エイプリルの告白






「やーい四月馬鹿!」
 沢田綱吉は頑として抗議した。顔は真っ赤だ。
「こんなの反則だろーっ!! 誰が車に撥ねられたんだ?! ピンピンしてるじゃないかぁっ!!」
 ハミガキ中の少年をあごで指す。彼は、自慢の稲妻分け目をちょっと見える程度にして頭にタオルを巻いていた。醒めた目で綱吉を眺めつつ、シャコシャコと言わせている。
 がらがらがら……ぺっ。
 六道骸は洗面所から戻ってくる。
 足取りが無意味に優雅なので綱吉には腹立たしい。
「お前、オオカミ少年って知ってる?!」
「ウソをつきすぎると信じて貰えなくなる、ですか」
 だぼっとした私服は寝間着でもあるらしい。骸はタオルで髪を軽く拭いながら首を傾げる。
「既にオオカミ少年になってる気でいたんですけどね」
 どこか複雑そうな物言いだが、城嶋犬にはその機微が伝わらなかった。勇んで綱吉に人差し指を突きつける。
「四月馬鹿! えーと、……うどん!」
「それを言うなら愚鈍」
 ツッコミをいれつつ、柿本千種は骸とすれ違って洗面所に向かった。千種がいたイスに座り(三つあるイスの一つに綱吉が縛り付けてあるのでイスが一つ足らない)、骸は足を組む。頬杖をついてオッドアイを神妙に光らせる。
「さて……。かよわいリスちゃんに何もしないで帰すワケにもいきませんね」
 リビングの壁にある時計を見て、
「ひとまず今晩は縛っておきますか」
「こ……っ、なっ、なっ」
 沢田綱吉は青褪めて口をパクパクさせる。
 内心ではコノヤロォオーッッ!! とか叫ぶ。骸は頭からタオルを外すと、千種の方へと戻った。しばらくしてドライヤーを使う音。
「――――……。い、家に帰してくださいよぉ」
 綱吉は、上目遣いで犬を見上げてみた。
 骸の方では埒があかないと判断した。犬はフルフルと首を振る。
「オレはこーなるべきだと思うべ」
 首を掻ききるマネをする。
「だぁあああ?! だーっ、リボーン!!」
 猛烈に後悔していた。骸が事故にあったと連絡を受けて、容体が危ないというので、綱吉は急いで家を出た。時刻は夕方の六時、相談もせずに飛び出したのが仇になった。
 ニヤニヤとして舌なめずりをして、犬は自慢げに鼻を鳴らす。
「むくろさァーン、いいアイディアれすよね?」
 綱吉を誘い出したのは犬だ。発案も犬らしい。髪を完全に乾かして、骸が戻ってきた。
 彼はポンポンとぞんざいな手つきで犬の頭を撫でる。
「イイコですよ。確かに僕は言いました。そろそろボンゴレ十代目の霧の守護者も飽きました、と」
「…………!」
 茶色い目をくりくりさせて、綱吉は呆然とする。
「あ、飽きた?」
 骸が頷く。脱牢後、霧の守護者を引き受けて並盛町に戻った――、それから一年は過ぎた。
 オッドアイは主人となる綱吉を静かに見据える。
「君に飽きました。従うのは馬鹿らしいです」
「んなぁっ?!」
「やっぱー、これれすかァ」
 声を弾ませて、犬は自分の首をなで回す。きゅっと絞める動作もつける。綱吉は言葉を失う。
 救いを求めて洗面所を見つめた。千種は、口に歯ブラシを差したままで眼鏡を光らせる。その光り方は非常に酷薄に思えて綱吉は絶句する。彼らは本気だ。
「ひとまずは寝ますか」
 と、骸はそんなことを言って踵を帰した。
「そーなんれすか?」
「そうです。おやすみ、二人とも」
 言葉だけで別れを告げて、リビングを後にする。また、がらがらがら……ぺっ。そんな音色が聞こえて、千種が戻ってきた。骸の消えた廊下を見やる。
「……どう思う?」
「へ? 何が?」
「わかんないならいいけど」
「んあ? 何だー?」
「もういい」
 ぶつぶつと交わしつつ、二人は揃って廊下に出た。そのまま戻ってこない……、さりげなく、電気を消していった。
「お、おーい……。あのー?」
 暗い室内に取り残されて、沢田綱吉は涙目で震え上がっていた。

 

