ハロウィンの狼さん




 

「トリック・オア・トリート!」
 右手を差しだし、笑顔で、イタズラか菓子かを選べと脅迫する。
 少年は魔女の帽子をかぶっていた。母親から借りている黒いワンピースを着て、足元は学校の革靴そのまんま。
「ま、魔女っ娘……」
 それが、対する遺言だった。
「クローム?」玄関で、驚愕の表情で凝り固まっている少女に、魔女たる少年が怪訝なふうに尋ねる。
 沢田綱吉は瞠目した。
「あれっ? そんなに怖かった?」
 ハロウィンパーティーの浮かれた空気は横にやって、不安げに肩を触る。そのときだ。
 どろんっ!
「のぁあああああああ?!!」
「くだらない!!」
 狼少女の仮装だったハズが、一瞬にして狼男となる。
 背も伸びて体格も固いラインになった。仏頂面であるが、六道骸は、頭には立派な耳を生やして、ふさふさの箒みたいなシッポをつけている。
 肌にフィットした青黒服で、しかもどうやら耳とシッポはピコピコ動かせるようだった。骸は綱吉を前に胸を張る。
「お、おまっ、むくろ! 久しぶりだな?!」
「女装なんてバカじゃないですか!!」
 頬を染めつつも、身を翻して骸はリビングに逃げた。
「え、ええ? 女装って……。何だよそのイヤな言い方! 予算のかからない格好っつーか仮装だぞ!」
 綱吉としては、恐ろしい魔女の仮装をしているつもりなのだ。
 ぴんぽん、チャイムが鳴る。
 次の来訪者を察知して、血糊の缶を手に取った。
「くっそ〜。じゃあ次はもっとベタベタに血まみれになってやる!」
「じゅっっ、十代目が魔女っ子おおお!」
「だあぁああああああ?!」
「うわぁあっ?!」
 獄寺が綱吉に抱きつくと、血糊が写って真っ赤になった。傍らで山本まで声をあげて仰け反っている。
 ひょこ。リビングから骸が顔を出した。大股で戻ってきて、後ろ襟首を鷲掴みにするなり、引き摺る。
「相変わらず騒々しいゴミ虫どもですね沢田綱吉! 君はこっちで僕に家の案内でもするがいい」
「ごめんね獄寺くん?! ああっ、包帯男の包帯が!」
「すばらしい演出ですーっ!!」
「嬉し泣きなんか?」
 フランケンシュタインの山本が、獄寺を覗きこむ。
 と、地上の饗宴を見守る吸血鬼さながらに――おおげさなブラックマントを翻して、少年は腕を組んだ。
 屋根の端っこに立ってはいるが、この世の生き物ではないので室内の様子は感じる。
「今宵は……」
 低い声が、しみじみと質問した。
 外である。まるい月が大きく浮かんでいた。
「かなり特殊で賑やかなフェスティバルのようだな、雨月?」
「拙者の時代にはなかった祭事でござる」
「仮装パーティーに見えるぜ」
 雨月の傍らで、G。
 残り火みたいな微笑を口許に固めて、デイモン・スペードが初代ファミリーをふり返った。
「近所のご友人まで掻き集めているようですね。五十人はいる。我らも仮装して参加するべきではないでしょうか? 初代の威光を示すチャンスです!」
「仮装して……?」
「仮装して……?」
 プリーモとGが、阿吽の呼吸で呟いた。
 眉間を顰め、スペードの服装を見つめる。仮装して――というか――もう既にやってる――ような。
 息ぴったりに、プリーモとGは目玉だけでお互いを窺った。
「…………」
「……まぁ、いいだろう」
 先に頷いて、Gからの無言の訴えに終止符を打たせたのはプリーモである。
 いささか様式ばった仕草で、伸ばした右腕を、ふり下ろした。
「参戦を許可する!」
「ワーイ!」
「極限だーっ!!」
 ランポウとナックルが万歳をした。
 スペードが、極めて常識的な疑問を口に出した。
「ンー、しかし、この場合はデーチモの許可を取るべきであってプリーモの許可ではないのでは? 今の私たちは指輪の亡霊ですからね……おやおや」
 喋り終える前に、全員が屋根から飛び降りて、スペードは一人で木枯らしに吹かれているのだった。
「ン〜。悲劇ですね!!」
 たいして悲しくもなさそうに、青年は、闇夜に向かって両腕を広げてみせた。



