エックスデート

 


「クリスマスなのに約束がなくて寂しいんですって?」
 これは一体どうしたことか。
 そんな顔をして一分沈黙した末に沢田綱吉がようやっと呟く。
「……骸さんを呼んだ覚えはありません……」
 半眼に目を細め、怯えたように後退るのだが、玄関先の少年は気にしていなかった。黒のロングコートに痩身をくるみ、襟をたてて、粉雪降り始めた隅の色の天を仰ぐ。
「イヤですね。モテない男のクリスマスって」
「…………」
 天然物――天然で危険だから気をつけろとか、そういう意味での警告が付与された生き物を見る目を一瞬してしまったが、綱吉は、相手が超級レベルでの天然危険物だとすぐに思い出す。六道骸。野望は世界大戦、友人は奴隷同然の部下三人のみ。日本という豊かで平和な国に生まれて平凡な学生ライフを送る綱吉とは心理的な距離がありすぎる存在だ。
 その距離を具体的に記述するなら日本とブラジルくらいだろうか――。
(ブラジルって、地球の反対側だけどな。日本からだと。つまりは正反対か、って!)
 はっとして自分の左手を見下ろした。
 しっかりと手袋を履いた自分の右手で綱吉の左手を掴んでいる。
「そういうわけで、いきましょう」
 本気で驚くと、言葉は出ないものだ。
 骸のオッドアイはすばやくこちらの全身を観察した。
「その格好では寒いですね。コートは? マフラーなどの防寒具は? 沢田綱吉、ほら、服を取ってきなさい」
 強引に押し入り、ブーツのままであがる侵入者に綱吉は口をパクつかせる。綱吉にとっては、沈黙は不平を訴える手段のひとつなのだが――六道骸には、そんな些細な心の機微など無視に値するものらしい。綱吉が喋れないと判断すると遠慮なく二階にあがっていった。綱吉は繋いだままの手を引っ張られてついていく。
「?! ?! お、……オイ! 何するんだよ!!」
 ようやく、主張しなければ押し切られるんだと骨身に染みて綱吉が喚く。
 だが言えたのはクリスマスイブの寒空の下に連れ出されてからだ。骸は寝室でさえ土足で歩き回ってくれた。押し付けられたコートに抱きついて不平を訴える。
「くしゅっ! さ、寒ッ。何するんだよ?!」
 骸はようやく手を離した。
「着たらどうですか? それを。ガキっぽいジャンパーコートを」
「なぁっ、な、な、な、き、……着るよ」
 骸の態度と、唐突な指摘に開いた口が塞がらなくなったが、綱吉はムキになる気持ちでジャンパーに腕を通した。
 引っかけていただけの、カカトを踏んだスニーカーも履き直す。
 憤りが収まらなかったので、大人しく事なかれ主義な綱吉でさえ怒鳴り声が出た。
「おまえなぁ、六道骸! 非常識だぞ!」
「君のクリスマスに付き合ってやろうということです」
「は、はへぇっ?!」
「あほ面をしないように。ますますバカっぽく見えますよ。バカに言っても仕方ないですけど」
「?!」
 矢継ぎ早の口撃だ。またも言葉が切れる。
 彼は足早に住宅街を抜けようとした。我が家に引き返す度胸もなく、綱吉は、文句を告げる立場を忘れて機嫌を伺う声で尋ねる。
「何を考えているんですか? あの。オレだって予定が……。母さんがクリスマスケーキ買ってくるから、家にいなくちゃならないんですけど」
「……母親が? 母親? 乳飲み子みたいな駄々を捏ねるんですか」
「?!」
(も、もうやだこいつ)
 実は来訪からまだ十分も過ぎていないのだが、綱吉は根をあげて空に上目遣いを送った。自分の運命を哀れんだ仕草だ。
(なんだ?! 復讐者のとこから戻ってきて――、で、フツーに今は学生してるってリボーンは言ってたな。でも何でコイツこんな突然にオレのとこに)
「乳臭い発言はよしてくださいね。吐き気を催します。マザコンなんて。いい加減にして欲しいですね」
(しかもクリスマスイブだぞ今日は――)
「赤ん坊を教師なんかにしてるから思考もそこに汚染されるのですかね。おっぱいはおいしいですか。それはよかったですね、ガキ」
「…………」
 思わず、足を止める。
 骸はこの段階になってようやく綱吉の顔色を窺う目つきをした。ふり返って、反応を待つ。こぶしを握って肩を張り、骸を睨み、綱吉は必死に頭を整理した。
「だ、誰がマザコンだ! いい加減にするのはお前だろ!」
「で?」
「え? ……で、って言われても」
「それで? それだけですか?」
「え……。なに……」
(だ、誰か助けてーっ!!)
 涙目で後退り、思わず背後を見やってしまう。
 雌雄は決したらしい。
 獣同士の争いは、まず、睨み合いから始まって、競り負けた方が視線を反らすのだ。
 骸はこの原理で自分が綱吉より優位であると確信したらしかった。
「沢田綱吉、僕とイブを過ごすんです。いいですね」
 先程よりも自信にあふれた言い方だ。もはや命令の色が強い。
「う……、うん……」
 口を『イ』のカタチで引き伸ばし、心底からいやそうに顔を顰めているので、本来は『ヒィーッ!』とかの科白なのだが、綱吉は不自然に了承を返した。六道骸に圧倒されてそれしか言えなかったのだ。
 葛藤を推し量ってか、骸はニヤリとした。性格の悪い男だと思った。
 踵を返して行き先を告げる。綱吉が知っている場所でもあった。デートスポットとかで、テレビでも取り上げられている場所だ……。
(オレは一体どうなるんだ)
 ゾッとしながら、母親に帰りが遅くなるとのメールを打った。

