ふたりむくろ。

 ――カカシが立っているのだろうか。
 並盛町のド真ん中で? 田んぼもないのに?
 よくよく見ればいやにシルエットがスッキリして縦長だからそう錯覚しただけだった。彼は両腕を広げているワケではなかった。
 首をカクンとして折り曲げている。
「あれ……」目を凝らすと、もしかして知り合いかもと思った。
 しかし、そんなワケはない。
 居るはずのない人物だ。綱吉は学生カバンを手にしている。通りすぎるべきだが嫌な予感がするので足が躊躇った。
 嫌な予感が最高潮にきた。瞬時に。
「おや。おや。奇遇ですね!」
「え……。なんで?!」
 カバンを強く握り、綱吉はステップを踏むようにして――パラレル十年後ワールドの鍛錬にて身に付けた動きだ――後退る。
 Tシャツに緩くしめたネクタイ、裾長のブラックジャケットの六道骸はしたり顔でふり返った。
 目の色を確認する。オッドアイ。面長のおもて。間違いはないよう思えるが。
「な、なんだお前は?! 六道骸ォ?! しかも十年後?!」
「ハっズレ。正確には十一年後です」
「ハァ?!」人差し指をピンッと立てて嬉しげに小首を傾げながらだ。骸は、いやに陽気にブーツを高鳴らせて真前に立った。
「?! な、なんだよう」
 顔面に影が差す。
 長身で覗きこんできながら六道骸二十六歳はニヤニヤする。
「ほー。おー。カンペキですね。確かココが通学路だったよーなという僕の記憶は間違いがありませんでしたね! さすが僕!」
「さ、触ろうとするなよ……。何でお前がこの世界にいるんだ?!」
「あれから白蘭とそれなりに懇意になりまして。憑依弾の提供という契約でパラレルワールドへの転移権を勝ち取ったのです」
「最終兵器同士を交換するなよなラスボスどもが?!」
 クフーとして骸はさほど問題はないという態度だ。
 頭を撫でようとされるので、綱吉はもう五歩くらい後退っていた。いちいち、ついてくるので距離は縮まらない。しかも綱吉の五歩は向こうにとっては僅か二歩だ。
「くふ。そう冷たくしないでくださいよ」
 伸ばした手の指先をワキッとさせて、骸。
「な、なんのためにお前がココにいるんだよっ……!」
「逢いにきたんですよ。この年代の君ってどういう行動してたかなぁと思って」
「オレに? なんでだよ」
「釈放されてからほとんど会話がなかったではないですか。君のフレッシュな姿にはいろいろと感銘を受けましてね。だから――」骸の言葉も頭半分で聞き流して、綱吉は相手の容姿をまじまじ観察していた。じっくり見るのは初めてだった。
 テロリストという彼の肩書きのせいか。脱獄犯という認識がためか。それとも、もっと即物的にTシャツにネクタイをしめてる二十六歳の神経を疑うが故か?
 この人はマトモじゃなさそうだ。
 いっそ家に逃げこもうかと考えて一秒ですばやく骸の手が伸びた。
 制服のネクタイを鷲掴みにされて、綱吉は前にたたらを踏んだ。
「――クフ。嫌がってますね? 君の表情の変わり方は実にわかりやすいなぁ……。昔から変わらなかったんですね、そーいうところ」
「ヒッ……?! やめっ、なんなんだ! いつまでこっちの世界にいるんだ?!」
