生まれてきた不幸について






 テスト、止め。
 掛け声にあわせてボール紙でできたペンを机に戻す。それからは待機時間だ。白いだけの壁を眺めた。
 戻ってくるなり、白衣の男が言う。
「おまえさんは不幸だな」
 ボードに何かを貼り付けてある。採点表だろう。
「ここにいなけりゃーよかったな。生まれがよければ学校をスキップできたレベルだ……」頭の回転がいいとか頭脳がどうたらといってから、次の実験日を告知した。
 僕の顔を眺めながら大人たちが話し合いを始める。
「今日で七歳か。まだまだ柔らかい時期だな。この脳なら適用できるかもしれん」
「次は骸を使用するんですね?」
 机に置きっぱなしのボールペンを眺めていると、白衣の女が取り上げた。
「イタズラしちゃいけないわよ」
 ボールペンは芯が厚紙で作ってある。呆気なくふたつに折って、スチール製のゴミ箱に放り込まれた。
 被験者用の、継ぎ目の多い白服をきている僕には命令が無ければものを携帯する自由も許されない。
 自殺、自傷、この研究所にはそうした行為を企む児童もいる。
(攻撃できるものを持っていたって、外に出られる訳でもないのに)仮に、そういう行動に出る児童がいるとしたら『頭が悪い』の組み分けだ。僕はその組みには入らない。
 大人たちの話が終わると、先程の女がテーブルに包み紙を置いた。
 銀に青いラインをいれたラッピング。小石サイズの包みを目にするだけで、喉の奥が動いた。
「今日のテストはおわり。ごほうびよ」
 包みからはダークグレイの宝石が飛びだした。
 舌に乗せると熱い唾液が出てきた。喉の方にまで広がってなんとも言えない、幸せな味わいができる。
 僕が包み紙を握っているのを見て、女は思いだしたように大袋をまたガサゴソさせた。いつもには無い動きだ。目を丸くしながら、庭を歩くハトのように袋から手がでてくるのを待った。
「こっちはプレゼントの分ね。ハッピーバースデイ、骸」
 ふたつめのボールチョコレートを食べているとき、男が呻く。
「笑いもしねぇ、か。気色悪いガキだ」
「でも喜んでるんじゃないの? 扱いやすくて助かるわ。さあ、帰りましょうね」
 もっとたくさんのチョコートが入っている大袋が、女の横に置かれる。
 視線がそちらに行った。腕を引かれているので立ち上がる。白い廊下を歩いた。
 舌の上で、ふたつのボールチョコレートが溶けていく。
 少しでも長く味わいたいから、僕はチョコレートに歯を立てたことが一度もない。

 

 壁がラクガキだらけになった。孤児を集めている子ども部屋だ。
 僕が誕生日のテストに連れて行かれたのがわかっている子が、近寄ってくる。女の子だ。僕の口元に鼻を近づけた。
「ごほうび、もらえたの?」
「…………」
 この子の手くせの悪さは知っている。サッとキスしてこようとしたのを避けて、部屋の隅に向かった。
「ケーチ! ムクロのケチ!」
「…………」
 まだ口には残っている。水が、手の皿を濡らして残っているように、チョコレートの味だけが。
 ハミガキはサボってしまっていいか。
 そんな気で、座って膝を抱える。きゃあきゃあと子どもが歓声をあげる。今日は実験のある子が少なかった。
「おい! 五十八番はいるか!」
 高いところにある窓から、オレンジの明かりが差し込んでくるようになった。
 僕はもうベッドに潜っていた。
 子どもたちが丸ごと、電流を浴びたも同然で跳ね上がって扉をふり返る。肩を怒らせたタンクトップに短パンの男が立っている。
 五十八番は、さきほど、キスしたがっていた女の子だ。
 イタリア市街でストリートキッズをしていたところを、ファミリーの者に勧誘されたらしい。約束してくれたほどのゴハンを食べさせてくれないと、女の子によく愚痴っているのが僕の耳にも入っていた。
「どこに隠れやがった! 出てこい! ブッ殺してやる!」
「キャアアーッ!」
 女の子たちがいちばんに悲鳴をあげる。男が拳銃をズボンのゴム留めから引き抜いたからだ。みんなが部屋の壁際に寄った。
 僕も、ベッドの下へと体を逃がしてしゃがみこんだ。
(あ)しゃがんだ拍子に彼女を見つけた。
 カビで変色しているベッドレッグ越しに、恐怖の表情で硬直している姿がある。白服に夕陽が当たり、スカートから出ている足がガクガクしているのがわかる。どうやら扉の真横で遊んでいたようだ。
(あ)と、彼女の青い眸が、開けっ放しのドアの向こう、ラクガキの無いきれいな壁を見つめた。
 逃げる。
 そう思った瞬間、彼女も走りだした。
 次の一秒でその背中に赤い花が咲いた。銃声は、パァンッとするどく鳴ったから、子ども部屋にいるすべての子どもの脳天を殺った。
 男が何かを喚いている。どうやら私物を盗んだらしい。
「うるせぇ!! 泣くんじゃねえ!!」
 また、銃声が子どもを殺った。
 二発目のそれで誰も泣かなくなった。
 他の職員が走ってきた。事情を聞いて、舌打ちをしながら男を帰した。
「仕方ないな。おい、……」
 体格のいい子どもを二人選んで、死体を持ち出す。
 その二人はモップとバケツを持たされて戻ってきて、青い顔をしながら、無言で血の掃除を始めた。
「……………………」
 子ども部屋には何ともいいがたい空気が漂った。
 シクシクと両手の中で泣きだすやつもいる。数人で固まって動かないやつらも。
 僕は、シーツを引っ張って、少し考えてからベッドに戻った。シーツは薄いし、寝心地は悪い。
 チョコの味はもうしない。残っているかもわからない。
 明日は僕が死ぬのかなと思うと、喉から胸に石を押しこまれる苦しさが始まった。
 死は怖くないと思う。でも、死ねばもっと楽になるのかはわからない。それが不安で石を呑んだように気分が悪い。
 夜の九時をすぎれば消灯になる。
 今日はすすり泣きが多かった。男でも泣いているやつがいるようだ。それらのぐすぐすした泣き声を聞いていると、僕の体にまで震えが伝染した。手足を縮めて自分の腕で自分の体を守っていると、もし僕がふつうの子どもで、もし僕に母さんがいたらこんなふうに僕を守るのだろうかと夢を見た。夜は暗くて長かった。こうして僕の誕生日は終わった。






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