廃棄された劇場で、ソファーに転がされていた。
骸さんがニコリと笑い、嬉しげに目元をはにかませた。
その手には短剣が握られていた。「許しましょう。盟約の証に我が血肉を。この雫は私の一部でありすべてである。このときより貴殿の輪廻を保証するものでもある。我が盟奴に祝福があるように」
『垂らしますから飲んでください。一滴も残さずに。こぼしたら呪われますよ』
脳にダイレクトに響く声。戻れないことを告げていた。
かすんでいた思考は急激に晴れて自分が誰だかもおもいだした。オレは沢田綱吉だ。
『でも今から六道に落ちる。六道綱吉とでも名乗りますか?』
びっ。至近距離で骸さんが自らの額を斬りつけた。
赤い線から溢れた血が目蓋を通り、綺麗な一本の線を描いて顎まで垂れてくる。
不思議な力が働いているようで一直線に。オレの唇にぶつかった。
『飲んで。終わるまで飲んでください』
声が。骸の声が。でも関係ない。オレの喉、勝手に飲み干してる。
苦くて熱い生命の固まりだ。
骸の。骸の体を巡っていた汚らわしいもの。全身にまわっていくそれはまるで毒のようで目眩がする。目蓋のうらが熱い。熱いのに、一飲みごとに体温が遠のいていく。指がかじかむ。不快感はなくて。生きているのに死んだようだった。冷たい寝床に横たわっていくような。
『これで君と僕とは同じ存在だ。僕を見てください、ツナ君』
血を飲みながら目をあげる。くすむ景色の中で、骸だけが光って見えた。
その光も完全なものではない。奇妙にけぶってる。額から血を流していた。眼が合えばニコリと笑う。目蓋の真上まで血が滴っている。さながらに血の涙だ。最後の一滴まで飲み干し、た、ところで骸が大口を開けた。
垣間見えた犬歯に吸血鬼を連想する。
唇に噛み付くように見えたけど、骸は数ミリの距離を保ったままで口を開けていた。
ズ。圧倒的な不快感のあとに虚脱感。ズルズルとつづく虚脱感。骸の口に何かが吸い出されていた。見えない何か、でもオレの大事な生きてる証がそれがないと死んじゃうようなものがズルズルひっぱりだされてる。
骸が最後までほうばり、ゴクンと喉を上下させた。
途端、ばちっと電撃が走って視界が切り裂かれた。骸が恍惚と頬を赤らめ、俯いた。
『……おいしい。味はないのに。爪先までが痺れるような熱で……』
頬を抑える指が微かに奮えていた。吸い出したものを堪能してるような深呼吸。歓喜が見えた。
両目をとじて眉根を寄せて。狂ったように捕えたものから絞り取ろうとしてるみたいな。濃厚な沈黙がおちる。
やがて、目を閉じたままうめくような声がした。
「最後の誓いを。――」
『この言葉って、僕で好きに決められるんですよね』
弾んだ声音が響く。虚脱感がひどくてマトモに考えられなかった。
骸がこの状況を最大限に喜んでいることがわかる。流れてくる。彼の感情が。
『それが契約の結果です。そちらには聞こえないでしょうが、僕にはツナ君の思考すべてが聞き取れているんですよ。その気分も体の具合もすべて』
わかる。はっきりとわかる。思い出してる。
この何気ない口調と慇懃無礼な態度。それで、骸はすべてをぶち壊しくれたんだ。皆……。皆、こいつにやられたんだ。『こいつとは酷いですね』ニィと骸の口角があがる。
ゆっくりと彼は最後の言葉をはきだした。唇が勝手に反芻した。
「――道連れを往くあなたに愛を」
「道連れを往くあなたに愛を」
『相思相愛ですね』
これいやだ。誰か。
腕が勝手に骸を抱きしめ返してる。
オレはオレだけどオレじゃない。
ちがうものだ、これじゃあ!
「くふふふふふふふふふふふ……」
『クフフフフフフフ』
愉しげに笑う声。前髪が掻き揚げられて、ゆるりと表面を撫でられた。
自ら斬りつけた傷が見る間に埋まっていく。咥内の血の味が消えていた。かわりにザラとした砂の感触がそこらじゅうに。手で探ってみても、やっぱり砂だ。『直にツナ君もそうなりますよ』
「……あれ? 体、動く」
ニコっと骸が笑う。その顔が間近に迫り、唇に濡れた感触がした。
「…………?!」いやだ。顔を思い切り顰めたけど、すぐに気がついた。
骸がしかけてきたんじゃない。オレが自分から骸の口を割って……、舌を探ってる。
「う……っ、む。んん!!」腕で引き離そうとするのに。首から上だけが別の生き物になったみたいに、覆い被さる骸を求めて、その滑った舌を咥内に見つけて喜んで絡め合わせてる。
頭がキンとした。酷い目眩で、脱力してるつもりなのに体が。体が骸にしがみついて全身でこいつを求めてる。体が勝手に。なんだこれは。くふ、と、時折り面白がるみたいな笑い声が頭にひびく。
視界にうつる骸は、必至に咥内を探るオレを冷淡に見下ろしていた。
舌の戯れに応えることもなく、やりたいようにやらせてる。自慢じゃないけど、そんな経験なんてないから『おや。じゃあ僕が初めてですか? それは災難……いえいえ、光栄と思ってもらわなければね』骸が気持ちよくなるはずがない。
『確かに悦くはないですね』
『けれど君でなくともこんなものですよ』
『僕の感覚はほとんど麻痺してますから』
「っ……」ざらりとしたものに舌を絡め捕られた。
間近のオッドアイが細くなる。楽しむみたいに『愉しいんですよ』
『ツナ君、気持ちいいんでしょう? わかりますよ。今なら君の感覚が把握できますから』
『六道の契約は相性に左右されますが君とはピッタリ交われるようだ。感覚が、君を通してダイレクトに……僕まできますよ』体がおされた。奪うみたいな熱烈なキスがしかけられる。
頭がぼうっとした。体が勝手に骸を抱きしめていた。ようやくわかった。本当に。
本当にオレが、沢田綱吉が自由にできるのは頭のなかでの呟きだけなんだ。『僕がいますけどね』本当の意味でオレがいるのは頭の中だけってことだ
『僕にはそれで充分ですから。奴隷は従順な方がいい』
独りでに舌が骸を追いかける。骸が応える。根元を絞められると意識が浮ついた。
『ああ、いいことを思いつきました』
『今のツナ君は六道綱吉とでも呼ぶとしまして』
『頭に残ってる方の自我は、沢田綱吉と呼びましょうか』
どっちもオレなのに。ぴりっとした気持ち良さとか、骸が舌を噛んだときの痛みとかは伝わるのに。この体はやっぱりオレのものなのに。でも『でも動かない。すべて僕の思うがままです』
『愉しいでしょう、この状況』
自信に満ちた声が響く。頬を流れるものがある。
訂正しなくちゃ。オレが本当に自由にできるのは頭の中での思考と『涙だけは好きにだせるようにしてあります。素敵でしょう』だ。
終
05.12.10
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