子守唄が聞こえる



ひとつ・雪道

 出会ったその日が今生の別れになると知ってたら、野心を抱かなかった。六道骸は語る。クローム髑髏の体を借りて、幻想能力を用いて本来の姿を現すのに仲間たちも馴れたときだ。イタリアに移住してから一年目の冬、復讐者たちのアジトを征服し損ねてから二日後だった。
「僕は一生このままなんでしょうか」
 ラビットファーの襟口に顔を埋め、少年は静かにうめく。
「そんなことないよ。いつか、きっと助けてあげられるよ」
「今回のことでわかった。復讐者の守りは鉄壁だ。あの水牢が移動できるとは僕も思わなかった。予想外だ……。一度目はあんなに簡単だったのに」
「だから次が難しくなっただけだよ。大丈夫だ」
「何を根拠にそういうんですか」
 雪そぼる町を歩く傍ら、沢田綱吉は紙袋を抱える。毛皮のロングコートにニット帽子を目深に被っていた。買い出しに出た筈の黒髪美少女はここには見えない。彼女の意思と体とが、唐突に六道骸と人格を交代するのにも完全に馴れたので、隣を歩く影がいきなり頭ひとつ分大きくなっても動揺はしなかった。しかし骸の質問には動揺した。
「……だって、絶望したってどうしようもないだろ」
「それは、君の経験則?」
「うん。嘆いたってどうしようもないんだ。オレはボンゴレ十代目だ。逃げるだけじゃどうにもならなかった」
「君は変わりましたね」
「そうは思わないよ。……まぁ、リボーンとか獄寺くんとか皆が来てから騒がしくなったから。馴れちゃって、手放すのがすごく惜しいんだ。だからボンゴレとして生きようって思った」
「僕は、そんなことを聞きたいわけじゃない」
 突き放すように骸は前だけを見る。綱吉は、両目を笑わせた。
「霧の守護者くん。ちゃんと居場所は残しておくから、そんなに絶望しないでくれよ」
 左右で色の違う瞳は、気鬱げに雪道を見下ろす。さく、さく、雪を踏む前には少しだけ浮遊感がして、それから、ストリートに靴底が沈む。何十と自信の足跡を残して、六道骸は低い声でつぶやいた。
「ハイ」
 雪が襟に貯まる。溶けないうちに宿に着いて、骸は、無言のままでクローム髑髏に肉体を明渡した。辺りを漂う霧は幻なのですぐに掻き消え、少女が細い肢体を浮かび上がらせる。クローム髑髏は両目を大きく見開かせた。
「ボス? 骸さまに嫌なこと言われたりした?」
「ううん。そんなことはないけど」
「じゃあ、どうして……」
 宿の扉をくぐる。質素な外見に反して中では豪華なシャンデリアがぶら下がる。ボンゴレファミリーの秘邸である。
 綱吉は苦笑して首を振った。シャンデリアの放つ薄明かりの中で、まじまじと自分の手のひらを見つめる。
(最初の一回しか生身のアイツと会ってなかったのか。そうか……そういえば、そうだったんだな)
 これまで、何度か六道骸の体に触れる機会はあったが、そのどれもが本当には骸自身の温もりではないのだった。あの桜のときでさえ既にそうだったのだ。
 それを思うと腹が冷えて心臓が縮んでいく。人知れず、ため息に鉛を混ぜた。
(大丈夫なんて言って、無責任だったか)
 室内は暖かかったが吐息が煙る。綱吉とて、あの時、六道骸が二度と現世に戻れなくなるとわかっていたら、復讐者の前に立ちはだかったかもしれない。




