くろしろ流転輪廻






「死ねよ、あんた」
 いうがはやいが指先に焔が灯り、弾丸として打ち出された。直撃を受けた男性が断末魔を叫び、会議は一瞬にして緊迫した。
 目の下まで伸ばした前髪を左に流し、栗毛のスキマからは茶眼球が垣間見える。彼はこの場でもっとも若くもっとも残忍な人物だった。
 緩慢にイスから立つと一同を見渡した。
「リィは己の命で失敗を償うべきだと思う。妥当か」
 ざわめきが起きた。青褪め、血の気の引いた人間ほど早く同意を告げる。渦中のリィの悲鳴など誰も聞いていない。少年は首を縦にした。
 同時に平手をかざし、二つ目の火球を足した。
「ほら、これで許してやるよ」
 笑みで祝う。
 重役会議はこうして終わった。

 ◇◆◇◆◇

 長い廊下を歩く内に追いつかれた。
「非道な手段が好きですね。相変わらず」
 中途半端な笑みを口角に貼り付けて、青年は馴れ馴れしく一人で話す。
「ゾクゾクする。最高ですよ」
「ついてくるな」
 冷たくささやく。大抵の人間ならば絶句する。
 だが彼は嬉しげに首を傾げる。
「リィの奥方は夫の死をどのように子どもに告げますかね? 名誉の死?」
「知るかよ」
 ボンゴレは目を丸くする。冷徹な面立ちだったが、こうすると幼さが増して年相応になる。まだ少年。十六歳になったばかりの子どもだ。
 一方、二十歳を過ぎた痩身の男性は、
「放っておくつもりで?」
 意味深な眼差しを向ける。
 ボンゴレファミリーを束ね、頭領を務める子どもには癪に障られる態度と思えた。
 ギラリと睨みあげる。
「まさか。アイツの借金を返済させる。女はウリを、子どもはヴァリアーに突っ込め。そうだな――」
 目の奥が意地悪くギラつく。
「お前、手配をやれ。面倒くさくてもお前自身で」
「ほう。いいですよ」
 男は顔色を変えない。
「泣き喚く女子どもを足蹴にするのは些細な楽しみのひとつです」
 ボンゴレは歩みを止めた。
 まじまじと青年を見上げる。仕立てのいい白シャツがなめらかに光沢を放つ――。下は黒いズボン。礼式を重んじたとはいえない格好だが、黒マントを肩口に留めてある。留め具には霧を模した刻印。
 男は興味深げにジョットの視線を真っ向から受け止めた。
 赤と青のオッドアイと茶眼球が衝突する。
 微かな殺気が漂った。
「お前のような人間、嫌いだな」
「似た人間だからですか。よかったのですか? 会議室を放ってくるなんて。またバカなかんしゃくを起こしたと陰口を叩かれていますよ」
「お前もかんしゃくで殺されるぞ?」
「君は、ヒトを選んで殺しを行っている」
 自らの下唇に、右手の中指の腹を当てる。キザなポーズがサマになる麗美な面立ちも青年の特徴だ。
 けれどジョットは冷ややかに目で呆れる。
「霧の守護者にしたのはナメたクチをきかせるためじゃないぞ? 必要ならお前もぶっ殺す」
「わかってますよ。ああまであからさまですとね」
 青年は思いだし笑いをした。すぐに顔を曇らせる。
「ジョット。短気はいけませんよ……。あんな場で粛清を行うなど、信じられない。もっとうまくやるもんですよ。本当の悪人は」
「お前みたいに?」
「そうです。君のやり方では敵を作りすぎる」
「余計なお世話だ」
 踵を返そうとした肩を掴まれた。
「ジョット!」
「……言われなくてもわかってるよ。心配してくれてありがとう。でももういい」
 強引に前に向かおうとするが手は離れない。再び睨み合いになったが、折れたのはジョットだった。
 気丈な面立ちを崩して、十六歳の少年としての顔を見せる。困惑に両目を窄めた。
「何だよ? シゴトが残ってるんだ」
「きなさい。気分転換、させてあげますよ」
 ジョットは不安そうに彼を見上げた。頷いて返される。ついていくことにした。