「……ん?」
 外から叫び声が聞こえた気がした。顔をあげる、が、髪を引っ張られた。
「い、いてててっ。何なんだよお前は!」
「よそ見するからでしょう?」
 オッドアイを半眼にして骸がうなる。
 綱吉の寝室だ。勝手にベッドに座って、骸は狼の耳をピコピコさせつづけている。まるで犬がシッポをふるみたいだ。
「いいですか。君には威厳というものがないんです。だれかれ構わず愛想をふってどーしますか! ボンゴレのボスが!!」
「お、おまえ、ボスにはなるなっていうくせに」
「それとこれとは違う。君の性格的な問題点をわざわざ指摘してあげてるんですよ!! いわば君のために悪役を買ってあげてるのに何ですかその態度は!!」
 人指し指を突きつけて、骸はいかにも親切そうに――少なくとも、そう聞こえる声で、しかし早口で怒鳴りまくる。
「そのままだと苦労するのはわかってるじゃないですか。君って押しが弱いから強盗とか来ても自宅にあげそうなんですよ! 僕はですねー、わざわざっ、実害が、出る前に――」
「ありがとう、デーチモ」
「なぁ?!」
 愕然として狼男がふり返ったときには、綱吉は眉を困惑させながらも窓を開けていた。
「な、何してるんですか、プリーモ」
 マントを翻し、口許に血糊をつけた吸血鬼が室内に降りた。
「食事の相手を探していたのさ」
 にっこり、鮮やかな笑顔で真前にくると、プリーモは肩に手をかける。
 綱吉は呆気にとられてただ相手を見上げる。と。
「いただくぞ――」
 悪戯っぽく囁いて、プリーモが口をあんぐりさせた。ナイショ話でもするように、綱吉の耳元へと顔を寄せる。
「え……」
 綱吉の目には、新手の侵入者の影が、満月といっしょに映る。
「んー」
 彼は、フリルのついたジャケットを広げて、手にしている竪琴をバラランと鳴らしてみせる。吟遊詩人――、らしい。
「愛の伝道師とはかくも美しき……」
 深青の瞳を見開かせ、唇でうっすら笑った顔のまま、飛び降りる。
 窓のそばが渋滞になった。背中を押されてプリーモが姿勢を崩し、綱吉を胸に抱えて、不満を口に出す。
「食事の邪魔をする気か? デイモン!」
 恫喝されても、スペードは調子を崩さなかった。
 んん、いつも通りにうめいて、少年の肩に手袋を潜り込ませる。
 綱吉をぐいっと抱き寄せた。
「大将を討つためにはまず馬を射よ……、この世にはそんな故事があるそうですね。デーチモ」
「う、うま?」
 ワケがわからず、オウム返しにする。
 どうやら馬呼ばわりの対象は自分らしい――、そう気づいたのは、骸が怒鳴ったからだ。
「沢田綱吉に何てことをいうんですか?!」
「ん〜、伝道中だというのに」
 こころもち唇を尖らせ、デイモン・スペードが必要以上に綱吉へと顔をやっている。
 キスされそうだとは思ったが綱吉には信じられなかった。
「あ、あの、どういう仮装なんですか」
「伝道師ですが?」
「むしろピエロだな」
 プリーモが、綱吉の手をつかみ、スペードとの距離を目測しながらも声を苛立たせた。ちなみにプリーモは犬歯に牙を差し込み、体が細くも美しい化け物役である。
 スペードは、右目の下にべっとりと血糊を塗っていた。でも光っている。ラメ入りの血液らしい。
「愛に従事する輩とは――悲劇的な結末を迎えてこそ。そうは思いませんか。ですから私は死んだ伝道師なのです! ん〜。美しい私です!」
「…………っ」
 綱吉が、絶句する。骸も何も言えなくなった。
 しかしプリーモは馴れている。
 一人、何事もなかったかのように話しかけた。
「デーチモ。食事の続きをしていいか? おい、霧の二人はでていけ。用無しだ」
「ンー。まずは馬から……」
「あ、あの……っ?!」
「沢田っ――」
 骸が叫んだが、だが声が小さかった。
 プリーモとスペードが背を向けているため、綱吉との間に壁があるみたいだった。
 眉を寄せ、骸が奥歯を噛む。
「――くぅ!」
 次には、三叉槍が狼男の右手に収まった。
「キサマら、殺す!!!」
「な、なんでそうなるんだっ?!」
 ギョッとしながらようやく綱吉がふり向くと、そのときになって、骸も歯を見せた。
 オッドアイを輝かせて嬉嬉として罵倒する。
「話し合いなど無用です! 今さら僕に媚びを売ろうが手遅れなんですよ!!」
「媚びっ? な、なんの話なんだ」
「うるさい奴だな」
「カルシウムが足りないのでしょう」
