死せる聖人




「聖人死すべき……って思いません?」
  目が遭うなりの発言に度肝を抜かれていた。
  それが、今にも滑り落ちそうな蓮の花びらの上で、彼に向かって手を出して彼からも手をおろしてくれているところだから、尚更に目を丸くする。
「……え?」
  呆けるオレに、彼は笑っている。
「君を助ける。簡単だ。しかし僕は常々思うのですが君は死ぬべき人間だ」
「……はぁっ?!」
  指をめいっぱいに伸ばしているのに、骸は、あと少しで掴めるというところから、動かない。
  内臓を踏みつけにされたような、鈍い痛みと共に胃酸がこみあげてきた。
「おい……、見捨てる気かっ、はやく!」
「僕は考えているだけですよ。君が死んだら僕はどういう感情を味わうんだろうなって」
「おいぃいいいっあっ?!」
  ツメを立てた右手に、痙攣が走って、ぱっとすべてがオレを離れた。
  空中に放り出される――。
  骸は、蓮の花びらの上にしゃがんで今にも誰かを助けようとしている。手は中途半端に伸ばしている。その彼があっという間に点になって見えなくなった。
  オッドアイは驚きも悲しみも怒りもせずに、ただ、オレを見送っていた。

***

 目が覚めたのはいつか。昏睡と覚醒の境が曖昧になるだけのダメージがあったようだ。
「ン……」
  身動ぎするも、息苦しい。
  胸の前をみて、縛られた両手首をみて、自分がどうなったかを悟った。口にはガムテープが貼られていた。乗用車の中だった。運転は荒っぽくて膝の上をごろごろと転がる。
「飛ばせ!!」
「いそげっ、くるぞ!!」
  車内は大騒ぎになっていた。大の男六人がすし詰めになって、何かから逃げている。
  追っ手は何か――、わかる気がした。
(なんであいつはこーいう、)
  気だるさをこらえ、恐らくは落下の際に打ちつけたであろう右半身の痛みに耐えて、オレはびしょ濡れの体をよじらせる。車は港から逃げ続ける。
「おい、せめてコイツは――」
「ボンゴレだ! この場で殺しても、」
  誰かがオレの襟首を鷲掴みにした。そうしてオレは薄く目を開ける。
  ドンッ。
  硬いものが落ちてくる音。
  オレも、車内の六人も、ボンネットを見やった。両足、両手をボンネットに着けた彼は木から飛び降りたあとの猫のようだった。獣の四肢は硬くこわばって、光るオッドアイだけがオレを射貫いた。
  オレの居場所を目視するなり、それは起きた。
  けたたましい轟音をあげて車体が真っ二つに割れた。六人で密集している車内に血が走った。青空が見えた。何かがオレの胸ぐらを掴んで、そのまま後ろに持って行かれた。
  ――正面から二つに割れた車体が、ガソリンを巻きながら右と左にそれた。
  途中で積み荷を人諸とも落としていった。粉雪のような麻薬がパァッと飛んでいって六道骸は面白そうに笑った。
「これって公害でしょうか?」
  その腕に抱かれて、オレは気絶しそうな程に血の気をなくしていた。
  爆発音と煙があがり、かろうじて難を逃れた麻薬組織のやつらが呻き声をあげている。骸は携帯電話で通報だけをした。そしてオレを横抱きにしたまま踵を返し、巨大な蓮の花を消去した。
  幻術のその花は、爆風の最中を美しく散っていて、その触手が車を切ったはずだった。
  二軒の倉庫を超したところで、骸はオレをゆっくりとおろした。
  よろめく足を立たせて、肩をおさえて、指の腹でひっかくように何度も唇を縦から横断した。
  上から、下に、二段に連なるそのふっくらした肉の弾力を楽しんでいる、その指先には正直言って嫌悪を催した。
「…………」
  震えつつも自分で指をだして、べりり、ガムテープを剥がした。
  骸が「あっ」と目を細める。
「酷い。助けようとしてあげたのに」
「……人的災害だ! 麻薬を何でバラ撒いたんだよ!」
「しかも文句から入りますか、このダメボスが。君が捕まったのがいけないんでしょう」
「見捨てたのはどこのどいつだーっ?!」
  頭がすっぽ抜けそうな衝撃だったが、骸は平然としてオレを見下ろしている。
  肩を強引に組ませると、道を急いだ。
「とにかく行きますよ。これ以上のトラブルはごめんですから。そもそも君が麻薬組織のボスと面会したいというからトラブルが始まったんですよ」
「なんでオレを見捨てた?!」
  イタリアの某所に停泊してある個人所有の客船が、会談の舞台だった。船は今は沈んでいた。港も壊滅している。
「君が……」
  悠長に答えるかと思いきや、骸が口ごもる。チラッとオレを見下ろした。
  イタリアにきてから二年。骸は十九歳になった。元からヒネくれていた男だったがここ最近はもはや何を考えているかさっぱり想像ができなくなった。
  ボロボロのスーツ姿のままで、大股で歩いていくので、ついていく。オレもボロボロだった。
