4月は賑わう季節です





「沢田綱吉。大変なコトが起きましたよ」
 いやそうに眉間に皺を寄せながら彼は言う。
 綱吉は、屋根から降りてきたこの少年がはたして何を考えているのかを疑った。
 黒曜制服。クローム髑髏の体なのか、はたまた自分の知らない間に脱獄を果たした生身であるのか。久々の再会なのに、そういう細かいところを一切説明せずに、一体なんだというのだろう。
「……妊娠しました」
「は?」
 六道骸は、唇の下に指の第二関節を押し当てて難しい顔をしている。
「なんてことをしてくれたんですか、まったく! この僕を妊娠させるなんて」
「誰が?」
「僕が。君のせいで」
「…………いや」
 どこからツッコミすべきか――脳内で滝がだばだば流れ落ちまくるような気分で綱吉はどうにか呟いた。
 ぎゅうと、手では肩掛けカバンの紐を握りしめる。妙に焦った。
「どっちかっつーと、オレとお前で妊娠するっつったら、オレの方だろ」
「それはそうなんですけどね」
 頬を赤らめて、骸は空咳なんぞを零す。
(……しまった)彼のオッドアイが恥ずかしそうにまばたきを繰り返す。それを目撃して綱吉も恥ずかしくなった。
 無視して、さっさと学校に向かおうとすると肩を掴まれた。
「待ちなさい。無視するヤツがいますか」
「お前のバカ話に付きあう気はないんだよ。なんだよ。今日が四月一日だってオレも知ってるんだぞ!」
「おや、そうですか。それは残念ですがエイプリルフールとこの件は関係がないんですよ。大変だと言ってるでしょう」
「タチの悪い冗談にゃつきあえんって言ってんだよ!」
「まぁ確かに僕らで妊娠がありえるとしたら沢田綱吉の方ですよ。つっこまれてんのは君だから……」
 セリフの途中でぶふうと吐息が破裂する。綱吉が骸の下あごを空に押しあげたからだ。
「や、め、ろ! ンなこと言いに朝からきたんですか骸さんは!」
「いたた。言ったのは君じゃないですか。それは逆ギレと世間一般ではいうのですよ沢田綱吉」
「うるさいっ、いい加減にしてください。学校いってきます」
「待ちなさいと二度も言わせないでくれますかね?」
「はなせよ!」
 肩を抑える手は、意外にも本気だ。
 骸は頬を赤くしているが面持ちは真剣である。綱吉は鼻も耳も真っ赤にしていて勘弁してくれと潤んだ目で語っていた。
「怒ってるんだぞ。久しぶりに会いにきたと思えばっ……、バカにしてる。出てきただけでエイプリルフールだろお前はっ! しかも最悪のネタだぞそれ。ちっとも笑えやしない」
「それはすみません。ちなみに、僕はまだ脱獄していませんよ。これは髑髏の体です」
「ああ、そう……。それじゃ」
 歩きだそうとする綱吉を、再三、骸の手が止める。
 今度は強く引っぱって自分に向き直らせた。
「沢田綱吉。僕はマジメな話をしようとしてるんです。妊娠したんですよ!」
「不真面目の集合体だろーがむしろ!」
 ご近所の耳と目があるのに信じられないと目で怒り、綱吉は後退ろうとする。
 しかし、骸は――次の瞬間には姿形を変えていた。
 クローム髑髏が立っていた。
 けれど目つきで中身は骸なのだとわかる。黒曜の女子制服をちょっとセクシーに改造したその服からは、おへそが見える。綱吉もそれは知っている。が。
「……ぎゃあああああああああああ?!」
 おへそどころかお腹全体が妊婦も同然にふくれているとは、知らなかった。

 

