ちゃぷ。足を着ければ血の溜まりが待っていた。
 少年がひとり、先にいる。
 声をかける。彼は六道骸だと名乗った。
「はて……」表情をひとつも変えずに蒼い髪と蒼い眼を持つ青年は親指と人差し指とで自らの顎を挟んだ。
「その名前の男は既にフクロウに閉じ込めたはずですが」
「…………」
 真っ黒い世界で、ぽつんと佇む子どもは穢れた実験服を着ている。
 右手には長さの短い剣を握っていた。彼は静かに言った。それは僕の友達だよ。動揺もせずにそうですかと返して子どもを見返し、男は小首を傾げる。
 興味本位であるのを隠さない声音で、尋ねた。
「肉体をいただくが、貴方は、どうする? 阻むのですか?」
「…………」
 頭を左右に振る。
 子どもは、暗い方に向かって歩きだした。血の池がちゃぷんちゃぷんと足音を残していった。見送るとDも反対の方へと歩きだした。器さえあればDには充分だ。
 一方で、そのとき沢田綱吉の寝室では部屋の主がカーペットにゴロゴロしながらマンガを開いていた。
「あッ――」
 神経質にうめく、のは、頭に乗っている純白の羽毛のフクロウだった。綱吉は顔をあげずに棒読みで尋ねた。
「どうした」
「……僕に、触った」

 

 

 

 

虜の子鳥
<とりこのことり>

 


