とある愛のむくろ








 「はい、つーかまえたっ」
 ニコニコ顔で言い切りながら、少年は右手を天上向けて締め上げた。
 彼の胸板に頭をぶつけた格好で、ツナは顔を白くさせて、吹きかけた泡で口角を汚しながら必死になって、首と、首輪のあいだに指をいれようとしていた。
「ああ、ボンゴレ。ちょっと下品ですよ」
 目をパチパチさせて、人差し指で口角を拭う。
 唾液で濡れた爪先を、ごくごく自然にさりげなく口に含んだので、ツナはさらに躍起になって首に指を突きたてた。依然としてニコニコした笑顔を浮かべながら、骸は首輪の綱を引くのをやめた。かわりにツナの両手首を掴み、ひっくり返す。ギョッとして少年は絶叫した。
「痛い痛い痛いいたい――!! 何なんだアンタは!!?」
「仕方のない子ですね。首にミミズ腫れがついちゃったじゃないですか」
「いきなり首締められたら誰だって抵抗するわ!」
「締めたんじゃなくて、ホラ」
 骸の人差し指は、あっさりと首と指輪との隙間に侵入する。
 綱を引くのをやめたので、余裕が生まれたのだ。首輪は赤い牛革で、ツナの首よりも二周りも大きかった。限界まで視界を下向かせ、引かれた物体を確認して、さらには骸の反対の手にしっかり収まっている綱紐を見て、ついでに青褪めながらそそくさと下校していく並盛中学の生徒を眺めて、最後に、ツナはホロリと涙をこぼした。
「あ、あんたって人は……」
「そんなに嬉しがらなくても」
「アホか! 悲しんでるんだよ!」
 骸は笑顔のまま首を傾げる。
「ここまで精神的に歪んでるとは思ってませんでした。変態でヤバくてちょっとS気質とかM気質があっても根底はマトモな人なのかなってタマには思ってたりしてましたけどもうっ、もうフォローできませんよ! さっさと首輪を外してください!」
「ふむ」考えるような声をあげて、骸は両目を閉じた。
 その後ろをそそくさと女子生徒が駆けていく。骸が並盛中学校に姿を見せるようになってから、当初こそ、その色男ぶりに浮き足立っていた女子ではあったが、一ヶ月が経過した今となっては、その常軌を逸した言動は全校生徒に知れ渡るところであり、視線すらも合わせようとしないのが大方の反応だ。
 六道骸がこの吹雪のような反応にショックを受けてくれたほうがツナにはありがたい、しかし、悲しいかな、当人はこれらを喜んでいた。周囲のちょっかいがないほうが、目的の少年に好き放題にアタック――ツナにしてみれば、文字通りにアタック。攻撃だ――を、かけられるからだ。
「そうですね……」
 慎重にため息をはいて、骸が人差し指をたてる。
「ボンゴレが僕のクツを舐めて懇願するなら、考えます」
「おまえ、一回死ねとか言われたりしないか?」
「よく言われますがよく死ぬので問題ありません」
 へらりと笑って、少年は首輪をさらに引き寄せた。
 骸の胸に顔を埋める格好になり、ぎゃあっとか細い叫び声。骸は、ツナが暴れるより先に、背中に腕を回してギュウと自らに押し付けた。
「さって。今日はどこに遊びに行きますか? 恋人の定番ネズミランドだってホテルでのディナーだって夕べの公園だって女王さまごっこだって何でも構いませんよー」
「やめろって! オレは変態じゃないんだってば!」
「失敬な。僕がまるでおかしいみたいな言い方ですね? 綱吉くんが好きなだけなのに」
 これが好きな人間に対する仕打ちか――ッ。
 絶叫しかけて、しかしツナは言葉を飲み込んだ。
 素早く走りさる在校生たちから密かに熱視線を向けられていることに気がついたからだ。獄寺や山本がやってくると大変にうるさいことになるのは知っていたし、最悪にもヒバリが出くわすと、あたり一帯が戦場になることも経験から学んでいる。迷彩柄のシャツを握りしめると、できるだけ、他意のない声音でツナは言い切った。
「場所を変えませんか。ここって人目が多いでしょ」
「そうですか? 別に衆人環視でも愉しいと思いますけど」
「お、オレは、恥ずかしいなぁ〜〜あ、なんて」
「恥ずかしいんですか?」
 目をきらきらさせて、骸がツナを覗き込む。
「それはいいですね。さあ、存分に照れてください」
「なっ、て、テメ――」シャツの下に手がつきこまれ、ぞわわっと総毛が立ち上がる。しかし上半身を思いきり捻るだけで耐えた。渾身の力で爪先を立たせ、おそるおそると骸の耳元へと顔を近づけた。
「?」笑顔のまま、骸はツナへと耳を寄せた。
「あ、のっ。初めては二人っきりでやるもんでしょっ?!」
「は」大きく瞬きして、――思わずといった様子で骸は拳をゆるめた。
 意を突かれたとばかりに、口を半開きにして、信じられないようにツナを見返す。ツナは、後退りながら、首輪から続く綱紐を引っぱった。するりと呆気なく零れ落ちたのは、首輪につながる綱だ。
 ツナが大事そうに尾っぽを手繰りよせるのを見ても、骸は動かなかった。
 今がチャンスとばかりにカバンを抱き寄せ目の前からダッシュで逃げても、言葉ひとつ向けられない。一人で校門前に佇みながら、骸は、心ここにあらずといった調子で囁いていた。
「……ボンゴレからいってくれるとは……」
 そうした、肉体関係を匂わしたことがないとは言わない六道骸だが。
 はっきりと連想させる言葉は選んだつもりがない。
 遠のく背中を振り返りながら、骸はツナの吐息を感じた耳元を撫でた。少し熱い。にっこりと満面の笑みを浮かべて、骸は幸福に目を細めた。握りこぶしまで作り、興奮でふるふると戦慄いていたが、声音だけは落ち着きを払い嵐の前の静けさを連想させた。
「つまり、ボンゴレも僕とそういう関係になるのを望んでるってワケですか」
 どう考えたらそうなるんだ。――とツッコむ輩は、逃げた。
 少年はうっとりと睦言がごとく囁いた。
「嬉しいですねえ……。嫌われてるのかなって思わないでもなかったんですけど。やっぱり勘違いだったんですね。ボンゴレがシャイなお人なだけだったと……、嬉しいなあ! ああ、初めては自宅で縄プレイって素敵な響きですねえ」
 木枯らしは真正面から骸にぶつかるも頬の赤味がひく様子はない。
 あるいは、全力でぶつかるそれらが、骸にツッコミをいれてるのかもしれなかったが。彼がもっとも耳を貸す人間――沢田綱吉の言葉でさえ都合の悪いことは聞き流す耳をしているので、言葉のないそれらにどれほど訴えられても、六道骸が理解するはずはないのだった。
「そうとわかれば話は早いというもの。ボンゴレ、待ってください!」
「知るか! 来るな! どっか遠い国にでも行けよ頼むからッ」
「そんなこといっても、本心はわかってますよ。照れ屋さんなんだから……!」
 鳥肌が顔にまで浮かぶが、さらなる言葉は、ツナにさらなる全力ダッシュを促した。
「綱を返してくださいよ。大丈夫です、ちゃあーんと丁寧に飼ってあげますから!」
「お、おまえっ……。一度、病院いけよ! 人の話きけよ!」
「聞いてます。愛してます、ボンゴレ!」
「うそだあぁ――っっ!!」
 叫ぶ声は、涙にぬれていたとか。









 

 

 

06.3.5

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