ひかりをてらう


 例えばハサミでも良かった。食に使うナイフでもフォークでも、スプーンでも良かった。突きつめて考えていけば、それは、僕の右手や中指や人差し指でだって構わなかった。やろうとさえ思えばヒトはなんだってできるのだ。ハサミでもスプーンでも指ででも相手を殺せてしまうのだ。
 それに気が付いた頃に僕は人を殺すということを初めて行った。
「わっ……」
 驚いた声が一言だけ漏れる。
 どすっと土砂を飛び散らせて汚泥に沈む亡骸を凝視しながら、想像していたよりずっと呆気ないことにも驚いた。
「スゴイ。簡単に死んじゃうんだ」
 素直に感心している僕の意識など感じることができないのだろう。
 この記憶の本来の持ち主は、荒い息を吐きながらナイフで突き刺した男を見ている。楽観的にしている僕とは雲泥の差で、男は、相手が死んだことに狼狽しきって怯んでいた。
「うわ……、うわああ! うわああああ!」
 バケツを返したような雨の下を、廃棄された列車のレールを踏み越えて走っていく。僕は自然に彼についていくことになる。
(六道輪廻か。想像したよりも、違ったな。現実と変わらないんだ)
 これから、こんな風に、誰かの記憶を延々と見せられるのだろうか――。
 少し億劫だった。
 切開されて機械に繋げられている右目が痛んでいる。どうせなら、この痛みを忘れてしまうくらいショッキングな人生が見たいと思った。
 男はそれから人を殺すのに躊躇わなくなった。エストラーネオファミリーの末端組織に触れて、そうして、権力抗争の果てにファミリーによって抹殺される。男が死ぬとまた違う人生の縮図が始まる。
(もし……、僕がコレに耐えきれなくて死んだら、次の被験者は、単に他人の死を眺めているだけの僕を眺めることになるんだろうか?)
 組合員が顔を寄せあって何かの相談をしている傍らで、僕は、宙を漂いながらあたりを眺めた。どこかに僕の次の亡霊がいるような気がする。
(ああ……。どうしたんだろう)
 右手が心臓の近くを抑えていた。正常な筈の左目が熱くなってるんだろう。
(きっと僕の人生がいちばんくだらなく見えるんだろうな)
 そう思ってしまうと、自由のきかないこの身体や、ファミリーのおもちゃにされているだけの自分が酷く憎たらしく感じられた。なんて情けない。