 図らずも飛び出たといった類の空声であり、彼自身でも意外だったようだ。今は、骸はフクロウの肉体を借りて綱吉と共にDの襲来を待ち受けている身の上だった。
 ムクロウと名前をつけられて、本人もその名を気に入って沢田家に同居中であるが。
 綱吉は、フクロウの真っさらな白い面から血の気が失せた気がして、カーペットに手をついた。身を起こす。
「触った? ……俺のことか? オマエな。オマエが勝手に乗ってるんだろ」
「そうじゃない」
 ムクロウの色違いの眼が、綱吉を睨む。右が赤で左が青で後頭部にはトサカ。
「――僕に――」ひりりと焼きついて、焦げるような、痰が絡むかのような言説だ。しかし自分が非難されたと思った綱吉には癪に触る態度である。
 手で頭を払い、どかそうとする。ムクロウが翼をはためかせた。
「てっ。うわ、暴れるな。ツメが引っかかって痛いだろ!」
 ムクロウはベッドに着地する。
 そして、綱吉を見下ろす。
「彼を誰かに触られたのは初めてなんです」
「はぁ? どういう意味だ」
「……しかし……」眼の色をくるくるとさせて部屋を仰いだフクロウは、はっとして、綱吉にまた視線を戻した。
「そうだ。君を使おう」
「……へ?!」
 語尾も視線も、ヒタリと綱吉に照準を据えた。なかば直感でこれから骸に利用されるのだと綱吉も理解する。
 実際には、骸はベッドを後退ってスペースを作って、綱吉に眠るように命令した。
「なっ! 何でだ。今すぐ?!」
「そうです。さぁ。寝なさい。お眠りなさい! 君の境界をホイホイと乗り越える無神経な図太さを今こそ使いこなすとき! さぁやるのですこの無神経!」
「て、てめえ、人に頼みごとあンのかけなすのかハッキリしろ!」
「気に入らないですが、眠りなさい。君の助けが必要だ」
 ぐっ、綱吉が喉を詰まらせる。例え完全なる棒読みだろうが、あの骸がそう言うならば逆らえない迫力があった。
「何が起きたんだ……? ってか、ぬ、脱がすな! いきなり何なんだぁあああああああ?! ぎゃああああ!!」
 クチバシでシャツを引っ張ってくるムクロウにおののき、部屋を逃げ回ったのは数分の間だ。骸の言に呆気に取られて、逆らう意思を見失った。なんでも綱吉が寝なければ骸は死んでしまうらしい。
「わかったのなら、さぁ寝なさい。あ、僕のコトは抱えて下さいね。抱っこです。胸にぎゅうっと」
「お、おまえ」
 疑り深い目付きになっていた。
「俺を騙してないだろうな」しかし綱吉は楚々と従った。シャツの前を開けて地肌を露出させて、そこにムクロウをうずめた。モコモコの毬でも抱いたみたいだ。
 ムクロウは、元から無い首を伸ばして地肌にべったりと付着する。
 クチバシが綱吉の顎の真下にきた。そこから声がする。
「勘違いしないように……。僕が好きで君に密着しているわけではありませんから」
「誰がそこを問題にした」
 言われなきゃ、意識もしなかったので綱吉は思いがけずに頬を赤らめた。
 フン、人間ならば鼻を鳴らしたような感じでムクロウがクチバシを鳴らした。取り繕った態度で翼を伸ばす。緊張でプクリと立っている胸に羽毛が掠って、綱吉は息を呑んだ。首を竦める。
「っ、く、くすぐったい」
「敏感肌なんですね。我慢しなさい」
「……なんでこんなことする必要があるんだ」
「君を侵すためです。……あっ?! ちょ、どこ行くんですか沢田綱吉! ここまできて諦めるやつがありますか! 諦めたらそこで試合終了なんですよー?!」
「アホくさっ!」
 ばっさばっさと翼を広げて暴れるフクロウに辟易しつつ、だが綱吉は胸元でモゴモゴ蠢く毛の固まりを抱くと再びベッドにダイブした。とっとと寝ようと思った。
