よるを除く夜





 好んで時限を設けたのではない。結果として時限がついたのだ。
 例えば彼は何気なく言ったのだと想像しよう。
 全て丸く収まって新しい年を迎えられたら嬉しいな。お正月はさ、日本に帰って実家でゆっくりしたいもんだろ?
 緊張を和らげるために他愛のない世間話、きっとそうなのだろうと誰もが思ったが、だが発言者がボンゴレ十代目とあっては誰もがひけなかった。彼の望みはボンゴレの歩むべき道なのだから。
 そうして事態はさらなる悪化を遂げる。少なくとも平和主義者を自称する沢田綱吉、ボンゴレ十代目当人にとっては。
「だ、だれがっ……」
 降りかかってくるガレキを避けて走りながら、綱吉は喉を震わせた。
「誰が総攻撃をしろって言ったんだーっ?!」
「きな、綱吉。君がついてこなくちゃ話が終わらないだろ」
「ヒィイイッ?! だぁあああ?!」
 爆発がまた後ろから起きて、綱吉は自分で走らずとも前に吹っ飛ばされていた。よれ始めたスーツ姿で、器用にもバランスを取って着地して転倒は防ぐ。
「ヒバリ、三階にあがって右の大扉の向こう、隠し部屋がある。本棚の裏だよ」
 爆風にばたばたと紫がかった頭髪をゆらし、女が叫ぶ。クローム髑髏は特殊形状の片目レンズを嵌めていた。
 彼女が指差した方角を一瞥だけして、恭弥は握っている綱吉の右手首を引っぱった。
「だってさ。ほら、話をつけてきな!」
「ぎゃぁああああああ?!」
 三階の階段に押しやるかたちで、背中を土足で思いっきり蹴られた。綱吉が仰け反った末に手摺りに激突する。
「ヒバリさん?!」
「ここは僕が食い止めてあげる」
「んなぁっ?! そ、そんな、みんな何いってんですか。獄寺くんも山本もお兄さんも! オレだって戦えるのに――」
「君の目的はひとつだろ。さっさと行って」
 ちゃきんっとして仕込みトンファーをブラックスーツの袖から展開してみせて、恭弥は歯をナナメに覗かせる。
「邪魔だよ。噛み殺されたいの?」
「…………っ」
 青褪めて、綱吉が後ろ足から階段を昇る。
 また爆発が起きた。クロームのシルエットが爆風に呑まれて、しかし悲鳴は聞こえず、煙幕の向こうから響くのは槍による迎撃音だった。カンカンと甲高い音色。
 恭弥の横顔を見やる――真っ直ぐ前だけを見て、防衛戦としての己の役目に徹しようとしている――、綱吉は怖じ気づきながらもボンゴレ十代目として呟いた。
「お願いします!」
 だっとして走りだして、クロームの指示した部屋に押し入った。
「え?!」琥珀に近い目の色が、驚愕から茶味を濃くした。綱吉は唖然とその男のフルネームを囁いた。
「六道骸?!」
「どうも」
 ロングコートに白いシャツにネクタイ、太腿丈のヒールブーツ。戦闘服とは見受けられない衣装を身にまとい、彼は、その赤蒼の目を細めて待ち構えていた。
 大机に腰掛けて、不遜に足組みしている態度で綱吉の直感が働いた。
「お前か、悪知恵を入れてたのは」
「当たりです。クフフ」
「クロームは下にいるんだぞ?」
「僕のコマは彼女だけではない。それこそ無数にいるのですよ。君のところの獄寺隼人だってビアンキだって、僕の手駒の一つであることには変わりない」
 青年が、ぱちんと指を鳴らすと、綱吉が開け放った扉の物陰から何かが飛びだした。
 獄寺隼人だ。突入して数分と経たない内に、綱吉達を先に行かせるために踊り場に残った筈の男だ。
 彼は、呆気に取られている若いボスを恐ろしく容易く羽交い締めにしてみせた。
「獄寺くん?! ……なぁっ……」
「少々驚いたので、せっかくですから君に挨拶もしようかとね。この時期ですし。どうです、お茶でも――」
 何を考えているのかわからない細い目つきで、骸はしげしげとした嗤いを頬に拡げる。
 綱吉は、その視線に気を配るまでもなく、慌てて背中を捩った。
