いつの春のことだろう。
 覚えのない番号からの連絡がきた。聞いたことのある声だった。名前を呼ばれて相手を悟れた。
『……沢田綱吉。待っています』
 オレをフルネームで呼びつける奴は、あの呼び方は、六道骸だ。
 指定された場所には桜並木があった。
 そのとき、骸は十七歳だったと思う。オレが十六であいつはオレの一つ上だから。
 黄緑色のコートに、太ももまでの高さがある白のサイハイブーツを履いて、伸ばしているのか後ろ髪の尻尾ができている。胸の下までの長さだった。
 ひさしぶり。戸惑いながら、声をかけた。オレの高校のブレザーを一瞥して、しかし何も言わずに骸は桜並木を歩きだした。ついていきながら来ない方がよかったかなと後悔した。
 桜並木の中腹ごろまで歩いて、強い風が起きた。
 いたっ。思わず声がでる。
 地に落ちた桜の花弁が舞いあがり、新しく降ってくるものもある。
 でも、痛みの原因は骸だ。
 無事に返してもらえるのかな、なんて、悩みながら歩いていたせいで、風によって煽られたヘアテールが飛んできたのを避けられなかった。骸の髪の毛だ。
 彼は、無言でオレの口に食べられている自分の髪を取り分けた。
 右端の口角に人差し指を押付けてきて、つうっと半円を描くように爪先を流してみせる。髪は取れた。たしかに。
「…………っ。な、なにすんだよ」
 胸には震えが残っていて、喉から搾りだした音響も震えてしまった。
「君こそ何するんですか」
 それが、骸の第一声になった。
 自分は何も悪くない。オッドアイがそう語るので面を喰らう。指摘されれば、風が吹いたとはいえ他人の髪を口にしちゃって、不快になったのは骸の筈だ。
「……あ。あ、や、ごめん」
 でも。……取り方に驚いたんだよ。
 と、理不尽さは感じていたが、骸に言い返す機会は来なかった。
「君がこのままマフィアになるというなら、君は、天寿を全うすることはない」
「…………はっ?」
「これを言うために君を呼んだ。これはね、警告なんですよ。恩返し……そうですね、それでもいいでしょう。千種と犬と髑髏を保護し、僕を水獄から救出するのにあなたは手を貸した。ボンゴレ十代目、沢田綱吉」
 口元に触れられた以上の衝撃で、言葉をしばし見失う。
 唖然としているコチラの顔は正面から見ないで、横目で――青い瞳で見つめてきて、骸は淡泊にしゃべりつづけた。
「調べればわかるでしょうが、マフィアのボスは……。特にシチリア・ボスは暗殺されるか獄中死のどちらかが九割を占める。そして僕は人心掌握に長けている自信がある。その僕の見立てでは君は不可能です。だからこれは予言ではありません。事実を予告しているだけなんです」
「……なっ。じ、事実って、オレが……死ぬことを?」
 唇から冷たくなっていった。春なのに。春なのに、骸はなんて不吉なことをいうんだ。
 骸は、道の先に眼をやった。
 桜並木が伸びる。
 横顔を見ていてわかった。この桜並木を抜けたら骸はオレの傍からいなくなるつもりだ。骸は遠くを見ていた。どこでもないけれど確かに遙か遠く。
「一度しか言いません。君は、優しかったですよ。僕にも優しかった。だから、迷った末に僕も君に優しくしてあげることにしたんです。今だけ」
 桜の花びらは、踏まれるとアスファルトに浸みるようにして貼りつく。
 狼狽している。足元を見つめながら、骸が酔狂や冗談で言っているのではない、それだけをリアルに感じ取って恐ろしくなった。
「死ぬ気は、ないよ。オレは」
「ええ。君は、マフィアと祭り上げてくる連中と一緒になって、楽しそうだ……。だから気付いてないと思ったんですよ。だから、今、こうして僕と歩いているんでしょう?」
「…………っ。酷いこと言うなよ!」
 耐えきれなくて、声を荒らげた。
「みんなをバカにしてんのか?! そんなっ――、みんなはオレを傷つけたりしない! 仲間だから!」
「仲間じゃないですよ。ファミリー。言葉の意味、わかります? 構成員という意味です」
「お前に何がわかるんだ!」
「マフィアの業が」
 ぐっと、喉に異物がつまった。少し遅れてごくんと呑込む。空気の大きなつぶで、喉が奥まで痛くなった。
