ねずみの綱吉



3.

「ああ。これはね、オレがつまみ食いして怒られてる……、ああ、そう。こういうときがあったんだよ」
 思い出したとばかりに、ねずみの綱吉が言った。骸の肩の上から。下からも声があがる。
「そーだ、そーだ。あったな、こんなこと」
「あったあった」
「…………。じゃ、さくっと」
 また額を抑えそうになったが耐えた。骸は三叉槍を振りかざす。と、記憶の残像に張り付いていた鬼の仮面を割った。沢田奈々がつけていた仮面だ。母に怒られ続けていた幼少の沢田綱吉は泣きやんだ。彼は、振り返り目を丸くする。
「さ、元のところに帰りましょうね」
 骸は投げやりに言った。沢田綱吉は見る間に萎んでねずみの姿になった。耳と尾を生やして、肩にいるのと同じ外見だ。
「うんっ。帰るよ」
 新たにねずみが骸の後ろを歩き出す。そんな感じで、骸は既に後ろに五十匹あまりのネズミ綱吉を連れていた。
「なんでこんな大所帯に……。沢田綱吉。全部君が吸収するとか、できないんですかっ」
「そんなこと言われたって……。でもみんな、付いてきてるよ」
 無重力空間の中をふわふわしながらも後を追ってきている。みんな、必死だ。その姿を見て骸はまたペットか何かを見ているような気分になった。耳と尾のせいもあるが、もはや人間として認められない。
 今更だったが尋ねた。外見が不思議だ。
「そもそも、何でねずみの格好なんですか」
「今年の干支だし、初夢だったからじゃないかな」
 ねずみの綱吉が唸りつつ応える。骸は溜息をついた。
「君、相当、お気楽な人なんですね」
「むっ。なんだよ。死に掛けてるんだぞ!」
「大丈夫ですよ。この分なら、」
 事実、さくさくとねずみを解放していた。過去に綱吉が体験した思い出で、本人が嫌だと思ったものが悪夢に変わってねずみを捕まえていた。
「すぐ、終わりますよ」薄っすらした予感に声を潜めた。
 最初の数匹を救助した段階で、骸はある可能性に気が付いていた。次第に、悪夢の面子に家庭教師リボーンや沢田綱吉の級友が混じると、予感は現実感を増した。
(来るんだろうな、これは)
 骸はちらりと肩のねずみを見た。綱吉は、こんな思い出があったんだと、新たに遭遇するものの一つ一つに目を輝かせている。悪夢であっても過去を知らない身には新鮮らしい。
(……別に……)
 躊躇いを感じるのはおかしな話だ。骸は無重力空間を歩いて次の思い出へと向かう。思い出は光の塊になって点在した。その光点には、柿本千種の姿を見つけた。獄寺隼人を痛めつけ、沢田綱吉と相対している。ねずみの綱吉は骸の顎に片手をついて身を乗り出した。
「うわっ、酷いことするなぁ」
 骸は無言のままに千種のつけた鬼の面を割った。また新たにねずみが沸いた、が、彼は骸を見上げると眉を寄せた。
 記憶はどんどんと先に進む。次第に肩の綱吉も無言になった。そして、
「思い出しました?」
 六道骸は自ら切り出した。鬼の面をつけた六道骸と超ハイパーモードを起爆させた沢田綱吉とが激戦を繰り広げるのを眺めつつ、だ。足元にいた筈のねずみは、既に骸から離れて、集団で固まって警戒していた。
 ねずみの綱吉は骸の肩に座ったままで目を丸くする。激戦を見つめていた。
「僕は、君の敵ですよ。すいませんね、酷いやつで。でもわかってよかったじゃないですか。疑問がいろいろと解決できたのでは?」
「……過去に、いろいろ、あったんだな」
「感想、それだけじゃないでしょう」
 先を見透かして骸が鼻を鳴らす。三叉槍で六道骸に被らされた鬼面を割った。ハイパーモードの綱吉が、途端に身を縮めてねずみの姿に変わる。しかし彼は額の炎を生やしたままだった。
「!」
 世界が変わった。水が引くように世界の黒色が褪せて行く。
 骸は自らの心臓を抑えた。ねずみの綱吉が慌てた。
「どーした、骸!」
「鬼が死んだ。出ますよ、ここを。僕についてきてください」
 肩のねずみを手で抱いて、骸が腰を屈める。他のねずみが近寄ろうとしたがハイパーモードのねずみが叫んだ。
「骸!! オレはお前を許さない!」
「なっ」
 驚愕したのは肩にいたねずみの綱吉だった。
「何いうんだよ。オレっ。そんなことは思わな――」
「みんなを傷つけた。酷いことをした! 許せないんだからなっ。お前に勝ちたい! お前みたいな酷いことするヤツに負けたくない!」
「へえ?」
 思ったよりも低い声が出て、骸は自分の癪に障られたことを悟る。
「君は、ホントは満足してるんでしょう。同情するフリなんかして――、僕に報いを与えられて満足してるくせに」
 嘲るような笑みが口角に浮かんだ。が。
「やめて!」
 ねずみの綱吉が骸の口に飛びついた。
「っ!」その重みで骸も正気に戻る。そんな場合ではないのだった。キーキーと騒ぐハイパーモードのねずみは、尾を摘みあげた。
「なにすんだーっ! 離せ! てめーっ!」
 他のねずみはどうするかと、思ったときには、口に張り付いていた綱吉が飛び降りた。仲間に向かって両手を広げて叫ぶ。オッドアイがその小さい背中を見つめた。
「来て! 怖くないよ! 骸はオレの友達だから!」
「…………」
(あの記憶を知った後でも?)
 と、問いかけようと骸は思ったが。
 しかしその機会は永遠に訪れなかった。幻術でもって鬼の腹を破り、白くなった夢世界に出たときには、ねずみの綱吉達は深い眠りに落ちていた。片耳一つ動かさない。骸は一匹を見分けて拾い上げた。肩に乗せていたやつだ。彼はすうすうとするだけで声も上げない。世界はもはや真っ白になって、光の中に呑まれて薄らいでいくだけだ。
(沢田綱吉が覚醒する。幻術が仕掛けた全ての枷を壊したんだ)
 奇妙な心地になった。結局、自分が憎い筈のカタキを助けている。
 人差し指の腹でねずみの綱吉の後頭部を撫でる。寝顔を晒してくたりとしていた。世界が白味を増していく。沢田綱吉が目覚めればこの世界は消えるしねずみ達も消える。やはり、手中にしているねずみの耳と尾をつけたミニサイズの生き物は人間でなく――沢田綱吉でなく――新手のペットか何かにしか見えない。それならいっそ飼えたのに、と、なぜだか悔しい思いがした。低く囁いた。さよならと共に。
「おはようございます」
 骸は静かにオッドアイを閉ざした。そうですね、と、胸中で付け足すことにした。君は確かに友達だったかもしれません。