*****

「ヤッ……ヤダ! ちょっ、あっ、ああああっ!」
 甲高い悲鳴をあげて、背筋を仰け反らせた。ビク! とした動き方で、動物が痙攣するようである。そうして後ろ目掛けて仰向けにスッ転んだ。
 六道骸は、綱吉が転ぶと見切るや否や、繋いだ筈の両手を放した。
「あっ! つぁああい!」
 スケートリンクに打ちつけた後頭部を抱えて、綱吉がのたうつ。
 シャッ! 氷上を削りつつ、骸が悠々と滑った。綱吉の周囲を旋回する。スケートリンクの扱いになぜだか彼は慣れていた。オッドアイの紅い右目がさりげなく身体能力に特化した『四』に変わっているので、本当は不慣れなのかもしれないが今はスケート技術を完璧なものにしている。
「身体能力ゼロ。ブザマですね、沢田綱吉」
「う、うっ、ひ、ひどいぃ」
 思わず本音が漏れた。
 嫌がっているのに、あれよあれよとスケート靴を履かせられて、リンクにだされた結果だ。第一歩目で硬直する綱吉を見て、骸は無言で両手を差しだした。
 掴む以外に道はない。藁に縋る思いで掴み、よろよろと滑った果てにこの惨事である。
「だからイヤだって言ったのに!」
「君は言葉では一度もイヤとは言ってませんよ。今の『ヤダ』を入れるなら一回目ですかね」
 目の前に滑ってくると、見下ろし、当然のように自分の右手を差しだした。
「立ちなさい」
「……ま、まだ滑るの?」
 思わず哀願じみた嘆声になる。
 綱吉が多少なりとも苦しんでいるとわかると骸は嬉しそうに歯を見せた。
「一緒に滑りましょう。手を貸してあげますから」
「つっても、今、手ぇ放したじゃんか」
「僕に共倒れしろと?」
 もたついている綱吉の手首を強引に手に取る。
「危険でしょうそんなこと。行きますよ」
「そ、そーいうものかよっ、て、あ、あ! だ、ダメだってば、い、いきなり引っ張ったら! あ!」
 急いで右足を氷に立てて、今度は前に突っ伏した。
 六道骸は、後ろにスィーっと漕ぎだして難を逃れている。またすぐ戻ってきて周囲を滑った。
「センスないですね。うわ、冷たそうですね〜。悲惨ですねえ」
「う、うるさいなあ!」
 ぶつけた鼻頭を手で抑え、叫ぶ。
 悲鳴に骸はまた嬉しげに目を細める。そうまでされると綱吉にもさすがに魂胆が見えてくる。罠に嵌められたのだ。
 だがリンクの上だ。逃げようがない。他の人の邪魔になるとか、料金分は楽しまないといけないとか、言葉でも急かされて焦る。
 またも差しだされた手を、渋々と握った。
 ただ念は押した。
「ゆっくり動いて。お願いだからな。ゆっくりですよ」
「いいですよ。まあ、それでコケても、僕のせいじゃありませんけどね」
「うっ。ううっ」
 膝頭をぶるぶるさせつつ、綱吉は骸の胸にもたれるようにして立ちあがる。
 何も言わないで骸が後ろに下がり始めた。
「あ! あぁ!」
 必死になって骸のコートに抱きついた。前にコケるのと同時だったので、勢いをつけて骸に突っこんだ。六道骸は膝を折りかけたが、だが、耐える。
「……滑りますよ?」
「あぁぁあああだめだめだめだめだめェッ! アッ! ギャアア!」
 仕返しとも思えるタイミングで、急に勢いをつけて滑られた。抱きついた腕に力を込めて、必死に耐えたが、綱吉は数メートルの走行で足を崩した。
 ズザァッ! ドン! 膝立ちの姿勢で、囲いの塀に体ごと激突して、ようやく、止まる。
「……止まることも出来ないんですか?」
 後ろで氷を削る軽快な音。両手を塀につけつつ、涙目でふり返った。
「も、もうやめようよ。もういいだろ?」
「…………。じゃ、僕は滑ってますから。これけっこう楽しいです」
「あ、お、おい、骸サン!」