「ちょこちょこ遊びにこさせてもらおうと思いますよ」
 黒い手袋をつけた成人男性の手が、ぐっと握りこぶしをネクタイの結び目に押付けた。
 綱吉には、それは首元にこぶしを押し当てられたのと同じだ。首を締められたのと等しい緊張感で肩が強張った。
 息を呑む。向こうはあくまで笑っていた。
「……なんで?」
「君、さっきから、何故という趣旨の発言を何回もしていますよ。もっと違う言葉は囁けないのですか?」
「うっ――」ネクタイを揺さぶられて息苦しくなる。
 ネクタイを掴んでいる黒手袋に、空いた手を添えた。
 けれど罠だった。
 前に差し出された綱吉の手首を掴み、骸は今までよりもっと強い力でグイと引寄せてくる。
 膝が曲りかけて、はからずも胸に寄りかかった。耳朶に、息が触れる。ビクッとして綱吉の背筋がわなないた。青年の胸下の位置でそんな素振りをすると子飼いにされた雛鳥のような覚束ない自由が透ける。
「なんなら鬼ごっこでもしますか? 君が逃げたいというのならば僕も興じてあげますが」
「や……。やめろ――、よ。んなっ。せっかく平和になったのにお前がコッチにきたら元も子もねーだろって言いたいんだよオレは!」
「僕は君を見たいだけですけど?」
「気持ち悪いこというなよ?!」
 ヒーッとして、相手の手を振りほどくべく身を捩る。
 確かに、自由は得られたが、精神的には余計に枷を嵌められたも同然だ。綱吉は骸の真摯な両眼をボーゼンと見上げた。
「え? マジで言ってんの?」
「なぜ、この状況でこの六道骸が嘘をつくというのです?」
「ええ……?! ちょっっ、え? 学校についてくる気かお前?」
 さりげなく、学校に向かって歩きだしているのだが骸は平然と後についてくる。
「だから君を見ていたいだけだと……」
「なんでだよ?!」
「……」僅かに不快そうに眉を寄せたが、だがしかし、骸は口角で皮肉げに笑った。
 綱吉はドキリとして呼吸を止めた。
 反射的に、超直感と勘とで手をだした。骸の右頬にばしっと平手が決まった。そのときには鼻と鼻とがもう十センチほどの距離にあった。
「な……、なんのつもりだ」
 やっとのことで、乾ききった尋ね方をする。綱吉の顔は真っ青だった。
「みりゃわかるでしょう」
「な、なんで?」
 乾いた上に震えきった尋ね方へと昇華する。
 骸は、ニッコリと笑って、まだ中学生である綱吉の肩に手を置いた。綱吉の肩は細くて幅狭なので、大きくなった彼の手ではすっぽりと抱けてしまう。
「なぜでしょうかね……?」
「…………ッ?!」
 恐怖で硬直して、耳に顔を近づけられるのには抵抗できなかった。
 これはこれでオイシイかも。
 そんな邪悪な意図を感じさせる秘めた笑みを称えて、骸は、じっくり嬲るようにして末尾を結んだ。
「宿題ですよ。考えてくださいね、綱吉くん」
「……ッ」あ、と、喉が掠れる。綱吉は脱兎のすばやさで踵を返していた。さらには転がるように走りだしていた。
「お、おまわりさぁあああああん!!」
「クフッ。クハハッ。いいですねェー、これが青春の甘酸っぱいレモン味というやつですか?!」
 額を掻き上げる骸の右手の中指には、黒手袋の上から、七色に輝くマーレリングが嵌っていた。