「花を増やしたのか?」
 庭園を訪れて一番に尋ねてみた。
 互いにマントは外した。プライベートだからだ。
 青年は彼自身が管理を行う小さな庭園を進み、海に面した小屋の扉を開けた。
「外国から取り寄せた品種がうまく育ちました。潮風に弱いので、普段はここにあります」
 ジョットは白い花弁を指の腹で撫でた。見たことのない形に、嗅いだことのない香り。相好を崩す。
 それを横目に、青年は鉢植えを取りだす。
「これは、ジャッポーネに育ちます。好きでしたね」
「へえ! よく入手したな」
 半刻ほど後には、ジョットは丘をくだった。
 丘上の庭園から漂う花の香りと、海から香る潮風が混ざって、鼻腔にツンとくる。
 並んで芝生に座り込んだ。手には一輪の花。
 くるくると回してみた。
「顔に合った趣味だな。オンナのためか?」
「そうとも言えますね。あんな些細なモノでも笑顔をみせてくれる人がいるのですよ」
「ほう。そうか。今度、愛人にでも送ってみるかな……。オレの注文は受けるのか?」
「君ならね。ただ、花なので、虫が混じるかもしれませんよ。苦情が来ても僕のせいじゃない」
「そういうものか……」
「クフフフ」
 海を見つめつつ、鼻で笑ってみせる。見上げると視線はすぐにぶつかる。ジョットは自ら目を反らした。
 芝に投げた両足。その片脚に一輪を置く。
「ボンゴレファミリー、か。お前はどう思う」
「居心地は悪くありませんよ」
「そうか? 作っておいてなんだが。壊したくなってきているんだ」
 相手が喉をつまらせた。
「よしてくださいよ。いまさら」
「ああ。わかっているさ……。お前らの家を壊すなんて、もう、オレにはできないよ」
 空を仰いだ。にじんだ雲が、右から左に、ゆっくりと目に見える速さで流れていく。波の音を聞いていると体が洗われるような心地になった。
 ジョットは目を閉じる。
「作ったからこそわかるというのか? オレのやり方を引き継いで……卑劣に勢力を拡大していく。百年先も二百年先もボンゴレファミリーは存在しつづける。この頃、わかったよ。オレは未来にファミリーを残す。罪だ。神はオレを赦さない」
「意外ですね。君がそう思うなんて」
「みんな、そう言うだろうな」
「すぐ殺す。ムカつく人間は陥れて破滅させる。感情に任せて殴る蹴る。女子供も笑って処刑する。君ほどの悪人を見たことないですよ、僕は」
 ジョットは、パチリと目を開けた。
 見れば、彼はシニカルな微笑を漏らしながら片膝を立てる。そこに自らのあごを乗せた。オッドアイの焦点が流れてジョットに当たる。
「また君の新たな面を知りましたね。平和を望んでいるとは知りませんでした」
「……どうせなら、子どもを残すとか、そういうのがよかったって言う程度だ」
「でも後悔しているんですね?」
「それは……。いや、わかってるんだ。言い訳をしても意味がない……、ただ、でもさ……」
 海を見つめる眸が細く絞られた。
 少年と青年とが沈黙する。ぽつりと零した。
「まあ、いいですよ。聞かなかったコトにしてあげますから。聞いてあげます」
「なんだよ、それ……」
 苦笑を漏らし、ジョットは再び目を閉じた。
 暗闇に向けて語るような細声が喉を通った。青年は辛抱強く終いまで語るのを待つ。両手を組み合わせ、ジョットは自らの唇を隠した。
 隠匿を望む仕草に見える。青年は目を細める。
 思うように生きてきたら、こうなっていたんだ。望んでやったときもあったし、そうせざるを得ないときもあった。ああだこうだと、
「善悪を問い詰められたくない。オレは。オレだって……。生きてるんだ」
 苦しげな訴えに彼は疑念を隠さなかった。
「それが言い訳ですか。妙なトコが神経質だ」
 疑わしげな色をオッドアイに浮かべたままで、しかし彼は欝蒼と微笑を浮かべた。微かに上半身を傾ける。
 手でジョット自身の手を掴んでどけた。唐突なキスに目を見開かせていた。
「……びっくりしました?」
 至近距離からジョットの両眼を覗き込んで、クスリとする。無言のままに頷いた。
 眸に思案の影が落ちる。怒りが浮かんだ。
「オレを撹乱して何を企む?」
「生意気ですね。好意の表れとは思いませんか」
「お前はそういう人間ではない」
「おやおや。本当に生意気だ……。困ったものですね」
 彼の前髪がジョットの額をこすった。
 二度目のキスを受けて、右手を握りこんだ。
 瞬間、火球の赤い光が芝を照らしだす――、発射はない。相手が平然とするので、単に殴ることにした。
 背後の芝生に片腕をつきつつ、青年はケラケラと明るい嘲笑をあげた。
 打たれたあごを撫でる。
「君は輪廻転生って信じますか?」
「不快だ。ウソも聞き飽きたぜ」
「本当だから、とは、思いませんか」
「思えねー。くだらない」
 立ち上がるも、左手を掴まれた。
「ジョット! 短気ですよ。君は思ったコトをすぐ口にして直情的だ。輪廻転生を繰り返した僕だからこそわかる。君のようなヒトは早死にします」
 胡散臭げな顔をしたがジョットは足を止めた。
 脳裏には彼を守護者に選別した理由が浮かんだ。
 守護者連中は自分とかけ離れた良心ある人間を選んだ――、この青年を除いて。
 いざというとき、ジョットを殺せるほどに冷酷なのはこの青年だ。
「…………」
 腹の底が冷える。
 ブザマな姿は晒すまいとして選んだ道だ。
 神妙な顔をするのに彼は満足げな笑みを返した。彼は彼で、ジョットの特別な信頼を鼻にかけているところがあった。
「……他に人がいる前で、そういう顔をしたらただじゃおかない。肝に銘じろ」
「ボンゴレを卑下しているよう感じますか」
「そうだ。他に見せたら許さない」
 部下に示しがつかなくなる。冷徹に目を光らせるにも関わらず彼は口角を吊り上げる。
「ほう。く、くくく、まるで、人前でのろけるなと愛人に束縛された気分ですよ」
「灰にされたいのか?」
 くつくつと忍び笑って青年は首を振る。
 鼻腔で溜息をついた。仕事に戻ると呟く。
 庭園の前に来た。
 そこで、後ろをついてくる男を振り返った。彼は仕事用の名前で呼んできた。
 ボンゴレ?
「今、少しだけ考えた。輪廻転生っていったな?」
「ええ。信じてくれますか?」
「まっっったく」
 ただ、と、付け足す。少年らしい笑みが昇った。
 悪戯っぽくも幼い。
「他にも人生があるんだろう?」
「そうですね。例えば、僕の前世は――」
 彼は手短に話を切り上げた。
 ジョットの態度で興味がないと悟ったからだ。
 話が途切れたのに気付き、顔をあげた。
「生まれ変わりがあるなら、まっとうな家庭に生まれて変な炎の力にも気付かないで、のんきでドジばっかりするような人間がいいな。オレは」
「のんきでドジ? 君が?」
「そういう顔するなよ。オレは憧れる」
 人差し指を動かして、空の真ん中に輝く太陽に向ける。雲はかからずに、白く光っていた。
「正義に生きるんだ。カタい正義じゃなくてさ。悪事とは無縁にノーテンキに生きる。いいだろ?」
 青年がギョッとする。心底から驚いた様子で、似合いはしない気忙しげな声を漏らした。
「ジョット。泣かないでください」
 俯いて、手の甲で目尻を拭う。頷いた。
「なんてな。冗談だよ。オレはボンゴレプリーモだ。残虐無慈悲の代名詞になってやる」
「それは……、それで」
 どうかと思いますけど。
 小声で呟かれたが、気にせずにジョットは踵を返した。庭園と丘を後にする。最後だった。彼は、二度とはこの場所に戻らなかった。