「寝りゃいいんだろ。何があったのか知らないけどさ、これでうまくいったら今後一週間は俺の頭に乗るなよ。交換条件だよ」
「そ、そんなっ?!」
 ガァンと叫ばれるのは意味不明だが、綱吉は眼を閉じる。
 羽毛が地肌や鼻をくすぐる。ちょっと辛いが、だがそこを乗り越えればムクロウは暖かくて気持ちがよかった。ふかふかだ。ゆっくりに沈んでいった。ビニールでくるんだ水の寝床に飛び込んだみたいな速度で体が沈んでいくのを感じた。
 途中で、綱吉は目玉に被せていた皮膚を持ち上げた。ぱちり。辺りは暗い。体は虚空に浮いているが、自分の体は視える。
 何か、考えるよりも先に、急を要する事態ができあがった。
「のわぁあああぎゃあああああああああああああああああああああああああ?!!!」
「……ん。うまくいったようだ」
 声がシャツの中からだ。骸がぱちりと眼を開けた。メタルの折り紙が出てきたように、鮮やかな原色が闇を差す。
 綱吉よりも背が高く、手足の大きな十五歳の少年が肌にぴったりと吸い付いた。どうしてかシャツの内側に手を入れていて綱吉の背中を直抱きしている。綱吉は、彼に抱かれているために足が宙に浮いていた。
「はっ……、はなせ!」
 何も考えてなさそうな――そんなことは六道骸ではあり得ないが――、無表情を見上げて綱吉は焦る。
「おい。何だよこれはっ! はなせっ、くっ、このっ、どーなってんだよぉオッ?! 何でいきなり人間に戻って……、ひゃアッ?!」
 すすっ――、羽根先が掠める感覚があって、綱吉は硬直しながら悲鳴をあげる。
 骸が、腕の中で仰け反った体を見つめ、綱吉の顎に顔を近づけた。
 そのままで、すと、下ろしてやる。
 綱吉は肩でハァハァとしながら、ボタンが完全に取れてしまったシャツを手でよりあわせて肌を庇った。愕然と唾を飛ばす。骸の全身をよくよくと確認した。
「ンなぁっ!! なっ、ああっ、うえっ?! ムクロウッ……、の、羽根か? それ」
 骸は、腕を組ませて赤面する綱吉に冷ややかな観察眼を送る。
 綱吉が、人差し指を突きつけた。
「何だよそのカッコ!」
「精神世界ですから」
 オッドアイを細くしならせて、骸は自分の右手を顔に掛けた。
 腕には、羽根が生えそろっている。
 まるで鳥人間だ。首後ろも背中も手足の裏も真っ白い羽毛でフサリと覆われて、両腕の外側には長々した風切り羽が飛び出ている。どこかで見たことがある、咄嗟にそう思ってから綱吉は教科書で見た始祖鳥のシルエットを思い出した。あれとそっくりだ。
 頭だけが、骸――いや、人間らしく原型をしっかり留めている。
 ただし、小さな羽毛がうろこのように耳の傍に生えて、首もそうなる。小さな羽毛うろこは恐らく全身を浸食している。
「っ……。ど、どんな精神してるんだよ、オマエは」
「僕は、万能な男ですから」
「答えになってない!」
「僕は僕でありながら鳥でもある現状を正しく認識しているからこそこの姿。万能でしょう?」
「ワケわっかんないぞ?!」
「君はノータリンですから。これの言葉ってわかります? 脳が足りないってことで」
「誰が今ンなことを問題にしたァーッ!!」
 骸は、鳥人間になっていようが骸らしく皮肉げに眉を八の字にして嘆息をついた。口角をナナメにめくる。
 そして、腕を広げる。綱吉は自分の身の丈よりもデカいフクロウが翼を広げたかのような風圧を感じた。
 風切り羽を付けた右手が、鼻先に差し出される。
「いつまで腰を抜かしているんですか。いきますよ。ここへの接続経路は君が造った。君の傍にいなければ僕も夢から追い出されてしまう」
「……だ、誰の夢なんだ」
 答えは分かっていたが、綱吉は信じ切れずに念押しする。鳥の骸が頷いた。
「僕の、肉体が見ている夢ですよ」