「ヒッ、ひいいいッ?!」
 ラスボスというのは大抵は反則的奥義を持っているもので、厄介極まりない。レンタル品であっても同じく。
 母親は、風呂場から急に飛びだした息子に怪訝な目を送る。
「……つっくん、まるで痴漢に襲われた女子高生よ。お風呂場に何かいたの?」
「でたぁああああ! でたあああああ!」
「まっ!」奈々は、目の端を引き攣らせながらも慌ててGジェットを取りに行く。綱吉は頭を抱えた。
「いや違うっ。この時代の白蘭だれか探してこいよぉおおお!!」
 骸を寄越すのは嫌がらせかイヤミか当てつけか?!
 と、そんな調子だったので、綱吉はその日の朝も猛然として通学路を駆けていた。後ろには六道骸だ。わかっている。
「げっ!!」角を曲がって、先回りを喰らっていたと悟る。
 慌てて踵でブレーキを踏んで、だが違和感はあった。
「……あ?」シルエットが細い。小さい。
 髪も短い。年を取ってからそうしているように尾っぽを伸ばしたスタイルではなく後ろ髪は短くハネさせるスタイル。何より豊かなボディラインの起伏。少女。クローム髑髏だ。
 彼女も、まずいという表情で後退ったので尋ねてしまった。
「な、何してんだよ。クローム!」
「ぼ、ぼぼぼすの通学路を調べとけなんて命令はもらってないよこれは勝手にわたしがっ骸さまは何にも知らないのっ――」焦りながら一息でまくし立てる少女の言葉に、綱吉の目が丸くなる。
 驚いた。そして彼女と繋がっているもう一人の少年も驚いたようだ。
 ぼわん。薄霧が噴き出た後に、黒曜制服少女が立っていたところに居るのは黒曜制服姿の六道骸だった。
「……!!」「……」
 少年二人で、お互いに気まずげに目を見つめあうに至る。
 綱吉はやや遅れてハッとした。
「あ、ご、ごめ……ん」
 掴んでいた手首を離す。
 六道骸は、――十五歳の彼は、胡乱げにオッドアイを歪めて、ゴミを払う仕草で、触られていた右袖を左右に振った。
「クフ。あと五秒でも長く掴まれていたら手が腐るところでしたよ」
「……あ、相変わらずだな。むくろ」
「僕のクロームが迷子になっていたようなのでね。失礼します」
「お前まだオレの体諦めてなかったんだな……」
 半眼になって、つい感想を零す。
 骸は「なんのことだ?」という態度で肩を竦めた。オッドアイではさりげなく綱吉の全身を眺め、あたりの景色も確認している。
「――――」彼につられて周囲に目をやって、そこで事実に気付いた。
 六道骸、二十六歳の気配は消滅している。
「……あっ。そっか、同一人物に会うといけないんだった」タイムパドラックスと言うのだったか。十年後パラレルワールドでも禁止されていた。
「それではね」
 素速くそそくさと去ろうとする相手に、綱吉よりも太いのになぜだか綱吉より華奢に思える――恐らく骸の身のこなしが流れるような艶を含んでいるからだ――手首に、両手で、しがみつく。
「待った!」
 今、お前のせいで猛烈に迷惑してるんだよなんとかしろよお前だろ!
 怒濤の勢いで脳裏に羅列された言葉はだがしかし、言ってしまえば事態をややこしくするだけだ。
「え、えっと――」オッドアイを見開かせて固まる少年にかける言葉。なにがいいんだ?! しばし悩んだ。
「む、骸っ。頼む。オレの傍にいてくれ!」
「……はっ?!」
 少年は、毛を逆立てた猫みたいにして後退った。
 オッドアイがほとんどまん丸になる。
「あっ。いや」綱吉は、妙に気恥ずかしくなった。頬が青褪め、心臓が跳ねる。
「変な意味じゃなくてな。魔除けというか……頼もしいっていうか? 見えるトコロにいなくて構わないんだけど。半径五メートルのどこかとかに。オレが会いたいときにきてくれるーとか、す、すてきだなぁっ?!」
 どんどんと骸の面差しが険しくなるので綱吉も烈しく混乱した。
 えっと。目を回して、ついには叫ぶ。
「また来てくれるよな?!」
「?!」震えながら度肝を抜かれて、骸はその全身をギョッと竦ませた。
 色白だった頬には赤味が差している。
「お、お熱いではありませんかッ?!」吐き捨てるような罵倒口調で、ツバを飛ばし、しかし手首を掴んでいる綱吉には小刻みにぶるぶるしているのがわかる。
「き、きみがどうしても絶対にというなら考えてあげないこともっっ、な、ななななななななな無いですけど。一リットルくらいは!」
「ありがとう!」
 もはやヤケで綱吉はどええいと骸に抱きついた。
 爆発したような奇怪な気配がして――霧が変化が、とかはなくて「ッ!!」とか声無き悲鳴のような――、精神的な。
 慌てて飛び込んだ胸から顔をあげれば、薄い霧が瞬時に広がった。
 両頬にムニンッとした感触になっていた。
 綱吉は慌てて飛び退った。
「うわあああごめんんんっ?!」
「…………?!」クローム髑髏は、綱吉に顔を埋められた自分の双胸を両手にババッと抱きしめつつ、頬をリンゴ色にした。

 昼休みの教室に、六道骸の二十六歳は堂々として教室に入ってきた。
 あまりに堂々としているので、生徒のほとんどは教育実習生か誰かの父母と思った様子だ。
「アッ?! テメー、骸?!」
「ひぃいい?!」隼人がイスをたち、綱吉が窓から出て行こうとするが。骸は、白々とした目つきで腕組みしていた。
「綱吉くん。君はね、さっき、哀れな一羽の子兎を煮込みスープにしたのと一緒なのですよ。罪な人だ――。体のひとつでも貸して貰わねば収りませんね。保健室でもどうですか」
「どあぁあああああ?!」
 隼人との交戦のために骸は三叉槍を握っている。その余波に巻き込まれたので綱吉はほとんど骸の話は聞いていなかった。
 で、六道骸の十五歳は約束した通りにまた会いにきてくれた。それから二日後の素早さだ。
 なぜか、初めて見る私服姿で、照れたような仏頂面で、さらには映画のチケットを二枚持参していた。

 


 


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09.11.25