僕が永遠に不幸であることについて
くだらない。実にくだらない。駆けつけたときには既に沢田綱吉は戦闘を始めていた。
グローブを両手に嵌めて中央の宝石を光らせて、額に炎を燃やしている。家庭教師が突き止めた一門へと鉄槌をくだした。
「はあぁあああああ!!」
叫んで、結んだ両手を振りかぶり、男を地べたに沈める。
「十代目!」
「ツナ!」
ワゴン車のスライドドアから、守護者が飛び出ていった。山道の半ばから綱吉が戦っているとは予感できていた。
「み、みんなっ?!」
「迂闊な行動は控えろって言っただろーが!」
舌打ちするのは、遅れてワゴンを降りる家庭教師である。
空を横断して、少年が降り立つ。
「ゴメン。敵が日本にいるなら、一刻でも早くたたき潰すべきだと思った」
いつもとは喋りが違う。やや高飛車で鋼の意思を感じさせる、声音。ハイパーモードに移行すると沢田綱吉は人格がズレる。
千種に肩を借りてワゴンを降りた僕に気が付くと、綱吉は驚いたふうに目を丸くする。
あちらは制服で、こちらはサイズの合わないシャツに七分丈……にしか見えない、ズボンだ。沢田綱吉の服らしかった。
「歩けるのか」
「頼んでいませんよ」
開口一番の台詞で、獄寺隼人が鬼の形相になって僕を睨んだ。
当の十代目は、だが頷く。浅く唇を左右に開けた。
「わかってる、――さ!」
銃声が轟き、綱吉は右腕で虚空を掴む。指を広げればパラパラと焼けたアルミのような塵が落ちていった。
「敵は把握してんだろうな!」
山林で、ボンゴレファミリーの強行作戦が始まった。
「十五人!」
「よし。広がれ!」
「ああ!」
「――これであと十三人!」
リボーンの指示に山本武が従い、日本刀を引き抜く。その前方でボンゴレ十代目も配下のものを薙ぎ倒した。
火の粉が散るが、だが山火事の気配はまったくなかった。アレの炎はふつうの火災とはまったく違うエネルギーだ。
そのメカニズムを目測しては推しはかる、それが僕のいつもの手段だが。そんな心境ではなかった。
「骸さんっ!」
「……加勢してやれ」
「あい!」
犬が走っていった。千種は、気遣わしげに僕を見たものの犬を追いかけた。
移動中の説明で、マリオンファミリーの財政状況を聞かされた。急激な資金難に喘いでいたという。
(ボンゴレの足元を崩して……、彼らの目が逸れている間に、資金源をつくろうと、)
ボンゴレもまったくの無関係ではなかったということだ。
(……僕が牢獄に入ってから財政が悪化したんだな)
口惜しさが、胃を圧迫する。
「うおおおお!!」甲高い雄叫びが木々の開けたところをよく通っていった。はっきりいって煩い。
綱吉を睨み付けた。大男を殴り倒している。ハイパーモードになってさえいれば、顰め面をしてようが本心はどうだろうが殴りつけられる――彼はそういう男だ。
(なら、君は顰め面をして人を殺して悪事ができて……、それで認められる世界にいけるんだ。僕とは違って!)
守るためには凶暴になれる、と、それはマフィアらしい資質なのかもしれない。
「……ぐっ!」
辛酸が込み上げてきて、ワゴン車に片手をついた。咳きこんで、手を離してみれば真っ赤なものが手を染めた。
「――――」内臓が軋む。髑髏の意識が深く昏々と眠り続けているのと、僕の幻術が弱まっているせいで、内臓が消えかけてきているのだ。
「……う……」
跪くのだけは、寸でで堪えた。
口角の血を親指で拭う。
戦っている、音がする。僕だけが戦えていない。みじめでとんだ仕打ちだ。
(僕に恩を売っただなどと思うな――)
戦っている後ろ姿を睨もうと、すると彼に迫るものが『みえ』た。
鋭いものが喉を掠めた。この場に、高レベルの幻術師が混じっているではないか。
(…………)幻術の波が、空を縦横無尽に飛び回る沢田綱吉を追っていた。高速移動中はまず捕まらないが。
「最後だ!」
綱吉が揚々と叫び上げる。
さいごの一人――、なら、そいつがファミリーのボスでありながら高等な幻術師なのだろう。綱吉は。直線上に立てば終わりだ。幻術に捕まる。
「はぁあああああ!」
頭から、綱吉はただ一人立っている男に突っこんでいく。中肉中背で、覇気のない顔をしている男。マリオンだ。
波飛沫が、飛び散った。虹の色をした波で綱吉はそこに自ら沈もうとする。
(……死ぬ?)
