誕生日のごかつやく
「……いいのか。オレはどんな罰でも受けるつもりでここにいる」
「よいのです」
紳士服の青年は眉間をギュウと縮ませる。胸に平手をあて、搾りだした悲鳴には哀れな響きが強く混じる。
「それではオレの気が済まない!」
『まったくもってその通り。ボインですよ、ランチア』
「夫はあなたを慕っておりました……!」
女の方も、哀れさを滲ませた声で慟哭をあげた。
『ランチア? 実は巨乳好きなのを僕は知っていますよ』
シクシク、泣きじゃくったのは数秒だ。手の甲で目尻を拭うと、黒いロングスカートをなびかせて後ろに下がる。睨むようにランチアの黒目を見上げた。
「わたくしはあなたを罰しません。今日、共に献花していただけただけで満足でございます……! さようなら。ランチア、どうか、もうあの人のことで気を病まないでくださいまし」
「だが、オレが殺したんだ――」
「殺したのは六道骸でございます! 無実の人間を罰する趣味などわたくしにはございません!」
手にしていた帽子を目深に被ると、女は念入りにくり返す。
「さようなら! あなたの心の傷が癒えたころ、またいらしてください。夫の思い出話でもいたしましょう」
踵を返すと、女は、足早く墓場の管理室を目指していった。
取り残されたランチアはこぶしを固く握る。
一陣の風が吹いて、墓前に備えられたふたつの花束がたなびいた。虚脱を伴った後悔の念がランチアの全身を蝕みそよ風を嵐として受け止める。忌々しげな舌打ちが漏れた。
「クソッ……!!」
『ほら〜、後悔するんだったら追いかけないといけませんよ。ぼかぁ〜奥さんを狙っていたんです! 乳が目当てです! とか言うなら今――』
「ざかしいわぁああ! 黙っとれ!!!」
両手をわきわきとさせてランチアが吼える。
頭の中で、ケロリと喋っているのは、先程、話題の主にもなった六道骸張本人である。諸事情がため、延々と眠り続ける嵌めになったので、こうして他人の精神にお邪魔して暇つぶしに勤しむ日々なのである――。
残虐、非人道、犯罪者、身内以外の人間に対する思いやりはゼロどころかマイナス値に達する少年はのうのうとランチアに語りかける。
『お礼参りなら、今ですよ。今なら確実に彼女を殺れます』
「るせー! お礼参りの意味がちゃうわ! とっととヒトの頭ン中から消えるんだ! 目障り極まりない!」
『とか、言って、そんなに力んで僕と会話したら――』
意味ありげな物言いにハッとしたが遅かった。
先程の未亡人が、立ち止まってランチアをふり返り、ハンカチで目元を拭っている。もはやほとんど点だが他に人のいないシンとした庭園では声もよく響くだろう。
「…………!!!」
『哀れなランチアは、六道骸の事件に巻きこまれたために精神的な異常をきたしてしまった――、やれやれ、大人しく僕の人形でいればよかったものを。永遠にねぇ』
「っ、こ、殺すッ。貴様は絶対に許さんぞ、六道骸!」
『へ〜え?』
精神世界で骸がタチの悪いにや笑いを口角に刻んでいるのが見えるようだ……。ランチアはげっそりとして額を抑える。
「貴様、他に用事はないのか」
――その問いかけに骸の気が緩んだのは確かだった。骸さま。ご連絡が。
鈴の軽やかさを秘めた声音が落ちる。
他と話しているのを気遣い、今まで黙っていたわけだ。すばやく事情を察知して骸はあっさりとランチアに繋いでいた精神的なチャンネルを切り替えた。瞬間的にランチアの安堵を感じたので、
(チッ。後で夢枕に立ってやる)
とか、頭の片隅で思いつつも、即座にクローム髑髏の意識に潜りこむ体勢を整える。
すいっと少女の精神世界に降りたったのは白シャツにジーンズをまとった姿の六道骸だった。