「が、学校が……。久々に登校するんだったのに……。十年後から……」
「諦めてください」
 腹のふくれている髑髏に引きずられながら、綱吉は絶壁に向かう気分でいた。
 空は青い。春休みの終わりが寂しくなってくるほどのいい天気――春休みなのになんで学校に行くかといえば、補習に出席せざるをえないほど出席日数と成績がピンチだからだが――ともかく良い天気だ。綱吉は一度は目を閉ざす。そうして、開けると同時に靴の裏で踏んばった。
「……よく考えればそのトラブルにオレが巻き込まれる理由はないんじゃないか? オレ、やっぱ学校行く!」
「暴れないでくれませんか。手荒なことはしたくありません」
 クローム髑髏の精神を支配しているらしい六道骸は、したり顔で綱吉の全身を眺めた。
「久しぶりに抱くのも悪くありませんが……」
「学校いってきます」
「まぁ、待ちなさい。今のは冗談です。エイプリルフールですからね」
「年がら年中ウソつきまくってるだろお前は!」
「僕のかわいいクロームが妊娠してるんですよ。君のせいですよ。放っておくんですか?」
「そ、れ、が、理解できないっつってんの!」
 細い手をふり払い、相手との距離を取る。
 聞かなくても骸がどこに向かおうとしているかはわかっていた。
 黒曜ヘルシーランド。髑髏達の潜伏場所だ。バス停は視界に入ってはいたが、ついていったら最後な気がして綱吉は髑髏のお腹に半眼をそそいだ。胡散臭げに。
「骸さん、オレをだますつもりだろ」
 腕組みしながら、自信をもって断言してみると彼はイヤな顔をする。
「酷いですねー。君は酷い人ですよ、沢田綱吉。僕がかわいい髑髏を利用してこんなお腹にさせるわけないでしょう」
「…………触ってみてもいいか?」
「どうぞ?」
 髑髏は、長い睫毛を羽ばたきのように動かして意味ありげに綱吉を見つめた。
 上目遣いで媚笑しながらだった。
 骸らしい、いやらしい表情は、彼が髑髏の精神にすり替わっている時でないとしない。骸への好感度が下がるのをリアルにひしひしと感じたが綱吉は頷いた。
 少女の手が、制服の裾をまくる。
 お腹に触れてみる。絹みたいに滑らかな、肌だ――、妊娠している女の人に触れたことがない綱吉には、驚きだった。
(赤ちゃんの形がわかるとか、そういうことはないんだな。当たり前か)
 軽く撫でてみる。
 お腹の中には脂肪がつまっていると感じられるほど柔らかい。髑髏は相変わらずほっそりした痩せすぎの体でいるから、太った、てことはないだろう。
「本当に、妊娠してるのか」
「言ってるではないですか。妊娠です。君のせいで」
「オレの子なのか?」
 言いながら綱吉は自分が何を口にしているのかわからなかった。
「なんで?!」
 愕然として尋ねる。
 髑髏――もとい骸はクスクスした媚笑をイヤミっぽく浮かべている。
「そりゃ君に覚えはないでしょうから――ないですよね?」
「あるわきゃないだろが!!」
「ええ。そうでしょう、そうでしょう。このところ気が付いてはいたのですが、髑髏は幻術師として異様なスピードで実力をつけています。精神感応もすばらしい感度です。僕が目をつけた才能だけはある」
 人がくる気配がしたので綱吉は手を引っこめる。髑髏もめくって出していたお腹を引っこめた。
 タイトな上着は、元からおへそがちょっと覗くくらいの丈だから大して意味がなかった。真っ昼間から制服を着て難しそうな顔をする少年少女に同年代の子どもがフシギそうな視線をそそいだ。彼らの目を、気にもせずに、髑髏はぺらぺら喋る。
「僕が骸として君にアレコレするじゃないですか。どうも髑髏の体はその刺激を感じていたようです。やってる最中は幻術の媒体になっている髑髏にも負担がいきますが、その負担が妊娠というカタチで芽吹いた――、僕が君に精を注ぐたびに体で彼女も覚えてしまっていたと……。現実的には想像妊娠とでもいえる現象ですかね。妊娠してないのにお腹がふくれるコトってあるんですよー、人体ってフシギですね。ん? なんで怒ってるんですかね、沢田綱吉は」
「歯ァ食いしばれこのヘンタイがぁあああああああ!!」
「今回、髑髏よりも先に僕が気付いたので、実は昨夜からずっと髑髏の精神には眠ってもらってるんですよ。僕の今の力ではあと半日が限度です。その間に髑髏をどうにか元に戻しましょうよ沢田綱吉!」
「お前のそーゆうちゃらんぽらんな性格がぜんぶいけないんだぁああああああ!!」
 唐突に、額に火を燃やして少女を追っかけだした綱吉にも、大胆かつ軽い身のこなしで屋根の向こうに飛び移った少女にも、目玉が飛びでそうな顔をして硬直している子ども達の視線が等しく注がれた。
 どがぁっ! と、屋根瓦の破壊音が遅れてこだまする。

 

