ヒツジとヤギとスケープゴート

「何してんの、母さん」
 リビングには入らず、綱吉は奇妙なものを見る目を奈々にやった。
 タンクトップにスパッツの姿で、お尻をついて、両脚を空中にあげている。そして足のつま先を、両手で、つまんでいる。
「船のポーズよ」
 テレビを見つめる奈々は真剣だった。
「……ふ、ふーん……。ヨガ?」
「そうそう。ちょっと、エクササイズでも始めてみようと思ってね〜」
 なんとなく綱吉には予想がついた。
「今度、父さんがくるの?」
「あ、あらヤダ。そんなんじゃないわよ!」
 奈々は、恥ずかしがるような曖昧な笑みを浮かべて息子をふり向いた。綱吉は、嘆息しながら、ドアの前を通りすぎて二階につづく階段をあがった。
「船のポーズ、崩れちゃうよ。母さん。友達きてるから」
 その『友達』は、部屋に入ると、興味深げに綱吉の横顔をのぞいた。
「父親とうまくいっていないんですか?」
「馴れてないだけだよ」
「クフフ。思春期の男の子は、フクザツってやつですか?」
 綱吉はつい先程に奈々に向けたのと同じ眼差しを六道骸にやった。
(コイツの言動って、なんでこう、変態っぽく聞こえるんだろう……)そんな難題を考えている内に、骸は、したり顔でベッドに座った。
 黒曜中の制服姿だ。
 この頃は髑髏がパワーアップしたせいか、彼はよく髑髏を乗っ取っていた。綱吉にちょっかいを頻繁にかける。
 十年後世界での大幅なパワーアップがあるので、今の綱吉は、骸と本気で戦えば勝てるという自信があった。だから、あまり、骸を邪険にはしていない。役立つ人間ではあるから。
「骸、約束。宿題の答え教えてくれるっていっただろ」
「はいはい。出しなさい」
「ジュースかなんか欲しい?」
「もちろん」
「そういうのって、髑髏の胃袋に入るんじゃないのか?」
「髑髏のですよ。でも味は僕もわかります」
 それなら、骸が食べたり飲んだりしている分は髑髏の体が引き受けるのか。クローム髑髏は年頃の女の子なので、綱吉はちょっと不憫に思った。知らない間に体重が増えたらショックだろう。
「控えめにしてやれよ」
「?」と、大部分の趣旨が欠けたセリフでもあったので、骸は眉目をゆがめた。
 骸は、プリントを眺めるだけでスラスラと数式の答えだけを口にした。頭に演算器でも入っているみたいだった。
「ちょ、ちょっと。途中の数式を簡単にでも教えろよっ。答えばっかじゃ不自然だろっ!」
「楽に答えだけ知りたいっていうのが君の意思でしょう」
「そりゃそーだけど。先生に当てられたときにバレるだろ。獄寺くんにだって、別の誰かに教えてもらってること、勘付かれそうだし……」
「それがイヤなんですね」
 と、言ってから、骸は小難しげな顔になる。
「近頃の君は、妙に、荒んでますよね。心の腐ったマフィアみたいになってきてる。僕の知らない間に何があったんですか?」
「何も……」
 ベッドを降りた骸が、ちゃぶ台の前にしゃがんでいる綱吉の隣に正座した。
「僕は人の夢に潜り込めるんですよ? 隠しても無駄です。どうしたんですか? 何が怖いのか言ってみるといい……」
 誘惑するように、肩に触られて、綱吉は片方の眉を動かした。
「オレを心配してるのか?」
 それは、特訓によって鋭敏化された超直感が導いたセリフだった。
 骸は、いささか面を喰らった。
 だが、すぐに、ニヤリとうなずいてくる。
「僕のかわいい綱吉くんの様子が変わってしまったらね。心配もしますよ。何かに傷ついているんですね。言ってみなさい」
 メンテナンスをする技師のような印象を受けながら、綱吉は、それでも首を縦にした。骸なら話してもいいだろう。
「いつも通りの『日常』に戻っても、いつまた戦いが起こるのか、そういうこと考えると、夜に眠れなくなるんだ」
「不安なんですか。あぁ、父親の来訪が不安なんですね? また何か悪いニュースか、抗争の報せか、とにかく君は便りがない方が嬉しいんだ。トラブルを怖がっているんですね」
「あと二年くらいで胃に穴が開くと思う」
「そうですか……。かわいそうに」