空は青く平原はどこまでも続く。髪を下ろし、眼帯もつけていない――前髪が右目のくぼみを隠している――白いワンピース姿の髑髏が、膝を抱えて大木の下に座っている。彼女は、骸の出現を確認するなり、つぶやいた。
「あした、ボスのお誕生日みたいです。どうしますか? 骸さま」
オッドアイを丸くして、骸はしばし脳裏を空っぽにした。
やや間をおいてようやく台詞を搾りだす。
「つまらないことで僕を呼ばないように」
しごく真剣に告げたつもりだ――、
少なくとも、その時には骸は真剣にそう思ったのだった。******
「勘弁しろぉおおおおお!!」
宿のベッドで身悶えするランチアがいる。時刻は明け方に近い。クスクスと、邪悪な笑みが青年の頭中に響いては反射する。まさに悪夢である。
「うおおおおお!!」
『クフッ。僕に忠誠を誓うなら許してあげますけど……?』
「だ、れが誓うか! 去れ! 悪霊が!」
『酷いですね。死んではいませんよ』
言いつつも、ランチアがついに懐から十字架を取りだしたので骸も頃合いを理解する。
貴重な手駒のひとつとしての認識をまだ崩していない。壊すワケにはいかない。そうした骸のスタンスを理解できるので、精神を苛んでいた殺しの感覚が立ち消えてもランチアはぜえぜえと荒く息継ぎをする。クソォッ。叫んで、十字架を乱暴に壁に向かって投げた。チェーンが千切れて金具が床に散らばった。
「エクソシストに儀式とやらをやらせてもヤツは戻ってくるし――どうすれば――くそう――ジャッポーネのお祓い技術か?!」
額の脂汗を拭い、時計を見上げるランチアである。
電話を取ると国際電話の旨を伝えた。
ほどなくしてチリチリと鈴がなる。電話に出たのは沢田綱吉その人であった。
「え?! あれ?! ホントにランチアさんですか?!」
「ああ。オレだ」
疲れた声音に相手が戸惑う。
「どうかしたんですか」
「どうしたもこうしたも……リボーンに代われるか? 相談したいことがあるんだ」
「リボーン? ええと……あの……ビアンキと一緒にホテルのスイート泊まるって……昨日からいないんですけど」
「なんだと?」
「あいつ、昨日が誕生日なんですよ」
綱吉が少し拗ねたように言うので、ランチアは片眉を持ちあげた。
「お前はこの頃元気にしてるのか?」
「え? オレ?」
「元気ならいいんだが」
奇妙に沈黙した後で綱吉が口火をきりだす。
ランチアは疑問符を頭上に浮かべる。不自然な間だったな、これは。
「あ、あの。実はですね。オレ、今日が誕生日――で――」
「ほお。そうなのか! おめでとう、ツナヨシ」
「エッ。えへへへへへへへへへ!」
「?!」
ランチアは笑顔のままで首を傾げる。
心底からうれしげに、溢れでる喜びを抑えきれないといった綱吉の笑い声を初めて聞く。
おかしなことを言ったとは思わないが――。
綱吉はテレ混じりに一気に喋る。
「ありがとうございますっ。母さんの次にそういってくれましたよもうお昼なのに! その、リボーンのやつ、合同誕生会とかヌカしてオレの誕生日を自分とワンセットでみんなに祝わせたんですよ。昨日の十三日に! おかげで今日のオレがいかに虚しいか!」
「ハハハハ。リボーンならやりそうだな」
「笑い事じゃないです。プレゼントとかさー、当日にもらえてこそ嬉しいっていう……、ん? ランチアさん?」
「ん? あ、なんだ」
問いかけられて、ランチアは怪訝な表情を消した。天井をジィと見つめるのもやめる。
単に黙っていただけでこの場にはいたらしい。今頃になって骸の存在が掻き消えた感がしたのだった。妙に胸騒ぎがしてランチアは声を窄める。
「…………。おい、骸には気をつけろよ」