彼が? なんで? いちばんに沸いたのは疑問だった。
どうしてたくさんの罪を犯している上に未来に希望もない僕ではなくて。彼が死ぬのだろう。
彼は罪人になるだろうが、まだ何も犯していない子どもだ。
「……これだから」
食い縛った歯茎の間から、うなる。
「――大ッ嫌いなんですよ!!」
天に掲げた手のひらに、重たい感触がめり込んだ。使い慣れた三叉槍の重みだった。握り締めて大きく歩を踏み出し、着地したときには綱吉が僕のそばにくる。
「骸っ?!」蓮の蔓に、綱吉の片腕が搦め捕ってあった。
「む、むくろ?」
「君はまだだ。まだ死ななくていい!」
男の断末魔が木々を渡った。僕が掲げた槍には虹色の海が連なっているが、つまりは巻き取って破壊したのだが、綱吉達には男が単に吹っ飛ばされただけに見えるだろう。
真正面に向かって、怒号を散らしていた。
「いけッッ!」
この一瞬がチャンスだ。
「!」状況が理解できずに推進力を断っていた少年が、ハタとする。炎が真横を通り過ぎていって、その風力に巻かれて僕は膝を折っていた。
横倒しになって、そのまま転がる。千種と犬が血相を変えて叫んだ。
「くっ……、平気です」
土に手をついて、顔をあげる――、三叉槍も地べたに寝てしまっていた。
「幻術が……。沢田綱吉がアレを倒すまではまだ近寄るな――」
気が付けば、叫んでいた。
「犬!! 千種!!」
目を剥いた。
三叉槍で巻き取った幻覚の波が、駆け寄ってこようとした二人の胸を凪いでいた。二人とも呆気に取られていた。
左側に、その体が吹っ飛ばされる。そちらには崖があった。
「――――」
息ができなくなった。内臓がズシッと重みを得て全身の不調も何もかもがなくなった。フルパワーの幻術に切り替えるなり、駆け出していた。
滑空するような感触だった。走っている実感も、肉体感覚も何もないのに景色がスクロールする。体中から脂汗が噴く。差し出した両腕に、ズシンッと激痛がきて、ようやく二人に届いたのだと悟れた。
彼らもすぐさましがみついてくる。見れば、崖下に体を落とした二人がポカンとなって僕を――。
安堵から息を抜いた、次の一瞬だった。
「あっ」
真後ろでマヌケな響きがした。
振り返る猶予もなかった。横にやっただけの視界に、猛スピードで沢田綱吉が突っこんできてそのまま僕の真横を通り過ぎた。
急ブレーキを、片足でかけようとしたらしいポーズだった。だけれど炎の推進力が邪魔をして彼を虚空に投げ出した。
(なっ――)
信じられなくなった。しかも今のは、額の炎が消えていた。
(な、)なんでだ。犬と千種を助けるために一緒に追いかけていたのか? 綱吉に注意が逸れた途端に、がっと両腕が重みを増した。幻覚で肉体を増強するにしても限界はすぐ目の前だった。千種と犬は僕の腕にしがみつきながら半分だけ落ちた身を引き上げようと、崖を懸命に足で掻いて昇る。
綱吉は、頭を下にして、落ちていこうとする。
「沢田……」
呆然となってただ呻いた。
「骸さん!」絶叫したのは犬だった。僕の右腕をぐいぐいと引っ張る。
「離していいびょん!」
「!!」
耳を疑い、二人に顔を向ける。千種も顔を顰めながらも僕を見ていた。すべてを了承している目だ。
「骸さまっ!」
いつからだろうと、思った。
どうして二人とも僕があの男にはやや惹かれているのを知っているんだろう。もしかしたら、彼なら、これから先も穢れずに生きてくれるんじゃないかと願っているのを知っているんだろう。
見捨てる、と、その字の並びが頭にシミついて焦げた。脳みそが茹だるような衝撃がすぐ激怒に取って代わった。
「――沢田ァ!!」
肺の底からがなる。だけれど、それだけで、僕は千種と犬の腕を強く握りかえした。
