夢の果てで終わるようにすぎて事実は遠い

 
 シャリン、鈴が打ち付けられた。耳元で。
 瞬間的に疑問をもってから納得する。そうだった。これは新たな能力だと、自覚するとともに少年は指先に力を込めていた。
「――誰か忘れてはいませんか? くはっ!」
 霧が凝固するかのように――手の内側が冷たくなった。
 キュインッ!
 次には、骸は霧から編み出した錫杖を握りしめている。
「ムクロウ! 舞え!」
「なぁっ……あああぁああああああーっ?!」
 マヌケな悲鳴が骸の耳一杯にこだまする。
 彼も、霧が生み出した竜巻に巻上げられて初めて第三者に気づいた様子だった。
「むっ、むくろっ?! おまっ――」
「お久しぶりですね。忘れていたみたいですけど、僕もきてるんですよ。守護者ですから。一応は。召集令なんて無視してもよかったが釈放されてからお会いしてなかったでしょう? ……君はD・スペードのエサとなって僕の手助けをしたといえなくもない。お勤め、ご苦労様でした」
 身を起こせば耳元でまたシャリンと鈴が鳴る。
 霧の色のクリスタルが、少年の耳で小さく連なっていた。ツララのようにして鋭くも美しかった。
 りぃん、と、そちらの音は地面についた錫杖がもたらしたものだ。
 イヤリング同様にクリスタルが垂れ下がり、きらきらと藍色の光を投射させている。
 悲鳴がとどろいて、少年がきりきり舞いになって遂には電信柱にしがみついた。丸太にしがみついた図とソックリだ。
「こらー! 骸! 助け方がいい加減すぎっつーか……、うわああ! 助けてーっ!!」
「しかも人の話をまったく聞いていないとはね」
「聞ける状況かーっ?!」
 ガビーンとするのを差し置いて、骸は錫杖の頭を揺すった。
 シンボルにしている目玉が赤く陰り、竜巻が消失する。どさどさと落ちてくるのは軽装の若者だ。
 今、まさに、沢田綱吉からカツアゲをしようとした連中だった。
「ボンゴレギアは僕と相性が良いようだ……」
 一人も立ち上がらない彼らの中に進みいって、骸が、わざとらしく嘆息した。ハァ。
「けれどイヤになりますね。君が、何も変わっていないのが。ボンゴレ十代目」
「……た、たすけてくれ」
 情けなさそうに、綱吉。
 電信柱の上の方にしがみつく彼に、侮蔑的な囁きが返る。
「何をバカなことを。自分で降りられるでしょう? 貴方は自分が誰だかお忘れか」
「っていうか何でお前がここにいるんだーっ?!」
「今しがた言ったこともお忘れか? 召集令をかけたのはそちらですよ」
 骸に睨まれて、綱吉が青くなる。口角は引き攣った。
「リボーンが、今後のことを話し合わなきゃとか言ってた。昨日。……それのこと、だよな」
「貴方の家に向かったところ、貴方が家から飛び出した。呼び出しておきながら外出するとは何事でしょうか? 後をつけたらこういう場面ですよ」
「……買いだめのお菓子がないから買いに行けって母さんに……。ないがしろにしたって訳じゃない」
「そうですか。しかし、君は尾行にも気づかなくてボンゴレ十代目ですか?」
 目を細める骸だが、綱吉の方はいよいよ脂汗が噴き出てきている。
 生理的な変化はかぎ取っていた。骸が意地悪にニヤリとする。
「おや? 息があがってきてますよ。まさかもうしがみついていられないとでも?」
「……た、……たすけてください」
「クハハハハハハハハハハハハハハ。なかなか、つまらない冗談だ」
 ニッ! 目と口唇をキツネのように歪め、骸は踵を返す。背中で語った。
「それぐらい、自分でどうにかしろ」
「ちょ、ちょおおおおっ?! おまっ、おいてく……あ、ホントにもう手がァ、おい、あ、まって、待ってェええっっ!」
 悲鳴は惨めったらしく情けなく、間延びする。
 清々したなと後から思い返したが。ともかくも骸は沢田綱吉の部屋で待つようになった。擦り傷だらけの彼が現れたとき、何食わぬ顔で言う。
「遅かったですね」
「……なんでか犬がきてお尻噛まれるわ吠えられるわでさんざんだった」
「おめぇ、相変わらずだなー」
 リボーンが呆れたように口を挟む。
 ちら、骸と綱吉を見比べもした――、綱吉の帰宅で、ボンゴレファミリー十代目世代が全員集合したことになる。
 堰をこぼして、全員の手にオレンジジュースが行き渡っているかを確認した。
「よし。それじゃーいいな……っ! いくぞ。ツナ!」
「あー、はいはい。それじゃ」
「え、えっと、骸様の正式な復帰をお祝いしてっ……シモンファミリーと仲直りしたお祝いとしてっ……デイモンをやっつけたお祝いとしてっ!!」
 メモを凝視しつつ、クローム髑髏。彼女がこの戦いで果たした役割は大きい。
 せーの、何人かが囁き、
「かんぱぁーい!」
 炎真と綱吉が叫んだ。
 がつーん!