「獄寺くん。獄寺くんは、絶対にオレを傷つけることは望まない!!」
「――――」隼人の目が見開かれた。六道輪廻のマインドコントロールを解く手法、それはその者が本心から望む事象を言い当てること。
 隼人の手足から力が抜けたので、綱吉は安堵して友人を胸に抱えた。
「大丈夫か? 獄寺くん、怪我してる――」
「君は、変な人ですよね。在る面ではとても機敏で聡いのに、在る面ではとても愚鈍で鈍い」
「えっ?!」骸の喉が奏でる重低音は、予知できる位置よりもずっと近いところから鳴った。
 気絶している隼人を壁にもたれかけさせる――その体勢から、ふり向こうとした肩に手袋の手がかかる。ぎょっとして綱吉は自らの視界を疑った。
 反射的に歯で思いきり噛むと、彼はすぐに身を引いた。
「なにするんですか?」
 口角についた血を、手袋の嵌めた手の親指で拭ってみせる。
「なっ……、そ、そっちこそ」
 狼狽えながら、綱吉はぶるりと体を戦慄かせた。
 背中に隼人を庇い、覆いかぶさろうとする青年を見上げる。真意を測りかねて数秒は言葉が出なかった。
 戦慄。そう表現するのが一番近い顔つきに、骸は暗い満足感に浸った目を返す。
「さて……。君にここまで一人で来て欲しかったものですから、ちょっとした小細工はしたんですがね。獄寺隼人は自分の意思で率先して捨て駒になったと思います?」
「まさか、乗っ取ってたっていうのか?!」
「クフフフフフ。どうですかね」
「まさか」同じ単語を繰り返し、しかし綱吉はどうにか論理的な思考を試みる。
「……お前がそうする理由がわからない」
「つまり、このプランには反対するものが多いということだ。綱吉くん。いいえボンゴレ十代目?」歌うように軽やかに誘いながら、骸はその右手に三叉槍を召還した。
 五本の蛇を絡みつけるように五本指で静かに握りしめ、切っ先を――本棚の一角へと向ける。
 衝撃波によって爆発が起きる。現れた隠し通路に早速乗りこんでいこうとする。骸に、慌てて綱吉は呼びかけた。
「マジで何考えてんだお前っ?!」
「早くきなさい。こっちですよ? ほらほら、タイムリミットもこの通り」
 槍の穂先で壁時計を指差されても、綱吉には何がなんだかわからなかった。
「獄寺くんは置いていけな――」
「きますよ、君の仲間が。きなさい」
 言いながら骸が傾斜している通路に消えていくので、綱吉は、結局は六道骸を追いかけることにした。隼人の胸に脱いだ背広を被せておいた。白シャツの首元を緩めながら歩幅の大きい男に尋ねる。
「骸! お前の目的はなんだ?!」
「細かいことは気にしないでください。ほーら、十代目。あとは君の出番です」
「でぇええええ?!」
 追いつくなり、背中をどどんと押出されて綱吉は引き攣った悲鳴をあげた。
 通路の先の小部屋。そこには、あるファミリーのボスから幹部が勢揃いしていた。消耗戦に疲れ果てた兵士の顔をしている。
「なっ……。あ……」
 口をパクつかせる綱吉の後ろから、骸が、片方の耳に唇を寄せた。
「ほら、まずは名乗りなさい。あと五分ですよ、十代目。この戦争は僕らの勝ちだ。勝者は敗者を好きにしていいのです」
 骸の言葉で、彼らが表情を一変させたので綱吉は急いで前に出た。
「オレがボンゴレ十代目です。オレ達がしている戦争のことで、話し合いに来た」目瞼を半分ほど閉ざして、ナナメ上にまなじりを吊り上げて、凛々しく声を張りあげるその青年は確かにボンゴレ十代目だった。
 骸は、そんな綱吉を一瞥して、一歩を下がった。出入り口の見張りをするべく。
 と、そうして事は落ち着いたが、だが綱吉は納得できていなかった。武器を捨てて降伏を示すファミリーを尻目にしつつ、がなる。
「骸は何しにでてきたんだ?!」
「まだ気付きませんか?」
 相変わらずニブいですねーという目つきは、二十歳を過ぎた青年に向けるものとしてはバカにしすぎているからカチンときた。
