朧の銀
逃げちゃえば。炎真からの提言はずっと記憶の澱みに引っかかっていた。
(骸は、オレにはそうは言わない)
なぜだろう?
思えば、彼がボンゴレファミリーを憎んでいるからだろう。骸は心のどこかで綱吉が不完全な――か弱い存在であるのを、望んでいる。そんな気がする。
(骸は、オレがオレだから好きだって言う。でもそれって今から変わったらダメになるって意味、だよな?)
そもそも。本当の綱吉なんてものがいるとして、それは、ハイパーモードのときの綱吉ではないだろうか? 血潮に身を任せて敵に殴りかかるとき、何にでも勝てる気持ちになれていた。ハイパーモードの彼が結局はすべての事件を解決してきた。
「沢田家光が殺したんだ!」
炎真がもがき苦しみながら血反吐混じりの断罪を叫んでいる。目の前が暗くなった。
(むくろ。ほら、弱かったらダメなんだよ。弱かったら潰されちゃう――)父親が本当に罪を犯したのか、わからなかった。長らく傍にいなかった父親だ。彼もマフィアだった。
(おれは。弱いままだったらひとりなんだよ。強くならないと。せめて誰よりも――ならないと!!)
「綱吉!!」ば、ば、ば、プロペラがうるさくがなる中で、低音が響く。
雲雀恭弥だった。彼は自分の戦いを見ていろと言った。
「ヒバリさん……!」
夢中で、追いかけた。そして恭弥は一本の鋼で出来ているような人だった。
やがて姿を現わしたデイモン・スペードに、綱吉は眉間に寄せた皺を向ける。霧は裏切り者という歴史があるとリボーンから聞いた。
(オレの骸は裏切ったりはしない)
炎真に、ヒバリに、父親に、獄寺やリボーンに。彼らに対しては、さほど躊躇うでもなく骸は裏切るのだろうなと思う。
長らくは霧中に彷徨うような、覚束ない感覚を味わった。ヒバリは強かった。逞しくて凛々しくて、お手本のような人だった。
だが答えを見出したのは馴染みの感覚が薄まって五体に広まったときだった。
――りん、音もないのに鈴を感じ取って綱吉は顔をあげた。
「十代目?」
前をいく獄寺が、不安がる。
骸の気配がしたというとクロームの身に何がという話になった。六道骸は確かにこの島にきていると体が報せてくる。
(怖いな)そう思った。頼もしくなかった。
(骸の前で、全力で戦えるのか? オレは? あんなにオレが強くなるのを嫌がりつづけてる人のまえで?)
夢での邂逅を繰り返してから、骸は綱吉に好意があると教えてきた。綱吉も、弱さを容認してくれる骸を好きになった。
(オレが怖がってると助けてくれる。泣いてると慰めてくれる。でも、逃げようとは言ってくれたことがない……)骸は闇稼業から足を洗おうとも思わないようだった。不意に彼にとってはお気に入りの人形なのだろうかという気になった。可愛がっても愛してはいないとかの類の。
「骸のやろう、姿みせたらぶっ飛ばしてやる」
ぶつぶつ言いながら、獄寺が洞窟の出っ張りに足をかける。
「クローム助けにきてイイやつじゃないか」山本が後につづく。
綱吉は、城の上方を見つめつづけていた。
あの日に夢で見た、美しく浄化された世界を想った。あれが骸の理想だ。
(……骸は、純真な人なんだよ……)
心のなかでだけ二人に呻いた。
(骸は――)気弱で何にでもビクビクする――骸の助けを必要とする綱吉が、そんな綱吉でなくなったら、どうするんだろう? 骸は純粋で潔癖なきらいがあった。
(殺しにくるかな)
ぱっと思ってみたがぴったり嵌まる。
恐ろしいほど自分たちに相応しいよう感じられた。骸は綱吉を愛した過去を消しにくる。
(……好きなんだよ?)
記憶の中にいる彼は、たまに、冷たい目をしてこちらを見ていた。ボンゴレ十代目の立場を申し訳なくなる瞬間だった。それでも、彼は綱吉を憎いとは言わずに怯える身を励ましてくれた。
『好きですよ。愛してますよ。嘘ついてませんよ?』
にっこり、笑顔で優しく言葉を紡ぐ。
「骸は、」
しゃべりだした綱吉を、獄寺と山本がふり返る。
綱吉はまだ天を見ていた。
「……何よりも、自分の世界を大事にする人だから、何があってもクロームは守り通してくれるよ」
「へっ。騙してくるつもりに違いないですって、十代目」
「骸に会うのって十年ぶりってことになるのか? 未来の記憶があるとややこしーな、ははは」
「…………」自分で言ったセリフを脳裏で反復してみる。そうだ。骸は、自分を大事にしている。自分の理想を。
そこから綱吉が外れた場合は、何をしてくるか予測できない恐ろしさがあった。
『悪夢を怖がる綱吉くん、かわいい』少なくとも彼には気に入りの綱吉の状態があるのだった。しかもあまり有り難くない状態だ。ぼんやりと何をされるか想像ができる気はするが、だが綱吉は考えるのを止めた。
ただ。もう一度。戦う機会があるとすれば近い内の出来事だろうし、もはや好きとか嫌いとかの次元ではなくて生存競争とかを巡る――、途方もなく残酷で、むなしくて、互いを賭けた熾烈なものになる予感がした。
11.3.17
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