 骸やヒバリを除いた全員が、ジュースのふちをぶつけあった。獄寺がクラッカーを鳴らして、お菓子の袋も二つのファミリーの少年少女がいっせいに開けていく。
 ばりばり、がさごそ、それらの音を聞きながら骸がボソッとうめいた。
「いつの間にこのような慣習が?」
「ウチの学校に、アレを全巻持ち込んだヤツがいて没収したんだ。赤ん坊に横流ししたんだけど読んだらしいね」
「アレ……」
 慎重に呟きながら、骸は沢田綱吉の部屋を見渡した。
 ハンモックの真下に――、漫画がずらりっと並べてある。特定のタイトルで、数は、六十巻を超えている。
「……全巻?」
「すぐバレるに決まってるだろ、あんなものを持ち込んだら」
「……あー、宴のシーン……」
 合点がいったとしみじみ、呆れる。ため息が掠ったかのようにヒバリが黒い瞳でジロリと睨む。
「君、知ってるの? シャバにでたてで? いっとくけど僕の前でアレを褒めたら僕は君のこと大っ嫌いだからね、もう嫌いだけど」
「群れてるからですか。いえ、夢の中で……子どもの夢によく出てるんですよ、アレら」
 麦わら帽子の主役を指差しつつ、骸はその海賊について考える。ジャンプの看板だ。
「わお。プライベートの侵害。死んだら?」
「くふふ。ヴェンディチェをどう騙して並盛の風紀委員長を逮捕させるか、しばらく考えてみるのも悪くなさそうです」
 一触即発の空気を醸しつつ、互いを油断無く見やる風紀委員長と元脱獄囚を横目に――しているのは、綱吉だ。頬に絆創膏を貼って仏頂面だった。

****

「おまえ、ヒバリさんと仲いいんだな」
「どこをどう切り取ったらそういう評価ができるのか頭が良い僕には理解ができませんね」
「……ば、馬鹿だって言いたいのか?!」
「おマヌケだと言いたい」
 きっちりと言い返しはしながら、骸は綱吉の姿を確認する。
 頭ひとつ分がひくい。
 普段着のパーカーにサンダル。黒曜の制服で並んでいる男女を前に、複雑そうに眉を寄せて肩をモジモジさせた。
 クローム、少しだけ……と、席を外すように頼んだ。骸は断らなかった。もう一度、沢田家の玄関をくぐって、お菓子パーティーの名残が散らばっている部屋に戻る。
 部屋の主たる沢田綱吉は、後ろ手でドアを締めた。
 殊勝に、眉根も、頭も、肩も、右肩下がりに下げてどこか落ち込んだ様子だった。
「ホントいうとな……、」
 骸の顔色は変わらないが、本題から入ろうとする綱吉に驚いたのは唇が微かに開いたことで読み取れる。
「……――」
 が、骸は喋らない。
 綱吉は、やや間を置いたが結局は自分で喋った。神妙な声とともに顔をあげる。
「お前を一目見て……その、なんだ? なんであんな方法でっ……酷いだろ! せっかく生身で並盛町きたかと思えば幻術でふっとばして後はずっと無視かよ!」
「君に、すべては夢だったと選択肢を与えたつもりなんですけれど?」
「なぁっ!!」
 勝ち気な微笑みを見て、綱吉はさらに目と口を丸くする。
「お、おまっ。骸? ……さんざん、夢で……あんなに色々話したのになかったことにする気か?」
「君がそうしたいんじゃないかと思って」
「何を勝手に決めてるんだ?」
「夢だと思い込んで、終わりにしてしまえばお互いに楽になれるとは思いませんか?」
「はぁ?!」
 綱吉がつめよるが、骸はただ静かに迫ってくる少年を見下ろす。
 赤と青の双つ目は澄み切っている。
「君が好きだと言った。愛してるとも言った……、でも、あれは嘘です。まやかしです。僕はなかったことにしてもいい」
「…………っ?!」
 声が出せなくなる綱吉に、静かな微笑みが戻ってくる。骸には綱吉が本気だったのだとこの反応だけで読めるのだ。
 骸の眉は、八の字に歪んで微かな悲しみを綱吉に教えた。
「釈放も含めてこうも全てがうまくいくとは、予想外でした……。殴りたいなら殴ってもいいですよ。今だけは。裏切り者は糾弾してもいい」
「…………。どこまで本気だ?」
「僕は本気ですよ」
「嘘だ!!」
 怒り狂うような剣幕で、綱吉は横をすり抜けようとする骸の腕を握りしめた、
 唾を飛ばして、すがる。
「骸っ! お前は……、どこまで鋭くて、どんだけ感覚が……感受性が? って、そういうのか? そういうのが豊かなのか? オレにはよくわかんない……、だから言うよ。仕方がないから言う!」
 そのタイミングで黙った骸に、ついでに足も止めてくるりと身を翻して、自分の背中でドアをふさいで障害物へと成ってしまう骸に、綱吉は本気で歯を噛んだ。
 胃袋が辛く熱くなってくる。悔しさのあまりに歯の隙間からうなる。
「――お前はずるい!」
「言うんでしょう? 言いなさい。きちんと、すべて、僕に伝わる言葉で」
「――卑怯者!」
「なんとでも」
 口元に指をやり、くすっとする骸は生意気そうな少年だった。
 この場面で。このタイミングで!