つづく
















4.

(骸さま。ボスが呼んでる)
 二月が始まろうという頃に、クローム髑髏が言った。水牢の中で僅かに六道骸は躊躇った。年の初めの出来事を思い出したからだ。やや間を置いて尋ねた。
(なぜ?)
(言いたいことがあるって……。初夢についてだって言ってるよ)
 言葉が終わらないウチに、日本の沢田綱吉の寝室では少女が少年に摩り替わった。唐突に性別が変わった挙句に背が伸びて、居丈高な立ち振る舞いとなったので、沢田綱吉は後退りした。
 室内には二人だけだ。
 骸は幻覚でもって自らを実体化させることには慣れたが、沢田綱吉と二人きりというシチュエーションには慣れていなかった。初めて、かもしれない。矢継ぎ早に告げた。
「僕に用ですってね。なんですか。わざわざクロームだけを呼び出すまでして」
「えっ?! あ、いや――、その」
 沢田綱吉は口をもごもごさせた。その目の奥に怯えが浮かぶ。
 眉間が皺寄った。真意を測り損ねる、というよりも、コイツ馬鹿なんじゃろうかと疑うような気になる。自分から切り出すのは少々お門違いだと思えたが、勇気が入ったが、小さく呻いた。
「初夢って?」
「あ、」
 綱吉は、会話の糸口が見えたとばかりに、両手をぎゅうと拳にした。
「あのさ。御礼言いたいなってずっと思ったんだ。あの……、夢を見たんだ」
 妙なクスリを呑まされて寝込んでいたときだという。骸は片方の眉根だけを動かした。綱吉には自分がねずみの耳と尾を生やしてごそごそしていた記憶は無い様子だった。ただ、
「お前がオレを助けたんだよね? すごい、怖かったんだけど……。でも、その怖いのをな、お前が一個ずつ壊さなかった? すごくたくさん。百個くらい割ってた」
(まあ……そうか。あのねずみを模した姿形の生き物が沢田綱吉の断片にして雛形なら)
 拙く語るのを真前に、分析しながら骸は眉間を皺寄せた。
(記憶は残っても不思議じゃないのか)段々と自覚し始めていた。綱吉をじっと見つめているのは、今、自分が沢田綱吉の中にねずみの形跡を探しているからだ。肩に乗せてた少年の。断片とか似たところとかを求めている。
(らしくないな……)
 自分の望みに辟易としたものを覚えて、オッドアイを横に細くした。骸は肩を竦めてみせる。別に否定することでもなかった。
「そうですね。君はまだ利用価値がありますから。こんなところで壊れてもらっては困るんですよ」
「ぶっ。あ、ああ、そらどーも」
 噴出したが、沢田綱吉は困ったように小首を傾げた。
「お、おれはさ」
「?」
「ものすごくドキドキして、この状況を作ったんだよ」
 意味がわからなかった。骸が目で尋ねると綱吉は言葉を萎ませる。
「いや、おまえが、ずっとオレをマフィアの跡継ぎとして見る気なのかなって……。骸。言ってなかったけど。オレはおまえが霧の守護者だと思ってるから。その、頼りに、してもいいんだよな?」
(あ)
 骸もピンときた。
「沢田綱吉。僕は――」
 君と馴れ合うつもりなんて――。
 そこまで言って口を噤んだ。沢田綱吉はあの夢を少しだけ覚えている。そして残り香を感じているのだ。恐らくはコレこそが、あの、肩の上にいたねずみの綱吉が残した影響だった。骸にはボンゴレ十代目の友達になる気もファミリーの一員として定着する気もないが。ないが。ああ、と、やたらと感慨深い思いで合点していた。