***











「もっと正しくは六道骸の肉体が見ている夢です」
 その台詞に潜んだ意味に、綱吉は後になって気付くのだが。
 ひとまずは唖然と鳥を見返した。
「なんで、俺ってこうもカンタンにオマエの夢に入れるんだろうな。フシギだよ」暗闇に歩きだした骸の後ろに、ついていく。骸は振り向かない。
「さぁ。不思議ですね」
 そうだよなぁ。疑問は差し込まずに綱吉はなんとなく納得した気分になった。本当にフシギだよなと繰り返す。
 ややして、骸が納得できないという表情で綱吉を睨み付けた。
「っ。え。なんだよ」
「……いえ……。ちょっと、失礼」
「うわっ。オマエそのカッコであんま動き回るなよ! 落ち着かない――っていうか」
 顎を取られ、上向けられて眼の中身を直視されて綱吉は当惑する。オマケにボタンが弾け飛んだシャツの内側に骸が手を入れてくるではないか。
「な、……なに、するんだよ。おいっ! 変態か! さわんなよ!!」
「君が敏感だから、ですよ。触ってれば僕はすぐわかった。感じやすくて侵されやすい……大空のためにあつらえてある肉体だ」
 彼は、唐突に鋭く質問を重ねた。「君はどうしてボンゴレプリーモと外見がそっくりなのか疑問に感じたことは?」
「は、はあ?! っ、さわ、さわるな。羽根くすぐったいっつの!!」
「ボンゴレファミリーはなぜ家光でなく綱吉を後継者に選んだ? ……ま、僕は知ったこっちゃありませんよ。僕は、好きで君に構っているワケじゃないですから」
「さ、わ、んな! オマエが突拍子もなく変態なのはいつものコトだけど――、一個だけ、言うぞ」
「なんですか」
 そ、っと骸が手を引かせる。
 現実なら綱吉も好きには触らせないが、ここは骸の支配権が色濃い世界だった。そして綱吉は骸が苦手だった。
 ボタンがなくなって垂れるだけのシャツは、だが形式的にでも前を掻き集めて抑える。骸の眼には晒したくない気がした。
 骸を睨む、と、俯きながらなので翳った睨みになった。
「敏感だとか、犯すだとか、簡単に口にするのをヤメロ……! 悪趣味っつーか、オマエな、俺だからぎりぎり許してるよーなもんであって普通なら通報もんだぞ?!」
 赤と青の二つ眼が、広がる。驚きの意図よりも意外といった色味が強い。
 次には彼はどうしてか頬を赤らめる。
「誰にでもンなこと言ってたら僕が露出狂みたいじゃないですか。心外ですよ」
「はぁ?! 変態だろーが! とにかく俺に言うのはやめろよ! 気持ち悪いから」
「……フンッ!」
 機嫌を強烈に損ねたのだと、体ごとそっぽを向いた骸を見て分かる。綱吉は追求はしなかった。本当に、変な言葉を使って変なふうに言い含めるのはやめて欲しかった。聞いてる他の誰かが誤解したらどうしてくれるんだ、そんな恨み節も身に貯まる。
 鳥人間がスタスタと行ってしまうので、小走りになる。それきりで会話は途切れたが、ちゃぷん、ふと水の音がした。
 浅瀬にでも入ったような――、感触だった。薄い水の膜に踏み行っていた。が。
「ぎゃあああああああああああああああああ!!」
 骸が、腕や背中や尾に生えているフクロウ羽根をブワッと逆立てた。眼を丸くして振り返る。
 その場に飛び退いて、だがそちらでもチャプンッとするので綱吉はぴょんぴょんとしてジャンプを続けた。
「血っ?! うわあああ! な、なんだここ! 血の海じゃないか?!」
「あ、ああ。ええ。まあ」
「まあ、じゃねーっ!! 説明しろー!! 何だこれ?!! だあああああっ、ち、あっ――、なんで来た方も真っ赤なんだ?!」
 綱吉と骸は浅く張った血の池に佇んでいた。精神世界と言った通りに、骸は体にぴったりと吸着する黒服を身につけていたが綱吉は部屋着だ。素足なのだ。
 肩も膝もがくがくと震わせて、綱吉は恐怖がままに後退る。情けない声が漏れた。
「なッ、なんだよ。なんだよこれえ。うわあああっ。……っ、な、なんか、ねばっとしてる……しィ」
 あっという間に半泣きになった綱吉を見下ろし、次に血まみれの素足を見下ろし、骸が短く尋ねる。声が微細に上擦り、興奮しているとも聞こえた。
「気持ち悪いんですか?」