 綱吉はイライラしながら白状する。
「お前が、来るって、クロームから聞いてたんだ。だから待ってた。窓からお前が歩いてくるのが見えた! でも、……心の準備が……その……」
「僕を思いやるのならば、この関係は終わりにしましょうか? 僕は君を大事に扱えるか自信がありませんし――」
「は、ははははは恥ずかしかったから!!」
 ヤケになってがなる。一瞬にして、顔面は真っ赤で瞳は充血しきった。
 綱吉は、何度も骸の腕から服を引っぱった。
「デイモン戦でもいろいろやっちゃったしなんて顔すればいいかわかんなかったからだよ。クソッ。そしたらカツアゲされて――お前に助けられた。尾行には気づいてなかった。ホントだよ」
「なるほど。助けたとき、君の顔色をみてピンときましたよ。わざと逃げたんだなって」
「だ、だからそれは!」
「恥じらいで逃げた? でも、悪いですけど僕にはそれを判断するすべがない。君の内心など知りようがない。超直感に馴れすぎましたね、綱吉」
「……そ、それは……そんなことは」
 綱吉の声に震えが混じる。
 マフィア風情が、と、そうやって嫌いなグループを馬鹿にするときの声とまったく同じで骸が喋るからだ。
 艶やかな唇を笑みにしながらも、彼は腕組みをして綱吉にとっての障害物でありつづけた。罵倒しながらドアをふさいで、綱吉を逃がさないようにしている。オッドアイは鈍い輝きを灯してそこに在る。
「君は、何かを勘違いしているかもしれないが。僕はマフィアのボスとこういう関係でいるのに非常に気を遣っている。昔の思い出がたくさんありますからね。君たちは、何をするかわからないし予測ができない連中だ」
「オレはそいつらとは違うってば!!」
 既に夢の中ででも何度も繰り返した。骸は疑り深くてとてつもなく用心深かった。
 好きだ、愛してると、そういって口説いてきたのは骸だったが、その後の骸はといえば綱吉の手にも負えないほどナーバスになった。
 いわく、――『君の側にいるのは嬉しいがとても苦しい』と。
 ため息混じりにうんざりしながら言われて――、綱吉は夢での逢瀬が過ぎてから、数日間は沈んだ気分でいたものだ。
 腕組みしたまま、骸は睨み付けると同時に微笑する。
「君個人がとても善良なのだとは知っている……。でも、『今』はというものだ。例えるのならば水商売に手を出そうとしている彼女をどうして欺瞞のない目で見ていられるのですか?」
「オレは水商売してない!」
「同じようなものです」
 蔑みの目で堂々と見つめながら、骸はかぶりを振る。
「いっそ、あと十年ほどあの牢獄にいれば僕は君の現実を見ないでいられたんでしょうがね……。今は、正直……、だから君が間違いだったというのなら、諦めても、」
「ひどいっ!!」
 耐えきれずに綱吉が大声をあげた。目の端から滲んだ光を帯びた。
「初めはお前のこと大嫌いだったよ。でも、いろいろ、話せて――、違うって……おれも、すきだよ。むくろ。それじゃだめなのか」
「僕は売春婦を抱きません。真剣に……気に掛けてる子ならなおさら。他人の手によって堕落したなど以ての外だ」
「……ち、ちがっ。おれ、そんなんじゃない……。酷すぎるじゃないか。本当に再会できたとたん、オレを責めるなんて」
「綱吉。……泣くんですか」
「泣いてない。悔しいんだよっ!」
 素早く目の縁をぬぐう。骸は困ったふうに眉を寄せた。
 だが、出入り口となるドアからは動かない。
 言葉を探してから、綱吉は悩んでやめる。そうした葛藤は骸にも共通する。いつしか骸の手は綱吉の頬に添えられていた。上に向かせて目のきわに唇を当てた。
 綱吉の両目がぱちぱちと微かに鳴って羽ばたいて、目線の先には、霧の色をしたイヤリングがついていた。
「ボンゴレギア……。いつもつけてるのか?」
「いえ。ボンゴレファミリーの元にくるときだけ。忠誠の証明みたいでしょ?」
