蘭の名を聞いて、元の世界に戻るにはただその気になれば良いだけ、その点に気がついて早速帰ってきてみた綱吉だったがわからないことは一つ残っていた。
 骸が、あの未来の骸と会わせたがった理由だ。
 そ、と、手が伸びた。
 答えはここにある気がする。白い眼帯に静かに柔らかく触れれば、すかすかした感覚が中指に伝わる。喉が独りでにひらいた。
「骸は、骸のままでいいよ。お前がお前でいるのがイヤになるほど優しくしてたかな? オレは」
「僕は別に自己否定のために君に眼球差し上げようと思ったワケじゃないんですが」
「お前のこと、好きだよ。大丈夫。お前も、お前が味わったあの骸の悲しみも、今のオレがぜんぶ引き受けるから。またアイツに会いに行くよ」
「…………」
 彼の左眼で、表面にゆらりと揺蕩うものがあった。白い、太陽のような輝きだった。彼は目を潤ませながらも毒づいた。
「浮気者」
「うん、そうだな」
 綱吉は、認める。相手に望まれて相手に押しつけられて相手が公認したうえでのそれは浮気になるのか大いに疑問ではある。
「あと君は別に優しくなんてないですよ。僕にはけっこう冷たい」
「そうかもな」
「綱吉くん。あまい」
 今、気がついたというよう、骸が口先に鼻を近づけて口臭を確かめる。綱吉は少しイヤな気分になった。
「ケーキ貰ったからな」
「――狡いですよそれは」
「あー、カップケーキだった。ケーキじゃないかもな? あれ。ケーキ食べに行くつもりだったんじゃないのか、骸」
「そのつもりでした」
「なら行こうよ。不安にならなくていい。不幸なお前はオレの前にはみんないないんだよ」
 骸は、複雑そうに左眼を歪める。腕を解いた。二人の間に陽が入れば骸が涙ぐんでいるのが綱吉にもはっきり伝わる。
 眼球を突き返せば、彼はポケットからハンカチを出した。
 広げてココに置けという合図だ。
 丁寧に、くるんで、それをジャケットの胸ポケットへと収めた。冗談かうそか、軽口のように呟く。
「君を幸せにしたいなぁ」
「そう思うなら最初の約束をきちんと守って欲しいもんだよ」
「いいですよ」
 眉目を綻ばせる骸の右側は、眼帯で覆われている。
 少なくとも今日はそのままだ。どちらからともなく互いの手を握った。人の流れを濁らすのをやめ、ようやく溶け込んだ。駅前の流れは尽きることなく続いた。




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