「…………」肩をポンポンと軽く叩かれた上に、慰めのセリフは、やっつけ仕事。綱吉はムカムカしてきた。
「お、お前な! これだけ喋ったのにそれだけなのか?!」
 思わず、体を向き直らせて、両手をワキワキさせる。
「だって僕には何もできません」
 向こうはあっけらかんとしていた。
「僕に何か望むならば、水の牢獄からだしてくれませんか。話はそれからですよ」
「無茶いうなよな! ヴィンディチェの居場所だってオレ知らないんだぞっ」
「知ろうとする努力をすれば話は別だと思いますけど。まぁ――、綱吉くん。じゃあ僕にできることしてあげますよ。慰めて欲しかったんでしょう?」
「うっ……?!」
 する、と、薄っぺらな胸を確認するように骸が手で撫でつけてきた。綱吉は、ジャケットのボタンを外されながら困惑する。
「ま、またやるの……?」
「君がして欲しいって暗にお願いしましたよ」
「それは……。ウン……、そうかもだけど、でも、下で母さんがヨガしてるよ」
 ネクタイを引っぱられて、綱吉は骸の胸にもたれこんだ。
 綱吉を抱えながら、骸は、今更に怖じ気づくのはやめてくれませんかという表情。その赤と青のオッドアイは冷淡に光る。
「……――」
 言いかけた言葉を呑込んでは、咀嚼して、やっぱり言おうかと悩んでは、のどに押込めてと、綱吉はそれを繰り返した。
 やがて骸がシャツのボタンにも手をかけた。
 うな垂れながら、確約を求めた。
「むくろ。二十分だけだ」
「いいですよ。その間は、きっちり、ぜんぶ忘れさせてあげますよ。綱吉くん」
「ン……」
 顔をあげている綱吉の顔面に、骸が自分の顔を寄せた。音もなく唇が触れあった。ぺろ、と、骸が舌を前に突きだして、綱吉の下唇も上唇も入念に舐め上げた。
 恐る恐ると、ゆっくりに、綱吉は唇を開けた。骸の舌先がヌルッと這入った。
 キスをしながら骸は綱吉の両手首を掴んだ。
 自分の制服のジャケットを触らせて、脱がせてくるように、促す。
 浅くうなずいて、綱吉は骸の肩からジャケットを落とした。腕を引き抜かせて、彼の上半身を迷彩のTシャツだけにする。綱吉のシャツの前は、開かされていて、骸の手が這い回っていた。
「ふッ、う。う……、はっ、はあ」
 ぬるい手の感覚にゾクゾクしたけれど、極力、悟られないように息を潜めた。
 上半身を壁に寄りかからせている骸の体を跨って、ハァハァとしてくる吐息を堪えながら、綱吉はキスを続ける。
 関係するようになって二ヶ月も経っていなかった。
 綱吉にすれば、骸はスケープゴートの役割をその身に受け止めてくれるから、滅入ったときには縋りたくなった。骸にすれば、……骸がこの関係をどう思っているのか。それは、綱吉にはよくわからないが、多分、骸が自分を――『ボンゴレ十代目』が嫌いだからだと思えた。
 彼は、面白そうにオッドアイの輪郭を窄めていた。
 綱吉の腰を掴んで、自分のものと擦らせた。当てるところを考慮して、真正面から。
 抵抗するように、綱吉が、両脚の膝頭をビクリとさせた。内股になる。
「っ……、む、骸?」
「手早く終わらせろってオーダーしたのは君ですよ。ほら……、床に手をついて」
「ゆか……?」
 ボンヤリと反すうしながら、しかし綱吉は思考を放棄した。
 悪いことだとは思っているが、しびれ薬のようなものを欲しがる自分の心は理解している。
 骸は、欲しいものだけを的確にくれた。それこそ、途中方程式も全部すっ飛ばして、テストの『答え』だけを教えてくれる勉強会といっしょだ。
 そういう人間といっしょにいるのは、自分にとって毒だと、薄っすらわかる。しかし今は逆らう気が起きなかった。
 甘美だからだ。余計なことを考えなくていい時間になる。安らげる。
「いい子ですよ、綱吉くん。足を片方だけあげなさい。犬がオシッコするときみたいに」
「……は、恥ずかしい、それ」
「じゃあ手伝ってあげますから」
 ハードルを下げると見せかけて全く下げていない要求をやって、骸が、綱吉の膝裏に腕を通した。
 グッと持ちあげられて、図らずも綱吉の顔は青褪める。
「ひっ……、あ、はう」
 関節部がみしりと嫌な音をたてた。
