チョコレート決戦日






「星のない夜……。暗い道。公園の前。月星の見えない夜は背後に気をつけるべき」
 月並みなセリフを吐きだして六道骸がアスファルトに降り立った。黒い装束がはらりと揺れる。
「警戒しなさいと言ったでしょう?!」
 右手には三叉槍をきつく握る。
「そんなん聞いてられないよッ!」
 肩越しに叫び返しつつ、少年は脱兎の勢いで背中を向ける。
 両手をこぶしにして全速力だ。
 後ろをすべる人影は冷えた怒りを放つ。それでいて追従してくる。悪寒はするが、少年――、沢田綱吉にだって譲れない理由はあった。
「お前には関係ないだろ?!」
 ダメモトで叫ぶ。骸は余計に腹がたったようだ。
「大いにありますね! 止まりなさい。殺してやるっ!」
「ふっざけんなよ! ぜぇええったい止まらない! いちいち相手にしてられないっつーの、六道骸!」
 フルネームで呼びつけて、思いついた。
「骸! こんな日に男を追っかけてる場合か?! 自慢の美女軍団はどーした相手ならいっぱいいるんだろうが!」
「僕の気持ちを知った上でその言動、許せませんね。キツくお灸をすえてあげましょうかっ?!」
 とか、言い終えるころには、三叉槍をぐるりと回転させて脇に持ち替えて、オッドアイを細く絞る。精神集中に入っている。
 綱吉は打撃を覚悟した。
 何をするつもりか――、
 光も音もなく、虚空から一匹の獣が落ちた。
 体をまるめて四足で器用に着地する。四つん這いになった姿勢は猫が着地した様子にそっくりだ。大きさは二十倍くらいある。ホワイトタイガー。
「ど、どぁあぁああああ――――ッ?!!!」
 思わず右足がすべる。転びかけた。
 オッドアイの片方が赤い鈍光を放った。『ロク』の天界道となった骸の右眼を見上げ、タイガーは動かない。召還されたばかり故、警戒心も露わに、毛を逆立てていた筈だが、獣はゆっくり目を細めた。猫が甘えるように。
 タイガーの首周りを撫でて、軽い調子で骸はつぶやく。
「フッ。畜生道に天界道をあわせればこの通り」
 揚々として沢田綱吉を指差した。
「おそえ!」
「だぁああああ!!」
 背後からダシダシダシッと猛然と駆けてくる足音。
 体の芯から冷たくなって、震えが走る。そのせいで足はもつれて走れなくなりそうだ。
「ひっ……、うわ、くっ!」
 苦肉の策で、綱吉は自ら転んだ。
 公園の生垣に飛びこむ。
 ぐるるるるっ!
 落ちていた空き缶をカァンッと景気よく吹っ飛ばして、タイガーが横をすり抜けた。瞬間的に竜巻が生まれた。獣はすぐさま脚を踏み変え方角を修正する――横目にして青褪めた。綱吉は樹木に手をついて立ったところだ。
「…………っっ!」
 選択肢はないも同然。
 思考回路が明滅して赤く染まる。
「おやおやおやおや」
 ニヤニヤとして、骸が歩み寄った。
 悠々とした足取りだ。
「うわあああん!」
 沢田綱吉は、中途半端に木登りして(太枝の一つを掴んで必死に逆らっている)、ズボンの裾をタイガーに咥えられて、ぐるるるーと獰猛に唸られるのに怯えて泣きだしていた。
「いやだー! 食われるー!!」
「クフッ」
 面白い光景だと思うようで、骸はテレて自らの右頬を抑えた。公園の生垣を踏みこえ、もう片方の手を伸ばし、つうーっと綱吉の背中を人差し指の腹でなぞり下ろす。
「ひぃっ?!」
 ぞわわっと鳥肌をたてて、呆気なく地べたに落ちた。
 低い声で骸がうめく。
「捕獲なさい」
「うわあぁああああんん――――っ!!」
 タイガーと揉みあいになりかけたが、獣の淀んだ眼光と真っ向からぶつかると、綱吉は黙りこんだ。一切の抵抗もできなくなった。
 胸を抑える獣の脚に怯えて呼吸も止める。
「……いい子ですよ。そのままです」
 六道骸は、したり顔でしゃがみこんだ。
 無遠慮に綱吉のカバンをひっくり返す。ないとわかると、これまた無遠慮にベタベタと綱吉の体を触る。
「ふむ」
 やがて、ぶちっと加減なくシャツを破った。
 服の下に厳重に隠してあった。
 公園の外灯が遠方にあるおかげで、うっすらしたシルエットが見える。長方形の小箱に、ピンク色の包装紙。赤いリボンも巻いてある。
 ウインクをひとつ与えて、実に上機嫌に骸は自らの口角に箱の角を押し当てた。
「まだ開けてませんね? 上出来です」
「う、うう……」
 ガタガタとおののき、震えつつ、綱吉は涙目を骸に向けた。真っ赤に腫らしている。
「か、返せよぉ」
「ダメです。捨てていく」
「だ、だめだってば……。返せ! オレにくれたの!」
「笹川京子からのチョコには気をつけろってあれほど言いましたよ僕は。こんな……夜中の呼びだしに応じるなんて何を考えてるんですか? 僕とゆーものが居ながらその態度、殺して欲しいんですか。それともオシオキがお望みですか?」
「とか、いいつつ、踏むなァ――――ッッ!!」
