なでしこいろのあく








 羽根が散らばるとき、ピンクに翳ることも在ると知った。――ピンク色の影を飛び越えた果てに、その青年は両翼を広げて待ち構えている。
「遅いね!」
「っ!」
 視界を覆う程の羽根が束となり、少年の視界を塞ぐ。
「ぐっ――、ぐあっ?!」
 目を瞑ったのはほんの刹那だったが、その間に懐に潜られた。
 下からの拳を喰らい、浮き上がったところでふり向きざまの回し蹴りが胴体にめり込む。猛スピードで落ちていく、が、少年は発射台に載せられた猫と同じく過敏な反応速度を発揮した。地べたに両足の裏で着地して、全身をバネとして空に跳ね返る。
「うあああああ!!」
 痛みは当然あったが、それを上回る覚悟が彼にとってのバネだった。
「沢田!」見守る仲間の一人が少年の名を読んだ。
「ツナヨシくん♪」
 彼の宿敵も同じく呼んだ。
「ここ……、血がでてるよ?」
 ぴ、として、己の口角を指差して歪に前歯をめくりだして微笑みを見せる。頭上に跳び上がった綱吉が、白蘭に吼えた。
「ふざけんな!」
 優位を確信して秘技の構えを取る、けれど次の瞬間にはまた白蘭の翼に視界を奪われた。ややピンク色がかった羽根が――、嵐のように目の前を散らばった。
 その羽根が、本当は真っ白いのか、それとも本当にピンクなんて信じがたい色合いを持っているのか、綱吉には判断がつかなかった。
 羽根がピンクに似た光を帯びているだけかもしれない。
 それとも、自分の頭が少しおかしくなってきているのか――。
「ぐっ……?!」
 しなやかな手が、気付けば綱吉の下顎を鷲掴みにしていた。
「つーかまっえた!」
 近所の公園で蝶々を捕獲した幼子同然の無邪気さと、純粋な悪意を同居させて白蘭がはしゃいでいる。
「どうしよう? 片腕でももいであげようか!」
「……イクス――ッッ」
 綱吉の視界には、貯め終えたエネルギーを報せる告知ランプの明滅が始まっていた。
「させないよ。当たらない技を繰り出すのってバカらしくならないの?」
「…………っ!」
 握りしめられた綱吉の手首は、握ってくる白蘭のものよりひとまわり小さい。
 子どもと大人程の差が――見た目だけではなくて実力にも表われている――。
 綱吉の五本の指先が虚空を漕ぐ。
 白蘭によって前方に手を引かれ、図らずも身を乗りだしてしまえば相手の懐の内だった。
 身につけた白黒の衣装を太陽光でぎらつかせながら、白蘭は涼しげに綱吉の耳朶に息を吹きかける。
「ふふ。でもちょっと感心かな。意外と、すぐには根をあげないんだね」
「離せ!!」
 顔を真っ青にして綱吉ががなる。
「僕に近づくのが怖いんだ?」
 ネズミをいたぶる者の残酷な目つきをして白蘭が歌った。
「賢明だね。こーいうこと、しちゃうからさァ!!」
「あがぁっ?!」
 羽根が舞い、ピンク色の煙幕が広がるのが眼球に映る。
 あ! 小さく呻いたのは綱吉自身だ。だが頭がそうと認識する前に強烈な組み手の殴打が上からきた。後ろ首を正確に直撃する。
 今度は、為す術もなく地面に激突した。地割れめいた傷口が、綱吉の体を起点として大地に広がっていく。
「ぐっ……あっ……」
 すぐには起き上がれず、数秒ほど呆けて空を仰いだ。
「綱吉!」
「何をされた?!」
 駆けつけてくる仲間達には視線もやらない――呆けてはいても、綱吉の双眼はひたりと白蘭を見据え続けている。
 上目遣いで睨みつける、しかし横顔には疲労の重みが貼りつく。
「平気、だ」
「折られてますね」
 簡単に指摘したのは、聞き馴染みの薄い声だ。
 綱吉は何かに気取られたようにして顔をあげた。
 六道骸が立っていた。十年後の骸をきちんと見るのは、綱吉には初めてだ。後ろの髪がやたらに伸びている。
「っ、触るな」
「アッ。ずるい。手伝っちゃうの? 骸クン!」
「防御を。盾になるくらい出来るでしょう」
 周囲のメンツに適当に指図をくだして、骸は綱吉の傍らにしゃがみこむ。
 綱吉は、ハイパーモードの炎を一度だけ揺るがした。
「…………?!」
「沢田綱吉。警戒しないでください。手を貸してあげましょう」
「治療ができるの?」
 どこか皮肉げに口を挟んだのは恭弥だ。
 宙を飛んでいる白蘭との間に立ちつつ――他のものたちもそうしている――、肩越しに視線を寄越している。
「アタシがやるわよう!」
「俺が――」ヒーラーの特性を持つものたちが手をあげるのを、オッドアイが一瞥で牽制した。
「黙りなさい。僕がやるんです。……この場では僕が適性です。君の恐怖心も少しだけなら取り除けるでしょうから」
「なっ……。オレは……!」
「嘘ですね。君は、痛いのをまだ怖がってる。……あのときと同じように」
「!」優しげな手つきが左手首に触れてくる。
 そうしながら、もう片方の骸の手のひらが綱吉の両目を上から覆った。
「やめろよっ。大丈夫だ、オレはっ」
「ほら。怖がってる。君らしくありませんね、人の好意を無下にするなんて。助けてあげるといってるんですから体から力を抜きなさい?」
