七夕集い





「ま、まて、裏切ろうってんじゃないんだよ。明日って七夕だろ? あ、あつまりがさ、オレたちのギョーカイにも仲間で集まるイベントがさ、べつに、裏切ろうってハラじゃ、あ、ぐぎゃああ!」
「タナバタ? 何ですか。それは」
 槍を片手にしたまま、悠々と道路を横断しつつ六道骸が質問した。
 六道骸の背後には人影が三つ控えていた。
 一番背が高いのが柿本千種、真ん中の高さのが城島犬、体格も小さくボディラインも丸っこいのがクローム髑髏。
 骸に応えたのは、追いつめられた男ではなくコチラの麗らかな乙女だった。
「骸さま。タナバタていうのは、願いをこめて笹に短冊をつける日本の風習だよ」
「ほう。ジャパンカルチャーというわけですか」
「笹って、パンダが喰ってるやつらよな?」
「タンザクって何?」
 千種と犬の質問に答えかけたクローム髑髏だが、六道骸が動いたのでハッとして口をつぐんだ。少年は、槍をぐるりと回転させて、伏した男の背中を一突きにした。
「ぎゃああああああ!!!」
「ところで、あなたは僕の質問を無視しましたね? 万死に値しますよ」
 口角に冷笑を泳がせつつ、骸のオッドアイは三叉槍をたどる。
 右端の剣で男の脇腹を刺した。
 まだ致命傷ではない。
「あなたの口の軽さには深く失望しましたが、そうですね。許してあげないこともないですよ。僕の言うことを、あと一つ、聞いてくれますか?」
「ひぃいいっ、な、なんだあ、なんだ、何でも聞く! 許してくれ!!」
「おやおや、許す? それは永遠にありえません」
「ぐああああ!!」
 槍を持つ手を左右に捻り、男に無闇な苦痛を与えて骸は満面の笑みを裂く。その頬は仄かに紅潮している。六道骸という少年は、他人が不当に苦しめられる場面を見るのが好きだった。彼の胸はスッとする。
「クフ、クフフフフフ。あなたが悪いんですよ? やれやれ、ジャパニーズマフィアは低次元でいけませんね」
「ぎゃああっ!! ぎゃあああ!!」
 犬が、千種の耳にこそりと唇を寄せた。
「むっくろさん、サドォ。あれだけこきつかってたのによくやんぜえ」
「しっ。また怒られるよ」
 注意したのは髑髏だ。
「なんらとー?!」
「クフフ。犬。生肉好きでしたよね?」
「ええ?! で、でもその男の肉はまずそうだびょん……」
「おや残念ですね。クフフフフ。そう、それで、僕の言うことを聞いてくれたら、あなたを捨ててあげてもいいっていう話なんですよ。二度と僕の前に現れないでください」
 男の顔面を真正面から足蹴にしながら、六道骸は槍に体重をかける。
 コンクリートが軋むのが感触として握り手に伝わった。
 ミシミシ、と、歪な感触に、どす黒く渦巻く感情が浄化されるのを感じて、骸はますます笑みを深める。
 日本に戻ってから、ボンゴレ守護者としての待機を命ぜられたものの、犯罪者としての生活を楽しんでいた骸には平和が退屈だった。適当に地元のやくざや悪党をおちょくっては始末したり争わせたり、些細な揉め事を起こしては見物に回る。これが現在の趣味だ。
「う、おおおっ、ぐあああっっ」
「クフフフフフ」
 カカトで男のあごを踏みつつ、骸は、コンクリートに縫い付けた大人をジィッと見つめる。
 見物する黒曜組の三人には――、こんなときの六道骸は、艶めかしさを感じさせるほどに美しい存在だった。
 降り注ぐ月光が骸の髪を光らせるのがますます彼を美しくする。神聖な冷気を帯びて骸が佇んでいるよう見える。
「骸さま。楽しそう」
「生き生きしてるびょん」
「何よりです」
 三人がぼそぼそと感想をうめく。
 自分の賛美に関しては、六道骸は地獄耳だ。少年はニコリとする。仕置きまっただ中のヤクザ男は、骸のサドっ気がひとまずの収束を迎えたのかと僅かに相好を崩す。
「な、なにすりゃいいんだっ?! 誰か埋めてくりゃいいのか?! 誰だっ!!」
「クフフ、フフフ……」
 骸がやんわりと自らの唇に触れる。
「では自分で自分の墓でも掘って入ってもらいましょうかね。フタは僕が閉めてあげますよ」
 サービスですよ、と、ポカンとした男に向かって微笑みかける。
 心臓を止めた人間の顔はなんて滑稽だろう。
 頭の端でそんなことを思って愉快になって、骸がケラケラと笑いだした。男の腹から槍を引き抜いた。
 男の醜い悲鳴と共に、鮮血が吹き上がる。
「クフフフ、冗談です。びっくりしましたか? クハハハハハ!!」
 ひとしきり哄笑した後、骸は、ポツリと本題を告げた。
「明日の朝までにタナバタに使うモノを一式用意なさい。並盛中に通ってる沢田綱吉という少年の家まで届けるように」
 