 骸が、綱吉の脚を肩に担いだ。膝立ちになってお互いの急所を密着させる。屈辱的な体勢に、頭の中身が茹だって、綱吉は助けを求めるように唇をパクつかせた。必死になって、弱々しく、訴える。
「ち、ちがうのがイイッ……。骸、もうちょっと、違うの」
「嘘つきですね。興奮してるでしょう。興奮したいんでしょう? もっと自分から求めないと興奮できませんよ……。綱吉くん。正直に言いなさい。今、ゾクゾクしてるでしょう?」
「…………っ」答えられずに、綱吉は両目を強く瞑った。
 上体は床に崩れていた。
 倒錯的な被虐感が体内を駆け巡って、鳥肌がたちそうで、ともすると生命の危機に直面したようなスリルがあった。これが骸の指摘している状態に合致するなら、綱吉は頷くしかなかった。
「はッ……あァ。あっ」
 びくんっとして声を漏らし、綱吉は体を小刻みに震わせた。
 骸のオッドアイに感情が過ぎった。
 彼も興奮していた。歓喜している。まじまじと綱吉を見下ろし、ふしぎそうに、小首を傾げた。
「しばらく見ない間に、ずいぶんと僕好みになりましたよね……。体も技術も成長したのに、心の成長が追いつかなかったせいですかね。綱吉くん。いいですよ。僕は、どんな君でも認めてあげますよ」
「……っ、あ、う」
 服越しに急所をまさぐられて綱吉は首を竦める。
 骸が、耳に唇を寄せてきた。
「乱れていいんですよ。ストレスが溜まってるんでしょう? ほら、発散しませんと……。見ててあげます」
「や、いやだ」
 なかば反射でうめきながら、綱吉は、足で骸の体を引っぱった。自分と押しつけ合うようにする。
 綱吉の頬を手で撫でて、骸が、ひどく満足げに吐息をゆっくり吐きだした。
 腰をぐいぐい押しつけて緩慢に堕悦を貪る。
「綱吉くん。僕にしがみついて。君が言葉にできないけれど望んでいること、ちゃんと、全部やってあげますよ」
「……骸、あと十分だぞ」
 青褪めながら赤面しつつ、言われた通りに、綱吉は骸の背中にできうる限り抱きついた。
 体勢を整えるべく骸が太腿をさらに高く持ちあげる。
 そのときだ。
 唐突に、ガチャリと、扉が開いた。
 時間が止まった。
 綱吉は両目をつぶらなどんぐりにして驚いた。骸は背中を見せていたが、気配で、相手が誰だか悟ったようだった。
 確かに、彼は、いつも気配を殺して歩いているし、一流のヒットマンであるので、綱吉も骸も気配には気付きにくい。
 家庭教師ヒットマンは、その黒目をくりくりにして、部屋の片隅でもつれている少年二人に顔を向けた。
「……」「……」「……」
 言葉もなく綱吉は真っ青になる。
 骸も、額のあたりを青褪めさせて、珍しく怖がりながら肩越しに背後を見やった。
 リボーンは目をひん剥いて硬直している。動かない。
 骸が、綱吉の足を降ろそうとしたが、しかしギギッと不自然に顫動するだけで失敗した。
 彼は、不自然極まりないポーズの説明を、やった。
「あ……、アザラシのポーズです、これ」
 そ、そんなバカな……。
 ショックを受けたが、他に打開策もないので綱吉は骸に従った。
「よ……ヨガだよ、ヨガ。母さんもやってたよな、リビングで」
 リボーンは、まだ動かない。
 骸も綱吉も脂汗で髪の付け根を濡らした。
「つ、つなよしくん、アザラシの鳴き真似するんですよここで。ほら今です!」
「は?! な……なんて鳴くんだよ。ニャア?」
「なんで猫なんですか?!」
「なんで猫なんだ」
 同時にツッコミした骸とリボーンだが、骸はそれでハッとした。リボーンが正気付いた。
 ちゃきん。一瞬で懐から短銃が引き抜かれ、指はすでに引き金にかけてあった。
「!!」
 刹那で命の危機を察知して骸が転がった。両腕をクロスさせて衝撃に備え、窓に飛びかかり、ばりんっ!! と割って外に出る。
「なにしてやがんだテメェーら!!」
 怒号が後を追った。
 パンパンと銃声がこだまする。
「り、リボーン。これはそのっ……で、でえええっ?!」銃口がアッサリとコチラをふり向いたので、綱吉は、制服を乱したままの姿で慌てて割れガラスが微かに残る窓を飛び込んだ。
 ずだだだだだ!