 深夜の二時くらいになった頃か。綱吉は、唐突に目を覚ました。イスの背に縛られて足首同士を結ばれて、抵抗の余地がない上に、生命の危機が肩にのしかかるから安眠どころでなかったが浅い眠りには落ちた。四月一日は異様に疲れた一日だ……特に夕方から。
「…………?」
 瞬きを何度かやって、息を潜める。
 ゾクリとした恐怖感に染まる。まさか、とは思ったが、胸元に当てられた手のひらは消えなかった。シャツの下に潜り込んで地肌を撫でている。
 右耳の上に、人の吐息を感じた。眠気が吹っ飛んで、頭が真っ白になるばかりで目が白黒とした。
 上半身をよじると相手も綱吉の覚醒に気がついた。
 手が伸びる。口を抑えられて(抑えるというより握り込むといった方が正解な手つきだった)、その頃になってようやく悲鳴をあげるべきだと思い知る。時は遅かった。シャツを首まで捲り上げられるとヒヤリとした大気が押し寄せる。綱吉は鳥肌を立てた。
「むぅっ……、んーっ! んん!」
 イスの足がガタゴトとしてズレていく。相手は綱吉の膝に載ってゆるく体を抱いてきた。
 鼻腔にコロンの香を覚えてから、ハッとした。
 この襲撃者は六道骸だ。
 確信した。しかし綱吉の確信がどうであれ、次には目の上からタオルを巻かれた。ギリッとキツく絞められてくぐもった悲鳴が漏れる。さらにハンカチのような木綿で口に猿ぐつわを嵌められた。
「ん?! ん……っっ。うぅ」
 首をよじって抵抗しても意味はなかった。イスの背中まで腕を回して、イスごと綱吉を抱く。暗闇から切なげな吐息が聞こえた。
「う、うっ、ん〜〜」
 タオルの下で綱吉は涙をにじませる。
 膝上に載った重みは半端でない。自分よりも体重がある相手なのは明白だ。やはり骸だと思った。彼は綱吉の後頭部を撫で、後ろ髪を梳きながら首筋に口付けをつづける。腰をぐっと前に張り出されると綱吉にぶつかる。それら全ての感触に手足が竦んだ。
「…………っ。むぅっ」
 綱吉は非難に喉をしゃくらせた。
 何が何だかわからない内に、相手がコトを進めていく。下を暴かれた頃には目に巻かれたタオルが湿っていた。非難も嗚咽に変わっている。
 両頬を手で挟まれて、綱吉は顔をあげざるを得なかった。タオルで塞がれ猿ぐつわで黙らされた状況下でもジッと凝視されてるのはわかる。沈黙は永くつづいた。彼は、ぽつりとこぼした。その声はやはり六道骸だった。
「言っておきますけど、もうエイプリルフールは終わってますからね」
 マジでかぁあああ、と、えぐえぐと喉を馴らしつつも綱吉は胸中でわめく。ここまでされれば、予想できる出来事は一つしかなかった。やっぱりその通りのことが起きた。

 

「いーんれすかマジでー。えー。せっかく釣ったのにぃ」
「いいんですよ、もう」
「うぅ、ひっ、ひっく」
 涙で濡れた顔を必死に下向けていた。綱吉は両手を差し出した。手首の間にカッターが入る。ブチッと縄が切れると、後ずさった。
「わっかんねえ! お前おかしいよ!!」
 手で目を拭ってぎゃあぎゃあした末に、ダッシュで――走り出そうとして、悲鳴をあげた。腰を押さえて肩は縮める。内側の痛みに喘ぐ姿だった。
 背の高いアパートを後ろに、黒曜組の四人が綱吉を眺めていた。クロームもいる。女性ということで、クローム髑髏は別室を宛がわれていた。
 彼女は心配そうに目をしばたかせる。
「ボス。大丈夫?」
「夜中にオバケでもでたかぁ? ケッ。ヤワすぎー」
「う、ううっ。うわあああああ!」
 ヨロヨロとした足取りで逃げていく綱吉である。
 六道骸は腕組みして冷然とする。
「君こそ事故に遭わないよーにしてくださいね。せっかく生かして帰すことにしてあげたんですから」
「うわぁああっ、き、霧の守護者なんて辞めろ! 止めない!」
「確かに飽きたんで考えておきますよ」
 離れたところで、綱吉は立ち止まっている。
 蒼白な顔で信じられないと口を丸くする。骸は冷たい目で少年を眺めて自らの口角に指を当てた。人差し指と中指を並べて唇をなぞる。戸惑いの仕草だった。
「君には飽き飽きしてるんですよ。もう行ってください」
「…………っっ! いッ……」
 いっぺん死ねよお前ぇええええ、と、胸中だけでわめいて、綱吉は慌てて走った。信号が黄色くなっている。できるだけ早くココを離れたかった。
 先ほどから、チラチラと骸と綱吉とを見比べていたのは千種だ。彼は眼鏡の奥で目を細くする。
「…………。どう思う?」
「あン? なにが?」
 犬は綱吉を揶揄するのをやめてキョトンとする。
「…………」
「なんらよ。柿ピー?!」
「今日の昼はうどんにしよ」
「あ?! あー? いいなぁ、たまには!」
 六道骸は、物言いたげな眼差しを千種に向けた。だが何も言わないでアパートに入った。クロームは最後まで綱吉を見送り、首を傾げた。エイプリルフールにどんなネタができていたんだろ。


 

 

 


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08.4.2