「……これ、髑髏の体ですよ。いいんですかね? いたいけな少女の体を殴り倒すとゆーサディスティックな趣向が抑えられないというなら特別に付きあってあげても構いませんが――僕にMっ気もあることはご存じですよね――付きあってもいいですが、でもこれは髑髏のボディですよ。脱ぎましょうか?」
「脱ぐな」
 木の枝にひっかかりつつ、綱吉は最後の力を振りしぼって上着をめくりあげようとした髑髏の両腕にそっと手を置いた。
「…………。ちょっと混乱した。落ち着こう」
 殴りたくなったときには目の前で瓦屋根が飛び散っていたものだ。
 一撃を髑髏は避けた――左脇から強烈な回し蹴りを叩き込まれた。髑髏ならできない身のこなしで、少女の体からどうやってひねり出したのかわからないパワーが篭もっていた。綱吉は、蹴ってきた髑髏ごと、縺れるようにして近くの大木に頭から突っこんでいた。
 髑髏も木に引っかかっている。綱吉がぶらんと手足を下げている真下で、枝のクッションに寝そべっていた。
「そーですね。君は落ち着いた方がいい」
(な、なぐりたい)
 ジロりと眺めていると、心の内を読んだかのように髑髏はいやらしく口角を吊り上げた。
「クフフ。夕方くらいまで――が、髑髏を眠らせていられる限度なのですが。想像妊娠の治療法って知ってますか? 沢田綱吉」
「ンなもん、今、初めて聞いたぞ……」
 なんとなく気恥ずかしくなって綱吉は顎を引いた。女の子の生理は知っちゃいけない気がする。
「クフフフ」
 にっこりと笑って、少女は逸らされた視線を覗きこんで目を逢わせてきた。
 途端に微かな霧が発生する。現れたのは綱吉よりも体が一回り大きい少年だったので、ぎしりと、そこらの枝が軋み音をあげた。骸は指先で綱吉の頬に触った。
「これは想像だったと知ること自体が治療法になります。ホルモンの抑制を心がけるのも動物治療ならば有効的だそうですよ」
「……調べてきたのか?」
「ま、いちおうは。放ってはおけませんからね」
 下にあったオッドアイが昇ってきて綱吉の頭上にくる。
 ぎ。ぎし。枝が動き、葉っぱが落ちてくる。春の季節は草木の青い香りも強くなる。つんと、少しだけ鼻の奥に刺さる緑の匂いで綱吉は目を細めた。骸の手が前髪に貼りついていた葉っぱをどかした。
「ただ、考えてはみたんですが、幻術師の体は通常の人間とは違いますからね。髑髏は僕と恐ろしく相性のいい少女です。この場合、僕の異常がこの子に感染したと考えるのが正しいはず」
「ふーん……?」
(自分に都合のいい方向にばっか考えてんじゃないのか? 例の如く)
 思いはしたが、ツッコミできなかった。雰囲気に流されつつあったからだ。
「……骸さんの異常って?」
 唇からこぼれたセリフが、チクチクと、出て行った後なのに心臓をつついた。
 綱吉が首を竦めて体を強張らせるのは予感がするからだ。ものすごく胸を苦しくする予感だった。
 そして予感通りに骸は赤らんだ右頬に唇を押付けてきた。舐めるような声が言う。
「君に会いたかった。久しぶりですね。沢田綱吉……、夢で探してもいなかった日には、僕は本当に……」
 寂しかった、と、言われなくても想像がついたので綱吉はますます身を硬くした。舌っ足らずな自分の声でさらに混乱する。
「ち、治療の方法は? そのためにオレを学校にいかせなかったんだろ。出席日数ぴんちなんだぞこっちは」
「君を想って妊娠したくなるほどでした。髑髏は敏感にも幻覚で僕の思いを再現して、」
「ちりょうほうはッ」
 断末魔に近い、引き攣った悲鳴をあげて綱吉は体を後ろに投げる。
 枝がバキリと鳴った。綱吉の体が枝ごと沈みそうになる、骸が、抱きあげて、窮地を救った。しかしその両腕は綱吉を幹に押付けもする。
「だぁああっ。ちょ、ここ、枝っ……、つーかどこのお宅だよココはっ?!」
「色々と言いたいことがあったんですが、でも僕は君が無事に帰ってきてくれたのがいちばん嬉しいですよ。ね……、わかりますよね? ここまできたら。何が――君と何をすれば、僕のこころの治療になるのか」
「冗談じゃなっ……いっ。どこだと思ってるんだよココを! っつーかどこだ?!」
「では、場所を変えればいいんですね? ツナ」
「っ!!」
 愛称の方を吐息と一緒に耳に吹きこまれて、指先がぴくんとなった。
 ほとんど脊髄反射で骸の胴体にしがみつく。
 言葉はなかったが、しきりに頷きながら、骸が耳のあたりにキスを降らせた。今すぐ変えましょうね。何かを言っている。ばきっ。枝がまたひとつ折れる。綱吉を抱え上げると、骸はもう木の茂みを後にしていた。

