ゆきやまじけんぼまんなか




 
 土曜日。並中の校庭にて、リボーンの呼びだしを受けた面々が顔を合わせた。リボーンの手には三枚の航空券があった。
「クジ引きで誰かいくか決めようぜ」
 ビアンキが、レストランに置いてあるようなクジ引きの小箱を差し出す。
「……げっ。オレの、先っぽが青いぞ」
「バカ。テメーがアタリを引いてどーすんだよ。ツナは強制参加だぞ」
「でええええっ?! ンな横暴な! なんでシベリアまで行かなきゃならないんだっ……、ンなとこにファミリーがいるかーっ!」
「ばーか、油田の権利もってる超凄いマフィアがいるんだ。お前が同盟結んでくるんだ」
「シベリアにもマフィアがいんの?!」
「全世界にいますよ、十代目」
 獄寺は、こめかみを青くして白いだけのクジの先っぽを睨んだ。
 そ、そんなぁっ。口中でぶつぶつ呟きながらもクジを箱に戻す。綱吉はハタとする。
 その時点で、まだクジを引いていないのは黒曜中の制服姿の少女ただ一人。
 クローム髑髏は、目を丸くして、綱吉とクジ箱を見比べる。
「……………………」
 一同が沈黙した。呆気に取られたといった方が正しい。髑髏と――先に一人で先の青いアタリクジを引いた雲雀恭弥を、ちらちらと見比べるものが多い。
「行かないよ僕は」
 家庭教師とヒバリは何事かを話している。綱吉は、さりげなく、肘でリボーンの山高帽子をこづいた。
「い、いいのか……?!」
「クジは公平だぜ」
「シベリアだぞーっ?!」
 髑髏は、自ら、クジ箱のまるい暗闇に右手を突っこんだ。
 当然ながら綱吉が戻したアタリクジがある。律儀に先っぽが青いとわかりきっていることを皆に言った。
「ん〜。特別ルールでもいっか。面白そうだしな。霧のリングの力、強制発動だ。骸がいってこい」
「…………んっ?」
 と、おかしな声をあげるのは綱吉だ。
(ちょっと待てよ。じゃオレがヒバリさんと骸と……シベリア行きになんのか?!)
「い、いやだぁああああああ?!」
 仰け反って頭を抱えている少年ボスの傍らで髑髏は無表情になっていた。電波の受信中なのだった。話し出すまでにタイムラグが生じるのは仕組みとして仕方がない。
「……骸さまもシベリアはイヤって言っています」
「決定だゾ」
 頬に手をそえてブリッコじみた所作をしてみせて、リボーンは踵を返す。
 そんなわけで、
「はー……」六道骸は、右手の中指に嵌っている霧のリングを睨む訳だ。幻覚のパワーを得ている都合上、手袋が嵌められないので爪の下が赤くなっている。寒いのだ。
「いつの間にパワーアップしてるんですかこれ。たっぷり実体化できちゃいますよ」
「なんでシベリアのファミリーは雪山にこもってんだろ」
「赤ん坊が言ったこと聞いてないね君は」
 ざくざくざくざく。
 雪に足を取られないよう気を配り、三人は丘陵をあがる。綱吉は出発前のやり取りを脳裏に蘇らせてみた。なんでも超少数のファミリーで非戦闘員が多いとか……。
「確かにこんな辺鄙な場所なら襲撃はされないだろうさ……。でも油田の開発権利はおいしいよね。僕も気になるな」
(ゆ、ゆするつもりでココまで同行してるンじゃないよなまさか……。いやヒバリさんだぞこの人は。ヒバリさんだけど)
 胸中をよぎっていく黒い予感に鳥肌をたてる綱吉であるが。
 前の二人は、変わらぬスピードで歩きつづけている。こんなに重いリュックを背負っているのに疲れたそぶりもない。ヒバリさんも骸も体力があるんだなとか思う。
 地図は、と、ヒバリに問われて綱吉は分厚いダウンジャケットのポケットに手を突っこんだ。針葉樹林の狭間に目を凝らす。
(にしても本物のモミの木って初めて見たな)
