いつものうそ




「はい、わかりました」
 いつもの定型句を唱えると、彼は不機嫌に眉を皺寄せた。
 彼は徹夜明けだった。この頃、激しくなった家庭教師からのシゴキに嫌気が差しているとは、日増しに悪化する人相と人当たりが物語る。
 目の下のクマをこすりながら、嫌々と、うめいた。
「いい加減にしろ。うんざりするよ。お前のそのいかにもな嘘」
「…………」
 本気で驚いたが、彼は、体を引き摺ってベッドに倒れ込んだ。
「……………………」
 沢田綱吉は、ボンゴレ十代目を襲名する予定の少年だ。
 僕は、守護者のひとりで、学問の成績がよいのと獄寺隼人よりも沢田への当たりが厳しいので、リボーンに呼ばれる。主にイタリア語の教育で。
(うそ?)
 リボーンがまた火曜日に部屋に来いってさ――、『はい、わかりました』。
 嘘の入る余地のない会話ではなかっただろうか? 意志の介入はいらず、通達だ。連絡事項である。
(……嘘ねぇ)
 家庭教師からのお呼びはまったく不本意だった。もう馴れたとも言えるが。
「……風邪、ひきますよ」
 肩に手を乗せてみても、僅かな身の上下がわかるくらいの反応だ。
 すぅ、すう、穏やかなリズムだった。
(でも、いやですって答えたところで何かが変わるんですか? 疑問ですね。意味がないですよ、嘘をつかないことに対して)
 リボーンからの連絡は命令だ。
 自由の身になった代償として、僕にはいつでも殺害の危険が付きまとうようになった。
 マフィア殺しの六道骸。かつては顔が割れていなかったが、今は違う。ボンゴレファミリーの後ろ盾は利用できる大きなものだ。リボーンはその強大さをよく知っているからこそ僕にアレコレとものを頼む。
(きみは、感情がまだ子どもなんですね)
 筆記用具を片付けてノートも畳んで、机を整理する。
 壁にかけたハンガーを手に取った。黒いジャケットに腕を通す。沢田はベッドに頭を突っ伏している。
「…………」
 もう一度、肩を揺すってみたが、起きる気配はなかった。
 目と口を垂らして、やつれた寝顔だ。
 仕方がないので腰に腕を回す。軽いだろうとは思ったが、僕の想像以上に沢田綱吉は軽々しかった。
 ベッドに横たわらせると、ごろん、呆気なく仰向けになった。
「……」
 手で奥に押しやり、布団を引っぱっる。
 シーツの上に沢田が落ちるのを見てから布団を戻せば彼はベッドに入った。後頭部を持ち上げて、やわらかな髪が手に潰れた。枕を下に押し込んだ。
「……あろぉ……」
 何かを呻く、沢田は苦しそうに布団を握りしめた。
 後ろ首をそらせて、悶えている。
「ごふっ……ごふん……っ」
「…………」
 何度か、仮眠を許した。たたき起こす際に『あと五分だけ!』など、哀れっぽく懇願された気がする。
 僕には邪魔なだけの懇願で、ますますこの小憎たらしいガキを嫌いになったものだが。
「う、うう」
 沢田は身を丸くさせる。
 ふと、気まぐれで手が伸びてその頬を押しとどめていた。
 両手では布団に潜ろうとしているから僕の手も布団を被った。共に、薄暗い影に吸い込まれていくのを見送った。
 僕の右腕が、布団から飛び出ている……不格好なアンテナのようにして。
 頭を突っ込んでいた。
「沢田」
 暗い帳が降りている。
「おきろ。沢田」
「…………」
 布団がやわらかく頭を圧迫して、ぎゅうぎゅうに狭い乾いた胃袋の中のようだ。頬に当てている手のひらを心もちあげた。
 触れてみた唇は、硬かった。少しだけショックだった。きっと少女のように違いない、マシュマロのような弾力があるはず、沢田綱吉の唇だから。
 ほとんど無意識でそう信じていた――それが理解できるにつれて血の気が下がった。
(徹夜明けでしたっけ)
 理由にも言い訳でもなく事実を思い返しながら、僕は布団から頭を抜いた。
「……」
 自らの唇に、右手の指を押し当てる。
 戦慄していた。鳥肌が立った。何がどう化学反応を起こしているのか、よく、わからない。
 沢田綱吉に性的な欲求を感じたことはただ一度もない。誓って。しかし僕はキスしたようだった。
 目が、扉を探した。
 沢田綱吉は寝返りを打って、布団に抱きつくようにして寝始めている。眠りは深くて少しのことでは起きそうもなかった。
 そうだ、と、僕の頭が軋んだ悲鳴をあげた。この少年がここまで無防備な姿を見せたこと、家庭教師もいなくて僕と二人きりでいること、それが。
(――初めてだ)
 自覚しながらも、喉が自然に上下した。
 改めて触ってみると、肉付きが薄くて痩せた子鹿か、クロームをさらに貧相にさせた少女が、沢田綱吉はそんな体躯だった。布団の内部はぬくんできていた。
「……」
 汗が、服ににじんだ。
 沢田綱吉はパーカーの普段着で眠りこける。僕は彼が嫌いだとばかり思っていた。けれど。
 ぎっ……、丁寧に膝をつければ、ベッドスプリングはほとんど音を立てなかった。
 慎重に、跨った。
「やましい気持ちはないんですがね……」
 誰にともなく囁いていた。
「君はいずれ僕のものになる。そのための体として今も君を守っているつもりです。少しくらいの点検は必須でしょう?」
 一晩の徹夜は、よほど効いたらしく彼は目を開けなかった。
 身を投げ出して、僕の手で脱がされようが肌を愛撫されようが、睫毛すら動かさずに眠り続けている。
「…………」
 だんだんと体温があがってくるのを感じた。いやな悪寒もしてきた。
(……あ)
 不自然なふくらみが、沢田綱吉の太腿にこすれているのを見つける。僕は勃起しているようだった。
(な、なぜだ?)
 目を大きく開けて絶句するも、手が止まらなかった。
 下着にも手をかける、と。
「――くしゅ!」
「?!」
 上半身裸になっている沢田が、体を二つ折りにして飛び起きた。二連続でクシャミをしてから、ぱちっと両目を開ける。
「――うわぁああっ?! わ?!」
 僕を一目見て、悲鳴をあげた。頷いた。僕は出来うる限りに冷静にパーカーを拾った。さりげなく腰を下がらせた。
「寝苦しそうだったので脱がせただけですよ。さっさと寝てください。僕はもう帰りますから」
「ふえ? え……、あ、あぁどうも……?」
 肩をベッドに押し込んで、布団を被せれば沢田綱吉は疑いもしなくなる。追ってはこない。
「寝惚けてるんですよ、君は」
「ん……」
 けだるげな呻き声に背を向けてから僕は耳を澄ませる。寝息が、やがて聞こえた。
「…………。なるほど」
 冷や汗が噴き出てくるのを感じながら、奥歯を噛んだ。
 ベッドにはふくらみがある。
 ふくらみを割るように、とびきり慎重に指をいれて頬を抑えて、沢田綱吉のあどけない寝顔をさらけ出した。
 その頬に、ふくらんだ股間を擦りつけてみると電気を感じ取れた。背骨を割るように大きくて目眩が生じるほどに熱い。
「君が、見抜いた『嘘』ってコレですか」
 ほとんど意識もせずに、唇が左右に広がって僕は笑っていた。我ながら下品な笑い方だった。きつく両目を瞑っていると涙が出そうなほど目尻が痛くなった。
 ベッドにまた乗り上げて、患部を押しつけながらも僕はうずくまっていた。信じたくない話だった。
「……ん、んん」
「……っ」
 沢田が寝心地が悪そうに身動ぎをして、その動きにズボンの中のものが反応した。
 唾を飲んでいた。耳が痛くなってくる。反吐も出そう。別のものも出そうなほどに興奮しているのが馬鹿みたいだった。
「き、みを……」
 今の僕には、……悔しいけれど何もできないのが事実だった。
(まだだ。じきがはやい。契約しないと。いまはまだ契約できない。でも僕は今のこの子とセックスしたいって? 馬鹿だな僕も)
 自らの年齢を思い返していた。性欲を感じたことは、今まで一度もなかった。こんなカタチで発露するなら今までにあったチャンスに――年上の美女や熟女に誘惑される回数は多かった――、童貞を捨てていればよかった。身に痛く感じ入っていた。
「……」
(ぼくはこいつとヤリたいのか?)
 考えてみようとすると、頭がそのことだけで埋まってますます下半身がいきり立った。
 考えたこともなかった。誰かと体を重ねるなんて――、そんな汚らわしいこと――、見ず知らずの他人と裸になってヌチャヌチャと音を引き摺っては性交するなんて、想像するのも嫌気が差した。別にそんな獣臭いことをする必要はない、僕は理性のある霊長類で、猿ではない。そう思っていた。
 けれど、服越しでも沢田の頬が滑らかなのがよく分かった。息が切れて視界が赤くなった。
「…………」
(…………か、かけるだけなら)
 あれほど焦りながらズボンを下ろしたのは生まれて初めてだった。

