バレンタイン殺人事件(後)






 男子全員の右手が持ち上がる――確信に篭もった手つきは美しくすらあった。
『犯人は――ッ』
 ビシッ! と、三人分の人差し指が六道骸に突きつけられた。
『お前だ!』
「おや?」
 骸は、オッドアイの上側についた長い睫毛をぱちぱちさせる。
 自分を糾弾するメンツをサッと確認して、綱吉を見つけると嫌そうに嘆息をこぼした。
「酷いですね。まさか君まで疑うんですか?」
「いや、けっこー真っ当じゃないか?」
 綱吉は、骸に指した筈の右手首を掴まれたのでいささか動揺する。
「……っだぁああああああ?!」
「十代目ェーっ?!」
 そうして、次の瞬間には骸の小脇に抱えられて逃亡劇に付きあわされていた。

 

 路地裏を選んで移動しながら――宛てはないと骸は言った、取りあえずは現場から遠ざかろうとも――骸は殴られた頬を手でさすり、呻いた。離せと綱吉が暴れ出したのが数分前だ。
「ほんっとに僕は無実ですよ。ずっと一緒にチョコ作ってたじゃないですか」
「それ言われたら……、そうだな。まぁなぁー。麻薬捜査官がきてたら確実にクロなんだけどな骸は」
「僕は誰かに嵌められたのです」
 麻薬捜査官のくだりは無視して、骸は立てた人差し指で真円を描いてみせる。
 二人で並んで歩くには道が狭いので、骸が先行していた。
 あのどさくさでちゃっかりブーツを履いている骸に対して綱吉はサンダルだった。
「犯人を捜しましょう。疑いをかけられたままでは奈々さんへの心証が悪くなる。ここは僕の頭脳の活かしどころですよ!」
「なんでオレまで〜……」
 頭をしょげさせる綱吉の耳に、骸が唇を近づけた。
「大麻遺棄の疑いで通報しますよ?」
「……お前なぁっ?!」
「一蓮托生です」
 背中を反り返らせて両手をワナワナさせる綱吉だったが、骸は腕組みして、あくまで強気に睨み返してきた。
 と、そうして夜である。
 綱吉のハイパーモードでは目立つので骸の足で移動した。俊敏でありながら隠密に、そんな器用なマネは綱吉にはまだ無理だ。骸の背中に抱きつき、骸は沢田家の屋根に音もなく着地する。
「人はいないようですね」
 骸は、窓から侵入した。
「お、お前、カギかけてるのをいともあっさりと……。いつもそうやってるのか?」
「カギはこれ以上増やさないでくださいよ? あと騒がない。静かに」
 ピンをポケットに入れつつ、骸が綱吉をベッドにお尻から下ろす。
「…………っっ、も、もお。ホント、なんでオレまで。コソコソしてたら余計に怪しまれないか?」
「まずは現場検証ですよ。通報はしてませんでしたね。マフィアですもんね」
「面倒臭くなりそうだなぁ……」
 ベッドにあぐらを掻いて、なかなか立とうとしない綱吉に骸が忠言を呟こうとした。が。思い直してオッドアイのまばたきを早めた。
 ベッドには、両手を着く。腕の間に意中の人が収まる格好だ。綱吉が戸惑うのを制して語りかけた。
「そういえば、バレンタインの夜ですね。しかも君の部屋でふたりきり」
「じょ、状況はわかってるよなぁあああ?」
 互いの声はあくまで低いし小さい。ボンゴレファミリーの誰かが、恐らくは下で死体の隠滅だ身元確認だをやっている筈だ。
 綱吉が早口でそれらを指摘しても、骸はゆっくりと真顔を近づけてくる。
「お、おい……?」
「沢田綱吉!」
 いきなり、両腕が抱きついてきた。
「んなぁっ?!」
「クフ。大丈夫ですよ。痛いのは初めてのときだけですからね?」
「何の話をしてんだぁああっ?!」
 覆いかぶさってきた勢いで押し倒され、綱吉は巴投げのマネをして相手を投げようとした。しかしそうするまでもなかった。
「あ。うわっ」
 焦ったのは骸の方で、物音は立てないように床に手をついた。
 膝がベッドを滑ってしまい、体がベッドから転げ落ちたのだ。でんぐり返しのようになる。
「わ、わわわっ」体に乗ってきた少年がズルリッと落ちるので、綱吉もベッドを滑るハメになった。
 後頭部が床につく。上半身だけが落ちてしまって、背中が限界まで反った。
「わっ……。ちょ、ちょっと。おい。静かにしろって言ったのは骸だろっ」
「首が。変な音が……っ」
 綱吉の両手は、骸の胸のシャツを掴んでいる。骸は頭の後ろをさすっていた。蹲って体を丸める骸の膝の間に、綱吉の後頭部が落ちている。
 そこで、下の階からの物音が聞こえてくる。大勢の足音のようだった。
「…………」
 暗闇越しに目を凝らして、綱吉は逆さまになって体を硬直させた。
 こういう事態には馴れていないのだ。骸は緊迫してはいないが落ち着かなさそうに囁いた。
「……ま、あとにしましょうか。こーゆーことは」
 カーペットの床を見やって綱吉の目を覗いて、それから骸はチュッと軽く音をたてて唇に触れてきた。綱吉の背中に手を差し入れて、優しく抱き起こしてやりながらだった。