 反対側の目のきわにも唇を当てて、しゃらんっとクリスタルのぶつかる音を聞く。綱吉の目線も反対側のイヤリングにきた。
 まじまじと見つめて、垂れている一本のクリスタルを指先で触る。
「これ、穴は開けてないんだ……な」
「そうですね」
 骸はクスッとして綱吉の指の上からイヤリングを触った。
「霧の守護者に傷はつけない。束縛はしないという言葉が聞こえそうですよ。いつでも裏切っていいと……、まるで勧告しているみたいじゃありません?」
「デイモンがあんなふうにプリーモを裏切ったから、なのかな」
「霧の守護者は呪われているんですね」
 しゃら、しゃらり、耳元での鈴の音を聞きながら骸はオッドアイを閉ざした。
 綱吉の皮膚は温かかった。唸るように呟く。
「綱吉が、すべてを捨ててくれるなら……僕はまた穏やかな日差しだけを感じて、君を信じる気になれる。必ず。君のどんな態度にも惑わされずに君を信じられる。君が、背信するのは連中にであって僕にではないと確信ができる。君が、マフィアに囲まれて、やつらの祝杯を喜んで受け取るようなマネの一切すべてを止めるというのなら。僕は君を信じられる」
「ごめん」震えながら呻いて、綱吉は顔を反らした。骸はまだ目を開けなかった。感情もなく鋭く静かに呻く。
「どうしてですか?」
 その質問も、もう何度となく繰り返されたものだ。
 今までの答えは曖昧だった。みんなは友達だから、仕方ないから、なる気はないんだけどなぁ……、そんなふうに。
 けれど、骸の裏切りを身近なものとして感じているせいか綱吉はウヤムヤにできないほど追い詰められていた。言いながら、実感もするが。
「おれ……はッ……」
 骸が目を開ける。
 綱吉が追い詰められているのを本能で察知したのだ。
 ぎらぎらした灼熱の塊を――オッドアイは赤と青の二色で、この世のものではない畏敬の念を抱かせる。それを見上げながら綱吉は鳥肌を沸かせた。
 ヒントは?
 例えばさりげない場面に溢れていた。
 ヒバリと親しげに口をきく。彼は決して善人には親しくしない……クローム髑髏に接するときの骸はどうだ? リボーンには?
 綱吉と骸は、本来ならばまったく違う土俵に住んでいる者同士だった。鳥肌は気持ち悪いだけでなくて、ぐつぐつと煮えて、類い希な痛みにすらなった。綱吉は息ができなくなっていた。
「できない。骸が、ボンゴレ十代目を継承しなきゃならないオレが好きだから」
「…………」
 いつものように繰り返された質問のどの時よりも、長い沈黙だった。
 骸はピクリともしなくなる。強張ったのはほんの一瞬に見えたが、それきりで凍りついて静止した。
 綱吉もピクリともできなかった。
 けれど、的は射た――どうしようもないほどに確信した。骸の表情に変化はまったくなかったが顔色はどんどん白くなった。唐突に、ぬっと手が伸びた。
「……君が、憎いです」
「ゴメン」
 震えながらも一筋の涙が零れた。巻きついた超手は綱吉の首を絞めていた。骸が見開いたオッドアイは乾き切っていた。
「僕を見抜いてどうしたいっていうんですか? 君が嫌いだ。君を恐怖する。失望します。なんて薄汚い能力だ。失望する。君には本当に……現実の君は、どうしてそうも汚くてドブネズミのように醜くて、虫けらのように生き汚いんだ? それがゴミの本能か? 失望した。失望した! きみが愛おしい。なのになんでだ? きみは、愛してるなら、なんで?」
「ゴメン」
「君がきらいだ!」
 気がつけば綱吉はベッドに押し倒されていて、骸も本能にあらがおうとは思わなかった。綱吉には抵抗する気もなかった。生身で抱いて――初めての感触がいくつもあった。胸をときめかせるほどの隙間はなかった。
 結局は、骸は入室から三十分もせずに部屋を出て行ったことになる。




11.10.22

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