「あ、あっ、当たり前っ……。ひゃっ……、う、うわあっ……!」
「君、ボンゴレ十代目でしょう?」
「そおゆうのとこれ関係ないと思うんだけどっ?!」
 腰を引いて、全身をぶるぶるとさせながら涙目で睨み上げる。と、骸がその手首を掴んだ。綱吉の鼻先に自分のものを近づける。
「……骸は全然平気なのか」
「まァね」
 至近距離で、オッドアイがゆっくりと瞬きをした。
 次には、綱吉は骸の羽毛に背中を掬われていた。
 ばささっ、腕から生えている翼に当たりながら片腕で抱きあげられる。見つめあったときから、こうされるのだと予感はあった。綱吉は抵抗しなかった。助かるからだ。
 しかし口では素直に礼を言える気がしなかった。
 骸が、馬鹿にしたように口角をナナメに持ち上げている。
「我慢しててくださいね。ボンゴレ十代目」
「あ、……のなっ。こういうときだけ、そーゆー言い回しすんのはどーかと思う」
「クフ。真実だけを口にしてますよ、僕は」
 ばささっ! 羽音が立って、骸は血の池から浮き立った。どういう原理だったが綱吉はわからないが飛んでいた。翼がはためいてバサバサと鳴って、骸はそれを片腕でやっている。彼は鳥だった。
「……変なの……」
 ぼそ。文句のような複雑なニュアンスで唇を吹いて、綱吉は眼を細める。
 Dがここにいるのかと尋ねた。骸が頷く。
「ですが、向こうもこちらに会いにはきませんよ。僕もここでは出会わない」
「なんでだ?」
「僕と彼は肉体を奪い合っている。肝心の肉体を破壊しては元も子もない」
「……ふう……、ん。やっぱり、変なの」
「これは、Dに乗っ取られた六道骸が見ている夢の世界ですからね」
 その台詞に付きまとう違和感に、――綱吉は今度はピクリと反応した。骸の腕中にいたせいだ。
 骸を、見上げてみる。鳥に半身を覆われていても彼も六道骸だった。
「……――――」違和感を言葉にする作業に手間取っているあいだに、タン、音を立てて骸が着地する。硬い音だった。
 見れば、血の池がない。しかも骸の足はカギヅメを生やした鳥の肢になっていた。針金で依った骨に皮を履かせた、シワシワしている鳥の身だ。
 それも衝撃的だったが綱吉は子どもが蹲っているのに呆けた。
 暗闇に座り込んでいる。
 黒い髪を足元までザッと伸ばして、その髪で全身をくるむようなスタイルでいる――、十歳程の六道骸だった。
「……なっ! なに、これ」
「汚染されている」
 骸が苦渋を噛んだ。
 膝に手をついて――ふさっと翼の羽根が蠢く――、屈んで、声を掛ける。
「その姿、まるで茄子のようですね。誰のマネをしてるんですか」
「…………」
 返事はなかった。
 灰色の実験服が、髪の毛のカーテンから微かに見える。痛ましいものを眼にしたのと動揺に、綱吉はゾッと怖気が走った。
 子どもは、どこにも怪我をしていないのに満身創痍に感じる。ボロボロで傷だらけで散々に傷つけられた後だった。
 けれど、外傷はゼロだ。ややしてこれは超直感だとわかる。傷ついているのは子どもの内側だ。
 綱吉は、骸の後ろ姿を見ていた。子どもの傷が彼に転移して見えた。
 骸は、髪のあいだに指を押し込める。
 人差し指でそっと右側に髪を選り分けて、子どもの蒼白な面を拝む。子どもは眼を開けたまま死んでいた。
「…………」
「…………」
 骸と綱吉は、髪のあいだから覗き込んだままでしばし静止した。
 綱吉が、声を零した。
「どういうことなんだ? これって」
「死んでいる」
「おい。俺が聞いてるのはそんなワケわかんない漠然としたコトじゃない。この子はオマエの何なんだ? 何でこんな姿になってるんだ? これは骸だろ?!」
「子どもって、」言いにくそうな、語りだ。
 骸は悔やむように目線を伏せる。
「何でもマネをする。僕のこともマネをした。だから今回もそうしたんでしょう。いつもヒマだと嘆いていたから……」
「待て。誰の話をしてるんだ」
「その子の話です。聞いたでしょう」
 根本的な疑問が綱吉を足元から突き上げた。
 絶対に言ってはならない言葉だ、喉にきた途端に直感する。しかし言い放たずにはいられなかった。
「――――オマエ、誰なんだ?」