「僕は宗教を持っていなかった。エストラーネオのボスはキリスト教でしたが僕らには無縁の話だった」
  すたすたすたすた、少しも歩調を緩めないのでついていく。
「あんな環境で飼育されてて神を信じる気概をもてますかね? それこそ、キチガイってやつですよ。気が狂ってる」
  すたすたすたすた、口も足と同じくらいにざっくばらんで早かった。骸はまだ喋る。
「僕は興味なかったですがキチガイの思考は理解できるほうでした。つまり、ほんの僅かな期間だけは真剣に信じかけていた時期がある。僕の苦しみは黙示録によって救われてすべてが赦される。ところが所詮は幻覚と同じものだ。僕の興味は殉死とはなんだろうというほうへと変わった。身近な大人が一斉に大量に死んだものですからね」
「…………」
  となりに追いつく。
  見上げていると、骸は歩く速度は変えずにオレを見下ろした。そして目を丸くしているだけの反応に気を悪くした。
「そこは、『お前がやったんだろ!』とか、ツッコミ入れて欲しいモノですね」
「そ、そりゃ悪かったな……」
  胸にいやなものが立ちこめたが、だがオレは骸をまじまじと見つめていた。
  向こうもそうする。殉死。紋切り型の口調でもって骸は右手を意味もなく握った。
「なぜ、エストラーネオを皆殺しにしたと思いますか?」
「……殉死させたのか」
「殉葬させたんですよ、僕は」
  骸が、あの大量殺人について自発的に話すのを初めて聞いた。
  思えば、骸は犯した罪については反省も言い訳もせず、罰を与えられれば正当性に関わらず反発した。流れる毒水のような生き方だった。
  じゅんそう、その言葉にピンとこなくて顔を顰めていると、
「主君が死ねば、臣下はみな道連れで死ぬ。日本にもハニワというものがあるでしょう、道連れで墓に埋めるんですよ。ハニワは人を埋める代わりの呪術具ですが」
  だから皆殺しでなくてはいけなかった、骸は淡々と語る。
「……つまりお前は宗教的な理由でその人たちを殺してるのか? 信じてるんじゃ」
「信じてません」
  ぴ、人差し指を立てる。
  愉悦に歯をみせるそのさまは毒婦といっていいぐらいに鮮やかで、元々の彼の歪みを思い知らせるのに充分だった。
「彼らが信じているから、強制的にまっとうさせてあげることにしたんです。彼らも皆、殉死ができて僕に感謝していることでしょう」
「それはキリストではないんじゃ?!」
「つまり、カルト宗教ですね」
  骸はそこで足を止めた。
  後ろを見やる。真っ黒な煙がでている。高いところまで煙はのぼり、あたりには、ひらひらと灰が待っていた。
  そっと肩に手を当てられた。
  差し出されたのはハンカチだった。ピンクで花の刺繍がしてある……私物らしいが。
「煙状の大麻が飛び交ってるワケですから君はこれを口に当てておいたほうがいい」
「お、……おまえなぁ」
「でも、完全には吸引を防げないでしょう。少しは影響があるかもしれない。今夜はセックスしましょうね」
「おまえなぁ?!」
「ドラッグセックスだけは死ぬ気で拒否しますもんね、君は。いやぁ棚ぼたです」
「お、おまえ、まさかそれで麻薬のダンボールまで切ったのか?!」
「それは因縁といいますよ」
  冷たい眼で見返してきて、オレの口にはハンカチを押しつけて、骸は何も対処をせずにまた歩いた。
  ジャケットのポケットからキィも出す。
  道ばたにはバイクが停めてあった。さっきの話ですが。雑談を戻すようにさりげなくも骸は言う。
「いつか誰かに君が殺されるよりも、僕の目の前で殉教したほうが、僕は嬉しいんじゃないかと思ったんですよ」
「ツッコミは山ほどしたいんだけどまずオレは宗教もってないよ……」
「ボンゴレファミリーもカルトでしょう?」
「そ、そんなふうに思ってたのか?!」
「大丈夫ですよ。君が死んだら僕も殉死してあげます。だから僕は今もここにいるんです」
  思わず見上げる。ハンカチを口に押し当てているオレに骸は小さく微笑んだ。晴れ晴れしていた。
「でも、ほら、今日って……。もしかしたら君も夜には僕と過ごすつもりかもしれない。墜ちていく君を見送ってね、大きな後悔があるのに気づいた。だから助けにきた。だから今夜はセックスしましょうっていってるじゃないですか」
「わかったよ、やるよ……」
  青褪めつつも要求を呑むしかなかった。
  今朝から――いやに、いつも以上に機嫌がおかしいというか言動に乱れがあった。骸は鬱憤が溜まると思いがけない行動に出る。骸はもしかしたらオレが思う以上に二人の時間を大切にしているのかもしれなかった。
「メリークリスマス、綱吉くん」
「……メリークリスマス」
  手を取り、握った手のひらを誘導して骸はバイクにオレを座らせた。唇を当ててくると舌を探った。
  キスというよりは点検作業だ。





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