 クリスマスツリーを真っ先に思う。自生してるモミの木もさながら、日本ではこれほど幹の太いものを見たことがない。
「このあたりの筈だけど……」
 地図を覗き込みながら、ヒバリが難しげに眉を寄せた。
「デジカメに写真とっておこうかな」
「それがトップの発言ですか?」
 足を止めている骸が、イヤミっぽく綱吉に食ってかかった。
「君の観光気分に飽き飽きしてるんですよね、僕は」
「もう少し進もう」
 言うなり、ヒバリは一人で歩き始める。
 団体行動中といった自覚がヒバリにはない。何も言わずに一人で遠くに行ったりするので、綱吉は、シベリアに着いてからずっとヒバリに意識を集中させている。なにせヒバリに置いて行かれたら骸と二人きりだ。
(何されるかわかったもんじゃないからなコイツには)
 骸が睨んでくる。睨み返す気にはなれず、しかし黙殺する度胸もなくて綱吉は冷や汗を頬に浮かべた。
 そんなふうに、他に気を取られたせいだろう。毛皮のブーツがつんのめる。
 ぼふ! 顔面から白絨毯にダイブする。
 ふり向きもせず、前を見たままで二名が呻いた。
「ホラね。グズ。愚か者」
「何してんのさ」
「う。うううっ。ど、どこだーっ。名も無きファミリーは!」
 鼻の頭や前髪から、はらはらと雪の雫をしたたらせながら綱吉が顔をあげた。
 そのときだ。
 空が、フッとして暗くなる。
 誰に何も言われなくとも骸が言った。
「僕は何もしてませんよ?」
「じゃあ何だよ?」真っ先にそれを疑ったので綱吉は白眼視を送り返した。膝の雪を払いながら。
 雪山の空はみるみると暗くなる。
 雪の白い輝きがあっという間に闇に沈んでいく。薄い闇のカーテンがゆっくりと一秒毎に降り積もるような眺めに、その大胆な変貌の只中にいることを自覚して綱吉はゾッとした。不吉だ。
「な、何が起きてるんですかこれは」
「山の天気は変わりやすいから。今日はもう進まない方がいい」
 この近くな筈なのに。不満そうに呻きながらもヒバリはリュックを雪に下ろした。
「生きて帰れるのかーっ?!」
 暗闇に向かって、綱吉が頭を抱える。
「髑髏が死んだら僕の代わりがいなくなるじゃないですか……」微妙に人でなしなセリフを呟くのは骸だ。ポケットから取りだしたチョコレートの包み紙を剥いて、口に入れる。
 ――オッドアイが、虫の報せでも受けたように遠くを見たので綱吉は妙に感じた。
 同時に、ヒバリも顔をあげた。
「なっ……」二人が揃って同じ方角に顔を向けるので必然的に綱吉も気がつく。雪の上に伸びる浅い暗闇に、いくつもの足が生えている。
 ――ぐるるるる……。
 地鳴りに似た、唸り声が闇から聞こえる。
 四本足でみすぼらしい毛皮。ぎょろついた光る瞳。モンスターかと思ったが、ヒバリの声で綱吉も我に返った。
「野犬か」
 リュックについている編み目に、トンファーが強引につっこんである。ヒバリはそれを抜いて厚手の防寒具を脱ぎ捨てた。
「ですから髑髏の体は確保したいといっているのに」
 これみよがしに嘆息して、骸は口角をニヒルに寛がせる。眉は八の字。
「ほ、ほんとにお前じゃないのかっ?!」
「違いますよ。ほら」
 骸はリングを嵌めていない方の手で「六」の紋になっている右目を指差す。
「な、なんだってこんなとこに野犬がっ!」
 数は、五十匹はいるだろうか。目の焦点があってない個体もいるし、やたら息が荒くてヨダレを垂らしているやつもいる。
 ハッとして、綱吉は外国の野犬事情云々よりも大事な問題に気付いた。
「きょ、――狂犬病の予防接種って受けてんのかなこいつら?!」
「どこに動物病院があるのさ」