***









 六の紋を浮かべる赤い水面が、綱吉を振り返った。その次に平坦な青が振り返った。
 骸が、膝を伸ばす。ふぁさりとして風切り羽がなびいて、彼の足元で息絶えている少年の髪の毛を掠めた。綱吉は後ろに後退っていた。拳を握り締めてから、自分が、彼を怖がっているのだと自覚する。
 正体のわからないものを見る目になっていた。だが、綱吉は困惑する。
 死んだはずの子どもがますます傷だらけになっていく。外傷はないのに傷が増える。やめてあげてほしいと思った。
「…………骸?」
 だが、綱吉にはどうすることもできなくて、とりあえずは綱吉にも分かっている名前で鳥に話しかけた。
 彼は、静かに綱吉を見返している。
「…………」深くて底のない目の色をして、けれども、骸は両目を閉じた。詩の朗読のように淀みなく語った。
「なぜ、子どもが死んでいるのかも、聞きたいのではありませんか。答えてあげましょう。それはD・スペードが悪鬼であるから。僕は彼とは違って子どもを殺す気はなかったから。僕は、恵まれていない子どもには優しいと生前から自覚があったんですよ」
 目蓋を持ち上げると、遠い眼差しで死体を見つめる。哀れみも悲しみもなくて、ただ死を眺めていた。
 薄っすらと感じてはきている。綱吉は震えながらも確認した。
「骸。この子が六道骸なんだな。じゃあオマエは誰なんだ」
「僕、何歳に見えます?」
「……十五歳じゃないのか? リボーンから聞いたぞ」
「君の年齢にあと百年くらい足したらちょうどいいでしょうね。だけれど僕の意識だけの話だ。六道輪廻が開いたとき、いちばん最初に骸になりにきた。だから僕がここにいる」
 右目の方に手をやって、思いを馳せるように一人で三度ほど頷いた。
「この赤い目が、僕だ。この子は僕に任せれば実験の苦しみから逃れられると知って僕に任せた。僕は、そこにある道具を使ってエストラーネオを殺した。初めまして。綱吉くん」
 つなよしくん、と、その言葉の響きにゾワリと怖気が立った。言われたことがない余韻があって気持ち悪かった。
「――――。お、オマエが、フクロウに入れられて動揺したのって」
「この子を置いてきてしまったから。せめて苦しまずに意識を失ったのが救いですね。かわいそうな子どもでした……」
 手で目蓋を引っ張り、目を瞑らせてやると鳥は暗闇に子どもを横たえた。顔が出てくれば骸と瓜二つの幼子だった。
 骸は、一分ほど黙って祈りを捧げると両足を伸ばした。綱吉に左手を差し出した。握り締めるように言う。
「……えっ……」
 自分でも戸惑うほど、綱吉は狼狽えた。骸に触るのが怖くなっていた。
 彼はくすっとする。
「人間って、単純ですね。面白いです。真実さえ知らなければ君はその柔らかな肌まで僕に許したというのに」
「……へ、変なこと、いうな」
 釘は差しつつ、だが喋る最中から鳥肌が立ってたまらなかった。骸のオッドアイで見られて落ち着かなくなった。
 骸が、羽根を揺すらしながら手を出して、綱吉の手首を捻り挙げる。
「還りましょう?」
 彼は、しらっとしている。
「君の家に。僕たちの巣に。ここはもういい。掬うべき子羊は、死んでいた。僕らは還りましょう」
「ど、どうやっ、って?」
「僕に任せて」
 死んでいる子どもが、綱吉に物言わぬプレッシャーを放つ。骸の言に従うなんてとんでもないと思った。
 だが、見透かしたように骸が告げる。今までも君には何もしていない。どうして真実を知った途端に嫌がるのだと。
「聞いてないよ。ンなこと。だってそれじゃオマエは人間じゃないだろ」
「ではお尋ねしますが、ボンゴレファミリーの直系の血筋を持つ貴方が必ず人間であるという保証はどこに? 化け物の生まれではない自信がどこに? まさか、僕と同じように見た目が人間だからと安心しているのですか?」
「――――ッ」
 綱吉の脳裏に、ほんの少し前のことが蘇る。
 骸の鳥足を不気味がった。骸の鳥の半身を怖がった。
 けれど、フクロウの姿をしている骸も、人間の姿をしている骸も、外見だけでは怖がってはいなかった。
 外見から、正体が分かるからだ。
 フクロウは鳥で人間はほ乳類だった。
「……どういう意味だ。俺が人間じゃないとでも言ってるように聞こえる」
「判断は君に任せます」
 嘲るように、骸が口角をゆるめて笑う。綱吉の手はさらに強く握って、綱吉は身動ぎして悲鳴をあげていた。