 

「……わお……」
 思わず、綱吉はなじみ深い風紀委員長の口癖を呟いた。
 七月七日、午後三時。五時間目で授業が終わって、早めに帰宅すれば、自宅は笹の葉で埋め尽くされていた。
 庭は竹の密林と化している。玄関に向かう数メートルの距離が竹と笹に埋もれてドアのワンカットですら見えない。
 数秒、思考が停止した果てに、綱吉は右手で額を抑えた。ずるずるとその場にしゃがみこむ。
「ど、どーして我が家は……、毎度、こんな目に……。何かのイベントがあるといつもこーなんだから! もう! つき合ってられるかぁあああ! リボーン! 何だよこれは!!」
 自室の窓に向かって叫ぶと、
 ガランッ。窓ガラスが横にスライドして、リボーンが顔をだした。
「オレじゃねえぞ。さっきから、失礼なこと言いやがったなテメェ」
「お前以外に誰がいる!」
「笹を運んできた宅配業者が、レターをおいてったぞ」
 一通の白封筒が綱吉の頭に向かって落ちてきた。怪訝な顔をしながら受け取って、見覚えのない文字に眉をひそめる。
「サワダ様? なんでカタカナ、つうか、これ、血文字……?!」
 ゾッとして、中を開いて、悲鳴をあげた。
「ぎゃあああ!! 血! なんか手紙の下の方が真っ赤!!」
「ほう。それがヤクザの誠意ですか」
「ぎゃああああああ!!!」
 叫びながら綱吉は自ら竹の海に飛び込んだ。
 足が引っかかってすぐに転ぶ。だが竹が縦横無尽に張り巡らしてあるので竹を掴んで支えにした。
 綱吉は、両手で竹を掻き分けて玄関を目指しつつ、肩越しにふり返った。
「ろ、六道骸?! お前、いつのまにっ!」
「その質問への答えは家庭教師にお譲りしましょうかね?」
 黒曜制服姿の六道骸は、たった一人で沢田家の前にいた。つまりは綱吉の背後に立っていたワケだ。綱吉からはもうリボーンの位置が見えないが、それでもリボーンが冷めた調子でうめくのは聞こえた。
「最初からいたぞ。気配は殺してたが。テメェが、のんきに手紙開けてる間に、後ろに回り込んでた」
「そ、そこまでわかってるなら教えてくれよ!」
「教えたら面白くないでしょう?」
 なぜだか骸が答えたが、反論がないあたり、リボーンも大体同意らしい。これだから性格の歪んだヤツは! と、苦々しい想いをしつつも綱吉は下唇を噛む。
「これ、骸の知り合いが送ったの?! イデッ」
 竹の一本を思い切り持ち上げたら、何がどう連動したのか、別の竹にポカンと頭を殴られた。
「クハハハハハ!」
「指差して笑うなぁああ!」
 頭を笹の葉だらけにしつつ、綱吉が両手をわななかせる。
 骸は含み笑いを浮かべたまま、綱吉に向き直って自らの両手を自らの心臓に宛てた。
「まあ経緯は無視して、それらは、僕からの贈り物と思ってください」
「なんか犯罪に荷担した気分だぞ?!」
「まあまあ。日本にはすばらしい風習があると聞きました。織り姫と彦星の恋物語ですって? まるで、僕と君みたいな……。どうぞ? 願い事をつけてください。僕のはもうつけましたから」
「イタッ。さ、笹が刺さる」
「クフフ。意図的に無視するのはやめてくれませんか」
 綱吉が開拓した道に分け入って、骸が、綱吉の右肩を掴んだ。
「お前、人のこと怒れる道理があンのかよ」
 うっとうしげに眉を寄せて、綱吉は返答に困って骸を見上げる。丁度、ドアノブを掴んで、やっと自宅に避難できると喜んだところだった。
「オレにどう反応しろっていうんだよ! 今日が七夕だってよく知ってたな、お前。ありがと。一本だけ後で家にいれとくよ」
「他のは?」
「燃やす」
「クフフフ。フフ。どう反応しろって聞きましたか? 何を願ったんですか、と、僕に聞いてください」
「い、いやな予感しかしない」
 ドアノブを掴んだ手に力をこめ、綱吉が青褪める。
 家の外だし、リボーンの気配はあるし、けれど極度に密集した笹の葉に囲まれて世界には綱吉と骸しかいないような錯覚が芽生え始めていた。青緑の笹が二人を囲んでいる。互いの髪や肩には多量の笹の葉が付着した。鋭い先端は、身じろぎの度にチクッとささやかに肌を刺す。
