死
相
世界が巡ると体は知っている。
今、魂が二つに裂かれていくほど悲しくても、朝がきて、一年が経てばこの苦しさも忘れてしまう。悲しみも苦しみも一時の感情に過ぎず永遠に留まるものではない。人間は年を取るし、時間は止まらないし、世界は巡り続ける。留まった感情は風船のガスが抜けるのと同じに、体が老いていくのと同じに、少しずつ抜けていく。
百年先の世界にはオレは存在すらしない。
体が滅びを受け入れていく。オレの意志はどうであれ、オレの体はどうあっても『人間』でいることを裏切れない。生きるってそういうことだと、まるで反面教師のように、あの人に教えてもらった。
「骸さん……。次の転生の予定はあるんですか」
忍び寄る足音に促されて緑がくすみ、葉は茎のところでパキリと折れてしまって樹木は裸になる。
冬が近づいたある朝に、オレからの提案で、もみじの残る歩道を歩くことにした。
澄んだ空気がいつもは遠くに見える彼の肉体を近くに感じさせてくれた。六道骸が骸として姿を現す時には、辺りに、霧がかかる場面が多いから顔すら見えない時がある。今、彼はオレに合わせてスーツ姿で隣を歩いていた。
「復讐者達を倒してからもう半年になる。酸素の残留はどのくらいなのかわかりましたか。息が今は苦しくない?」
「転生の予定なら、もう立ててありますよ」
オッドアイが目の前を滑り落ちたもみじを追いかける。
「二百年くらい、先が、どうやら少しは居心地がよくなっているようなので……まあ、僕に決められるのはこのくらいです」
「二百年……」
思いを馳せるつもりで呟いたけれど、全然、現実感が持てないセリフになってしまった。オレはあぜんとしているだけだった。
「遠いよ」
「そうですね。ボンゴレファミリーが残っていたら、当主に挨拶に出向くぐらいはしてあげますよ」
「オレはもう生きてないよ。それじゃあ。オレはせいぜいあと五十年だ」
骸は困った顔をした。
「五十年ですか……。けっこう大きくでますね」
「骸さん。あともう半年……絶対、見つけるから。待ってくれるよね」
「待ってますよ。いつでも」
言いながら、浅く微笑みをさいて、六道骸はオッドアイを閉ざす。
指先から薄っすらと白くなっていく。
急いで言葉をつなげた。
「白蘭が情報を提供してくれるって言うんだ。今度こそ見つけられるから。骸さん!」
「ビャクランが……?」
幻覚の分解を始めながら、青年は不可解そうに眉を潜める。少しこけた頬に青みが増して、彼は、死人のような面持ちを浮かべる。すべてに疲れてまぶたを閉じようとするいまわの際の態度だ。
こんな風に、骸が弱った姿をさらすのはオレの前でだけだった。交わした言葉は少ないし生身で会った時間すらも二時間に満たないし、骸との絆はずいぶんと脆弱でかよわい。なのにこんなときには家族が衰弱していくのを見るみたいに深くオレを傷つける。助けられるなら助けたいと思って、この十年、居場所を探りつづけてきた。
「骸さん! 待って、いかないで。まだ早いよ」
追いすがった次の一瞬、六道骸の姿が掻き消えた。
そのとき、風が起こる。
ぱらぱらと葉が落ちてくる。誰もいなくなった空間を見つめて、しばらくその場に立ち尽くしていた。
骸は自分の考えを人には喋らない。白蘭という名前には妙な顔をした。なにかあるんだろうか――。
「骸さま? お早いお帰りですね」
青年の精神世界に戻ると、彼は、奇妙そうな顔をした。大事な用があると言って出ていった手前、少し、腹立たしい気分になった。頭をふりながら睨みつけるとレオナルドは目を見張らせる。
「他意があったわけではございません……。お帰りをお待ちしておりました。骸さま」
「こちらの状況は?」
「変わりありません。順調です」
言うと同時に、レオナルドの足元に穴ができあがった。外の世界を映す鏡である。睡眠中のレオナルドの記憶を映す鏡なのである。
「伝達役としてミルフィオーレに定着。誰も疑うものはなし。元の人物を知っているヤツも消去しました。問題ありません」
「いいでしょう」
傲慢ですらある態度で骸がレオナルドを見下ろした。双眼は冷徹な意志を帯びて四人目の奴隷を見据える。
「レオナルド、直に白蘭の元にボンゴレ十代目が訪ねてくる。白蘭の計画がうまく進むように計らいなさい」
「はい、骸さま。……ボンゴレ十代目がですか?」
絶対的な忠誠を誓っているので、レオナルドは返事を一番に返した。やや遅れて怪訝な声で訪ねる。骸は頷くだけで喋ろうとはしない。それが答えだった。
「仰せのままにいたします」
頭を下げたと同時に、骸が言う。
「僕は少し眠ります。十代目の来訪があれば起こしなさい……」
レオナルドとのコネクションを切れば、暗いばかりだった世界が一変して、青空と草原が広がる世界に変わる。レオナルドの頭のキャパシティを流用して、骸は楽に居座れる己のための空間を作ったのだった。
服装もジーンズにシャツだけとなって、胸元は大きく開けてある。草原の奥から吹雪く大気を受け止めながら、骸は、指先でのどを撫でた。少し息苦しい。
「…………」
先程の会話が頭に残っていた。沢田綱吉は茶眸を歪めて掠れた声で言う。抑揚をつけながら念を押すように。
『絶対、見つけるから。待ってくれるよね』
内心では、こちらを疑っているのではないかと骸は思う。
それは正しい。
待ってなどはいないのだ。
「綱吉くん。僕は、君の力を借りずに、君の世界に戻ってみせる」
(僕は――君に恨まれるようなことを、君にしたいのだから)
だから、自分自身の力で檻を出なければならない。例え、それで沢田綱吉を絶対的な危機においやってもだ。お互いが死を迎えることになってもだ。
限りある空の向こうから風が吹く。幻覚と記憶とを織り交ぜて作りだした世界は、やさしく草を折り合わせて寝床を作り、主人の眠りを待っていた。
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