合わせ鏡のようだと感じた。ただ一度だけ。
 あれは確か――。
(骸と、二回目に会ったときだ)
(廃れた映画館に迷い込んだとき、骸は古ぼけたソファーに座ってオレを待っていた。森で見かけたあの人が六道骸だと知って、オレは……驚いた。合わせ鏡みたいな眼をしていると思った)
 その閃きを、深く考えはしなかった。
 骸の片眼が青かったから? 何らかの超直感だったのだろうか?
「なんだ……? これは」
 オレは、唖然として顔をあげた。
 鏡が張り巡らされていた。
 四方八方、ちょうどオレにぴったりの背丈の鏡がガシガシとスキマなくはめ込まれてオレは万華鏡のド真ん中に立っているかのようだ。
 パジャマ、素の足で立っている男の子。
 足の裏がものすごく冷たいから知覚は生きている。
「骸……」
 オレは確証がなくてもその名を呟いた。
「骸なんだな?」
 確証はやはりなかった。
 けれど世間はお正月。一月一日の深夜。オレはみかん片手にテレビを観てたはずだから、コタツで寝てしまったんだろう。
 大晦日に夢は見ていないから、これが初夢だろう。
 骸を思い出しながら、鏡で埋め尽くされた幻想空間を歩いていくと鏡はトンネル状に伸びているのだと分かる。
「むくろ!」
 声が、こだまする。
 反響する。跳ね返る。鏡には何百人ものオレが映っていて、それぞれ角度が違うから、オレ達はキョロキョロとでたらめな方角を眺めては全員で何かを探している。
 気分のいい眺めではなかった。酔ってしまいそう。
「……骸っ!」
 他には、誰もいない。
 素足で歩いた。
「おまえだろ? オレの夢に入ってきてるんだろ! やめろよな、こういうの。アルコバレーノの試練に絡んだイヤガラセか? 試合の時間にだけ勝負するって話だろ!」
 走ったところで、鏡の中を移動して大勢のオレがあとをついてくる。
 酸っぱいものが口に広がった。
「こらーっ! 無視するなよ。骸なんだろう!」
 証拠も確信もなかった。
 脂汗が噴出した。
 鏡の中でオレもたくさん焦っている。この状況はなんだろう?
「……っ」
 口元に手がいった。
 この場所は、きもちわるい。
 吐きそうだ。酔う。万華鏡を自分でぐるぐる回しながらその真ん中の道を歩くみたいで、知覚が狂う。
「むくろ」
 ほとんど縋るようにして、その少年を呼んでいた。
「むくろだろ! オレの知ってるやつで、こんなことするのは――お前だ!」
「酷い話ですよ」
 軽い調子での呟きだ。
 と、天井にある鏡が一つ、パキリと音を立てて下に動いた。
 重力は通用していないらしい。
 骸は、立て戸をどかすふうに鏡板を両手に持ちながら進み出た。逆さまに立って、オレだらけの万華鏡を見回した。
 確認してから、交通整理のお兄さんのようにして鏡をパキリと戻す。
 オレをふり向いた。静かな眼差しだった。少しだけ眠たそうな声だった。
「――僕じゃないですよ」
「骸。どうにかして」
「何で呼んだらくるって思ったんですか?」
「お前がやったことだろ……!」
「僕じゃないというのに」
 前髪が浮ついて、目の前に他人の存在が落ちてくる。
 胸にぐっとくる感覚だった。
 六道骸は、パジャマでなくて私服でいる。黒いジャケット、迷彩のTシャツ、ロングブーツ。
 頭ひとつ高いところにある瞳はいつも通りのオッドアイで、
(――ガラスみたいな眼の色、)
 また、鏡のようだと思えていた。
「酔いました? まぁ常人には居づらい場所かもしれません。助けて欲しいんですか」
 骸は、夢の外と同じようにして静かに喋る。
「……骸じゃないなら誰なんだ?」
「質問は、助けを求めてるってことでは? 沢田綱吉。助けて欲しいんですか」
(こ、この男)
 イラッときたが、白旗をあげた。
 上目遣いでうかがいつつも首を縦にする。骸は、残酷な影を含んだ微笑みになっておきながら、親切そうな発音で、告げてくる。
「ねだるならば、言葉でいいなさい」
「たすけて、ください。骸……ここが何なのかオレにはさっぱりだ」
「僕に敬語を使いなさい」
「こ、れは何ですか!」
 ヤケになるも、骸は笑みを深める。
 右手を差し出してニコリとイイ笑顔になった。
「まだわかりません。歩きましょう。眼を瞑ってていいですよ。引っぱってあげます」
「……骸はなんでオレを助けにきたんだ?」
 オレよりも大きくて節ばっている手を見つめて、不安になった。
「ホンモノの骸だよな?」
「君が念波を送ってくるから来てあげたのに酷い言い草だ。僕らの心身は相性がすばらしくよいのをお忘れですか」
 なんとも微妙な言い回しだったが、それでこそ骸だという気もする。これはきっと骸本人だろう。
 唾を飲んで、うなずいた。
「わかっ……、わかりました。骸さんを信じます」