 

 頭だけを、差し出す。一階の床を黒い足が通っていった。複数。綱吉は寸でのところで噴き出してしまうのをこらえた。
(ふ、風紀委員じゃん!!)
 警察じゃないの?!
 口をパクパクさせて指差していると、となりでオッドアイも顰められた。
「さすが風紀委員ですね」
「いやおかしいだろっ! 並盛の警察は何してんだよっ!」
「この家が治外法権なだけだよ」
「ヒィ?!」
 染みこむような低い声に仰け反れば、階段の一段目に足をかけているのは黒髪の少年だった。
「待ってたよ。上でちんたら何してたのさ」
 マントのように学ランを肩にかけて広げている。腕には風紀委員の腕章。
「ひ、ヒバリさんーっ?!」
「や。ちょうどいいところに来たね、六道骸」
 恭弥の手には、銀に光る手錠が握られてあった。
 現場検証のために歩き回っていた風紀委員達も委員長の戦闘のために邪魔なものをどかしている。
 十人以上もいる彼らを従えて、恭弥はセリフで切って捨てる。
「風紀委員の名の下に君を逮捕する」
「…………っ」
 綱吉が、硬い唾を飲み込んだ。
 思考ごと停止している横では、骸が吐息を笑って吐きだした。
「できるものならやってみなさい」
 その右手には、槍が握ってある。
「あのっ……。ふ、ふたりとも……?! だあああああ?!」
 階段に飛び込むと、骸は階段の中腹で右足から強く踏み込んだ。一見すると膝を痛めたようなその動きで強烈なバネを得て、恭弥へと槍を突き刺しにかかる。
 ガヂンッ! 硬い音が響き渡った。
 仕込みトンファーが、三叉に絡んで槍の進路を変えていた。互いに手を伸ばせば届く至近距離でオッドアイと黒目とがぶつかった。
「僕の縄張りで粗相をしでかすなんて君もヤキが回ったんじゃない?」
「証拠もないくせに勝ち誇るんですか?」
 少年二人が、ニヤリとする。激しい応酬が始まった。
「――やめてください!!」
 綱吉が、喉を張りあげた。
「骸は何もしてないんですっ。ヒバリさん! ヴィンディチェに引き渡されるマネは何もしてない――ヒバリさん!」ひばりさん!
 と、その呼びかけに苛立ったのは他ならない骸だった。舌打ちして眼光をぎらつかせる。
「目障りなんですよね、君って」
「へえ。僕もそう思うよ」
 狭い廊下での諍いに、あたりの壁紙が破られ床がえぐられる。
「やめろっていってるだろ!!」
 ひときわに甲高い悲鳴が、――今度は骸と恭弥の間で弾けた。
 綱吉が立っていた。
 額から炎を消しながら、突きだした両手でそれぞれ骸と恭弥の胸を押し返して、自分の両腕をつっかえ棒代わりにしている。
「ヒバリさん。犯人じゃないですっ。骸は殺してないっ――」
 トンファーを下げて、恭弥は興醒めだと黒目でぼやいた。
「わかってるよ」
「へっ?」
「あの死体は幻覚だ。だから君の力が必要なんだよ、六道骸」
「…………ほう?」
 綱吉に睨まれてからようやく骸も三叉槍を塵に変えた。あまり綱吉には見せなくなった表情を浮かべていた。三本シワが立つほど強く眉間を皺寄せさせて、腕を組む。
「君が、僕に頼み事?」
 ひどく機嫌悪げにしているのに、口唇は皮肉げに笑んだ。
「地べたに四つ脚をつけてその場で三周しながらお願いします骸さまって言えば協力してあげないでも――」
 綱吉が、下から手をだして骸の右頬を引っぱった。綱吉は無表情だった。
「…………。嫌れす」
 綱吉のせいで図らずも奥歯を見せたが、すぐに手で振りほどいて、骸がそっぽを向く。
 しかし、綱吉がまだジャケットを握りしめていた。恭弥にはぺこぺこと頭を下げて、空いている手で骸の下顎を指差す。
「やりますから。オレがやらせますから」
「…………。沢田綱吉は、まるで僕の奥さんみたいですね」
「それでヒバリさん、現場は?」
「こっちだよ」
「聞いてますか。僕の奥さんですよね。ね? 沢田綱吉。無視しないでくださいよ!」
 外には、青いビニールシートが展開されていた。
 沢田宅の玄関先を覆って、人目から隠している。逆に怪しいのではと綱吉は思ったが、ドラマか何かで見たことがある装置なので不覚にもときめく。
「うわ。これも風紀委員が?」
「まぁね。こういうのは馴れてるから」
(な、なれてる?!)
「無視してるんですか? 沢田綱吉」
 綱吉と恭弥がしゃがみこむのに、骸もマネをするので綱吉は骸の右手を拾った。
 死体にかざすように持って行く。綱吉は知らない男だった。平凡なサラリーマンにしか見えない。
「え、えぐい……。でもこの人、幻覚なんだよな? ほら、骸! ガキじゃないだろ」
「あァ。幻覚ですね〜」
 オッドアイが眼窟の方へと僅かに窪んだ。眼の表面を覆う白光りがゆらりっとしたので綱吉にはふしぎと格好良く見えた。
「……ふむ……。で、得た情報をしゃべる対価として僕に何をくれるんですか?」
「あぁああああ?! 感動台無し!!」
「感動?」