 骸が、肩を掴んだ手に力をいれた。
 強引にふり向かされて綱吉はいよいよ覚悟を決める。
「なめんなよっ。死ぬ気モードになれば、お前にだってそんな簡単には――」
「誰がケンカを売りにきたよう見えるんですか?」
「不気味につきまとうなっつーことを言いたいんだ、オレは!」
 綱吉の眸の色が業火に変わる。
 と、その刹那――超モードに切り替わるコンマ数秒前――、綱吉の額に、ペチリと短冊が押しつけられた。
「?!」
 綱吉の鼻先に、灰が降った。
「な……、う、けほっ。な、いた、目にシミッ、る」
「あーあ、モヤしちゃいましたね。せっかく今年中には君のことが好きになれますようにって書いたのに」
「ハァッ?!」
「クフフ。ボンゴレ十代目。僕のいやがらせを甘く見ないでください」
「は、はいいっ?! さっきから何をいってんだお前は! わけわからん!」
 突然の行動と、本当に骸の短冊を死ぬ気の炎で燃やしたのかという疑念で綱吉の悲鳴は動揺する。
 ニッと意地悪く口角をナナメにして、骸は、ドアノブを掴んだままだった綱吉の手を上から握りしめた。回転させてドアを開きにかかる。
「っ、だっ! い、いきなり!」
 いきなり、バン! と、前開きのドアを開けられて、綱吉は真後ろに倒れた。
 骸の胸にすっぽりと嵌ってしまったが、綱吉はそれどころじゃなくなった。
「?! な、なんじゃこりゃあああ!!」
 綱吉の期待に反して、家の中までが竹のジャングルになっていた。
「あ。ツナさん! おかえりなさーい」
「十代目!」
 あまつさえ、三浦ハルや獄寺隼人といった馴染みのメンツが、家中の笹に短冊を取り付けていた。声をひっくり返しつつ綱吉がにじり寄る。
「な、なにしてんのみんな?!」
「? 今日は七夕会なんだろ?」
 ナナメに置かれた竹を乗越えつつ、はがきを摘んでリビングから顔を出したのは山本武だ。
 綱吉は、ポッカーンとした顔で一同を見返した。
 横目に収めつつ、骸は嗜虐の笑みを堪えきれないと目尻を微かに震わせている。口角では好青年らしい笑みがある。
「リボーン、どうですか。悪くはないでしょう?」
「あっ! リボーン! お前、知ってたな?!」
「まーな。今回の会合は霧が主催だ」
「でえええっ?!」
 信じられずに、綱吉が骸をふり返る。
 彼はニヤニヤしたまま頷いた。
「たまにはね。気が向くんですよ。メンバーには僕がはがきを出して招集かけてあげました。時間がなかったので幻覚製のはがきですけど」
「うお?!」
 ちら、と、オッドアイが山本の手にしたはがきを見据えた瞬間、紙片が虚空に混ざった。手を止めて、一同は呆気に取られた顔をした。恐ろしげに骸をふり返る。
 微かな緊張感を崩したのは、呆れた調子で喋るリボーンだ。
「ハン。バカとハサミは使いよう、って、言葉、知ってるか?」
「ほう? 今度、辞書ひいてきますよ」
 ハシゴに乗って、たんざくを掛けていたクローム髑髏が複雑そうに目を細める。
「骸さま……。ケンカ売られてるんだよ」
「それはわかります。アルコバレーノ、死んでくださいね。明日にでも」
「ハハハハ、今日は七夕だから明日なのか?」
「ええ」
「……ひ、ひいいいい!!!」
 綱吉は慌てて玄関にあがって仲間の元へと逃げた。
 そうして気がつく。
「あっ!? なにこれ! 短冊の願い事、全部、ボンゴレに関することじゃん!」
「見てください十代目、オレの力作ッス」
 ボンゴレで世界征服! と、筆でしっかり書かれた短冊を目の前に突きだされて綱吉は絶句する。
 後ろから嘲笑が聞こえた。誰だかが顔を見なくてもわかる。骸だ。
「…………。お前、ウチをトラブルの中心に持ってこさせて楽しいのか?」
 リビングにみんなが消えていく頃、綱吉がこっそりと尋ねてみると、
「けっこう楽しいですよ。ボンゴレはリアクションが派手ですし僕の敵ですし」
「敵って……、敵って断言って……!」