 本気の涙を見せつつ身をよじる。骸が口上を終えるころにはタイガーは足を引っこめて、代わりに骸が片足を綱吉の胸に置いてカカトでぐりぐり嬲ってくる。
 その足を両手で掴み、彼の体重を逸らそうとしながら綱吉は泣声をあげた。
「返せよぉおおっ。お前とオレはそんな仲じゃないっ。いやだーっ! 誰か、た、たすけ、ッヒィ?!」
 がおっとタイガーが綱吉の顔を覗きこむ。
 全身が石に変わる。
 みるみると血の気が引いた。
 タイガーはゆっくりと味を確かめるよーに綱吉のこめかみを舐めてくる。
 胸を踏んだ片足、その膝頭に片手を乗せて、六道骸は勝ち誇った笑みを浮かべた。このとき、丁度、雲が割れて月光が顔をだしたので輪郭が白く光る。
「一仕事したので、飢えに応じてご飯をあげるべきかもしれないですね……? ねえ綱吉くん」
「…………ッ」
 ぼろっと落涙させつつ、綱吉は微かに首を振る。
 小刻みに震える指先がカバンを指した。
「こ……んな、ときのため。に。ようい。して。ある……」
「おや!」
 骸は身を乗りだした(そうすると綱吉に余計に体重がかかる)。
 顎までガクガクさせつつ、必死に頷く。
「なぜですか?」
「む、骸が恋人だから……」
「ほうほう。なるほど。僕が好きですか?」
「す、すき……」
 タイガーは耳をベロベロし始めている。舌なめずりまでして、唾液が草むらに垂れ始めて、真横に置くには非常によろしくないビジュアルだ。
「だ、だいすきだから、なんとかしてぇ」
 目に見えて竦みあがる様子に骸は御満悦だ。
 ニッと笑って足をどかした。同時にパチンと指を鳴らす。頭上でドスンと重い音がして、
「うぎゃあああ?!」
 タイガーが咆哮と共に飛びあがった。
 みしみしっ、ばきっ、みぎゅっ。
 草むらの向こうで何かが飛び散って、引っくり返った細い四足――バンビの足のよーに見える――がバッタバッタと上下左右にもんどりをうつ。上半身を起こしたまま、完全に血の気を失った綱吉。肩に骸が手を置いた。
「食事させてから返してあげませんとね。幻覚ですが実体付きですから実物とは変わらない。クッフッフ」
「…………」
 声もでない。胃袋がぐぐぐぐぐぐっとねじれた。
 タイガーが首を大きく上にかざす。びよっと伸びた肉が、鮮やかな飛沫をとばしつつ、千切れる……。
 猫撫で声で名前を呼ばれた。
「で、僕へのバレンタインチョコは? 綱吉くん?」
 油の差していないロボットの動きで、ふり向いた。
 両目から派手にナミダをあふれさせている。一人だけ局地的な地震に見舞われたようにガタついていた。
 先程、京子からのチョコを探索する間にぶちまけられた私物を漁り――不透明の白いビニール袋の塊を掴む。程なくして、手のひらに収まる程度のハート型の箱を取りだした。もしものときの緊急用(綱吉にすればパンドラの箱に等しい最終兵器)だ。
 手渡されて、骸は、わざとらしく首を傾げた。
「バレンタインって、こんな風に素っ気なく渡すものですっけ?」
「む、骸、さん。どうぞ。食べてください……。こ、こころをこめて選びました」
 土下座する綱吉である。骸がその後頭部を踏んだ。
「もっと何かいい文句を考えた方が君のためじゃないですか?」
「お、オレからの愛を食べてくださあああい!」
「ほーう。ほう」
 パチンと指を鳴らす音。
 後頭部を抑えつけた重みも消えたので、後ろを見れば、タイガー(と、それに捕食されていた何かの草食動物)は跡形もなく消えていた。
 綱吉は蒼白のまま自らの心臓を抑えた。
 ドックドック、激しく脈打って、口から飛び出しそう。身動きできず、硬直するばかりだ。震えが体に残る。
 そんな綱吉と目線を合わせるために六道骸もしゃがみこんだ。
 その手は既に箱を開けている。面白そうにハートの形を確認しながらだった。
「綱吉君。あーん」
 言いつつ、自分の口を開けた。
 目尻を拭うがそれでもナミダが止まらない。真っ赤な顔で、ひくひくと喉をしゃくらせていた。逆らえるわけもなく、右手を入念にシャツにこすりつけてドロを落とす。
「う、うう、うううう」
 骸の口にチョコを入れてやった。
 アーモンド入りのチョコがハート箱にごろごろと入っている。
 カリ、と、アーモンドを噛み砕く音色。他の音はなく静寂に落ちた。うっとりとして少年はオッドアイをすぼめる。
「……おいしい」
「うううう、ううううう」
 陶酔の面持ちをそのまま、骸は綱吉の頬に手を当てた。相手が声を押し殺して号泣していようがお構いナシだ。
「かわいい。綱吉くん。愛していますよ」
 うめきながら、自ら、一粒のチョコを口にする。
 含めたままで口付けてきた。
 キスが濃密になると頭の芯が痺れるが、気が遠くなるのは相手のテクニック故ではなく――全力で拒むにも関わらず気持ちよくなるのは彼のテクニック故なのだろうが――立ちこめた血のにおいと、横目に京子からのチョコ(引っくり返って地べたに転がっている)が見えるからだ、と、綱吉は思うのだった。