(あのねずみの綱吉は――、素の沢田綱吉か)
 ボンゴレ十代目とかマフィアとかを除いて、この僅か十四歳の少年だけでぽいと放り出すとああいうのが出来るんだろう。思ってみれば、骸は、マフィアとかボンゴレとかのフィルター無しに沢田綱吉を判断したことがなかった。出会いからしてエモノ足り得る標的としか思っていない。
 見れば、彼は不安そうにオッドアイを見上げている。
 なんとなく、胸を張ると、綱吉は怯えた。
「い、いや、まあお礼言いたかっただけ、だから」
「ほう」
 じろじろと眺め回した末に、
「……まあ、いいでしょう」
 六道骸は肩を撫で下ろした。それなら僕は、と、胸中で続く言葉は、握り潰そうとしてもやりきれない。それなら認めるしかない。君が好きになれそうだって。
「でも、耳とか尻尾をつけた妙なものをヒトとして認識しろっていうのが土台ムリな話だったんじゃありませんか?」
「は。はあ」
 綱吉は面を食らう。骸は笑った。
 優しげな笑みだった。綱吉はますます混乱して後退りまでした。
「おいおい、話してあげますよ。沢田綱吉」六道骸は小首を傾げて誘うように告げた。
「どうぞ? 僕を頼りにすればいい。困ったときは君の一番の助けになれますよ」
(君の友達だから)部下とか、守護者とか、そういう関係ではなくて。胸中だけで告げたが大体の意味は伝わったらしい。沢田綱吉はぱっと顔を明るくした。これが彼の望みとは、少し意外で、小馬鹿にしたくなるほどに甘い考えだとは思ったが骸は受け入れることにした。
「う、うん。そうする。 ?」
 綱吉はすぐさま首を傾げる。口角を引き攣らせたのは、骸が綱吉の頭に手を置いたからだ。撫でてみて骸は思いを深くした。やっぱりペットにしたい。
「む、骸? あの?」
「くふふふふふふふふふふ」
「?」綱吉は笑みを引き攣らせる。ちょっと青褪めた。骸は少年の両肩に手を移して目線を同じ高さにしてやった。近くで見るとそれなりに澄んだ色をした眼球だと思った。いい目をしている。
 前髪を掻き揚げてやると、額に軽く口付けた。
「ふ、ふぎゃああっ?!」
 途端、涙目になって額を押さえるのも面白いと思った。
「ま、挨拶代わりにね。よろしく、沢田綱吉くん」
 骸はにっこりとした。沢田綱吉の右の耳朶を摘めば、ねずみのものでなく人間のものをしていた。それでいいと思った。唐突な行動に驚いているスキを縫って舐めてみる。
 ぎょっとして突き飛ばされた。綱吉は耳を押さえて顔色を失っている。
「くふふ。くふふふふふふ」
「なっ、に、すンだよぉ?! 骸?! 何なんだっ。何なんだぁあああ!」
 六道骸は人差し指を唇に宛てた。にやっとする。下唇のふっくらした感触が好きだったが、はたして目の前の彼はどうだろうと思った。綱吉が何かを喚いているが自分の考えを整理するのに夢中で聞いていなかった。オッドアイは窓辺に映る雲の動きを見つめて微笑んだ。
(ま、可愛がってあげようとしてんですから、根元は同じでしょう?)
 素通りするだけの悲鳴がだんだんと哀れっぽく聞こえてきて、それもまた面白いと思う骸である。




おわり




08.1.3

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