「? ハイ」
素直な返事に、満足げな笑みを浮かべて、青年は改めてベッドに膝をたてた。互いの近況を教え合うだけでも楽しかった。リラックスして会話すること十分、当初の目的は果たせなかったが、ランチアは満ち足りた気分で受話器を置いた。******
沢田綱吉は私服のロングTシャツにチノパンといった恰好で呆然としていた。両脚は棒になったようで自分の意志では間接が曲がらない。
一方の六道骸も自分の意志では動けないようだった。ジ、と、無色の感情を灯したオッドアイで綱吉の反応を窺っている。
「……………………」
「……………………」
少年二人は、黙りこくって沢田家の玄関先に突っ立っている。
「あ……と……ありがとう」
数分にわたる沈黙を破ったのは綱吉だ。
脂汗でビッショリになりつつも唐突に姿を見せたと思えば小箱を差しだしてきた骸の顔色を窺う。上目遣いを向けられて骸は神経質に眉をひそめる。
「それだけですか」
「ありがとうございます」
丁寧に言い直したが、骸は、眉を剣呑にするだけだ。
ヒィーッ?! 胸中で叫んで、一歩を下がった。
「こ、このためにわざわざクロームの体を借りてるんだよな? サンキューな! いつオレの誕生日なんて知ったんだよ」
「つい昨日。来る気はなかったんですけどね」
「じゃあなんで?」
言ってみたが、すぐさま青褪めた。
「いや、べつに言わなくてもいいけどっ、無理に言う必要なんかゼロ以下ですけど!!」
「開けないんですか」
「ハイ、お開け致します!」
不機嫌かつ威圧的に見下ろしてくる守護者に恐れをなして綱吉は慌てて包装紙に手をかける。光沢のある赤い用紙が箱をぐるりと巻いて、白いリボンがかけてある。ブランドの名前が入った銀色のプレートも添えてあった。
「た、高そう」
小声ながらも呟くと、骸が頷いた。
「ボスに賄賂を送るならそれなりに気は使いますよ」
「わいろ……。ああ、なるほど」
綱吉はちょっと肩の力を落とした。
「そういう姑息な理由があるならちょっと安心する……って、ああぁああ?! だからって別にいらないわけじゃあアリマセン!」
「そういうなら少しは嬉しそうな態度見せたらどうですか!」
箱を手で自分の方へと引き寄せつつ、骸が唸る。
綱吉は急いで笑顔を作る。
引き攣りまくり、声も浮ついていて緊張している。
「うれしいですっ。すごっ、うれし! ありがとう骸さん!」
「君ねえ、ランチアの時は――」
早口で呻いてから、骸はオッドアイを見開かせる。黒曜中学校の制服姿だが、カバンも持っていないのでどこか不自然であるが、彼がどこか期待を乗せた眼差しを注いでくるので綱吉はさらに違和感を強める。
「はいっ?!」
「言い忘れてました。誕生日、おめでとうございます」
「……………………」
沢田綱吉は両目を飛びでんばかりに大きくさせる。
あらためて、男の割りにはデカい目だと思いつつも骸は辛抱強く待ち続ける。綱吉の沈黙は長い。彼は、呼吸をゼッゼッと小刻みなものに変えて、ブルブルとか細く震え始めて、真っ青になってプレゼントの箱を手で握りしめた。手首はガクガクと派手に前後している。恐怖に気絶しかけているように骸には見えた。
「君ねえ。失礼ですよ」
戸惑いながらも骸が毒づく。
はぁ、と、嘆息が彼の喉を濡らす。
「期待したワケじゃないですけどね。別にいいですけど。でも明日、ランチアが死んだら君のせいですよ」
「ななななにを言ってるんだ?!」
枯れた声でツッコミしつつも、綱吉は、後ろによろめいて壁に体重を預けた。
箱を骸に差しだす。
「ば、バクダンは入れてないと誓え!」
「入れてませんよ」
「そーあっさり言われると怖い!」