 尋ねたのは恭弥だ。骸は綱吉が眼を合わせなかったのに気付いた。
「沢田綱吉?」
「あ、あ、あー、あー、ま、いいからしゃべっとけよ。骸。いいからしゃべれ!」
「…………。貸し付け扱いですからね?」
 むぅ。語尾を濁らせつつも、骸はその場に両足を伸ばした。
 風紀委員は死体の傍にはきていないから、三人の中で骸が一番の高身長だ。頭頂のフサが、ふさっと、ほんの僅かにビニールシートの天井と擦れていた。
「リボーンはどこにでかけたか沢田綱吉は知っているのですか?」
「え? ビアンキとデートだろ」
「夜にはそうかもしれませんが昼間には違います。僕も完全には把握していなかったんですが……。アルコバレーノの集まりだったようですね」
 死体を足で跨ぎ、骸は、仰向けに倒れている男の喉首に右手をかざした。
 ヴィンッ。重い電動音。現れ出でた人影は小さい。綱吉が息を呑んだ。
「マーモン!」
 フードを被った守護者は眼を回して気絶していた。顔色が白かった。襟元には赤いシミがあるから吐血したのだろう。
「だ、大丈夫かっ?! やばいんじゃないか。死んでないか?!」
 どしぇえええっとする綱吉のとなりで、恭弥は耳を心臓部に近づける。
「あぁ。かろうじて生きてる」
「かろーじて?!」
「ふむふむ。リボーンに連絡があって来たようですね。ところがリボーンはもう出かけていた……」
「お、おいおい。堂々と頭ン中を解析するなよ」
 一応は、ボンゴレファミリーの良心として綱吉がツッコミした。
 同じ幻術師だからか、精神感応がしやすいようで骸は額に触れた手を光らせていた。スラスラとマーモンの思考を読んでいる。
「なんだよ無駄足か。お金にならないことして損した……。なんだあれは……。うわああ……」
「り、律儀な報告だなしかも!」
「ふむふむ」
 手を引っこめて、骸はキザな探偵がするように下顎の先に人差し指の爪を当てる。
「どうやら沢田綱吉が投げたボウルに当たったようですね。僕の作った劇物を口にしてます、コイツ」
「ま、マジでっ?!」
 気が付いていなかったので愕然とする、が、すぐにもう一つの違和感を察知した。
「おい。おま、今自分で劇物っていったぞ? お前の作ったチョコだろ!」
「…………」
 骸がしらっとした表情になる。
 しらけた顔だ。つまらないといった顔だ。
 何がそんなにつまらないのか追求したいが無性に恐ろしくなって綱吉は恭弥にすり寄った。
「ひ、ひいぃい……?!」
「解決したんだ?」
 恭弥は、どうでもよさそうにヤンキー座りしたままアクビをした。
「……この僕が、沢田綱吉の口に入るかもしれないものを作るとして……何もしないと思いますか……?」
「ぎゃああああああ!!」
 マーモンを抱き起こして入念に顔色をチェックした。
 耳を近づければ何やらぶつぶつ言っていた。死んではいないのだ。呪文のように呟き続けている。なんでもするよ、ボク……。
「しっかりしろぉおおおお?!」
「自白剤に興奮剤に催淫剤に刺激が強そうなものをいくつか。十種類かな。あ。あと麻薬類ですね」
「お前ほんっきでオレを殺す気だろ!!」
 ひっくり返してどうにか赤子を吐かせようとしながら、綱吉。
 さっと骸がポケットから取り出したものはビニールチューブだった。透明なので液体が入っているのがわかる。
「毒素の分解薬と抗体ですよ。これを飲ませればいい」
「毒物作ってた自覚があるんかい?!」
「君が、自我を崩すほどおかしくなったというなら、この僕が放っておくわけないでしょう? ちゃんと元に戻す手段は考えてますよ。あ、……あ……」
 愛してますから。絞りだすように呻いて一人で照れている。オッドアイはビニールシート越しに上から照らしてくるライトを睨んでいる。
 が。
「…………」
「…………」
 ゾッとするあまりに綱吉は恭弥の学ランを握りしめていた。
 膝に引っかけての頬杖をしつつ、恭弥が呟く。
「綱吉、無人島にでも逃げた方がいいんじゃないの?」
「そ、そですね……っ」
「〜〜いえ、そんな、とびきりに愛してるのではなくて割りとっていう部類でまァまァともいえるかもしれません。それなりに? 人並みに? 僕は六道骸ですからね! マフィア風情にべたべたするなんてそんなこと有り得ないんですけどね! 君がマフィアをやめるというのならまだ話ができるかもしれませんがね!」
(感動するところなのかな? ムリだろ!)
 綱吉と恭弥の冷たい視線を浴びつつ、骸は骸なりにテンパっているようでしばらくは一人でしゃべりつづけた。
「そ、そもそもですねっ、勘違いしないで欲しいんですけど今日は人類が絶滅しかねないから沢田綱吉に警告にきてあげただけなんですよね。なんで殺人事件なんですか? バレンタインデーなのに! そもそも――ッッ」
「撤去作業開始ー。ふあ」
 三分くらいで飽きてしまい、恭弥がビニールシートの下から出て行った。