 声を裏返した。慌てて、人波に紛れていく背中に向けて手を伸ばす。だがもちろん届かない。他を凌ぐスピード感と身のこなしで骸はリンク上で楕円の回遊を始めた。
「ちょ……、ちょっっと!」
 綱吉は一人で青褪める。
 囲いが途切れた箇所はリンク上に二箇所だ。
 丁度、どちらからも適度に離れた中間ポイントにいる。立つこともろくにできないので、自力で戻るには相当の努力が必要だ。
「ひ、ひどい。いじめなのかこれは……?! 骸になら恨まれてる気がするけど……ッッ」
 ぶつぶつと小声で嘆きつつ、綱吉は、両脚を震わせながら囲いの塀にしがみつく。
(す、すべ、すべる。ひっ。すべるこれ)
 囲いに両手でしがみついて、カニ歩きをするのは惨めだった。
 後ろで女の子にクスクス笑われたりもする。
 不意にスケートリンクが沸いた。ふり返れば、六道骸が異様な加速を保ったまま氷上を滑っている。その後ろ姿に賞賛が送られた。
「すっご! アイツ、今跳んだぞ」
「プロかなぁ。高かったよね。ていうかテライケメンじゃん! 声かけるべきこれ?!」
「お兄ちゃん、かっこい〜」
「…………えええ?!」
 不公平感と取り残された怒りとが混じって面白くない光景だ。
(連れを放置して何やっちゃってんだよ?! あ、あのやろー、マジでどういうつもりだ)
 鼻息を荒くする。だが辛抱するしかない。
 カニ歩きをつづけて、囲いの切れ目を目指した。途中で二度ほど後ろに滑ってしまって尻餅をついたが――、一度は、後ろでプッとかいうあからさまな嘲笑がして、ふり返れば六道骸が滑り去るのが見えたが!
「つ、ついた!」
 ようやく出口に設置されているポールを掴んだ。心底から安堵して、綱吉は滑らないコンクリートにスケート靴でもって踏みだした。
 刃をたてて歩くしかないが、滑りはしない。砂漠で水を噛みしめるような安心感にジーンとした。
(うっ。よく耐えた。オレはよく耐えた!)
 気が緩んだ一瞬後、左の耳に吐息が吹き掛けられた。
「さ、わ、だ」
「ぎゃああ?!」
 思わず跳び上がる。拍子に、まだ氷上にあった左足がバランスを崩す。大慌てでポールにしがみついて、綱吉はキッと後ろを睨んだ。
 六道骸は飄々とした佇まいで怒眼を受け流した。人にそういう眼をされるのは馴れている風だった。
「……綱吉。この程度で十五分もかけて、君って学習能力がないのもいいところですよ。ありえない飲み込みの悪さではありませんか」
「お、おまえが置いていくのが悪いだろ」
「おやおや。もう遊びたくないと言いだしたのは君でしょう。さ、いきますか」
「え? まだ滑るんだろ」
「飽きました」
 未練もなく言い捨てる。
 綱吉の隣を通ると、スケート靴のまま、器用にベンチまで歩いていった。ポールに抱きついた綱吉が眼を丸くする。
(な……なんなんだよ、六道骸)
 苦い気持ちになった。
 ベンチに並んで腰掛け、靴を履いている最中には、綱吉は勇気を搾りだした。骸への怒りと自分は何をしてるんだというやりきれなさが募った結果の一言だ。
「骸さん、本当はスケート滑れないでしょう」
「…………」
 オッドアイが氷上を滑る。
 呟きながら、首を竦めて見せた。
「僕は、完璧です」
 ロウソクが消えるように右目の中が動いた。『四』から通常の『六』の紋へと変わる。骸がブーツを掃き終えたタイミングでもあった。
「さて。では、ちょっと歩きますか」
 何気なく言うが、綱吉には、処刑か何かの通達としても受け取れた。
(まじでー)
 唖然としてぼんやりする。
 口も閉じられない。横目でまじまじと見た末に骸は踵を返した。クリスマスイルミネーションで飾られた受付を通りすぎていく。
「あ、あああ! 待ってよ!」
 慌ててスニーカーを履いた。