「よく言えましたね」
 骸から、オレの手を掴み寄せた。
 そうして万華鏡へと歩き出す。正直、目を瞑っていいとの勧告はありがたかった。しかし、度肝を口から抜かれた。
「むくろさ――ん、おま、鏡に映ってないですよ?!」
 鏡のトンネルには、眼を丸くしているオレだけが写る。
 くるくると回っては光り、隣の鏡に飛び込んでは違うところから出てきて、目まぐるしくもキレイでブキミな沢田綱吉の群れだった。骸は楽しそうに万華鏡を見渡した。
「そうですね」
 右から、左へ、ぐるりっと満足げに微笑みで仰いでいる。
「壮観だ。これは非常に珍しい夢ですよ」
「ど、どうなってるんですか?! これってじゃあ鏡じゃないの? モノを映しているワケじゃない?!」
「立ち止まってみなさい」
 鏡のオレもすべてが止まった。
「ほらね。『君』だけを映しているんですよ」
「……な、なんで?」
 吐き気ではなくて目眩が走った。ホラーとか怖いものとか。苦手だ。
 骸がオレの手を強く握った。それで、前に転びそうになっていたのに気づく。体中が冷たくなっていた。
「どうなってるんですか……」
 引かれながら、目を瞑り、尋ねる。
 向こうの声が涼しかった。
「見当はついてますよ」
「ここから出られるんですか?」
「もう少しです。今、繋げてあげますよ――、面白い話ではないんですがね。そう。彼もきっとこちらを見ている」
「かれ」
 おうむ返しにした。
 ところが骸は、何が気に障ったのか一言も喋らなくなった。
 どのくらいの時間が過ぎたか? 骸と結んでいる手が汗ばんできて少し暑苦しくなってくる。
 唐突に、骸が今までにない握力でもって手を握った。
「綱吉クンはさ、どうして骸クンだと思ったんだい?」
 軽快な足音は真横に落ちた。
「うわあぁっ?!」
「あぶり出しにする方法はいくらでもあるんですよ」
 吐き捨てるように、骸が、
「?!」その時になってオレは体感温度の違いに気がついた。手を握ってるから熱い、それだけじゃない。鏡の着けている素足が温かい。
(?! この場が熱くなってる?)
 オレは呆然として白蘭と骸とを見つめた。
 自らの唇に人差し指を宛がって、白蘭はイタズラを仕掛けた子どものようにして言う。
「焦らした方が気持ちいいデショ?」
 少年の姿。白いパジャマだ。
「お、おまえも鏡に映ってない」
「僕と綱吉クンの初夢だったのになー」
「焦らすのも手ですが焦らさず初手で陥れるというのも――手だと思いますよ。特に、初めての相手にはね」
「ハハ。本場の詐欺師は言うことが違うなー!」
 極めて陽気に笑ってみせる白蘭に、心なしか骸のこめかみがヒクついた。
 冷たい目つきで、顎をしゃくらせる。
「沢田。よく見ておいてせいぜい恨め。原因はこの男だ!」
「こ、この鏡の原因が?!」
「原因ってー、そんなシリアスに言わなくってもいいんじゃない? 僕が綱吉クンに感謝してることの表れなんだからさ、これ」
「君の精神破壊を狙っていた」
 断定の強さで言い放ち、骸が三叉槍を握りしめる。繋いでいる手は背中にやったので、たたらを踏んだ。
「お、おいいっ?! 骸さん?! どーなってるか理解が追いついてないですよおれは?!」
「運命とは皮肉なものだ。何も知らず何も望まないものに過ぎた力を授ける」
「僕は、この運命が好きだけどね」
 白蘭も右腕を前にやった。真っ白くて小さな白龍が腕に絡みつきながら誕生した。紫がかった銀髪が後ろへなびく。
「世界征服もできて今は自由を奪われたけど余生をエンジョイ♪ 君と正反対だよね、僕ってさぁ。そう思わないかい?!」
「ガキの身なりに戻っておきながら心身がジジィと化した君のような男と僕を比べるな! それに僕はハッキリ言って同族嫌悪が激しいタイプなんですよ!」
「そっかぁ♪ じゃあ、僕と同じだ。僕達は気が合わないね!」
「ちょ、こ、こんなとこでっ?!」
 慌てて構えを取るも、そこで鏡に異変が生じた。
 鏡の――中で、オレ達はそれぞれで反応が違っていた。
 逃げる子もコケている子もいればハイパーモードになった子もいる。呆気に取られて棒立ちしていた。
「なっ……、な、なんだよこれ!」
「つまり、これは鏡が映している君ではなくて――」
「全部、ホンモノさ」
「だぁあああぁああぁあああっ?!」
 小さな龍が勢いよく飛び出して、空気を切り裂いた。三叉槍をまわして骸は龍を搦め捕り、その間に自分は白蘭を殴りにいった。
「空間の保持に使っている力、すべて出していただきましょうか!」
「僕がそこの綱吉クンにリンクさせてあげてたんだけどなー。いいの? 主人公変わっちゃうかもよ?」
「それが彼の望みならば仕方ないことだ!」
「な、なんの話をしてるんだっ……」
