春に魔法をかけて








 風に春を感じて、ツナは顔をあげた。
 真冬だ。それも自分の部屋で。ありえないとはわかっている、しかし確かに鼻腔が疼いていた。漫画をベッドに置いて、きょろりとあたりを見回す。リボーンもランボもおらず一人で留守番を頼まれている最中だ。最後に、ツナは窓を覗いた。
「うわっ……?!」
 全面がピンクに囲まれていた。
 地面はおろかコンクリートからも桜が生えている。
 向かいの家の屋根にも。いや壁にも。どこもかしこが大小の桜で埋められている。窓から身を乗り出して、腿にぶつかるものに眉を顰めた。しかし、枝のようにツンと膝頭を刺したので少年は絶叫した。振り向けば、部屋の中も桜で埋め尽くされていた。
「なっ。ななななななな――――ッ?!!」
 吹き込む北風で花が散らされる。
 たびに巻き起こる桃の香りは、いっそむせそうなほどだ。
 腰を抜かして窓枠にへばりつく。時間はそれほど経っていない。ツナが叫んだ。
「いるだろっ。骸――!」
「おや。バレましたか」
「そらバレるよっ」
 声は上からした。
 再び窓から身をだし、首を巡らす。
 コッチですよと感慨もなく告げる声がした。見上げれば、屋根から上半身だけをつき立たせる人影があった。六道骸は、両腕を組んだ姿勢のままでニコリと笑った。
「元気にやってますか? 久しぶりに日本にきたので、挨拶にきました」
「こ……。これが挨拶ですか」骸と出会って、何度めかの冬だ。
 少年は瞳を笑わせたまま、桜で包んだ街並みを見渡した。
「ジャッポーネは四季の見事な国だ。春を知る体には冬がつらいでしょう?」
「そりゃ寒いですけど、でもあちこち桜だらけじゃないですか! パニックになっちゃいますよ」
「ご心配なく。贈り物ですから、これは」
 さっぱりわからない。胸中で囁くツナを余所に、骸が屋根から下りた。
 ひさしのように突きでた差掛を両足で踏む。ふたつの肘を伸ばし、ピンクに染めた街並みへとツナの視線を誘導する。右の赤目には深々と『一』の字が刻まれていた。
「僕のボンゴレだけに特別に。一足早い春を差し上げたんです」
「……あ」差掛の下で、コートの女性が平然と桜の幹を通り抜けていた。
 ニコニコと目を笑わせたまま、骸が指を鳴らした。途端に北風がやみ、一瞬のあとに吹いた風には、桜だけでなく青い草の匂いが混じっていた。複雑に絡んだ香りはツナの脳裏にすら桜を思い起こさせて、その瞬間にツナは確かな春を感じ取った。ぶるりと底から震えが湧いた。
「どうですか? 魔法みたいでしょう?」
(空は冬のままだ。遠くて雲が細い)
 ボウとした面持ちで、頷いた。
「くふ」意味ありげな眼差しが少年に注がれる。滲んだ色合いは赤信号を灯すもので、ツナはハッとして骸との距離を確認した。
「魔法のかかったウサギさん、てとこですか」声がウキウキ弾んでいる。
「ボンゴレ、僕は催眠の類にはひときわかかり難いタチなんです。たまには体験してみたいと思うんですよ。君の魔法をかけてくれませんか?」
「な、なにいってるんですか――?!」
 やや後退るが、どすんと幹に背中をぶつけた。
「こ。今回はどういった用事で日本に?」
「リボーンに頼まれていた件の経過報告に」
「報告? それだけですか?」やや甲高い声だ。骸がニヤリとした。
「二ヶ月ぶりですけど、ボンゴレは寂しかったですか?」
「ええ? ちょっと、話まだ終わってないでしょう。すぐイタリアに帰るんですか?」
「僕の質問に先に答えてください」
 窓を乗り越え、真正面へと迫る。ここにきて、ツナは悟った。背後にある桜は誰かの故意によって、ついさきほど生えたものなのだ。