*****

「これでケーキの代わりですね」
「ぶっ、ぐっ、げほっ」
 手にふたつのシュークリームを持って戻ってきたと思えば、問答無用でひとつを口唇に埋めこまれた。
 目を白黒させる。急いで骸の手首を掴む。
「僕のおごりです、食べなさい」
「うっ。はめ、はめふぉ」
(やめんか!)
 ぐいぐいと指で圧されて、シュー生地が裂けた。手を汚したのは骸の方である。圧した箇所の生地が裂けたのだ。
「……」オッドアイを鋭利に細めて、骸はカスタードクリームの付着した指先を舐め取った。赤く湿った舌先は何度か往復してクリームを削ぐ。
 戦慄に似たものを覚えつつ、綱吉が後退った。
「ふつーに親切にできないんですか」
「……親切?」
 六道骸は侮蔑とも取れる顔をした。
 不穏な問いかけで黙りこみ、それ以上は言おうとしない。破けたシュークリームを自分の手に持って、急いで食べながら綱吉は急に不安になった。
 気味が悪い。シュークリームに毒でも入れられたみたいで、甘いのに苦い気がする。
(いや、骸も舐めた。このクリーム。細工しようがないよな)
 スケート場から少し歩いた場所にある噴水広場だ。カップルだらけで、彼らを当て込んだスイーツカーが何台かでている。クレープやらシュークリームやら。
 クリスマスをイメージした赤と緑の装飾に、むやみやたらに気落ちする。
(クリスマスなのにな)
 危うく、忘れかけていた。
 見ればシュークリームの上側はシュガーメレンゲで雪をかけてある。可愛い仕上がりだ。女の子が喜んで食べそうだ。
(これなら、家でテレビ見てた方がよっぽど……。特大号が終わる時間だなぁ。あーあ)
「ちなみに、僕はチョコクリームです」
(何がどう『ちなみに』だよ)
 思いつつ、広場を過ぎる骸についていく。
 噴水があった。薄雪が散る中に清水をしぶかせあたりの冷気を高めている。ロマンチックな光の粒子が水の渦に垣間見えた。
 これらが臨める、けれど少し離れた場所で、空いているベンチを見つけた。
 骸が当然のように腰掛ける。渋面で綱吉も従う。
 会話がなかった。
 喋りかける気も起きないので綱吉は今日にあったことを回想する。
 午前中は学校の授業だった。お昼過ぎ、帰宅すると、母親が買い物に出る場面に出くわして、荷物持ちとして駆り出された。そうして夜。骸の来訪だ。
 強引に引っ張り出されてスケートに苦戦させられて、今もこんな場所でカップルを遠目にしつつふたりきりだ。嫌がらせのオンパレードに近い。
 冬の外気が骨身に染みる。
 ジャンパーを着たが、他は、部屋着代わりにしている簡単な格好だ。よくよく考えればこんな姿でこんな遊び場にいるのは恥だ。イヤになってきてポケットに両手を忍ばせた。
(はぁ。よくわかんないけど。とにかく、コイツが飽きれば家に帰れるんだろ……。はやく飽きないかな)
 広場の噴水が、水の高さを変えている。ジャンプしているようにしぶく。
 唐突に、骸が小さな声でささやいた。
「沢田綱吉、こっちを向いて」
「?」
 数時間を共にして慣れが生じていたし、疲れていたので抗う気力がなかった。綱吉は素直に言われた通りに骸の方を見た。
 思ったよりも近くに顔があった。
 彼は、自らの唇で綱吉の口元を掬うようにして唇同士を重ね合った。重なる刹那は、恋人の口付けを受ける顔でやわらかく目蓋を閉ざした。綱吉は目を丸くしてそれらの変化に見入った。驚きが故だ。
「…………!!!」
 タイムラグを経て、目を点にする。
 顔は近くに置いたまま、かすかに顎を引いて、骸は開いたオッドアイでもって綱吉の瞳を覗いた。
 互いの眼差しが交差すると大気が密度を増した。
 濃厚な感覚に、ようやく、何をされたか脳髄で理解して、綱吉は片手で口を覆った。眼をしばたかせる。
「なっ、えっ、ええっ、な、なああっっ?!!」
 反応を逐一で見守りながら骸が頷く。
「日本では聖夜は恋人達のものだそうですね。ルールに則ってのキスです」
「は、はあああ?!」
「しかし……乾燥してますね」