「いやだー。もういやだぁあああ!」
 よろめきながら生垣を抜けて歩道に戻った。ぜえぜえと息は荒い。口角から垂れた唾液を手の甲で拭く。
「く、ふ、ふ、ふ、ふ。愛していますよ」
 遅れて後につづいて、六道骸。
 極めて自然な動作で綱吉の腰を抱いた。
「浮気性な恋人を見守るこっちの身にもなって欲しいものですがね……。折檻は日をズラしてあげますよ。せっかくのバレンタインですから、平和に終わりたいでしょう?」
「今までのコトのドコがどう平和だったのか具体的にッッ。ドコがどう折檻じゃなかったのか事細かに言ってみろよおッ」
 青褪めた面持ちで両手をわきわきさせる綱吉である。
 ナミダの痕をペロリと舐められて鳥肌がたった。
「っ、い、いい加減にイジメのターゲットを他に移せえッ。もういやだぁあああ!」
「僕に浮気しろって言うんですか?」
 クスクスと意味ありげに微笑して抱く手に力をこめる。
「――綱吉くん。その。これは……。僕からの気持ちです」
 次の瞬間、ガラリと様相が変わって恥じ入るように声を潜めた。ターモ。左の鼓膜に吐息が吹きつけられる。綱吉の手には、同時に球体状のものが握らされた。
 六道骸はすぐさま身を翻した。
「よい夜を!」
 月光に照らされた白い肌は赤く上気している。
 はにかみ顔で眩しげに綱吉を見つめ、これは数秒程度だったが、両膝を曲げただけの屈伸運動で住宅の屋根まで跳ねあがる。駆け去った。
「?!」
 初めて見る表情と初めて出会う態度だった。
 動揺して手をひらいた。球体……と、思えば、ハート型のカプセルだった。
 セロハンテープで留めてある。
 真ん中から二つに割ると、手作りと思しきトリュフのチョコレートが転がりだした。これが三つ。ハート型の小さなメッセージカードは、T’amoの文字の下に、小さく「愛」と書いてある。
 綱吉を絶句させたのはトリュフチョコの一つに刺さっているものだ。無造作にブスリッと半分くらい埋没しているが――。
「?!!」
 ダイヤモンドを台座に嵌めた指輪だ、どう見ても。
「な……なななっ……?!!」
 心臓が停止しそうだった。
 持ち手がガクガクッと派手に震えている。
「ギャァアアアアアアア!!!!!」
 大絶叫が並盛町にこだまする。人生最悪のバレンタインデーになったことは確信できた。


 

 

 


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08.2.14