はぁ〜。二度目の深々した嘆息をこぼして、骸は箱に手を伸ばした。
「じゃあ、いいですよ、返して貰いますから」
「って――、あ――」
「…………」
五本指に感触はなかった。
綱吉は、青い顔色ながらも箱を胸元に引き戻している。骸があきれ果てて腰に手をあてた。
「どういうつもりですか」
「ど、どうって。お前こそ。そんな――、ご、ごめん。ふつうに祝ってくれてるなら」
反射的に骸は自らの顔の半分を手で抑えていた。
綱吉の動揺を鏡に感じたのだ。変な顔をしていたらしい。気詰まりと腹立たしさを覚えて睨みつければ綱吉はヒッと悲鳴を漏らす。
「大事にするよ。ほんと、ありがとう。水牢に沈んでてヒトの誕生日祝える心境じゃないだろーに」
的確なのか、的確じゃないのか、微妙なことを言いつつ綱吉は急いで包装紙を解いた。パカリ。箱の中に収まっていたのは革製のキィケースである。日の光を上品に反射させているので綱吉は目を丸める。
おっかなびっくりに、手に取りだした。
「い、意外とフツウなんだな」
「それはね」
そう言われてから、まだ中身があると気が付いた。
綱吉は劇薬入りのビンにでも触れる様子でボトルに手を伸ばした。愕然とラベルを読み上げる。
「た……も? ろーしょん?」
「イタリア製ですよ。僕、それが一番気に入ってるんで、君の部屋にも置いておいてください」
「…………?! おい。意味が――よく――」
何のブラックジョークなんだろうかと、恐れと懇願を混ぜた面持ちを持ちあげる。骸はその表情をチラリとみただけで満足した。
ここは意味ありげに誘っておく方がスマートだろうと――。
次の一瞬、少年の姿が制服姿のクローム髑髏に入れ替わったので、綱吉は悲鳴をあげた。とにかくボトルの方はいかがわしいと超直感が告げているので後ろ手に隠すが。
「ボス」
髑髏は、少女らしいぷにぷにした頬を桃色に染めていた。
ピッと人差し指をたてて誇らしげに告げる。
「それね。チェリーの味がするんだって」
「だ……ッ」
両手をわななかせた。
「だからなんだァぁあああ――――ッッ?!」お誕生日おめでとうございます、ということですよ。
「……だって」
律儀に伝言を伝えて、髑髏が首を傾げる。
霧の守護者のあんまりな対応に、逆に、綱吉の方が首から上を真っ赤にしていた。引き結んだ唇もふるふる震えている。こういうジョーク(?)には慣れていないのだ。
「……そういう表情を今後も期待していますよ、だって」
「実況いらんわあああ!」
半泣きで家に逃げこむ後ろ姿を見送る。
髑髏は、一人でガッツポーズを作る。
「骸さま。ボス、プレゼントを両方とも持っていきましたっ」それはそれは。髑髏、ろーしょんの方は、使用した形跡があったらすぐ教えてくださいね。
そんなろくでもない言葉を最後に骸はクローム髑髏との精神的なチャンネルを切る。
本体に戻ると少し息苦しくなった。
(ひとまず――ランチアには――僕にしょうもない期待をもたせた罰でもあたえないことには――僕の気がおさまりませんね)
とか、勝手に考え、また他人の精神を侵略すべく骸は自らを深い眠りに導入していく。水音が全身を愛撫する。身体は拘束されているが、彼の精神は意外に自由な生活をしていたりもするのだった。ただ、これでも、自らの肉体が直接動かせない不便さを思い知る時はあるし、我が身の行く末を嘆いたりする時もある。例えば想像していた以上に気に入っているオモチャがあると気が付いても手がだせない時に痛感したりするのだ。今は痛感していたりする。
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08.10.14