 骸も、綱吉の真似をするように、いやそうな顔で自分の唇を指で触れた。
「唇が。リップクリームとかつける習慣は君にないようだ」
「?!」
 思ってもみない展開に緊張して綱吉は人形のようになっていた。口を抑えた手が、綱吉の手首に伸びて、やわらかく口元からどかせた。綱吉の唇に再びおのれのものを近づけて、今度は、ぺろと舐めてくる。
「?!!!」
 奥歯を噛んで、綱吉が全身をぶるりとさせた。
「や、やめろよ、何言ってンだ?! 男だぞオレは」
「こんな問題に男女が関係在るんですか? 古い考え方ですね」
「こっちにくるな!」
 自分も強引にいかないと押し切られる――、
 一応、綱吉なりに学習もしていたので、思い切って両腕で胸を押した。彼は必要以上には抗わず体を遠ざけた。そうしてキス直後の少し上擦っていた声と同じ声質で言う。
「沢田綱吉。君は僕の敵だ」
「な、なんだよ」
 泣きそうな声になった。
 疑問が脳裏を嵐の勢いで行き来して、綱吉は見るからに苦しげに眉を寄せている。自分がするべき行動がわからなかった。ただ、骸の存在感に引き摺られて発言を待ってしまう。
 彼はゆっくりと噛みしめるように喋る。
「エストラネーオ以来の屈辱を僕に与えた。あの子達がね、千種までが、僕の心配をするんですよ。僕が失敗することを既に学んでしまっている」
「そ……、そうか」
「これがいかに屈辱かわかりますか」
「?! えっ」
(し、心配されるのが?!)
 綱吉には理解が難しい考え方だ。
 骸が無表情になっているのではっとする。感情を殺して話さねばならないほど、確かに、彼にとっては苦しい事実なのだろうと気付いた。
「お、オレは、そんな風には思わないけど。心配してもらえていいじゃんか」
「君は、いわば僕に産まれた暗闇だ」
(お、おまえにクラヤミ扱いされたくないわ)
 思わず胸中にツッコミする。酷い言いがかりだと思った。
 骸は思いつめた眼差しを注いでくる。決意にあふれた調子でありがたくない宣告をした。
「負けたままにはしない。近いうちに必ず潰す」
「そ、そォ。ですか」
「そうです」
 フイと視線を反らしてからは、骸は、もうその話題には触れなかった。
 広場の恋人達を揶揄するようなことを二、三、勝手に喋ると、これまた勝手に「もういきましょうか」とか言って立ちあがる。ドッと疲れた気分で、綱吉も立った。
 六道骸は我が家の前まで見送りに来た。
 何が彼にそうさせるのか綱吉にはわからなかった。
 抗うのも、尋ねるのも、もはや面倒でされるがままになっていたのだった。
「沢田綱吉。それでは」
「……ん」
 別れの間際に、不意打ちに近い形で、再びの口付けを与えられる。
 綱吉は、骸の背中を見送りつつ渋い顔をした。
 流されてしまったキスを後悔しても遅い。乾燥してるとか、言われたことも思い出しつつ、自らの唇を指で撫でてみる。
(結局……アイツの本題は何だったんだ?)
 スケートだとか敵だとかキスだとかがごっちゃになって非常に雑多な印象だ。
 ぞわぞわと鳥肌が立つ雑多さでもあって、綱吉は、頬を火照らせた。
(初めてなんだけど。文句言うヒマもなかったな)
 真実には、ヒマはあって余るほどだった。だが文句を言う精神的な余裕なんてなかった。家に戻ると、なんとはなしに気になったので洗面所でうがいをした。
 今更に心臓がドクンドクンと動いた。そうだ、キスされたのだ。しかも初めて。それも六道骸に。
 どういうつもりなのかは、はっきりいって、まったく読めない。
(…………。失敗したな)
 なんとなく、今日、骸と顔を合わせてからの全ての言動を後悔した。
 やや、間を挟んで、自分に言い聞かせた。
(狂犬に口を噛まれたレベル。そう思っておこう)
 鏡に映った自分が、見るも無惨に赤面していたので余計にやるせない。嬉しくないクリスマスである。

 正月明けには、なぜだか、骸からリップクリームを貰ったのでまた無意味に落ちこんだ。何をどう期待されているというのだろうか。


 

 


>>もどる

クリスマスなむくつな

08.12.24