 胸ぐらを掴まれながらも白蘭も羽根を出していた。バチバチと火花が走って黄色い光がはねた。
 何やら激戦を始めているらしい二人をおいて、周りの鏡では、どこでもオレが――鏡の向こうで何かを叫んでいる。何十人かは鏡を壊そうと手で叩いていた。
「――――っ」
 その眺めに、息がつまった。
「もういいよ」
 深く考えるより先に声が出てくる。
「解放してやりたいんだ!!」
「!」
「!!」
 白蘭が目を丸くして、骸が、我が意を得たりと暗く笑みを沈めた。もう笑わなくなって無表情で白蘭の体を槍でもって真っ二つに切り裂いた。
 霧のように輪郭が溶けて、轟音が響き渡って鏡面がしなり、鏡が跳ねた分を戻したときにはすべてがパリンと割れた。
 真っ暗になったトンネルに、破片が廻りながら――飛んでいる。
 見上げながら、視界が白くなった。
 光が過ぎると、オレはこたつの中で眠っていて、風邪を引いたらしく鼻がグズグズになっていた。
 だるい体を引き摺り、上着をきてから携帯電話でコールをかけた。
 時刻は、明け方だ。
「っくしゅん!」
『僕の初夢を無駄にするのはやめてほしいものですね』
「お、まえ……。新年あけましておめでとう」
『おめでとうございます』
「今年もヨロシクな」
『何をどう宜しくされるのか不明ですが、様式美といったところですか? 朝の五時から眠いのをガマンして話してあげる僕の身にもなってくださいよ』
「白蘭の電話番号って知ってるのか?」
『どうして彼の回答を求めますか』
「い、いや。でもなんっか、お前と白蘭の二人分の答えをあわせないとホントのことがよく分かんなくなるよーな」
『必要ありませんね。白蘭は監視されてる身なので直接会って会話をする以外に方法はありませんよ。それで、君の初夢ですがあれは白蘭に感応した君自身が、パラレルワールドの君を呼び集めた結果です』
「んなぁっ?! じゃあアレってほんとに皆、オレで――でも鏡みたいだったぞ!」
『白蘭のせいだ。君からの感応を察知して、君を……あの空間の持ち主に設定したんですよ。あの場ではパラレルワールドの君がみな君のしもべになっていた』
「なっ……あ、お、恐ろしーこと話してないかそれは?!」
『ところで、敬語が抜けてますが』
「し、しつこいな! えっと大丈夫だったんですか? 鏡、割れたけど……?」
『今頃は白蘭が戻し忘れがないか確認していることでしょう。彼は――、君にパラレルワールドの分身を使役してもらいたかったようですがね。……未来の自分と同じように。彼の願望を君が見抜いたということだ。君にはそうやるだけの才能があるから』
「白蘭とオレが同じだって言ってるのか」
『僕は、君達が似ているとは、思いませんよ。性格がまったく違う』
 骸らしくないことを言う、真っ先にそう思えてハタとした。
(あ)
 合わせ鏡のような――骸のオッドアイを一目見て、鏡のようなその美しさに心を奪われた。そしてオレはあの瞳を知っていると心のどこかで呟いた。
(ああ……そっか、そうだったんだ)
「いや、骸。けっこう似てるのかも……オレもお前も白蘭も」
『はぁああ? 馬鹿なことを――』
「ただ、オレ自身じゃなくって、ハイパーモードのときのオレな。骸と初めて会ったときはまだオレ、知らなかったのにな。オレ、白蘭も骸も憎まなきゃいけないのに、どうしても憎みきれない……、ここを抜ける気になれないんだ。こうやってオレもマフィアになっていくんだな」
『…………』
(あ、デリケートな話題すぎたかな?)
 骸は、このテの話になるとえらく神経質になるし、意地悪になる。機嫌が急激に悪化するのだ。
 沈黙を挟んでから彼は自分のところに来るように告げた。
『精神感応のチャンネルを閉じておいてあげますよ』
「え? あ、ああ、ありがとう……?」
「ついでに初詣に行きますから新年にふさわしい格好してきてくださいね。それじゃ……、五時間ぐらい、後で」
「はあ」
 ブチッ。通話が終わる。
「…………」
 オレはたった五分の会話記録を見つめながらしばらく思案する。怒らせたかな? でも骸を見たとき、きっとオレも長いつきあいになるんだと直感したから、鏡のようだと……合わせ鏡のように距離を挟みながら互いを見つめ続けるんだって、感じたに違いない。
 今のオレの未来がどうなるかわからないけれど。
(でも、骸は助けにきてくれたワケな。オレの初夢に……)
 五分間の表示をまじまじと見下ろす。
 微妙な生ぬるさが胸にくだってくすぐったくなった。
(お前もけっこうイイ奴なんだよな)
 オレは、未来に少しだけ安堵して、携帯をほっぽるなり二度寝にいそしんだ。





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