 プリーモとスペードが、ふり向かず、しかし肩越しには目玉の向きをやった。
 同時に綱吉の肩を掴んでもいる。
「いくぞ。デーチモ。もうちょっと食事のしやすい場所に……二人きりになれるところがいいな。オレは」
「ん〜。ご同伴します!」
「……」半眼になってスペードを睨むプリーモだったが、二人がかりで持ちあげられて、呆気なくも綱吉は足が浮いた。
「うわぁああああ!!」
 前のめりになり、お尻のほうが頭よりも高くなる。
 ワンピースがめくれてトランクスが丸ごとでてきた。
 後方から、派手にスッ転んだ高い音がした。骸が足を滑らせたらしかった。しかし青年二人は本気で興味がないのか、「ウエッ?!」と叫んでふり返ろうとする綱吉は無視して、窓から体を出している。
「あそこの暗がりは都合がいい」
「私は便利な男ですよプリーモ。例えばこんなときにデーチモを誘拐するのを手伝いますよ!」
「二人きりにしてくれないか?」
「それはダメですけど!」
 んー、鼻でうめきながらも断言してみせる。見透かすように両眼を窄めた。
「私は両手に花などというワガママはいいません。けれど私は花畑なら見たいのです。魂を賭けてもいいのです!」
「……見られて気持ちよくなる趣味はないんだが……」
 服の背中を二人に掴まれ、空輸されながらも綱吉は手足をバタつかせる。
 悲鳴のあとで、骸に向かって叫んだ。
「た、助けて骸ぉおおーっ!!」
「た、……助けますからっ……、すそは直しなさい。ともかく裾を!」
「ハアッ?!」
「ご近所にパンツ晒したまま誘拐されるなんて万死に値しますよ沢田綱吉!!」
「ハアァアア――――ッ?!」
「ええいいいです、わかっていただけないなら私がデーチモをいただく!」
「その手を離せデイモン!」
 向かいにある民家に着地し、屋根のうえでギャアギャアと騒いでいる間に、Gが駆けつけた。ゾンビの仮装だ。
「プリーモ! なにしてんだっ、子孫にまで迷惑かけんじゃねー!!」
「うッ」「!!」プリーモとスペードが、仰け反って綱吉の服を離した。ほとんど同時に別々の方角に走っていく。
「すまねーな、デーチモ! 後でキツく言っておくから!!」
 言うなりGは全力で駆け出した。プリーモが逃げた方角へ。
 入れ替わりで、骸が屋根に飛び移った。
「沢田!」
「うっ、うう、何がなんだか――」
 ぐい、服が引っ張られた。顔をあげれば、めくれていたワンピースの裾を下にやって骸が顰め面をしていた。
「……っ、う、うわきもの……」
 風に混じってほとんど聞こえない程度の声量である。
 恨み節に対して、綱吉が反論するスキもない。
 骸は屋根を飛び降りる。顔を出したとき、地表にいるのは狼少女だった。
 クローム髑髏が黒いワンピースの前にしゃなりと手を重ね、まっすぐ立って、屋根のうえの綱吉に向かって小首を傾げる。やわらかく微笑んだ。
「わぉーん?」
 狼の耳が、ピコピコ動いた。
 耳の仕掛けを褒めて――そう言いたげに頬の上辺を染めている。この少女は六道骸よりもずっと素直でかわいらしい性格をしているのだった。
「…………っ」
 意表を突かれて、先程の骸の言葉が脳裏を巡った。重いものがため息もしていないのに綱吉の喉から落ちた。
 言うときには、なぜだか、頬が熱くなる。目が乾いた。
「か、かわいいね。その耳……。すごいよ。幻術なんだよな」
「ありがと。ボス」
 嬉しそうにクロームが笑った。
「骸さまにもボスが喜んでたって伝えておくね。骸さまのアイディアなの」
「…………かっこよかったよ」
「うん、そうだよね」
 クロームは目を伏せる――身に覚えが無くても移動している、つまり骸の痕跡はいつも彼女の足元にあるのだ――冷えたコンクリートから顔をあげると、いつにも増して優しく綱吉に密告した。
「骸さま。拗ねちゃった。話しかけてもまったく反応してくれなくなっちゃった。今日会うために張りきってお力を溜めてたのに」
「…………」
 頬を、爪の先で掻く。しぶしぶと綱吉はうめく。
「た、大した理由のケンカじゃないから。次に、あ、会ったら、優しくする……」
「ありがとう。ボス、やさしいね」
 クロームは、シッポを振る代わりに、耳をピコピコさせている。










おわり



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