たまには日本で過ごせたら――、ふとした呟きを骸が聞き逃さなかった。
 手に手を取って闇を抜けて、闇に追われる身の上になってから五年が過ぎようとしていた。
 骸は二十に。
 綱吉は十九になった。
「たまには、僕もがんばりますよ」
 骸は指にふたつのヘルリングを見せてやりながら綱吉にニヤリとする。
 綱吉は不安げに指摘する。
「その指輪、使用者の魂を食べさせてるんだろ?」
「魂というよりも自意識ですね。記憶、人格、自我を形成する精神エネルギーを貪ることで使えている」
 食卓で聞くにはあまりに不穏な会話だ。綱吉は、まだ眉を寄せて、シチューのスプーンを皿におろす。
「やめとこう。そこまでする価値はない」
「平気です。君さえ、そばにいれば。僕は自我を食い尽くされない」
「なんでそこまで日本に行きたがる?」
「君が、行きたいと言ったから」
 その答えを聞いたのは日本についてからだった。
 一月一日。新宿の高層ビル、立ち入り禁止の屋上に並んで立ちながら、ホット缶コーヒーを手にする。
 綱吉は一ヶ月前にニコリと笑うだけで回答しなかった骸を思い出していた。驚きよりも怒りが先立った。
「オレはお前の命を削ってまで行きたいなんて言ってないぞ! 怒るぞ?!」
「削ってるのは自我ですよ。大丈夫です、君が傍にいれば僕は安定する」
「理由がさっぱり――」
「過ぎたことなんて、いいじゃありませんか?」
 朝日を見つめながら骸が頬を寛がせる。
「あけましておめでとう。綱吉くん」
「なっ……。へ、ヘルリングは? 幻覚は切ってるんだろうな? 今は? ここならもうマフィアの追っ手はないだろ?!」
「まぁ、いちばん高い場所ですからね」
 骸は右手をひらひらさせる。目玉の赤いリングと牙のついた青いリング、呪われた二つのリングが朝日の色に染まる。
 骸は、ふたつリングを嵌めたその手で綱吉の手を握った。
「年が明けたら、日本で君としたいことがあるんです」
「……なんだよ?」
 くすっとして骸が含み笑う。
 頬を染めて、夢見るように朝日を浴びる綱吉を見初めた。
「君のおかあさんに挨拶にいきたい」
「…………」
 綱吉は、目を丸くしてから視線を逸らした。だが、二度見して、三度目では穴が開く勢いでもって凝視した。
 震えながら、尋ねてみる、その声も疑わしげだった。
「そのために日本に?」
「君が日本のことを口にするから思い出したんです。命を懸ける価値があるって思いませんか?」
「お、思わないよ! オレも母さんには会いたいけどッ――、え、えええ?! お、おま、納得されると思ってンの?! どう名乗るつもりなんだ?!」
「息子さんを嫁にくださいって」
「どう聞いても頭がおかしーだろぉおおお?!」
「あ、今年初めてのツッコミですね!」
 小首を傾げて人差し指も立ててみせる。綱吉は歯噛みして缶コーヒーを握りしめていた。顔も赤くなった。
「信じられないやつだな! だ、……大体、いきなりンなこと言われてもっ……お前のこと、よくしらないよ」
 正直な質問ではあった。綱吉はいまだに骸の素性は知らなかった。
 骸も、愛を語りはしたが偽名しか教えず過去も教えず、ただ愛だけを与えている。それが愛といえるか綱吉には永らく疑問で、それが障害になったものだ。
「クフフッ。では資産家とでも」
「お、おおおまえが言うとすっげぇ胡散臭いぞそれ」
「おや、顔で判断してます?」
 指輪をカチャリといわせつつ、骸はホッペタに手を当てる。
「ならテロリスト?」
「論外だ」
「僕もそう思いますね。そーですね……では綱吉くんの正義のヒーローで」
「職業ですらない」
「注文が多い人ですね」
「アホか!」
 そうしている間にも日の出が昇る。
 真っ赤な帯が、地面から浮いてくる。日本の町はビルが多いので光は縫うようにして差し込んだ。
 二人で見つめるようになって数分。思い出したように、綱吉は唇をふるわせた。顔面どころか耳まで赤らんでいた。
 瞳は赤く染まって、うすく涙ぐむ。
「挨拶なんていらない。おれは普通の生活がしたいって……お前にそう頼んだ。ふつうに、生きてけるだけでよかったんだ」
「ええ。そうですね。僕はその願いを叶えるために全てを敵に回した」
 骸の声は軽々しい。強がりを見透かしたように綱吉は眉を八の字に歪めた。
「お前の体だって、もう」
「いいじゃありませんか。未来なんて。僕は今が楽しい。ヘルリングがなくては生きていけなくなったとしても今でいい」
「……」生身の肉体を損なった骸を補うために、ヘルリングを見つけ出したのが綱吉だった。
 綱吉の指が、呪われた指輪の上を滑っていって指輪ごと骸の手を包んだ。
「いいんだ。骸はもう何も気にしないで……」
「ふつうに、日本で生きてたら親御さんに挨拶するぐらいするもんでしょう?」
 震え始める指先を掻き分けて、恋人がするように指のあいだを搦め捕る――、恋人の繋ぎに変化させてから、骸は繋いだ手を胸元まで引っ張り上げた。
 綱吉の指の関節に、キスを落とす。
「君は、僕のものですから」
「…………」
 綱吉の瞳で朝日が歪む。
 心の底から、恥ずかしそうに俯いた。
「かあさんに、恋人だって……いえば……いいんだな?」
「はい」
 キスのついでに皮膚も浅く舐めた。
 綱吉は目を白黒させていた。取り留めもなく喋った。朝日を浴びた。
「正直に全部話していいか? 多分、オレ、嘘はつけないよ……。お前がやってきたことを喋ってもいいのか?」
「いいですよ。君がフォローいれてくれるんでしょ?」
「うん。考えてみたら……一度も父さんをどう思ってたかとか、将来のこととか、母さんに話してみたことがないんだ」
「綱吉くん。大丈夫。怖くても僕が一緒ですからね」
「…………」
 思いつめたように足下を見たが、一瞬だ。綱吉は顔をあげて骸をまじまじと見つめるようになった。
 もっと頭がオカシイ奴かと思った、出し抜けに呟く。
「どういう風の吹き回しなんだ?」
「君が日本にいきたいって言うからじゃありませんか。僕も……、そろそろ、喋りたいことがあるんですよ」
 綱吉の眼には不安と期待がいりまじり、それ以上に顔では愕然となった。もはや存在そのものを疑っている。
「お前、ホントに骸か?!」
「くふふ。でも僕もちょっと緊張するかもしれない。君の母には嫌われたくはありませんね」
「なぁっ?! おまっ……」
 何か言いかけたが、だが綱吉はツッコミをやめた。嘆息する。
「ま、いいや。お前少し――前から変だったけど最近とことん変だもんな。世界大戦だーなんて言ってたのが嘘みた……」
「世界征服は、しましたよ」
「ハァッ?!」
 度肝を抜かれて調子外れな悲鳴になる。骸はあっけらかんとする。
 楽しげに、缶コーヒーを投げ捨てて黒い放射線を描いた。綱吉と繋いだ手ともう片方の手とを伸ばして横に広げた。
「世界は終わって僕と君の二人だけのものになった!」
「?!」
 骸はいやにリラックスしていて、昇ってくる赤い帯に身を染めている。オッドアイで眩しいはずの光源を凝らし見た。
 にっこりと、焦点があいまいなオッドアイがふり向く。
「だって僕達はもうお互いしかみない」

破滅を明けて






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