***

「じゃー今日もきびきび働けよ!」
「はい、わかりましたよ」
 机に教材を積んで出て行くリボーンに、いつもの定型句を返す。沢田綱吉は机に突っ伏しながらも僕を眺めていた。
(嘘を感じているわけですね)
 その違和感を、彼はまだ口には出せないんだろう。
(……超直感を使いこなせてはいないわけですね)
 なんて、汚いんだろう、そう思う。僕はまるでハイエナになっている。僕は今、生まれて初めての後悔というものを、している……。
「……ん? 骸?」
 いつものように、教科書も辞書も開けず、ただ見返すだけ。沢田綱吉が怪訝そうに小首を傾げた。
 凍らせた半眼を向けつつも思い返す。
(きもちよかった)
「先週のこと……何か、覚えてますか?」
「え。いや? 間違えたところを二十回も書かされたけど、な! 今日はせいぜい十回にしとかないか」
「僕のオッドアイ、ご覧なさい」
「ぇえええ?」
(暗示はきかない、か)
 沢田綱吉は洗脳を受けつけなかった。予想はついた。右手をやって沢田の頬に手のひらを添えた。
 くすり指、小指を顎に引っかけて、引き寄せる。
「うわっ?! ちょ――」
「…………」
「む、骸っ?!」
 改めて間近でみると、沢田綱吉はなかなかどうして可愛らしかった。小さくてひ弱そうで僕好みだった。僕まで笑えていた。
「……いえ、なんでも。では今日のお勉強を始めましょうか。終わったら、寝てくれて構いませんよ?」








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