ゆきやまじけんぼ




 
  ぼす! でかい音がしたのだろう。
 テントから出てくるなり、少年は、耳にかかった前髪をはねのけて叫んだ。
「どんくさ!」
「うっ、ううっ」
 沢田綱吉は、いかにも惨めそうに喉を鳴らす。
 胸の下までの沈殿は、両腕を広げたことでギリギリ免れたと見える。
「君ってどんくさいですよねー。カケラの冗談も抜きにしてですよ。ほんっとダメな子ですよねー。ハイパーモードは?」
 テントを出て一歩目から動かずに、骸は、目清カップラーメンをすすりつづける。
 ずるずる。香ばしげに醤油色の汁がはねる。
 綱吉は、喉を無意識にゴクリといわせつつも青い額で六道骸を見上げた。
 雪に体の五分の四が埋まっているのですごい身長差だ。
 その圧倒的な身長差のせいで、骸はまるで青空を背負ってるように錯覚して見える。
 澄みきった青空が、しばらくは山間の平和を保証してくれているが、移ろいやすい山の天気はとにかくよくウソをつく。綱吉もそれは知っていた。
「さ、さむすぎて……。体が動かない……」
「あー、そりゃ、そこまで雪に埋まってればそーですね」
 ずるずるずるずる。
 まるきし他人事で言い放って、骸は割り箸でカップラーメンを食べた。
 伏し気味のオッドアイからも、深緑ダウンの登山服で一歩も動こうとしないことからも、彼の意思が伝わってくる。
 テントの中からは、しゅうしゅうとヤカンの沸騰音が響いた。
「た……たすけて……」
 綱吉は控えめに骸を求めた。
「みてわかりません? 食事中です」
 カップラーメン容器から山吹のたまごを摘む。重大な儀式であるかのように、華麗に口にしてみせる。
 なかば予感していたとはいえ、綱吉は悲しげに眉目を額にすり寄せた。
「うっ……」
 みるみると、両目を滲ませた。
「オレも食べたい」
「残念」
 フーッ、として、熱々の麺に白い息を吹きかけながら骸はオッドアイを半眼にする。
「これで最後の一口です」
 噛むなんて無粋なことはせず、ラーメンの麺を終いまで吸引してみせた。ずるるるっ。そして優雅に咀嚼を果たして呑み込んだ。
「あ、ぁあああぁあああっ!」
 ガーンとして頭上に悲劇の鐘を鳴らす少年に、骸は微苦笑をもらす。ぐぎゅるるる。綱吉の腹の音が漏れ聞こえたタイミングでもあった。
「ヤですねー。下品ですよ」
 すぐに、ワザとらしくも即席麺容器の中身を覗きこんだ。
「あ、でもスープはまだありますよ。食べたいですか?」
「ああ!」
 綱吉が肩で乗りだした。
「そーですねー……」
「あーっ、ああぁああ?! 悩みながら飲むなよーっ?!」
 ろくに動かない両手で力なさげに雪面を叩いている。綱吉には冷めた眼差しを送り続けながら、骸は嘆息をこぼした。
「凍死でもされたら面倒ですし、いいですよ。特別に僕が口をつけたものを飲ませてあげます」
 右手で容器を手にしつつ、慎重に寝そべる。ほふく前進の要領で腹ばいになって雪上を進んだ。
「ほら」と、綱吉の顔のすぐ前までくるとやっと容器を傾けた。
「っ。んっ」
 冷え切っていた体への熱い刺激に、綱吉は瞬間的に顔を歪めた。それでも生物的な本能に従ってどうにか流し込まれるものを零さずにぐびりと飲んでいく。
 途中で、綱吉から取り上げると骸は自分の唇に向けても容器を傾けた。ごく。
 代わりばんこに飲まされながら、綱吉はますます目尻を潤ませる。
(せ、背に腹は変えられないっつーか間接キスになンのか、コレは。うう。あぁでもあったかいや)
 容器を差し出されている間、夢中でラーメンの汁を飲んでいる綱吉を骸は至近距離で眺めていた。また自分へと容器を取り戻して、喉を上下させる。
 そうして、喉の浅いところで呟いた。
「しかし。タダであげるんじゃツマりませんね。何か面白いこと言ってみてくださいよ」
「え、ええっ?」
 骸が、カップラーメンを唇に押しつけてくれなくなったので綱吉は目を丸くする。
 六道骸は背の高い男だった。男児の平均身長よりも足も胴体も短い綱吉は、同一線上での視線交差が滅多にない。
 それが、今は、ともすれば簡単にキスすらできそうな位置にオッドアイがあった。
 ギクリとくる。
 深紅と深海、骸の一風変わった目の色を見て、真っ先に綱吉が感じるものといえば恐怖である。
「……」綱吉の目の奥を見つめ返しながら、骸はごく僅かな逡巡の後に言った。
「では。僕がグッとくるよーなのを」
「えっ……。ぐっ……と?」
「グッと」
 強調されて困惑するも、骸がこれ見よがしにカップラーメンの汁をすすろうとするので綱吉は慌てた。
(お、オレの分がなくなっちゃう!)
「骸さまっ。スープをもっと恵んでください!」
「ぜんっぜんですね。むしろ減点」
「な、何だよそれっ?! なんて言えばいいのかなんてわかるかぁ!」
「そーですね。もっとエロくしてみなさい」
「?!」
 言うなり、骸が空いている指で左頬に触ってきたので目に見えて綱吉は肩を震わせた。
 直感的に、イヤな予感がした。
「え、えっと」
 雪には埋もれていない筈の頭が、内部から冷たくなってくる。心臓のあたりはキリキリに痛み始める。
(エロくって……何いってんだよコイツは。エロく?! アダルト雑誌とか? 深夜にやってるちょっとエッチなテレビ?!)
 しかも、骸がコチラの混乱を見透かしているふうな目つきでいるのがさらに怖い。
 手袋をつけた指の腹が、五本揃って、意味ありげに左頬をなぞる。
「……っ、あ、あっためてください。おれのこと」
「減点一」
 ずるるー。
 無情にも、失敗の度に汁を飲んでいくつもりらしい。
「あ、あぁあっ?!」
 綱吉は雪上にある両手で骸の肩を掴んだ。
「えーと、食べさせてくださいっ! いっぱい欲しいんです!」
「んー?」鼻で返事をしながら、骸はしらじらしく肩にかかる手を見下ろし、やはりゴクゴクと残り汁を飲乾そうとする。
「うわぁあああっ?! お、おなかにいっぱい……欲しいんだってばぁ! いっぱい欲しいのにぃ」
 同じ単語を繰り返す綱吉は、壊れた電化製品にも見えたことだろう。
「クフフ。もう一押し」
 語彙の無さを察知して、骸が肩で身を乗りだした。綱吉の左耳に熱くなった吐息を吹きつける。
 こそこそと、囁かれた言葉を額面通りにすぐ綱吉は声に出した。
「ぶ、ぶちこんでください! 骸サンの熱いのが今すぐ欲しいんです!!」
「さらにもう一押し!」
 骸がカッと両目を見開かせる。綱吉も驚いた顔で目を瞠って頷きまくった。
「ええええっ?! え、えーと骸サンの熱いのがいっぱいたっぷり――ッ!!」
「何してんの、ソコは」
「ぶふ!」「ぐふ!」
 と、雪の下二メートルくらいの冷気を引っぱりだしたような凍声が割りこむなり少年二人が雪に顔面を突っこんだ。
 空から降ってきた枯れ枝に脳天を直撃されては為す術もない。骸がすぐに復活した。
「野蛮ですね。この鳥頭めが」
「気持ち悪いんだよ。それに綱吉の分もあるだろ。カップラーメン」
「ヒ、ヒバリさぁああん!!」
(地獄に仏だぁああ!)
 実際には、黒髪に黒目でやや背が低いが存在感がハンパ無い彼は、仏というより地獄を束ねる閻魔サマだ。
 黒い防寒具に身を包み、雲雀恭弥は綱吉の後方で枯れ枝の山を睨みつけていた。
 青空はまだ青いが、山の天気はやはり信用するには危ない相手である。