 ◇◆◇◆◇

 ボンゴレファミリーを起こした若い男がいる。興味を持った。残酷で血生臭い年少者を面白いと思った。
(あれで繊細なセンスもあるから、奥深い人だ)
 近づいてから、ますます夢中になった。初めて好みの性格というのを理解した。彼の性格だ。
 青年は自らの血で描いた方陣に身を収めていた。
 口角からも鮮血があふれ、胸には、刺したままのナイフがある。両手で柄を握った。
「……神よ……」
 視界は白くにじむ。震える。
「僕の命をあげます」
 喉がつまる。交わした約束が虚しく胸に残る。生前の約束は死んだ後にどれほど意味があるだろう。
「彼の願いを叶えてあげて、くだ。さい……」
 両目を強く閉じて、こぶしに力をこめた。
 一週間前、最後の会話を何度も思いだした。ナイフが抜ける。心臓から血が溢れだすのを感覚として身に覚えた。体が死んでいく。
(りんねてんせいなんてウソを……信じて……、最後の救いになったか? ジョット。僕の声は)
 作り話を真に受けていた。口では否定したが、あの日の涙を見て確信した。いつからかは知らないが彼は些細なウソを信じていたのだ。
 深い悦びを覚えた。愛しい相手だった。
 カラカラと音をたてて目前に転がる刃をうつろに見下ろし、青年は絶命した。とある島の教会。自らを生け贄とした古代の儀式の方略に則り早朝。
 輪廻転生。
 その単語だけが脳裏に残る。涙が落ちた。それが実在するなら、また会える。

