しろがねあかがね
赤壁の家なんて珍しいと考えてから、別の可能性に気がついてあごを持ちあげた。
月が赤かった。
思わず、隣の少年に尋ねてみると、彼は静かな声でこう返した。
「あの月って何なんだろう?」
「いつもと同じです」
時間が止まった。意外だった。
六道骸が、オレの質問に答えたことも、真っ赤な月にそんな評価を与えたのも。見つめたのは気に障ったようで、彼は、密かな舌打ちをした。
「あ。ゴメン」
「…………」
骸は前だけを見ていた。
ボンゴレ十代目に指名されてから数年。他マフィアからの襲撃を受けたりするようになって、一人では、出歩かなくなった。
並盛高校から自宅までの短い帰り道は骸の管轄だ。
彼はこのためだけに並盛町に越してきて高校もオレと同じにした。
ブレザーに身を包み、肩掛けカバンを引っかけて歩く。不良というよりも優等生らしく見えた。左右の耳に空いたピアスの穴でさえ野蛮には映らない。第一ボタンまで留めて、キチンと着こなしているからか。
――そういったキャラクターを要求しているのは、ボンゴレファミリーだ。骸が目立っていては綱吉を守る職務に支障がでる。
短い路地を抜けると、沢田の家がある。
白い筈の壁々を見上げては胸をときめかせた。日常風景が、異様な血色に照らされてゆがんで見える。新鮮で面白かった。
と、視線が在った。
六道骸は眉を寄せて不可解そうに呻いた。
「月はなぜ赤いと思いますか?」
「……アルコバレーノの呪いみたいな超常現象?」
「陳腐な答えですね」
口角が引き攣る。
睨みつけると、骸はうすら笑った。
「君にとっての俗世界はマフィアの世界なんですね。それがフツーの感覚だなんて愉快ですよ」
「何だよ。呪いとかじゃないなら……、自然現象? なのか? オーロラみたいな?」
「昨日は一日ずっと雨でしたよ」
ヒントのようだが怪訝に思うだけだ。
「知らないよ……。理科とか科学とか、苦手」
「君は、国語も体育も全部、苦手でしょう」
微かな声で呟いたので、独り言めいたものだったが確かに聞こえてきた。ムカときたが骸は間髪入れずに解説をつなげた。
「ヒトの目に見える光には種類がある。今日の場合は、多量の水蒸気によって青い光の攪乱が起きていると考えられます。赤い光だけが残って、今、目に見えているワケですね」
「ふ〜ん。そうなんだ」
上目で月を見る。六道骸は完全にコチラをふり返ってイヤな顔をした。
「反応ウスいんですね」
「エッ?! や、そんな……、また妙なコトに詳しいなァと思って」
「妙なこと? 世界の理でしょう?」
言いながら、馬鹿らしくなってきたのか、言葉の後半は投げやりだった。骸は目を反らして首を左右に振っていた。
「どうでもいいですね……。さよなら」
「あ。もう家か」
二人で足を止めた。
赤い月の下にオレの家がある。
「今日もアリガトな」
「いいえ」
短く冷たく囁いて、骸が踵を返した。
見えなくなるまで見送った。
いつもなら、背中を見せられた段階でオレも家に入るのだけど、今日はその背中が赤く見えるから目が離せなかった。
ブレザーの肩、月明かりを強く浴びるところ。
そこに惹きつけられる。
今のこの状況、骸はどう思ってるんだろう? マフィア嫌いの彼がどうしてオレを守る役目を承諾したのだろう? たった一人で並盛町に引っ越してきて、高校に通って、生活していて、寂しくないのか? 今でもクロームや千種・犬といった仲間と連絡を取っているのだろうか?
考えを掘ったら、骸のことは何も知らないのに気がついた。
赤い光が路上を照らす。
オレと骸の影が細長く宿る。右折する手前で、骸がふり返った。オレの視線には気づいていたようだ。
彼は人差し指で沢田家を指した。
はやく入れ、と、そんな意味。ここで何かの事故に遭っては骸の護衛も意味がないから当たり前の指示だった。けれど何か寂しい気がした。
「むくろさーん!」
口に両手を添えてメガホンの代わりにした。
「明日も、よろしくお願いしまーす!」
「…………」
表情はよくわからない。赤い光があるとはいえ、もう宵も深いし辺りは暗いのだった。沈黙はすぐ終わる。六道骸は右腕を掲げて手を振った。
「……うしっ」
奇妙な達成感で胸があたたかくなった。
その質問をしたのは、別の日になる。
白光が注ぐ宵だった。つまりはいつもの帰り道だ。月は白くて、壁も白い。
「骸さんは何でオレを守ることにしたの?」
数秒、間が空いた。オレをまじまじと見たが、骸は口を開けると同時にそっぽを向いた。
「守ってませんよ」
「でも一緒に帰ってくれるじゃん」
「そういうルールだからです」
「何でルールを守ってるの?」
まどろっこしい会話だと思ったが、辛抱した。
同じ思いは骸もあるようだ。
彼は口角を噛んで恨めしげな目つきをする。足元を泳いでいた視線が大きく動いて、骸は、月を上目で窺う。
「十年後の世界、僕も見たんですよ」
「……って、あの、ミルフィオーレの?」
「十年後の僕も油断ならない男ですから。ごく僅かな時間での滞在ですがね」
「…………。オレの心配してるの?」
そんなキャラではないと思ったが、骸の言葉から推測できたのはコレだ。もしオレが骸の立場なら心配して骸のそばにいるだろう。だってあの世界の十年後のオレは……、とてつもなく不幸な目にあって大変だったのだ。
骸は黙り込んでしまった。物言いたげにコチラを見たが、ほんの少しだけで、すぐ前を見る。
家までの道のりは短い。
もう別れ際だ。サッと呟かれた。
「君の体の心配をしているんです。僕のものだから」
「ぶっ。骸さん、結局それなの?!」
六道骸が頷く。踵を返し、肩越しにヒラリと手を振られた。あの赤い夜からのオレ達の習慣だ。
「他に何を期待するっていうんですか? 綱吉くん」
「なんつーの、こー、フツーにさあ!」
「駄目ですよ」
月光が骸の肩を照らす。
白く光る道を背中が帰って行った。
なんだアイツ。と、思ってから、玄関に入った。それから疑問に感じた。
駄目って、どうして、どうして駄目なんて言葉を使うのだろう。少し考えただけで怖くなった。開けちゃいけない筺を手に取った気分がした。
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08.4.22