「む、骸っ……?!」
「痛くはしませんから」
 骸の手に顔の上半分を覆われながら、綱吉は数秒を躊躇った。
 下唇を強めに噛んだ。
 見えない視界の向こうで、叫びが交錯する。白蘭が自分を呼んでいた。仲間がそれを遮る。交戦が起きているらしい。
「骸クン! それ、横取りって言うから! ひっどいな、自分もこっち側のクセして味方のフリするなんてさぁあ! アハハハハハハ! 君のそーいうところ大好きだよ!!」
「ああいう輩のコトバには耳を塞ぎなさい。沢田綱吉。君は彼のようには狂わない。君は僕を信頼できる」
 子守唄の旋律に通じるものが頭に雪崩れてくる。
 静かに、受け入れることにして、綱吉は骸の手の下で目を瞑った。体から力を抜いた。
「早くしてくれ」
「……好い子ですね」
 見えていなくても、骸が笑ったのだと綱吉にはわかった。
「そう。大人しくしているのなら、たっぷり可愛がってあげますからね」
 綱吉にしか聞こえないような、ごくごく低い声量でもって語りかけながら骸が左手首を握りしめてくる。
 一瞬、何か――疑いを、お前の思い通りにはならないとかのセリフを、呻こうとした。
 けれど次には体を硬くして呻き声を堪えるだけになっていた。
「あ……!」
「くすり指と小指ですね。折れている。酷いことをされましたね……。怖がらなくていいんですよ。直してあげますし、補強してあげます。君の骨は鋼鉄を重ねたよりも強くなる」
「……マ、マインドコントロール……なのか……?」
 身動ぎした綱吉の両目の上を、ぐっと、骸の手が強く掴んだ。
 まだ眼を開けるなと手で告げる。
「僕の言葉を疑ってはいけませんよ」
 言い終わらない内に、けたたましい哄笑が響き渡った。白蘭だ。
「お、おかしくって堪らないよ……ッ。アハハハハハハハハハハハハッハハハハ!!」
「狂ってるな、あの男は」
 見かねた誰かが毒づいた。
「味方の内にも、いるけどね。一人」
 と、これは雲雀恭弥だ。聞き慣れている綱吉にはわかる。骸を睨んでいるんだろうなと思えた。
「……まだ時間がかかるのか?」
「いえ。すぐですよ。沢田綱吉。君の心は少しだけ僕に近づく。僕のこの手を通してね。『大人』は怖くありませんよ……? 君ももうすぐ大人になるんですから」
 顔の上半分を掴んでいる手が、ゆっくりと下にくだり、ついには綱吉の顔から滑り落ちた。
 綱吉が目を開ければ、青年の六道骸は線として細めていた己のオッドアイを見開かせていた。言い聞かせるように呻く。
「僕のこと、怖くないでしょう?」
「…………?」
 いやな感じの汗が背中を湿らせる。この男のこういうところが一番怖いのだった。綱吉は硬いものを呑んでから頷いた。
「……左手が」
 気がついたことを、呟く。
 折られた筈の二本の指が動いていた。仲間が何かを言っている。さすが。クローム髑髏の内臓を再生させた男だとか。
 あァ、それで。だから骸でも再生できるのか。
 遅れて、綱吉も納得して、しかし疑問は残った。
「おれは、お前の何もかもを許した訳じゃないんだぞ」
「知っていますよ。クフフ。なら、これはクロームを守ってくれた君に僕からの礼ですよ。あともう少し、戦いなさい」
「や、やめろよ。変なことはするな!」
 驚きながら骸の手を振り払った。
 ごく自然に、掬い上げた左手の甲に青年がキスしようとしたからだ。
「騎士の真似事でもしてあげようと思ったのに」
「もういいかーい?」
 憮然として呻いた骸の頭上で、子どもの遊びに痺れを切らした白蘭が浮游した。
 あとは、一瞬だ。
 仲間がそれぞれ飛び退いて――骸もここに含まれている――綱吉は大空に飛びあがり、白蘭は綱吉のパンチを避けて右に旋回した。
 ピンクに霞んだ羽根の嵐が、あたりに飛散した。桜吹雪に似ていると日本由来の人々は密かに思う。
「かくれんぼはもうお終いだねっ? アハハハハハハハ!!」
 綱吉が笑いもせずに対峙しているのを見て、白蘭は子どもっぽくも余計にやる気が増した様子だった。片眉を跳ね上げているのは、しかし不機嫌な仕草だった。
「ノリ悪いの〜。綱吉クン、かくれんぼは嫌いかな? もういいかい?」
「こっちは子どもの遊びでやってるんじゃない!!」
「……フン。アハハハ♪ セリフだけ大人になっても、ボクには勝てないんだよ!!」
 炎を拡げる少年に、羽根を伸ばす青年が楽天的に応えてみせる。
 その光景を見上げ、六道骸は微かに忍び笑った。
 口角のナナメの角度は見るものが見れば邪悪と言い切ったかもしれなかった。
「もう、いいですよ。もういいですよね、沢田綱吉。――勝とうが負けようが君は僕のものだ」
 唇に含みながら語りかけたので、誰の耳にも届かずに骸の決意を深めるだけで言葉が消えた。







10.2.7

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