売られる子羊




 クフフ。君にぴったりの曲を思いだしたんですよ。テーマ曲というのですか? 悲哀溢れる旋律を微かに聴いただけで僕は身の毛がよだって君を想いだしてしまうんです。
 ――なんて、気持ちの悪いセリフを一方的に押付けてきたのが小一時間も前か。
 ようやく我が身にふりかかった災難に気がついた。
「これ、えーと。なんだっけこの曲は」
「ドナドナですね、十代目」
 沢田綱吉の机に置かれている携帯電話を、皆が覗きこむ。
「のぁああああああ?!」
「ツナ?!」綱吉は、パンチさながら抉り込むように右手を伸ばして携帯のボディを鷲掴みにした。教室の外に飛びだしていく。
「ど、どこいかれるんですかーっ?!」
「ちょっと屋上まで!」
 昼休みはもうすぐ終わってしまう、全力疾走すること三十秒あまり。
 辿り着いた屋上はガランとしていた。
 理由は知っていた。
 フェンスの補修工事だとかで、屋上の出入りはここ数日は禁止になっていたのだ。つまりは小一時間前にもここにきていたのだとしても、強風吹きすさぶ中で立っている現状がイレギュラーなのだ。
「骸! お前なにすんだ?!」
「おやおや。僕の予言、当たったでしょう?」
 綱吉が迷い無くも屋上に昇ったのには理由があった。
 小一時間も前、骸によってここまで誘い出されていたからだ。
 六道骸。黒曜中の制服を好んで着ているが彼は中学校には通っていない。
 異国人であり精神的には人外の存在であり、その人格、その容姿。ありとあらゆる意味で異端な少年だった。
「――メインテーマの旋律が終ってしまいましたね」
「アァ?」
 胡乱に思わず喉がうなる。
 少しだけ残念そうに、含みを持たせて呟いて、骸は立っていた給水塔から飛び降りた。そうすると綱吉の真ん前だ。
「……っっ」
 カカトを後ずさりさせる。
 ほんの数センチでいい、自分達には距離が必要だと綱吉の体は自動認識を始める。
 口角での笑みを深く吊り上げて、骸は、右手の人差し指で綱吉が掴んだままの携帯電話を指差した。細くて爪の長い指先だった。
「それ。子牛が売られてしまいましたね」
「……あっ」
 はっとして、相手を確認すれば、電話をかけてきたのは六道骸だった。
 風で乱れた前髪を右耳にひっかけつつ、彼は、美貌を喜悦に歪ませた。
「ドナドナの歌詞、知ってます?」
「……しらない」
 どんな理由であれ骸の前では弱味をみせたくないと思えた。危険な香りがする。
 その葛藤を抱えながらだったので、綱吉の応答は尖ったイヤミっぽさが色濃かった。
 骸自身は、まったく気にかけずに肩を揺らしている。
「では説明してあげましょうか。ある晴れた昼下がりのことです――」
「いや、いい。聞きたくない」
「おや。ではメールします」
「いやいやいや。知りたくない!」
「そう言わずに」言うが早いが、向こうは既に自分の携帯を――真っ青なボディで日本国内では見かけない型だ、海外製の携帯電話だろうか――親指で、早撃ちしていく。
 ほどなくしてまたドナドナがメロディを奏でた。
「おまえ、準備してたな?」
 冷たい汗を覚えつつ、綱吉。
 骸はクスリと蠱惑的に含み笑って流し目をして、仕切り板をたてられている一角を見つめた。
 フェンスの作業が、中断されている。作業員も昼休みなのか生徒の昼休み中だからか。
「だって綱吉くんのことですからね。どうせ僕のいうことなんてあまり相手にしないでしょう? こうでもやらないと」
「やめろよ。迷惑だ。……、って、これ……」
 ドナドナは、市場に売られていく子牛の悲哀を耳で聴ける唄だった。
 見る間に綱吉が顔色を青くする。
 なので、にっこりと、六道骸は満面の笑顔を傾けてかわいらしくしてみせた。高身長で、しかも男である彼がするといやに気持ち悪く感じられる可愛さだった。
「わかった」
 青褪めつつ、携帯を二つ折りに戻す。
「イヤガラセだろ」
「違いますよ。ただ、君に似合う曲だなぁと思いだしたので教えてあげにきたんですよ」
「そーして、わざわざ休み時間ぎりぎりに俺がココにでてくるよーに仕向けたってか?! ヒマ人!」
「残念ながら時間はあるものでね。くふふ、一度目の誘い出しは金魚のフンがついてきたではないですか。あれは僕に言わせると失敗なんですよ」
「獄寺くんたちは心配してくれ――」
「それは正解ですが。わかるでしょう、君の正解は僕には誤答なんですよ」
「っ、さ、さわんなよ!」
 さりげなく歩み寄ってきて手を出してくる、相手が素速かったために対応が出遅れた。微かにあご下をなぞっていった手つきがイヤラシくて背筋が粟立つ。
「ひいっ」遅れて、悲鳴を漏らし、鳥肌をたてている綱吉に骸が念押しをする。
「やっぱり似合いますねぇ。ドナドナは。まさに僕の思う『沢田綱吉』ですよ」
「よ、よくわからないイヤガラセはやめろっ。黒曜中にでも行ってろよ、犬さんたちとかいるんだろそっちに!」
「ちなみに、なぜどーして僕が休み時間にしか出現しないかというと」
「中途半端にクロームのこと思ってるフリされても気持ち悪いんだよ! はやく帰れーっ!!」
「……クロームの学業もそうですが」
 立てられた骸の人差し指が、前にちょこんと折れた。
「君がせっかく『ふつーのがくせいらいふ』を堪能できると喜んでるから、授業中にはきてないんですよ?」
「く、くるな。他校にくるな! フツーじゃないだろそれは!」
「国際交流という言葉をご存じで?」
「こういうときだけイタリア人ぶるな日本かぶれ! 六道骸!!」
「遠回しに僕の名前をばかにしてます?」
「してないっ。いーから帰れ!」
 綱吉がぜえぜえして息を切るのとは対照的に、骸は涼しげな貌をしていた。
 微かに笑みを浮かべて状況を楽しんでいる。
 そこで、チャイムが鳴り始めた。
 綱吉がナナメ上辺りに視線を伸ばし、あ…という反応をしたところで、骸の右手が綱吉の頬に貼りついた。互いの眼差しも交わった。落とした糸がぶつかりあった程度の短い時間はいやに高密度で後々まで頭に残ってしまったと後々に気付く。
 至近距離で目の色を確認してから――彼はオッドアイを細くしならせる。狐の目に似た形になった。
「またね。ドナドナが僕の合図ですよ。勝手に変更したらいけませんからね?」
「なぁっ。ち、ちか、顔が近いっ――」
 顔が近い、ばかっ!
 と、言い切るのを待たずに骸は工事中の仕切り板へと身を翻らせていった。飛び降りて並中をでていくつもりだ。
 何か言い足りないと強く思えて、しかし追いかけるのは億劫だったので(それで戻ってこられた日には厄介だ)綱吉はその場で大きく息を吸いこんだ。
「ムリしてまでこっちに遊びにくんな!! 倒れたりしても知らないぞっ」
 はたして、綱吉の真意が伝わっているか否かは明日に判明する。
 たぶん、こっちの気持ちが通じるのはムリだろうなと、言ってみてから一分で綱吉も思った。教師が入るまえに教室に向かわねばならないので、もう走りだしている。



10.2.8

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