 目頭が熱くなる。ひたすら無感情に、淡泊に、――この男がオレにこんな指摘をするなんて信じられなく思える。
 疑いたい。嘘だ。
 拒絶するのはひどく簡単に思えたが、何も言えなかった。
「……僕がいうんですから、説得力があるでしょう?」
 骸は性格が悪いんだろう。ダメ押しで重ねられて、オレはもう顔があげられない。
 眼球だけでどうにか頭上を探れば、桜並木の出口がすぐそこにきていた。骸は、オレがこんなに打ちひしがれていても歩調を緩めていないのだ。
 みんなを大事に思ってる。獄寺くんは初めてできた友達だ。リボーンは初めて『先生』だと思えた人だ。リボーンのおかげで、今のオレがあるといっても過言ではない。けれどリボーンのおかげで成長した今のオレには家庭教師に策謀に嵌ったという見方もできることはできると気付いているのだ。
 桜並木が、おわる。
 骸は親切を働いてくれたつもりでも、酷すぎると思った。
 本心を口にするには頼りない相手だった。骸はオレの寝首を掻く気がある。
 それでも、口が滑った。
「骸はさ、オレに、逃げ道があるように見えるのか」
「…………。僕は沢田綱吉本人ではない。そんなことまで知りません」
「やめろ。聞きたく、なかった」
 桜並木が、終わった。
 すぐに立ち去ると思えた骸は、しかし並木道のタイルが尽きて一歩目のところで立ち止まった。
 ジャケットのポケットに両手を突っこんで、神妙な瞳を向けてくる。そうして言った。涙目で懸命に俯いてるオレの、顔に、腰を屈めて顔を近づけてくる。
「……もう一つだけ。君に優しくしてあげてもいい。君にはそれなりに感謝している」
 咄嗟に片手で顔を覆って、みっともない表情は見せまいとしたが。
 かけられた言葉が意外で、顔をあげる。
「その優しさは、君が人生でいちばん苦しいときに見せてあげます。死にたくなったら僕の名前を呼びなさい」
 戦慄すら抱いて、挨拶もなく立ち去っていく骸の背中を見つめた。
 足元から真っ暗に汚れていく気がした。正面から風が吹けば桜の花びらはもう一枚たりともオレと骸の方には飛んでこようとしなかった。



 オレが今は十八歳だから、一つ上の骸は十九歳か。
 あれから、二年か。
 二年ぶりに出逢えた男は前よりも髪が伸びていた。まっ黒いテーラードジャケットをすかしたふうに着こなしていて、V字に開いた胸もとには銀のネックレスが垂れる。裏路地にでもいそうな少年という印象だ。
 呼びつける前には、皮肉げに言ってやろうと思ってた。でも、実際に、元とはいえ仲間だった彼が元気な姿でいるのが嬉しくてふつうに笑いかけてしまった。
 腹と足を抉られているので、苦しげではあっただろうけど。
「おまえが、オレを、殺してくれるんだったよな……」
「…………」
 ジャケットポケットに両手を入れて、骸は能面の顔立ちをして立っていた。
 シチリアの夏は過酷だ。石畳に倒れているだけで乾上がりそうだ。死んだらミイラになれそう。
「頼む……」
 これでもう、言葉は必要ないだろう。
 ところが彼は短く質問をした。仲間は? 武器は? 病院は? すべてに頭をゆるく左右に振って返していると、こらえようとしていた筈のものが目のふちに滲んだ。
「いいんだ……。みんな、元気だよ。でも事情って変わるんだな。いいんだ。オレ……、ボンゴレを壊すつもりでいたんだなって最近になってよく感じるんだ。もういい」
「…………」骸は、無言でジャケットを脱いだ。足元に落とす。下が半袖だ。
 ベルトに、拳銃のホルダーがつけてあった。
 抜きだしたものを手に握りながら、膝をついて寝そべっているオレの体に触れてくる。黒いスーツのボタンを外し、シャツを暴き、胸を開けさせた。
「うっ……!」
 傷口と布地がこすれるだけで目の裏が霞んだ。
「みじめですね。沢田綱吉」
「うん」
 銃口が喉に触れてくる。
 痛いほど冷たいのに安心できた。そんな自分の感性にも、悲しくなった。お人形みたいに無表情を保っている骸を見上げ、これが最後のつもりで薄く笑いかけてから目を閉じた。



「…………できません」