「どわぎゃああああああ?!」
 庭に転がる前にサブマシンガンらしき銃声が響いたので頭を庇う。スタッ。庭に着地すれば、まだ骸がいた。
 といっても、塀を乗り越えようとしているところだ。
「申し開きしてみろそこの二人ぃいい!」
「!!」「ひっ!」
 ずざざ。それぞれに物陰に隠れる。
 死に物狂いで家の敷地を出て行った。骸と合流してとにかく走りながら、綱吉は慌ててシャツのボタンを閉める。
「骸! お前のせいだぞ?!」
「こーいうのって共同責任ですよ!」
「オレどーすりゃいいんだよ! 家に帰ったら八つ裂きにされるだろ?! 明日は父さんがくるのに!!」
 語尾がヒステリックになったのは自分でもわかった。
 骸は、意外そうに、綱吉を見返す。
 まだ全力疾走をつづけているので、お互いに体が上下にはずんでいるし、視線が定まらなかった。
「……泣いてるんですか?」
「な、ないてない」
「ではその目に光っているものは」
「あのな。オレの身になってみろ。父さんが来るのに……、父さんの耳に入ったらどうするんだよ。オレ、そんなことなったら……、母さんにだって知られるかもしれない。骸、もう、しないからな!!」
「…………」
 後ろを確認しながら、徐々に、速度を落とした。
 のどをゼエゼエさせつつ、ボタンを完全に閉めて、それから綱吉は乱暴に目を手の甲で拭った。
 その手首を、骸が掴んだ。
「……なんだよ」
 綱吉は警戒心をこめて相手を睨む。
「慰めてあげましょうか? 今すぐに」
「お前、オレの話をどう聞いてた?」
「僕には『助けて』って言ってるようにしか聞こえませんね。いいじゃないですか。父親に会いたくなかったんでしょう。どうぞ。僕を悪者にすればいい」
 ぽんぽんと繋がれるセリフは、中盤で既に綱吉の理解を超えていた。
 胸に刃をいれられた気がして、綱吉は酷く傷ついていた。骸に逆ギレされていると感じたせいもある。
「なんだよ。なんで、お前まで、怒るんだよ……」
「僕のせいにして家出すればいいんだ。逃げることと隠れることに関しては、僕は、プロですよ」
「獄中のやつがよく言うよ」
「僕を獄中に叩きこんだ原因がそういうこといわないでください。怒りますよ」
「骸。家出って……。本気で?」
「千種も犬も髑髏も、君を気に入っている。拒むものはいませ、っ、きた」
「うわっ!」
 発砲音に身を竦ませて、綱吉は慌ててまた走りだした。骸も横を走った。しかし今度は、骸は、綱吉の手首を引っぱっていた。
「こっちです!」
「……っ」
 このまま、ついていけば、父親に会わなくて済むし骸との関係を問いただされなくて済むし宿題だってやらなくていいし――。
 とにかく、煩わしいことから、逃げられる。たぶん。
 綱吉は、目を眩ませて、骸の背中を見つめた。
 そうして、しみじみ思った。
 やっぱり骸といっしょにいるのは、よくない。
 自分がダメにされる。いや、それは、骸がスケープゴートの役割を受け入れているから、許されているんであって――堕落を受け入れて沢田綱吉をダメにしているのは、他ならぬ、本人だ。
 のどが痛くなってきた。
 綱吉は、骸の腕を振り払った。
「いいよ。オレ、家に帰るから」
「…………。本当に?」
「うん。ただ、お前も一緒にこい。説明できる気がしないから。なんとか、頼む」
「……なんとかって? 恋人同士だとでも? 愛人だとでも?」
「好きにしていいよ。任せるから」
 しばらく躊躇った末に、骸は、浅く首を縦にした。では恋人で。そう言われて、少し驚いたが、綱吉もうなずいた。
 事態は、前進しているのか後退しているのか、非常にあやふやで難しくて、綱吉にもよくわからなかった。





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