「いやだッ……、さわるな……。俺が人間じゃないだなんて、ンなわけがない。母さんだってちゃんとしてるんだぞ」
「綱吉くん」
 暴れる身を抱きしめて、骸が耳にひそひそと語りかける。吐息が奥まで這入ってくる感覚で総毛立った。
「うっ……!」
「君だって、見た目は、ちゃんとした人間ですよ。綱吉くん」
「だ、黙れ。黙れよ! 酷いこと言うんだな!」
「クフ。フフ。怯えてますね、君……」
 悔しくなってきて、綱吉は暴れるのを止める代わりに骸を睨んだ。口で攻撃する。
「おまえ。オマエこそ、何なんだ? もう死んでるんだな? ずっと骸のフリをしてて何をたくらんでるんだ」
「僕は、この肉体が生きてる限りに生きているだけ……」
「元のおまえは何なんだ!」
「知りませんよ」
「どうしてまだここにいるんだ!」
「教えて欲しいくらいですよ」
 と、何でもないように答える骸だが、彼の向こう側にいる子どもがさらに煤けるのが綱吉には分かった。遅れて理解もする。今、初めて、骸が弱音を吐くのを聞いた。
 見上げれば、真上に骸の顔があって綱吉を覗き込もうとしていた。
 頬ににわかに生えていた羽根のうろこがそげ落ちていく。風切り羽からパサパサと落ちていって、骸と綱吉のまわりに純白の羽根が積み上がっていった。
 人間の姿になった骸が、そこにいた。
 綱吉は目を開ける。最初から目を開けていたはずなのに、二重に目蓋を持ち上げて変な気分だった。
 夜になっていた。部屋は真っ暗で、胸には暖かな毛毬がいる。毛毬が弾んでいる。息をしている。目覚めているのはお互いに分かっていたが、綱吉が喋るまでムクロウは黙秘を貫いた。
「……俺も、酷いこと、言ったかも……。ごめん」
「そうでしたっけ?」
 ムクロウは、とぼけた。もこもこした身を起こして、綱吉の胸に自らの胸毛を擦り付ける。綱吉はくすぐったさを耐えた。
「あの子がDにやられたとして、オマエにどんな影響があるんだ?」
「現実的には、何もないはずだ」
「そーゆうもんなん?」
「彼は、僕の上位に位置する存在だった。十年後の僕が牢獄を出なかったのも彼が望まなかったからだ。彼が僕の上位の意思決定をすべて行っていた」
「……へえ……」
 綱吉は、死んだ後の姿しか見ていなかったが子どものことを思った。
 夢の世界と同じように、シャツはボタンが弾けていた。綱吉は胸に乗っているムクロウの後頭部にある毛のハネを抑えて、頭を撫でた。
 あの子どもの痛みは、骸にも転移していた。聞いたときは驚いたが今はすべて受け入れられる気がした。
「もし、さ、オマエが肉体に帰れなくて戻るところを失っても――」
 ムクロウが、オッドアイを上向ける。
 綱吉がニッコリと笑顔になった。
「ウチで飼ってやるから安心していいよぶっふう! お、……おまっ、こ、このタイミングで頭突きするやつがあるか!」
「そう言うんじゃないかと思いましたよ。クフフフフ」
 顎下で、フクロウが蠢いて綱吉の顔にまで胸毛をのし掛からせてくる。小さく何かを言っていた。距離が極端に近いので綱吉にも薄っすらと聞こえた。
「君がボンゴレプリーモの肉体を保存する役割を終えたあかつきには、」綱吉の両耳に翼がかかって、フクロウが顔面に真正面から抱きついてくる。息も出来ない気がした。物理的に。しかし困惑する。
「骸? 何を言ってるんだ」
「君も連れて行きたい。僕は、いつか還るときがくる。僕の世界で永遠に可愛がってあげます……」
「…………?」
 目をキョトンとさせて、意味を考えようとする。手足から徐々に血が引いた。できるだけ深く考えまいと決めた、そのときだ。
 ムクロウが、クチバシで綱吉の唇をつついた。そうして呟いた。
「最後にひとつだけ、特大のヒントをあげます。特別ですよ? 恐らく君の長らくの疑問に答えるものだ。――『彼』はね――」
「……むくろ、は?」
「……同性愛がだいっ嫌いでしたよ。神さまを信じてたから救われたがってた、『彼』は」
 照れたように、フクロウが両目を閉ざしている。
「――――」綱吉はこれに関しては一秒間で今までのセリフを統合できて、フクロウの後頭部のフサを握り締めた。ベッドの外に全力で投げ捨てた。













おわり




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11.07.16