 ◇◆◇◆◇
 ◇◆◇◆◇

 夢の中に人影が佇んでいた。
「やあ、ツナ!」
 パジャマ姿。棒立ちになってボンヤリとした。
 やたらと自分に似た人間……、第一印象だったが、彼がひとしきりに話し終える頃には真逆の印象を持った。綱吉は怯えて後退りをする。
 目の前にいるのは恐ろしい人間だった。
 左に流した前髪の奥、茶色い眼球は、綱吉とは似ても似つかない獰猛な輝きを秘める。
「なんで殺さないんだ? ゴミだぜあれは。理解できないけど、すばらしいよ。ツナ。望み通りだ」
 黒い輪郭をつけた少年はうれしげに首を傾げる。
 両目を猫のように細めた。
「神様ってのがいるなら、きっと、オレは罪を清算しろと怒鳴られているんだ。十代目まで続くとはさすがにオドロキだが。アイツの儀式が成功したかどーかもわからないけど……。でも、アイツはいいやつだったよ。オレには。ツナにはわからないだろうけど」
「う、うわぁっ?!」
 素っ頓狂な悲鳴が洩れた。
 初代は手を掴んだ。放さない。突然、距離が縮まったのに綱吉は焦った。まるで瞬間移動だ。
 真っ直ぐに見つめ、初代は柔らかく笑んだ。
「感謝する。ツナ。おまえとアイツと、欲しかったものが二つとも手に入った。ボンゴレを潰すのは大変な仕事だ……、がんばろう。ツナ。オレがいるよ」
「あ、あなたは一体――……」
 声が途切れる。掴まれた、と、思ったのは感触があったからだが。感触が消えた。ゾッとした。
「うわぁああああっ?!」
 飛び起きたのはコレと同時だった。
「あ。おきましたか」
「手が、オレの手がーっっ!!」
 朝。沢田綱吉の寝室で、六道骸は私服姿であぐらをかき、教科書を広げていた。机に置いてあったものを適当に取っただけなので、すぐに放り捨てる。
「寝惚けないでくださいよ。どーぞ」
 濡れたタオルをよこしてくる。
「え……ッ。あ」
 階段から落ちたと思い出した。綱吉は困惑して後頭部を抑え(タンコブが出来ていた)骸を見やる。
「看病してくれたのか?」
「家人が誰もいなかったからです」
 言いつつ、胡乱な目つきをする。骸は自らの側頭部を抑え、剣呑に、
「君が引っぱったせいで僕まで巻き添えです」
 と文句をつけた。綱吉は唖然とする。
(?! お前がオレを庇ってくれたんじゃ?)
 確かに、落下の最中に抱きしめられたのを感じたのだが。だが修正をする度胸もないので謝罪した。骸はイラついている。
「大体、リボーンは密輸の報告をしろと言っておきながら在宅をしていないのは――、おかしいですよ」
「み、密輸がおかしいだろっ」
 布団を引っぺがし、両手を戦慄かせる。ムッとして睨んできた。
「君に文句を言われる筋合いはゼロです」
「そーゆーのはやめていいよ!」
「どこの誰が――」
「いいってば! リボーンにはオレが、あー、まあそれっぽく言っておくから……」
 ごにょごにょと語尾をにごす。
 不意に脳裏に夢のカケラが過ぎった。
 よく思い出せないが、不思議と、勇気を分けてもらえる気がする。スルッとキッパリ、言葉が洩れた。
「骸。お前があくどいことするってんなら、オレが止めるからな」身震いをした。
 綱吉も骸もこの台詞には驚いた。骸が声をつめる。
「そ……、んな、ワガママには付き合えません」
「…………?!」
 訝しがるも、しかし思いなおす。見つめた。
 放り捨てた筈の教科書を拾って、なぜだか逆さまに手に持って慌ててページを開く六道骸。彼が悪事に手を染めるのはイヤだと思った。
「骸っ。お、オレは本気だよ」
「やめてください。君が僕を叱るのは妙に納得がいかない。沢田綱吉。僕は――、君の仲間ではない」
「だ、だからなおさらだよ。見過ごせない」
「君にそんなことを言われる筋合いはない……」
「あるよ。骸」
 思ったよりも強い語調になった。
 ぐっと堪えるような顔をしたが、しかし、強気な(あるいは強気を装った)笑みを浮かべた。
「特別扱いされてる気分になりますね? 後悔しますよ。綱吉くん」
 彼は遠い目つきをした。悠久に思いを馳せたようにも眩しいものを羨ましがったようにも見えた。
 カーテンの向こうで朝日がにじんだ。
 今更に夜明けが過ぎたことを思い、二人きりという事実を意識した。
 こぶしを握る。綱吉は決意をした。
「しない……と思う。うん。しない」
 クスリと微かな忍び笑いが聞こえた気がした。


 

 

 


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08.