今、ここにいる不幸について
六道輪廻の眸というものが出来上がったらしい。
憑依弾研究の副産物らしいが、その能力は憑依弾を凌ぐ可能性があるらしい。僕に移植する前に、子ども部屋のあの子とあの子、それにあいつと、あと名前は知らないが顔は知っているやつが八人。全員、子ども部屋には戻らなかった。
(僕もここで死ぬのか)実験の椅子に座らされている横で、子どもがわめいている。
犬、千種と呼ばれている子たちだ。
僕と同時期に子ども部屋にいれられたから長い付き合いだし、ある程度の性格も知っている。犬とかいうほうが前歯を手で抑えた。
「イヤだびょん! チャンネルなんかいらねーびょん!」
「うあ……」
千種はニット帽子の頭を抱えて座りこんでいる。
あのニット帽の後頭部に、手術痕の十円ハゲがあるのはみんなが知っている。
彼らが実験椅子まで引き摺られていくのを横目にしていると、注射針が視界に入った。切っ先が目のふちに触れる。
「麻酔、入るぞ」
合図は僕に向けてじゃない。
「ハイ」
「わかりました」
実験椅子を囲んだ助手たちが、応える。
こめかみに麻酔針が潜った。皮膚の下の薄いところを細くて硬い異物がくぐる。――痛い。痛みと違和感から眉を寄せる。やがて視覚を失った。
酔い、という気分が僕にはわからない。でもこれはきっととびきりの悪酔いだ。
「おい、生きてるぞ……」
誰かが気味悪がっている。
手が、動いた。
固定ベルトは外されている。
白衣の女の細い手が、僕の手を掴んで何かに近づけた。
「すごいわ! これを持ってみなさい。六道輪廻の瞳と対になるはずの――」
「おい、まだそれは持たすな」
「――――」そうしなければならない気がして、細い筒に飛びついた。冷たい。
眼球の右側が動いた。眼帯の裏、閉じた目瞼の下で右目がギョロギョロ蠢いている。僕自身の左側の目でそれを見た。武器だ。三叉の矛のような……、いや、よくみれば先端が両刃になっているから、三叉の剣だ。両手で握りしめていた。
「おい!」
誰かが肩を掴んだ。
別の誰かも三叉剣を取り上げようとしている。
右目がギョロギョロと疼く。生まれたてのモンスターが、根を張る場所を求めるように、神経すべてが粟立った。噛んだ奥歯のすきまから呻き声がでる。――この目は僕を殺そうとしているのかもしれない、でもそれでも構わないと思った。
武器がある。右目が熱い。
「――――っあ?!」いちばん近くにいた研究員の、胸を刺した。赤い血が白い手術服に散らばった。
鎖を失った野獣のように椅子から飛び起きた。右目のギョロギョロした感じが気になるが、体は軽いし、左目もよく見えるし、面白いように人が斬れた。
人の血はなんて臭いのだろう。噴き出た瞬間は燃えるように熱くて、彼らが生きていたことを深く知る。
暴れん坊のニッキーも大巨漢のポルノもグラマラスなアマーリアも、皆、死んだ。
「コラ! 何をする!」
「――」いやに鋭く尖った嗅覚が、右手を掲げるように命令した。掲げると、真っ二つに割れたピストルの弾が、僕の左右をすり抜けた。
「うわーっ!!」それを見て所員が悲鳴をあげる。懐に飛び込むなり、僕は彼の額のド真ん中めがけて剣を突きたてた。
頭蓋骨が硬くて剣が弾かれたが、三度もやると奥へと入った。殺せる。
新鮮な血液の臭みが視界いっぱいに噴きだした。汚い噴水だった。
気がつけば、僕は死体の群れに一人で立っていた。
胸が弾むことも息があがることもなく、さめざめした感情が胸を冷やした。
「……――――」
(なんだこいつらは)
白衣を着た研究員たちの死に様を冷静に思い返してみる。とんだ失策だ。こいつらは決定的な間違いを犯したから死んだ。
(僕よりバカじゃないか)血は臭い。血のプールから立ちのぼる死臭が鼻腔を冒して頭を殺って、右目はどうやら満足しているようだった。
視線を感じた。
犬と千種だろう。
知らずに笑い声がこぼれていた。
くふ。自然と漏れて、こんな笑い方ができるようになっていたのかと思った。僕の頭はとっくに狂っているのかもしれない。
天才だと褒められたが、研究員にとっては、死んでもかまわない天才だしうかつに武器を与えても何もしない天才だった。まったくもって価値のない評価である。
「クフフ」
無性に嗤いたくなった、
「やはり取るに足りない世の中だ。ぜんぶ消してしまおう」
つけられたばかりの眼帯をベリリと剥がす。まるで眼球で呼吸ができるようになった気分だ。とてもすがすがしい。
目をまんまるの皿にして、こちらを凝視する眼差しは二人分。
犬と千種は命を失った泥人形に見えた。彼らを殺そうとは思えず、一緒にくるかと尋ねてみる。彼らは両目をうるませて頷いた。
(あぁ、)この子たちも、殺したいほど、ここにいる大人を憎んでいたんだ。
それがわかるとほんの少しだけ救われた気がした。
僕の本来の右目は摘出されたのに、どうして今も『見えて』いるのだろう。どうしてフシギな力が体に宿るのか。
「それも詰めるんです」
めぼしい研究成果と難しげな論文をいくつかアタッシュケースに詰めてから、僕たちは研究所を出た。
エストラーネオファミリーの研究所で、大人がみんな死んだことはまだ子どもしか知らない。
「うわぁ、すっげー! 外だ! 夜空だ!」
「月がみえる」