ふたつ・事故

「ああ、パイナップル缶持ってきてって何でオレに言うかなって思ったけどそーいうことね! 新手のいびりだろ?!」
「クフフフフ。ツナ缶のくせに生意気な」
「いぎゃぁあああ! おまえはホラーか! なんでどこでもすぐ沸いてでるんだぁあああ!」
 十代目ぇー! 右腕の呼び声を背中にして沢田綱吉は全力疾走していた。桜並木がびゅんびゅんと通り過ぎて花びらが降り注ぐ。綱吉の後ろを、ヴァイオレットとホワイトのストライプシャツを着た少年が追いかける。その手には幻で編んだ三叉槍がある。
「いい機会です。僕に勝利したのはまぐれに過ぎなかったと教えてあげましょう」
「イヤぁああー!! リボーン!」
「これも修行だな」
 花びらの中から声が落ちる。家庭教師リボーンは専用のゴザを敷いて昼寝にいそしんでいた。傍らにはビアンキ。園内は花見客でごった返すが、二人の周囲は柵でぐるりと囲まれており領土ができている。思わず綱吉は人差し指を突きつけた。
「お、おまえ何やってんだ! 途中から姿が見えなくなったと思ったらー、ずるいぞ?!」
 綱吉は早朝からの場所取りをした組だ。友人と一緒で寂しくはなかったが、早朝の空気は喉が痛くなるくらい冷たかった。リボーンはビアンキの膝の上でニヒルに笑う。
「花見は充分満喫しといてやるからな。オラ、ロクドーサンが追いつくぞ」
「ひいいいっっ! な、なんだよ! パイナップル呼ばわりが嫌ならその髪形変えろよ!」
「…………。消滅しろ」
「そんな次元で蔑まれちゃうの?!」
 ギョッとしつつ綱吉は人ごみに飛び込んだ。花見客の大群にまぎれれば――との願いは通じない。六道骸は変わらずに軽快な足音を立てて追ってくる。
「に、人間じゃないーっ。うわぁあああ!!」
 駆け込んだ先の路樹には桜の木が無かった。自然と花見客も少なくなる。人盾を失って綱吉の顔から血の気が引く。
「追いつめましたよ」
 六道骸がしたり顔でやってきたときには、綱吉の姿は消えていた。しかし骸はにやにや笑って辺りを見回す。彼の鋭敏な感覚は、気配が残留するままであると訴える。沢田綱吉は身体中に葉っぱを貼り付けて枝の上にいた。
(き、気付くなぁ、気付くなー!)
 幹にしがみつき、背中を湿らせる。骸が歩き出して綱吉の視界から消えた。
 しばらく待ってみても変化は起こらない。平穏な風、やわらかい午後の陽射。ホッ、と、胸を撫で下ろしたその一瞬。
「捕まえましたよ」
 肩に掌が置かれた。ぞわっと肌を粟立てて綱吉が跳ね起きる。
「骸でたぁあ――っ!! あ、あっ?!!」
 六道骸が目を丸くするのが見える。綱吉の視界は急激に傾いだ。片足が宙に浮いていると、それを理解する前に体が落ちる。――ぐっと左手首を掴む掌があった。
「間抜けですね。君は」
「っ、あ、あっ、ありがとう」
 少年は不機嫌に眉を寄せる。
「そうだった。君を痛めつけるのが目的だった」
 パッと手を離す。綱吉は反射的に六道骸の襟首を掴んでいた。この動きは予測済みだったのか、冷静にその手も撥ね退けようとする。だが、そこで綱吉が骸の顔を叩いたのは意外でオッドアイが丸くなる。
「わ、わっ、わあ!」
 綱吉にしてみれば悪意はないのだ。両手を振り回し、指に触れたものを、
「っづ!」
「だわぁあああ!!」
 背筋が粟立つ、直後に衝撃が走る。背中から土に落ちていった。三メートルほどの短距離だが身悶える程の痛みはあった。六道骸も巻き添えを食っている。
「お……まえ、離せっ!」
 苛立った一喝と共に骸が頭を振る。綱吉の両手首を掴み上げた。その両手は、がっちりと骸の前髪を握っている。
「い……、ッテぇ……ッ」
 並んで倒れていた。綱吉は震えて体を起こす。と、むにっとしたものに触れた。口で。
「!」
「?!」
 上半身を起こして覗き込む体勢だった。そこに綱吉が下から唇を近づけた格好になる。口付けたままで驚愕に目を見開き、互いを見つめること数秒。真ん中で分けられた前髪を両手で掴んだままだったが、その拳が小さく震えた。真っ青になりつつ、綱吉は手を開く。ふわり。六道骸の前髪が、空気の抵抗で踊りつつ彼自身の頬を擽る。
「…………なっ」
 超至近距離で鋭く息をつめる。綱吉が信じられない顔をして口を抑えた。
 どこか反応に困る風だった骸が、気がついて咎める。
「人を巻き添えにして謝罪のひとつもナシですか」
「ご、ごめんっ。さっ……最悪だ」
 ごし、と、手の甲で唇を擦る。その仕草は骸に確信を与えた。キスにこだわるのは、経験したことがないからだ。
「初めて?」
「ほ、放っておけ!」
 綱吉は両手を戦慄かせる。遠方から友人たちの呼びかけが届き始めていた。六道骸は人の悪い笑みを浮かべる。
「あーあ、ファーストキスを男に奪わせて――、僕は被害者ですね。自分から男にキスするなんて変態ですか」
「ちがーう!! な、なんだよ?! 余裕綽綽だな! おまえだって傷は深いはずだ!」
 半ばヤケになって骸の胸を指差す。
 長い沈黙のあとで、六道骸は囁いた。
「平気ですよ……。痒くも無い」
「おまえこそ変態かよ! ああぁ、もう、うおぇーっ!」
「痛い目見せたことになるんですかね。これも」
 その独り言を最後に六道骸は消失した。あっさりした退場だった。あとには、ジーンズ姿のクローム髑髏が残る。綱吉は気が付いた。キスの相手は正確には六道骸ではなくクローム髑髏なのだ。
(男じゃなかった! ……けど、クロームが知らない間にクロームとキスしちゃってるジャンかこれじゃああ!)
「? ボス?」
 小首を傾げる少女を前に綱吉は首を振る。頬が赤い。
「何でもない! 戻ろう!」
 桜並木では人が溢れている。舞い散るサクラを見て綱吉はまた気が付いた。六道骸と唇を重ねた。骸が狼狽しなかったのは幻影に過ぎないとよくわかっていたからだ。それに気付かず、狼狽する自分を見るのは彼にとってどんなものであったか。
(遠いところに一人だもんな。寂しいのかな……。いつ、自由になれるんだろう)
 不思議と、骸に対する警戒心がとけだした。彼の行動も常に悪気があるわけではないだろう、素直にそう考えられる。




