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明日も不幸であるとしか思えないことについて
嫌いだった。何がといえば、まずは生理的に。
誰しもが生まれも育ちも異なるのは当たり前だが、彼はそのスタート地点から既に迷走している。そこがいちばん受け付け難い。マフィアのボスを約束された身の上でありながら、ひどく純朴な――悪く言ってしまえば愚かな目付きをしている。無知で臆病でカッコの悪い男だった。
こんな男が、だがボンゴレ十代目なのだ。あの九代目が選んだ天子だという!
(間違いかと思った。けれど僕の理解を超えた采配は楽しみでもあった。実際に彼は、僕を……、打ち負かした)
それが気に入る気に入らないは置いて、とにかく事実だ。
十代目は、仲間に支えられる喜びも守る喜びも知って単なるガキとは一線を画してきている。以前の殻を脱いできているのだ。男を知った女のように。
あまり見たことがないタイプだ、と、そう思うようになったのは最近だ。
僕の知っているこの手のタイプは、搾取する対象だ。
けれど沢田綱吉は搾取はさせても何かしらのものを相手からも奪っている。奪う? 与えているのかもしれない、思い直す。
(……まぶしい)
彼の炎に触れたとき、そう思った。
明るかった。光りの塊だった。温もりは知らなかったが体中が火照った。
(嫌われただろうか)
少しだけ心配になった。暗闇が僕の四方を包み込んでいた。
(死ぬほど嫌いなんて言って)
人を信じる気にはなれない。特にこの日はそう思う。特別な一日だった。
研究所の大人達の顔が思い出せた。僕は割りと殺した人間の顔を覚えていた。彼らの末期の引き攣った顔を思うと、少しだけ癒された気分がした。
記憶を洗っていくと僕は意外に彼らの所業も覚えているのだった。誕生日に、チョコレートを貰った。
誕生にはランチアがランチをおごってくれた。
盗品をプレゼントされた。翌年には千種と犬はお小遣いをやりくりして貯めて、大きなホールケーキを三人で食べた。
去年は。
(去年の今頃――は――)
記憶を探る。闇に、色がついて気色が広がった。あぁそうだった。
去年は一人でいた。
千種と犬とランチアは当局に捕まって、それから僕はとある廃墟で潜伏した。朝も昼も夜もずっと一人だった。
判断は間違っていなかった。拘束されるなんてまっぴらだ。
だから、影武者であるランチアを六道骸としてハゲタカに与えて、僕は安全な場所に悠々と身を隠した。
だから、一人だった。
――その日、日付は知っていたが祝う気にはならなかった。出かける気もしなかった。僕はジッとしていた。
(あの時間は好きだった)
まるで、死んだような気分で生きていられた。
海の底にいる貝だ。海上に思いを馳せる……。冬眠する熊だ。穴蔵に眠りながら春を夢想する……。世界の終わりを待ちながら、世界の美しいところだけを噛みしめるのだ。
じー、りりりりりりり。
羽虫がいる。廃屋のソファーにうつ伏せて横になり、僕はただ時間が過ぎるのを待った。特にすることがなかった。誕生日なんだからと休憩しようとは決めていた。
けれど、することがないのは、仕方がないのでただ呆けた。
破けた窓から緑があふれる。窓の枠を越えて枝葉がうごめく。じり、じー、音が響く。静まりかえった廃墟を音がうずめて僕という存在を薄めていた。
僕は、死んだ後のことを考えた。
この身はどうなるんだろう? 右目に吸収されるのか、あるいはゾンビのように死ねない体なのか、六道輪廻の瞳も、憑依弾も、適合の果てに何が待っているのかは誰も知らなかった。僕は、強大な力を操れる割りにこの力の源泉が何であるのかは知らなかった。
(…………)
りー……。虫の合唱も次第に遠のく。いや、音があるのに感じなくなる。
静かだった。
シーンと静寂が木魂する。僕の中に染みて這入りこんでくる。胃が酸っぱくなる。いつしか千種と犬を思い出した。ランチアはともかくあの二人がいないと、僕の世界はとてつもなく静かで、死の世界そのものだった。
(……次がある、なら……)
二人と一緒に投獄されてみるのも面白いかも、しれない。
少なくともきっと退屈はしない。
――仲間を助けるために囮になるとは――
嗄れた声が響いてくる。夢の中にいるのだとソファーから思い出した。復讐者は驚いていた。僕も内心で驚いたが、だが、千種と犬は二人で逃げるならどちらも退屈しないだろうと思った。
一人で助かるより、そちらのがマシに思えたなら仕方がなかった。
そして辿り着けない世界があるのを知った。
(僕は……)
ひとりだ。僕じゃない誰かが僕の中で呟いて、僕は頷いた。足元をみれば幼い日の僕がいる。
目蓋を持ち上げる。体をぴくりとさせるのすら重労働になった。室内は暗かった。
「……さわ……だ……?」
渇いた喉を搾るが、返事はない。
(ぼく、一人か)まさか沢田綱吉に放置されるとは、少し意外だ。――なんで落胆しているのだろう。
(においがする)
僕とは違う、何かの臭いが布団やシーツに残っていた。
体臭なのか、目に見えない微生物の発する香りの複合物なのか、しかしヘルシーランドのソファーにはなかった臭いだ。なんて居心地が悪いベッドだろうと思う。目を閉ざした。やはり沢田綱吉は信用できない。
そうして、――次に目を開けて、朝日でいっぱいになった寝室を拝んでも沢田綱吉は戻ってこなかった。
「…………」
寝返りを打つ。ベッドの端で手を伸ばし、そこで床に置かれたペットボトルに気が付いた。
水を――、口にできても、気は安まらなかった。
(手を……打たなければ)
衰弱が激しい。出遅れは、今はすなわち死を意味する。
(少しでも力が残っている間に解決しなければ。マリオンの……、近親者に契約者はいるが――)目を閉じ、意識を研ぎ澄ませる。憑依弾が必要になりそうだ。
と、だがベッドを立たなければならないのに、体に力が入らなかった。どれだけの時間をジッとしていたかは定かではなかった。
唐突に、扉が開いた。
枕に頭を置いたままで、荒い息を飲み込んだ。ボンゴレの右腕を自称する男だった。彼はこちらを見つけると肩を怒らせた。
「――今日は、もう六月十日なんですか?」
「はぁ?!」
彼は、喉で怒りを堪えた。
「バカヤローッ……。なんでテメーが十代目のベッドにいんだよ。テメーだな。何を言いやがったんだ」
「?」
「ああ見えて気にされるんだよ。繊細なハートをお持ちなんだ! 追いつめただろ! 十代目は一人で行っちまった!」
「…………ひとりで?」
ガラガラに擦れた喉が、痛んだ。
向こうはあくまで確認のために部屋に飛び込んだらしい。舌打ちして取って返ろうとした。呼び止める。
「沢田綱吉に何かあったんですか?」
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