(六人目の死者を看取れば次なる段階へ――、被験者二十四番は危険区域に突入。致死率は現段階において百%。医療班一名、待機。記録班七名、実験体管理者二名、活動。カウントダウン開始――、)
 呆けた眼で窓硝子に映る顔を眺めていた骸の視線はある一点に集中する。
 禍々しくてツルリとした赤い表面に六の痣がにわかに歪曲して刻まれている。呑込まれそうな存在感に見惚れながらも黒曜中制服の下にある皮膚が鳥肌を立てた。
(たすけて。タスケテ。たすけて、助けて)
 自分の声しか聞こえなかったが、だが一声だけ他人の声を聞いた。拘束具の一部が力の逆流によってはずれて、無意識に、傍らに立っていた男に掴みかかったのだった。
 そいつも助けてと言った。最初から被験者の死を予期している実験には医療スタッフも警備スタッフも極端に少なく配置されている。「助けて」の一声で、その事実を瞬時に思い出した。
 この場に助けは来ない。
 この人たちは自分と同じ絶望的な状況。自分の手には武器と、手に入れたばかりの強靱で凶暴な力がある。
 今しかない、強くそう思った。
 実際に誰かを手にかけたときには、ハサミもスプーンも指先での殺人も単なる子どもの夢想に過ぎなかったと知った。意志と、絶大な破壊力を秘めた武器が相手を殺戮するには必要なのだ。
(やめろ、今までの恩を忘れたのか――、血の粛清が待っている――、ボスが赦しはしない――)
 頭蓋に収まっている脳髄から、数多の悲鳴を感じて鼻腔には血生臭い死臭を嗅ぎつける。その最中に、唐突に、
「おい、話をきいてんの?」
 警戒心でとがったセリフと共に、窓硝子に顔が浮かびあがる。
 沢田綱吉は骸のすぐ後ろに立っていた。
 骸が、両目を開かせて振返ると手にしている缶ジュースを乱暴に突きだす。だが骸が動かないので焦れた声をだした。
「おい? 骸? ……また具合が悪くなったのか?」
「いいえ」
 頭を軽く横にふって、骸は、またその心配かと思った。水牢を出て以来、顔を合わせれば二回に一回は訊かれている。
 綱吉が持ってきたジュースはよく冷えていた。話し合いが終わるのを見計らって下の階の台所から持ってきたようだ。
「どうなったんですか?」
「お前な、やっぱぜんぜん話を聞いてなかったんだな」
「聞いてましたよ。イタリアに渡る前への最重要課題は君の語力だという結論になった」
「……っ、そ、そこだけ聞いてるなよなっ」
「全体を聞いてましたよ。君とは頭の出来が違いますから」
 話しながら、プシュッと音をたててプルタブを立ちあがらせる。会議がお開きになったとあって、気だるげな空気が漂いお馴染みのボンゴレのメンツも身体から力を抜いている風に見える。
 イヤな顔をした後で、沢田綱吉はあっさりと骸から離れていった。
 並盛中制服姿の背中を見つつ、骸は缶を傾ける。冷たいものが落ちていく。頭から蘇ってきた血と殺しの記憶が、腹の底まで押し流されていくよう感じた。
(絶大な破壊力を持った強い力……)
 自分が欲してやまないものが、彼の身体にあると思うと餓えるような獰猛な欲求が走って身体が震える。
 少年の一挙一動に視線が惹かれていく。彼は自分の分の缶ジュースを手にしてベッドにすわり、足元でたむろしている友人たちに声をかけられて軽く笑う。
(潜在能力がずば抜けて高い。今、談笑しているやつらもやろうと思えば一撃で殺れるレベルの力――、逃がせない。必ず。必ずだ、僕のものにしなければ。この少年は僕の理想に近い)
 誰にも邪魔をされずに済む唯一無二の絶対的な力――。幼い頃からずっと、欲しがっていたものだ。骸のオッドアイが怪しくまたたく。
(何をしてでも僕に跪かせてやる)
 と、綱吉の隣に彼の家庭教師が降ってきた。軽そうにベッドの上を跳ねて綱吉のジュースを奪いとる。
「ぎゃああああ?!」
「あー、喋ってばっかいると喉が渇くゼ」
 リボーンは、そう言いながら刺すような鋭い視線を六道骸に投げかけた。
「…………。クフッ…」
 この家庭教師は同じアナのムジナに近い存在だと大気から感じられた。守護者連中でも雲雀恭弥だけは決して僕に喋りかけないのも似た理由からだろう。
「おまっ、自分のジュース飲めよ!」
 ベッドに突き倒されていた綱吉が復活する。すかさず、獄寺が、飲みかけの自分の缶ジュースを両手で差しだした。頬を奇妙に赤くして期待した声で言う。
「十代目、よければオレのをぉぶ!!」
「クフッ。クフフフフフ」
 その獄寺隼人の背中を片足でゲシッと踏みつけて、骸は腕組みした。師弟を見下ろす。綱吉は目を皿にして驚き青褪める。
「なぁっ……、なんだよ。か、帰るのか?」
「ええ。まあね」
 薄笑いを浮かべながらも、骸は、師匠の方を挑発した。
「そんなに守りたいなら、縄で縛ればいかがですか? 僕なら本当に大事なものならそうして可愛がってあげますよ」
 逃げたら大変ですから。一言を付け加えて、満足げに訳がわからなさそうな表情をしている綱吉に視線を戻す。
「どうぞ」
 飲みかけの缶ジュースを綱吉は素直に受け取った。今度は呆気に取られた顔。
「はあ? え……、あ、ドモ……」
「クフフ。例えば、彼が一人で歩いている時なんて絶好の機会じゃないですか? 心身を掌握するには色々な方法があるのですよ」
「とっとと帰れ、変態」
 リボーンが氷の眼差しを向ける。
 ひやっとしたものは、綱吉も感じているようだったが、だが持たされた飲みかけの缶が気になるようで口を挟まなかった。ぎゃあぎゃあと喚く獄寺隼人の背から足をおろし、踵を返す。
「それではね。沢田綱吉」
「う、うん……」
 自分だけ挨拶されていることもわかっているんだろう、綱吉の返事はぎこちない。沢田綱吉の部屋の扉を閉めると、骸は、しばしその場にたってただ気配を殺めた。
「なんで骸ってオレにだけ優しいんだろ?」
「じゅ、十代目! ほだされちゃダメっすよ! 単なる恩返しですよあれは! ツルとおじーさんの関係です!」
「おっ。獄寺、ツルの恩返しなんてよく知ってンなぁ」
「テメーら、破滅的に能天気だナ。骸みてーなのを気にすると頭がはげるぞ、ツナ」
「どーいう関連性だッ?!」
「ずばり心労だ」
(……ノンキという名前の病気だな、彼ら全員が)
 毒素を抜かれてしまうような気分になりつつも、だが、もうしばらく待ってみる。やがて骸は物音一つ立てずに玄関に向かう階段を降りていったが。
 扉越しでは、彼が自分のあげたものを飲んだかどうかはわからなかったから少しだけ残念だった。





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