 微かに、聞こえてきたセリフに驚愕した。重い眼瞼を持ち上げれば、能面や人形のようだった骸の白面が変化を起こしていた。
 オッドアイに、浮いているものがある。
「あんなの冗談にきまってるじゃないですか。君が、本当に……呼ぶなんて。だから警告したんだ。警告を無視したからには君は何が何でも天寿をまっとうしなくてはいけなかったんだ。暗殺もされない獄中死もされない一割の奇跡を起こさなくてはいけなかった!!」
「……なっ。な、なに。いまさらっ――」
「きみが生きていないこの世界は恐らく醜い。光は、……僕の光は遠くで光っているだけで構わなかった。太陽に触れなくとも人は太陽の灯りで生きていける!」
 体の痛みが酷い。気力は潰えている。……骸の剣幕で誘発されたのが、恨み辛みだったことに自分でも絶望した。
「何いってるんだ、おまえ」
「君は生きる義務があるという主旨です」
「なにいってんだ! オレを真っ先に見捨てたのはアンタじゃないか!!」
 耐えようと、ずっと耐えようとして、仲間に撃たれたときだって耐えた筈の涙が今になって頬を滑った。
「お前が一番最初だった!! むくろが!!」
「それはっ……、君が好きだったから」
 顔を青褪めさせて、眉間に深く皺を刻み込んで彼は幽霊の告白といった体で語り出す。
「君がマフィアをやるなら僕は君を許せなくなる。アンビバレントな感情は、君への……劣情に繋がると思ったから。先手を……」
 言葉の途中だったのに、骸は無理に話をやめた。
 オレの態度が原因だ。すぐわかった。
 でも骸から今更に好意を告白されても、裏切りの絶望が増大するだけだった。殺してくれないんだ。助けてくれないんだ。
「やっぱり裏切るのか、おまえ……」
 しゃがれた声が自分のものだと気付くと、喉にまで嘔吐きが浸透した。
 きらいだ。どうにか、呻くと、骸は同情めいた目の色をして肩に触れてくる。他でもない骸にそんな目で見られたくなかった。
「やめろ。はなせ。もういい、拳銃貸せ。自分でやるからっ」
「そんなことはさせられません」
「裏切り者!!」
「!!」
 骸が、オッドアイを見開かせる。
 どうやらこの暴言だけはオレの口からは聞きたくないようだった。超直感が冴えていていやなほど読めた。
「ひきょうだ。オレに、優しくするそぶりを見せて……っっ。おれ、ずっと骸のこと考えてたのに。あの忠告があってから二年、もしかしたら骸がいちばんオレのこと考えてくれてたかもしれないって思ってたのに!! うらぎっっ、っ?!」
 つ、と、触れてきた人差し指の先にある爪が、下の歯に触れた。
 強引に指一本を突っこんでくると、オレが噛みついても諦めずに骸は咥内を掻き混ぜてくる。
「…………っ?! ヤッ、ぁ、う」
「わかりました」
 眼だけを向ければ、骸は額に脂汗を浮かべていた。苦しげに眉間を顰めるが、しかし彼は息が荒いし瞳孔をふくらませていた。
「君を納得させればいいんですね?」
 壊れ物に触れる手つきで、骸が剥き出しの腰元を撫でてくる。妙に思った。
 負傷して動けないオレの上に覆いかぶさると、骸はあたりの石畳に忙しげな眼差しをやった。時間は。十分……、いや、二十分もあればそれでいいんですけど。何かを呻く。耳を澄ませて足音がないことを慎重に確認した。
「む、骸?」
 怖くなって、ぎりぎりで少年である年齢の彼を見上げる。
 暑さのためか、別の理由か、骸は硬いつばを飲んだ。石畳に寝た頭の横に、彼が片手をついている。かけられた言葉がいやに湿っていてぬるりと噛みついてきた。
「君が死にたいというなら、生きる目的を作ってあげます。今の君なら憎しみも糧にできるでしょうね? ……それでも、傍にいて欲しいというならいてあげます。ただしこういうことなんですよ。僕は、君を裏切りたくなかったから――」惜しんでいると聞こえた。骸は何かを後悔しながらオレに触って何かでひどく興奮してきている。
「……優しくしたのに」
「むくろ……?!」
 意味が、わからなかった。




10.2.10

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