 

 で、十五日の朝である。綱吉は学校に行くために玄関を出た。
「ツナーッ! もう時間ないわよ」
「……はいはァーい!」
 奈々には、昨日の殺人事件については、死にマネが何より得意という人が練習中だったということで誤魔化してあった。
 ハッキリと予想はできた。予想通りなのだった。六道骸は外塀に背中を預けて待ち構えていた。黒曜中の制服を形式的に着こなしている。
「……」「……」
 互いに互いの姿をじろじろと見つめた。
「……はい、骸さん」
 綱吉が、懐から赤い包み箱を取りだした。
 受け取るなり骸が中身を開ける。表面に薄くマーブル状の模様があるハートチョコレート。模様は、テンパリングにやや失敗したせいだ。
 事前にどれだけ文句を言ったかは計り知れなかったが――、骸は、実際にはただ黙ってチョコをパクリと口に咥えた。
 一口目を長く賞味する。口を離すと、うめいた。
「今日は帰りにヘルシーランドに寄って行きなさい。十四日に渡せなかったのと、昨日の貸し付け分です」
「おまえも受け取るの忘れて帰っただろ」
「それはそれ、これはこれです」
 並中の方面に歩きだしながら、綱吉はナナメ上を見上げつづけた。骸はもくもくとチョコをかじる。
「おいしいか?」
 ん、と、鼻声での返答がくる。
 親指に付着したチョコまで丁寧に舐め取り、閉目すれすれまで眼瞼を下ろして、骸は唄みたいな節をつけてしゃべりだした。
「……かくして人類は今日もまた生き延びるんですね」
「うーん。なんかが間違ってるぞ」
 口角を引き攣らせながら、綱吉はやや控えめにツッコミを入れた。十四日にせっかくのチョコを渡せなかったのは綱吉もほんの少しだけ悔いている。









10.2.14

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