 骸は、未練深そうにぶつぶつと呟きつづけていた。
「昨夜から力を使っていなければ今晩もっとできたのに……。失敗でした。くっ」
「おいおい。クロームにかわいそうなことすんなよ。ただでさえ……。その……、体……おれたち、かわいそうなことしてるだろ」
「…………」
 綱吉が言い淀んでいる姿で、綱吉には理解できないことだったが骸は頬を紅に染めた。満足げに綱吉を眺める。
 夕暮れどきである。並盛町の綱吉の家へと二人して歩いていく道すがら、今までのこととかを話していた。骸は主に今日の後悔しか口にしていないが。
 あの角を曲がれば家だ、というときだ。
 骸はそれまでとは違った声で綱吉を呼び止めた。
「今日ってエイプリルフールですね」
「? ああ」
「君は僕にウソをついていなかったでしょうね?」
「あ、あのな。どこにそんな余裕があったんだよ」
「いいですよ。許してあげますから。さ、何でもウソをついてみてください。聞きたいです」
「はぁ……? 何をいきなり」
 疑問には思ったが、骸のオッドアイは意外にも優しく穏やかなものだから綱吉は深く考えることができなくなった。
 エイプリルフール。何か言わなくちゃという気にもなる。
「……愛してるかも。骸さん」
「…………」
 ある種の不穏な影が、一瞬だけ、骸の微笑みを汚した。だが彼は笑顔を保った。
「君の口から初めて聞きましたよ、その単語。なるほど。ウソっぽいですね」
「…………、そうだな」
 何もない空間を必死になって凝視しつつ、綱吉はコクコクと首を縦にする。言われないでも顔が真っ赤になっていくのが感じ取れる。胃袋が沸騰したみたいで、その湯気が口からでてきそうだった。
「おれ、帰るから。じゃあな! クロームにもよろしく!」
「…………」
 複雑そうな薄ら笑いを浮かべて、暗い目つきをして――恨みがましげに照れまくっている綱吉を睨んでいた骸が、ハタとした。
 言おうとしていたことを思いだした顔である。
「あ、ああ。沢田綱吉。待ちなさい。僕のエイプリルフールも終わらせてくださいよ」
「は?」
「君に言えば終わりです。実は、ウソついてました。けっこう大事なことを君に黙ってました」
「……ああ? ウソ?」
 今しがたのこそばゆい思いも忘れて、アアン? という態度になる綱吉に、骸はようやっと表情を晴れやかなものに戻せた。
「僕はですね、脱獄したんですよ」
「?!」
 ぎょっとする。
 目を剥いた綱吉をじろじろと眺め返しながら、骸は自分の体に手で触った。髑髏は成長したと言ったじゃないですか。今頃は本当の彼女のお腹も引っこんでいることでしょう。
「僕は、今日、この一つしかウソはつきませんでしたからね」
「お、おい……、骸さん! おいっ。待てよ!」
「いつでもヘルシーランドにきてくださいね。歓迎しますよ」
 嬉しげに相好を崩しつつ、骸は踵を返してステップを踏んだ。あっという間に屋根の上にいってしまって綱吉に目で別れを告げる。
「えっ? ホントに?! おいっ!!」
「確認しにきてください」
 それが最後の言葉で、骸は宵闇に飛び込むようにして姿を消した。
「…………」
 唖然と空を見上げる綱吉が、残る。
 口があんぐりしている。
 けれど、その両端は持ち上がって笑いはじめた。コレがエイプリルフールのウソだというなら、骸のことだし真偽の程は本気で怪しいのだが。
(春休み、もっといっぱいあればいいのにな)
 ひとまず次の休日はヘルシーランドを覗きに行ってみるので決定だ。本当だったときのため、チョコレートケーキでも持って行ってやろうと決めて、綱吉は帰路についた。
 学校をサボったのがリボーンにバレていてお説教を受けた。








10.4.1

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