「あー、年内には、仲良くなれるですかねえ、僕たち」
 そんなつもりは毛頭ありませんけど、と、ニヤけた笑みで語って骸は挑発的に綱吉を見下ろした。
「う、うそつけ! ホントは短冊にそんなこと書いてなかっただろ!」
「書いてましたよ」
「証拠がないじゃんか!」
「君がモヤしちゃったからですねえ。あーあ、やっぱり、僕のこと嫌いなんですね、君は。僕も嫌いですけど。あ、やですね、この点で相思相愛ですね」
「気持ちの悪いことをいうなぁあああ!!」
 涙目になりつつ、綱吉が後ずさりをする。そのままリビングに逃げ込む背中を六道骸はニヤニヤしながら見送る。
 ところで、七夕会終了後どころか、それから一週間は沢田家から竹が消えなかった。撤去には非常な時間がかかったのだった。
「も、もう、ハンパない嫌がらせだよ。ちらかすだけ散らかしてヒトん家とヒトで遊んでいくアイツの性分はどーにかならんのか!」
「水牢から助けたいって主張したのはドコのドイツだ?」
「……ド、ドイツかな……」
 明後日を見上げつつ、綱吉は、最後まで放っていた自分の部屋の片付けを行っていた。
「ん?」
 気づいたのは、ひとしきり終えて、窓を開けて空気を入れ換えていたときだ。
「屋根にも笹がある。リボーン」
 言いつつ、窓枠に手をついて、身を乗りだす。
 天気のいい夜で、雲が一つもなく、夜空が澄み渡って伸びていた。屋根に誰かが笹の葉を立てていたらしい。
 月光を浴びて笹がきらきらと光る。いくつかの短冊が残っていた。ランボの文字、ハルの文字、知らない人の文字。知らない人の文字を読み上げた。
「『ふり向いてもらえますように』?」
 屋根に昇ってから、綱吉は短冊に目を通した。
 あぐらを掻いて、しばらく呆けてから、奇妙なことに気づく。何で、この笹だけ、こんなところに差してあるんだろう。
 辺りを見渡せば、犯人と思しき人物が痕跡を残していた。短冊が屋根瓦に差しこんである。これも見慣れない文字だったが、綱吉には誰の短冊が理解できた。
「クロームだ。こういうことを書くのは」
 一言、『ボスが見つけてくれますように』と書いてある。
 綱吉はしばらく風に打たれてから部屋に戻った。手に握った笹も、短冊も、他と同じようにゴミ袋に詰める。
「長かったな。屋根になんかあったか」
 曖昧に呻き声を帰して、綱吉が首をひねる。クロームの願い事からすると、きっと、あれは六道骸の短冊で――。
 不意に、ハッとした。綱吉はポンと手を叩く。
「そうか。骸がオレにアタリがキツイのって嫉妬心からだよ! わかった! ハルか、ビアンキか、――まさか京子ちゃん?! オレと仲イイ誰かに惚れてるんだ!!!」
「……ま、別に……いいけどな」
  ジト目はしつつも、寝間着姿でハンモックに収まるリボーンは特別に反応しなかった。ただ胸の前で十字を切って冥福を祈るような仕草をすばやく行った。
 一人で合点して、綱吉は興奮に目を輝かせていた。
「オレに仲介役してほしいなら、そういやあいいのにっ」
 ああっ、でも! と、青褪める綱吉は百面相の体をかもす。
「きょ、京子ちゃんだったら、とんでもないけどさァ。あ、今度、オレから聞いてみようかな。そしたらホント、年内には仲良くなれるかも」
「いや、余計こじれるナ」
「? なんで?」
 キョトンとしながら、綱吉は、リボーンのノリが悪いのを訝しがった。開けっ放しの窓から潜りこんだ風が笹のつまったゴミ袋をサラサラと震わせていた。不思議そうな顔で肩を竦めて、綱吉は言う。
「アイツの妙な態度、色恋沙汰が混じってると思えばあんまおかしくないじゃんか」
「まあったく、超直感もカタナシだぜ。今に限っていえばあるだけ無駄だな」
「な、何、なにげに超酷いこといってんだよおおお?!」
「ま、だが、オレは同情しねえぜ」
「一人で納得すんなァーッ!!」
 叫びつつ、綱吉は、ピシャリと窓を閉めた。
 

 

 

 

 

 


>>もどる

08.7.5