「噛まれてみればわかるんじゃないですか? 許可しますよ、沢田綱吉!」
「誰が噛まれたがるかぁっ!!」
 背中を向け合って輪を縮める綱吉たちだが、犬もそうした。輪を縮めてくる。
「ど、どどどどうするんですか! うわぁああああ?!」
 テッポウウオが水を発射するように、野犬の群れが雪を蹴って飛びだした。リュックを脱いで、どうにか一匹は撃対する綱吉であるが、
「綱吉!」
 ヒバリに鋭く制止されて動きを止める。
「ハイパーモードはダメだよ。雪崩が起きる。禁止だ」
「そ、そんなこと言われても――」
「ここでの殺しは正当防衛ですからね!」
 三叉槍を手に、骸が突っこんでいった。動きを制約する防寒具は、一番分厚いのを脱ぎ捨てている。
 ヒバリも、五匹をまとめてトンファーで薙いでぶっ飛ばしていく。
(ムチャだ!)綱吉は咄嗟に叫んでいた。
(相手は野性の犬だよ。ヒバリさんと骸がいくら強くったって――)これをもしかしたら超直感というのかもしれないが、綱吉は、並々ならぬ熱情に突動かされて雪上に落ちている包み紙に手を伸ばした。
 骸が捨てた、キャラメルの包み紙だ。これだと思った。
「――ほらっ、食えよ!」
 雪ごと握りしめて、投げつける。
 きゅうんっ。妙な声をあげて一頭が雪球につられて走りだした。他の犬も、一頭につられて雪球を追いかけていく。
「!」ヒバリと骸が綱吉をふり返った。
「二人ともっ。エサを――、食べ物を投げるんです。一回でも噛まれたら病気になるかもしれない。逃げた方がっ」
 言いながら、リュックから出てきたカップラーメンを投げる。
 犬が追いかけ――、そして、追いつくとすぐに飽きてこちらに戻ってきた。
「あれっ?!」
 ぎょっとする綱吉の後ろで、骸が手を伸ばした。カップラーメンを放って、三叉槍で切り裂いてみせる。
「発想は悪くないバカですね」
「開けなきゃ意味ないだろ」
 ヒバリが、非常食のウェハースを投げた。
 わおん! わおん! エサを取りあって犬達で乱闘が始まる。走りだした。綱吉は、時折りふりかえって、追手があるならお菓子を投げた。犬達はフリスビー遊びに興じる飼い犬のように遠くへ走っていく。
「ええいもうほら! 食べろよ!」
「……仕方ありませんね!」
 数が減らないのを見て取り、骸もポケットからチョコレートの包み紙を出した。綱吉とは違う方角に投げ捨てる。
 リュックを引き摺るようにして走っているので、体力の消耗は激しい。
 わんわん! 喧噪を背後にしながら、三人は全速力でその場を後にした。

 

「野犬のねぐらか。ここで野営するんじゃ危ないよ」
 ――息が整ってきたところで、ヒバリが言う。綱吉は一人で両膝に手をついてぜえぜえと体を弾ませる。
「ひ、酷い目にあった……!」
「食糧が尽きましたね。どうするんですか。ボンゴレ十代目」
「オレを怒られてもっ」
 あごの下を手の甲で拭い、青い顔で、綱吉。
 むしろ聞きたいのはこちらだ。まだ昼間の筈なのに空は真っ暗、雪の上も黒くて雰囲気が一変しているではないか。
「下山しよう」
 硬い声で、ヒバリ。
「予定通りの行軍はもう不可能だ――」
 終いまで言い進まぬ内だ。空に電流が走った。光るなり、蛇が、落ちてくる。
 ピシャアンッ!
 激しく蛇行する光が、樹林に落ちる。
「…………」
「…………」
「…………」
 黒に変じた上空に轟く雷――この世の終わりを思わせる眺めだった。三人が肩を並べて立ち尽くした。
 やがて、吹雪が始まった。











つづく



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