「何だよ。わかるわきゃないだろ! 敵か味方かハッキリしろ!」
「敵ですよ」
 即答に、目を剥いたが、骸が平然と続ける言葉の手品のような応酬には絶句した。
「味方かもしれませんね? 敵っていう概念はずいぶんと幼稚ですね。味方か敵か、自分で決められないで僕に尋ねるのですか? 幼稚な人ですね、十代目は」
「……はっ、はあ……?! 悪かったな」
 謝った時点で負けだ。だが綱吉にはその自覚も持てない。
「どっちなんだよお前は?!」
「フン」両手をワキワキさせて詰め寄ってくる青年を冷たくあしらい、骸は、腕組みを解いて綱吉の手首を握った。
 ぎくりとする。そのタイミングで、隠し通路から足音が響いた。
「綱吉!」「十代目ーっ?!」
「お、おい。手ェ離せ」
「何しにきたのかと尋ねたのでしたっけ。かわいいクロームがどうしてもというので、生意気な君のお願いを叶えにきてあげたんですよ」
「は……あ?!」
「走りなさい!」
 唐突に怒鳴られたので、綱吉はつい骸に腕を引かれるままに走りだした。通路から悲鳴がした。捕虜と化したファミリーも絶叫をあげた。
 今世紀最高レベルの実力を持った幻術師の一撃により、壁が粉砕されて炎が大気を舐めた。
「こ、殺す気かっ?!」
「幻覚ですよ」
 飛びだした先は、一階から三階までをぶち抜いて作られたダンスホールだ。骸はすぐに体勢を変えて綱吉を小脇に抱えた。
「っ?! お、お前――やっぱり――」
 怖気が走り、ハイパーモードを誘因すべく体に熱を集めるが――。
「ボス、信じて!」
 幻覚の炎をものともせずに、クロームが壁に開いた大穴から身を乗りだした。パンツルックのスーツは汚れている。
「わたしを信じて!!」
「な……」
「クフッ。わかっているじゃありませんか」クロームの言動に対してか、綱吉が抵抗を止めたことに対してか、線引きは非常に曖昧でわからない。両方かもしれない。
「それでは。後は、僕が引き受けました!」
「お、おい……。ええ?」
「十代目ぇえええええええ?!」
 ボンゴレファミリーがクロームの後ろからのしかかり、次々に叫いた。
 骸はイヤミたっぷりに右の手のひらをヒランッと翻して蓮を操り外に出て行った。
「のぁぁぁぁぁぁあああ?!」
 ごうごうごう。台風直下の猛風が鼻先で吹雪くので、綱吉は死ぬ気で骸にしがみつかざるを得なかった。
「なんじゃこりゃああああ! 死ぬ!! なんのつもりだよお前?!」
「舌噛んで死にたいんですか?」
 綱吉を胸の前で抱きしめながら、骸は二本足で立っていた。有幻覚の応用だろうが綱吉には信じられない事象が現実として目前で展開されていた。骸は、空をすっ飛んでいって嘴も顔もない黒い鳳凰の上に足をつけたのだ。
「クフフ。こういうことをすると世界は僕のものという気がしません?」
「ひぃっ。ひぃいぃい?!」
 足元の大西洋に、綱吉は真っ青になる。どこにつれていかれるか分からず、ここが何処かも分からず、骸は信用できないし縋るものがなかった。
「おろせぇえええ!!」
「音速超えてますからね? 僕が有幻覚での防御壁を作らなかったら君は今頃はパーンと弾けているのですよ。割れる風船といえばわかりやすい例えに――」
「例えるなぁあああああ!!」
 青褪めながら怒って、綱吉は骸の胸ぐらに掴みかかる。
 と、パッとして加速圧が失われた。
 骸は落下しながら綱吉をまた抱き直した。横抱き。いわゆる姫抱きとして持ち直して、すたんっと着地する。見慣れた屋根の上に。そうして、あたりに響く鐘の音色に聞き惚れるように耳を澄ませた。
「あぁ……、懐かしいですね。除夜の鐘だ」
「は……ひ……っ?!」
 奥歯をガチガチ震わせながら、綱吉は混乱しきってただ骸の顔を仰望し続ける。
 懐かしい景色だった。並盛町。綱吉が幼いころに住んだ町で、青春のすべてを過ごした町だ。郷愁が満杯まで詰まっている我が家が骸の足元にあった。