  オレンジに近い暖色ライトが少年三人を照らしだす。雪山に轟く強風がため、テントそのものが揺れると蛍光灯ランタンと共に三人の影も目まぐるしく暴れた。
 綱吉は、ふて腐れたツラでカップラーメンをすすっていた。
「ひどかった……」
 心の底からの感想が、漏れる。
 しかしながら黙っている骸でもなかった。テントが狭いのでどうやっても会話が聞こえるし互いに体を遠ざけられないのだ。
 顔をあげて、目で睨みながら口ではイヤな笑いを浮かべる。
「騙される方が悪いんです」
「バカなのは否めないよ。口車に乗せられておいて」
 ヒバリも骸の意見には賛同した。
「…………」ずるずるずる。自分の分を食しつつ、綱吉は別の意味で頬のうわべを赤くさせた。
「火を起こすのに薪が必要なんですって骸が言ったんですよ」
「バカ。ガスバーナーを何のために持ってきてるんだよ。薪ってどこの原始人なの」
 ガスの出をツマミで調整しつつ、ヒバリはコーヒーのために湯を沸かそうとしていた。
 確かに――迂闊だったと綱吉も認めざるを得なかった。
 骸に言いくるめられてテントから追い出され、枯れ枝を集めて、戻る途中で雪に埋まってしまってあのザマである。
 テントのいちばん奥で、板チョコの切れ端を齧っている六道骸へと白眼視を送った。
「お前、覚えてろよ」
 チョコでパリッと音をたてながら、骸は意外にも真剣な声で言った。恐らくはこれが彼の本音なのだ。
「憂さ晴らしでもしないとやってらんないンですよ」
 パリパリ。何枚持ってきているのかは不明だが、骸のチョコを食すスピードはえらく早い。
「……」「……」綱吉とヒバリは、思わず、互いに目を見合わせていた。
 それを言ったら――。こっちだってその通りだ。
 コトの発端は、割りといつも通りの家庭教師リボーンの思いつきである。






つづく



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