崖にしがみつく彼らの手助けになるべく、両足を土にめり込ませる。高身長の体を活かして後ろにグッと伸びた。
「はやく上がりなさい、二人とも」
落ちていく彼の姿が遠目に見えた。あっという間に点になる。
「十代目ぇええええええ!!」
獄寺隼人が奇声を発しながら横に駆けつけた。どけ! と、僕の肩を突き飛ばしたのは家庭教師リボーンだ。
ピストルを構えるなり、一秒待たずに早撃ちをした。
「…………」
パァン! 銃声音を聞いた。
僕は、目を閉ざす。二人が這い上がってくるに従い、腕の重みが減じた。振り返ってみればマリオンは倒れていて、僕を戒めている枷も消えていた。
間を挟まずに、ボンゴレ十代目が炎を操って浮上した。
「すまない。リボーン」
死ぬ気の炎が額にある。小言弾を受けたのだ。
隼人やリボーンが一息をつくなかで、蹲って荒く息をする千種と犬の肩を叩いた。綱吉からの視線は感じるが顔をあげようとは思わなかった。
そうして、戦いは終わった。
リボーンがいくらか僕の話を聞きたがった。マリオンの情報だ。
「後でまた話聞かせろ、いいな」
「いいでしょう」
ファミリーのドンだった男は、身ぐるみを剥がされて強面の黒服たちに囲まれている。裁きがあるのだろう。知ったことではないが。
素直に応じたのは、リボーンのさめざめした眼差しが鬱陶しかったのも理由だ。見捨てやがったな、と、その感情はボンゴレファミリーに共通するものだろうが、やはりこれも僕の知ったことではない。
「…………」
ポケットに手を突っこみ、踵を返す。
話が終わるまで待っていた犬と千種は今度は二人揃って硬直していた。同じ方角を窺っている。
沢田綱吉だった。彼も、待っていたらしい。千種たちを気にしながらもわざわざ小走りで僕に駆け寄った。
「なんだって?」
「……あと少しの辛抱だそうで」
「そっか。よかったな! オマエ、歩いてて大丈夫なのか?」
小首を傾げ、目をぱちぱちさせる。
制服は、ネクタイを解いているせいか開放的な印象だった。綱吉は背中の後ろに両手をやっていた。
「一時はさ、どーなるかと思ったよ」
まるで友達に話すように喋る。違和感はあった。しかし指摘は憚られた。
僕と彼が、友達ではないからだ。
「……感謝はしませんよ。そちらが先走っただけだ、沢田綱吉」
「あ。いいよ、オレのこと呼び捨てで」
オレもなんか呼び捨てにしちゃってるし、気後れしたように言う。
言われてみれば、年下のくせにこの男は僕を好き放題に呼んでいた。生意気で可愛くない印象はそのせいか。
「……綱吉?」
覚えているファーストネームを声に出してみる。
「うん」
笑って頷かれた。
と、粘度の高いものを感じて目をやれば、獄寺隼人が納得できないと鬼の形相になっていた。目が合うなり、つかつかと歩み寄ってくる。
「テッメー、よくもまーヌケヌケと十代目にお話ができるな! 見捨てやがっただろう、このクソヤロウが!」
「くっ。僕は、綱吉とは縁もゆかりもない人物ですから」
「あっ、まって。骸。戻る前に」
踵を返したが、背中越しに見れば綱吉はやはり笑顔のままだ。嬉しそうだった。
「さっき、崖の下で見つけたんだ」というと、落下中だろう。新手のイヤミだろうか。そっと、彼は背中側に隠していた左手を出した。
「花が咲いてたから。一日、遅れちゃってゴメンな」
一輪の白い花があった。
それを差し出すなり、彼の綻ぶような笑顔はもっと酷くなってニコニコになる。誕生日おめでとう。その発音で喋った。
「……――」
視界がホワイトアウトするのがわかった。
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