「な……何が起きて……?」
「おや。僕に感謝しますか?」
 ぼーん、ぼーん、響いているのは確かに並盛寺の除夜の鐘と綱吉にも思えた。けれど頭が事実を拒んだ。
「だってオレ、イタリアに……。今のさっきまで……。戦争が……」
「つまらない現実なんて捨てればいいではありませんか。僕が君を夢の世界に連れてきてあげたのですよ。それで不満ですか?」
「夢? んなっ……、嘘だ、この感じはお前の幻術じゃない。これは現実だ」
 骸のセリフを直感的に否定して、否定に否定を重ねることで逆に最初の否定がひっくり返る。綱吉は、信じがたくもここが日本の並盛町だと静かに認めた。
「こ、こんなことってあり得るのか」
「面白いから黙ってあげててもいいんですけど、でも教えてあげてもいいんですけどね。どうしますか?」
「教えろ」
 眉を八の字にして、いささか恥じ入るような気にはなったが、綱吉。
「ついでに下ろせ」
「嫌です」
 フフンとして勝ち誇り、骸は腰を抜かしている綱吉の体をぎゅうと両腕で強く抱き込んだ。
「クロームに呼ばれたんですよ。ファミリー総出で君の笑顔がみたいそうだ。緊急事態だそーで。それで、新年ではありませんか。一年に一度くらい、僕が君に優しくする日があるとしたら、そういう特別な日じゃありませんか?」
「優しくする……?」
 何をいってるんだコイツは、と、頭の中身を疑う目になりつつも、綱吉は何度となく胸中でこれまでのことを咀嚼する。
 ぼおん……。いくつめかの鐘かは知らないが、重く静かに、鐘の音色が町を包んでいる。日本の正月がすぐそこにある。骸の言葉にというより、鐘の音色と、懐かしい町の匂いとで胸が震えた。綱吉は戸惑いながらもゆっくりと認めようとした。
「あ、ありがとう……。疑っててすまなかったな」
「いえいえ。僕の本分を君はきちんとよく見てますよ」
 ニッとした笑顔を向けられて、綱吉は、まだ引き攣ってはいたが浅く笑みを浮かべた。照れ臭そうに尋ねてみる。
 体は、ようやく降ろして貰えて屋根の上に立った。
「休暇、貰っていいのかな。大丈夫かな? みんなは。オレがいきなり帰ったら母さんにランボはびっくりするかな……」
「クロームを信じればいいんじゃないですか?」
 ナナメ上に眼球を上向けて、骸が小首を傾げる。自分の電波塔の具合を確かめるような仕草だ。精神テレパスは簡単なようで難しいらしい。
「そっか。そうか」
 綱吉は何度も確認を繰り返した。不器用なのだった。臆病にも近い。
 ふいに、猛烈な興味がでてきてしまったというふうに骸も頷いた。この体は仮初めなんですけど。本体は牢獄ですし。でもまだパワーはあるんですよね。
「僕も、君の帰省に混じってしまおうかな」
「何いってんだ?」
 綱吉が顔を強張らせた――それまでは見直したというように骸への憧憬すら含めて、嬉しげにあたりを見回していたのだが――、驚きから彼を見返す。骸はマイペースに鼻を鳴らした。
 除夜の鐘は潰えている。これはこれは。なるほど? 笑顔で唇を開かせる。
「あけましておめでとうございます、綱吉くん」
「あけましておめでと。ダメだぞ。何でオレの帰省にお前が混じるんだ」
「僕と君の仲でしょう? 僕がいなくて寂しがってるくせに」
「寂しがってなんかいるか」
「では不便がっている。キスした仲じゃないですか」
「さ、さっきのはぜんぜん違うぞ?! お前なぁっ――!!」
 押し問答は明け方まで続いたという。
 三が日が終わり、綱吉は、きたときと同じ方法でもってイタリアに送り届けられた。留守の間に何かの会議でも開かれたのか、来年からは元旦は開店休業だとボンゴレファミリーが口を揃えた。 







10.1.3

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