「……獄寺くんがダイナマイト投げつける相手がいなくて」
「ワンコはどうでもいいんです。トリもバッドもどうでもいいですから」
  先回りをした言葉に、ツナがうな垂れた。
「寂しかったですよ。挨拶もなく行っちゃうんですから」
「君と別れた時点では僕も知らなかった。夜に、突然リボーンがきたんですよ」
 不信げな眼差しが骸を叩く。しかし彼は、嬉しげに色違えの瞳をはにかませて返事をした。伸びた指が、ツナの前髪を一房、取り上げる。つ、と軽く唇に押し付けて骸は低く囁いた。
「抗争の仲裁でした。誰も死なずに済めば、あなたと共に二週間の休暇をくれるそうです」
「えっ?!」「即答しました。当然と思いませんか?」
「きゅ……。休暇?!」
「家庭教師は僕が二週間、交代することになってます」
「い。いつの間にそんな話。聞いてないよ」半ば口の中での呟きだ。記憶を辿るように壁に視線をやる。そのスキを見て、骸がぎゅうと抱きついた。
「うわっ。ちょ、ちょっと」
「嫌がるとはさすが本物のツナヨシくんです」
「ちょ、なにさりげに危ないこといってんですか?!」
 仰け反るツナに構わず、ぐりぐりと肩口に頬を埋める。
「僕にも魔法をかけてくださいよー。寂しかったんですよ? 仕事は終わりましたが、さすがに二ヶ月は心身ダメージが大きいといいますか、PTSD一歩手前といいますか。とにかく」
「こうして再会したときの喜び、だけ! を、頼りに頑張ったんですよ!」
 意訳すれば、離す気はないぞとうことである。
 背後にまわった腕は強固につながれて、ちょっとやそっと暴れたくらいでは解けない。迫る胸板を押し返していたツナは、続けて囁かれた声に肌を泡立たせた。
 効きにくいと言ったでしょう。多分に熱を孕んでいて、嫌な予感を的中させた。
「君も魔法をかけようとしてくれなくちゃ、かかってあげませんよ」
 彼がゴーイングマイウェイな人柄であるとはツナもよく知るところである。床に屈むほどに体重を預けられながら、フウとため息をついた。
(こういうかたちで観念はしたくなかったんだけどな)
 そろそろ。両手を背にまわす。気配を感じたのか、骸が顔をあげた。
「――っ」(要求するくせに、やったら驚くからイヤなんですよ!)
 両目を閉じてぎゅうとする。ツナにしてみれば一大決心だ。腕で抱いた体は、細身ながらに筋肉の張りが随所から感じられた。
「ボンゴレ……」「いえ、綱吉くん」
「さすが僕の恋人。大した魔法ですよ」
  茶色がかった髪に指を潜り込ませ、頭をゆっくりと撫でる。
  満面の笑みを浮かべて骸は問い掛けた。
「どこ行きたいですか? ハワイとか、暖かいところもいいですけど、君となら北極でも南極でもアマゾン奥地でもどこでもお望みのところに行きますよ」
(……)(正直なところ)ヨーロッパやらアフリカやらの地名を右から左に流して、ツナは目を閉じた。骸の声が含みがかっている。頭髪に唇をあてて、その上で喋るゆえだ。
(家で一緒にいてくれるだけで、いいんですけど)
「まあ、どこでも君と一緒にいるなら、それだけでいいんですけど」
 もごもごと。さも嬉しげに骸が語る。体を彼に預け、心を春に預けていた。桜の花びらは地面に落ちない。散ったあとから空気に混ざっていく。
(くやしーから、ぜってーに言わねー)
 ぽつり、胸中で混ぜた。







>>BGMがヒライさんの「♪魔法をかけてあげるよ〜」なPOP☆でした。
>>正直、いろいろやりすぎたとおもいま…す

05.12.30

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