研究所から町に向かう石畳の上を、子どもが跳ねる。
道の両側は森だ。エストラーネオファミリーは、悲鳴が誰かに聞こえないように、町から離れたところに研究所を建築した。
犬は赤く汚れた両手を広げてジャンプをつづける。
千種は物珍しそうに月を見る。
僕も月をちゃんと見るのは初めて……、初めてなんだろうか。
(でも、夜の間の外出は許可されていなかったから……)きっと初めてだろう。
「クフフ。これからはいくらでも見えますよ。月もお外もね」
僕が喋りだすと、犬も千種も水を打ったように静かになる。
僕へと全神経を向ける。
僕は、彼らにとっては神にも等しい存在になったようだ。目つきを見てればわかる。
「むくろ、むくろ、……むくろ、むくろ」
教えてやった僕の名を、犬がしきりに繰り返す。そうして両手をこぶしにして吼えた。
「むくろ、すっげー!! 超すっげ! すげえ!!」
「クフフ」
なんとなく、僕らに名前をつけた日系イタリア人の気持ちがわかった。確かに犬はカーネドッグだ。犬。それもバカな犬。
と、月明かりに血だらけの服が照らされているから、まずいなと思った。
「どこかにアジトを構えましょう。そこで、服と、食事もどうにかしなければ」
「やっぱりみんなと一緒に研究所にしばらくいたほうが」千種は、僕がここを出るといったときから少し不安そうだ。薄く笑いかけてやった。
「あそこにいたら殺されますよ」
僕ら以外の子どもは、あそこに留まると言った。血だらけの僕を怖がっていたし、強く説得する道理もないから放っておいた。
「直にファミリーの関係者がやってくる。連絡が無いのを不審に思って。ボスも研究員もぜんぶ殺されているのを見て何を疑いますかね? ですから僕らはもう戻りません」
「この近くに一人暮らしの男が住んでるびょん」
「男?」
そういえば犬も千種もよく外に出て行くタイプだ。
実験がなければ買い出しの仕事を命ぜられることもあった。望んでちょくちょくヒマ潰しの脱走を行う者もいた。僕は部屋にこもるタイプであったけれど。千種が言う。
「犬が、よく盗みに入ってはピストルで打たれてたんです」
「あんなの当たンねーけどな」
三叉の剣は、赤く、月の明かりを僕の鼻頭へと反射する。
「いってみましょうか」
僕が何をするつもりでいたか、犬も千種もわかっていたのではないかと思う。
男は外から帰ったところだった。
買い出しの荷物が、両手を埋めている。襲うならば好機だ。
石の塀が一軒家の外周を埋めている。一足先に潜り込んで、庭の生け垣に身を潜めていた。
「あ!」
犬が、危ういほどの大声をあげた。
僕も千種も何が犬をそうさせたかはわかる。透明なビニール越しに包み紙が見えた。銀に青いラインをいれたラッピング。あのボールチョコだ。それもどっさりと五百グラムが入っている大袋。
「犬」声が、急速に冷え込んだ。
焚きつければこの子は必ずやると思った。
「何をガマンするんですか? 僕らは、もう、自由なのですよ?」
固唾を呑んで犬が目を見開かせる。
おそるおそる、――入れ歯を、汚れた手術着の懐から取りだした。犬に植え付けられた特殊能力だ。ライオンチャンネル! 掛け声をあげて、犬が、ライオンの二足歩行で暗がりから飛びだした。
断末魔が、夜を震わせる。
「……」にやりとイヤな笑いが頬に貼りついた。
犬はわかりやすい子どもだ。僕のにやにや笑いを千種が眺めている。僕が楽しい遊びを見つけたんだと理解している顔だ。
頭から血を流して倒れている男の始末よりも、男のカバンを漁ったり家の鍵を探したりする前に、三人でチョコレートの袋を開けた。
かぐわしい匂いが夜に混じる。
「うめぇ! うめぇ〜っ!!」
両手にダークグレイの石っころを握りしながら、犬がラッピングごとしゃぶる。ペッペッと包み紙を痰のように道に吐いた。それで次をしゃぶり食べる。
「おいしい」千種も両手を使って次から次へと食べていく。
僕は、最初は急いで食べたけれど、二口目には手が出なくなった。ボールチョコレートをのんきに月に掲げてみせる余裕すら芽生えた。
宝石が、正真正銘の石っころになった瞬間だった。
「くっ……、くははははははははは、ははは」
僕が嗤うのを見て、子ども二人が顔をあげる。犬は口から包みのラッピングを垂らしている。
「むくろ?」
「くはははははははは」
最高の気分で、ふたつめのチョコレートを食べた。
右目の痛みなんて、この美味しさに比べたら何でもない気がした。
「犬、千種。これからは好きなときに好きなだけ食べられますよ」
犬も千種も、僕を見上げて、僕に見惚れている。
妙に誇らしかった。僕はあの研究所を出て、しかも力を手に入れて、なんでもできる。
不幸にも殺戮の場に居合わせた大人たちはみんな死んだ。いい気味だ。僕たちだって、たまたま割りのあわない親に当たっただけの不幸でここまで堕ちたんだ!
(僕という存在を思い知らせてやる。こんな世界は滅びてしまえばいい!)
「僕たち、生まれ変わったんです」
「……はい!」
神さまの演説を聴いた子どもふたりは、興奮でほっぺたを赤くしながら何度も何度も大きく頷いた。
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