みっつ、山小屋

 過去を夢に見ると不思議な気分になる。そこにいるのは自分自身だが、まったくの別人のように感じたり、自分自身の選択に驚いたりする。沢田綱吉はしばし夢想の余韻に耽ってぼんやりとしていた。やがて、投げ出した手足を胴体に向けて引っ張った。ズル……、とした感触に、心底から安堵する。
(千切れてない。よかった……)
 しかし出血はしている。右肩に鈍痛が残っていた。
 ニット帽は剥がされ、コートも剥がされてこげ茶色のセーターに黒いパンツ姿である。身体中に殴打の痕。だが綱吉には自分の格好もわからない。
「う……く……」
 レザー製のベルトで目蓋の上をぐるりと巻かれ、後頭部で施錠されていた。息苦しさと恐怖とで思考が掻き乱される。
(冷静になるんだ。取り乱したら、脱出の可能性を自分でつぶしちゃう……)
 夢の光景が脳裏を過ぎる。家庭教師、仲間。そして桜と六道骸。諦めては駄目だと励ます心の声に応じて、沢田綱吉は意気地を見せた。
 まずは手首でじゃらじゃらと音を立てるものの正体だ。鎖だ。その先には、直径三十センチ程の鉛玉が結び付けてある。室内は埃っぽく、あちこちに空のダンボールが詰まれていた。綱吉は盛んに鼻をひくひくさせる。室内は寒い。どこかから冷気が漂っていた。だが手探りで一周しても窓らしきものには手が届かなかった。
 綱吉は壁に背中を預けて座り込む。
 レザーで目隠しされた理由をやがて理解した。厚いため、光を通さず、時間すら検討がつかない。
「処刑台の準備が整うまで一時間くらいかな」
 唇が乾ききっていた。ぺろりと舐めてみる、と、不意に声がした。
「ボンゴレ十代目。こんばんは」
「な?! そ……の声、骸か」
「復讐者襲撃計画以来ですね。自分で歩けますか」
「そ、そりゃ、なんとか。重いけど」
「随分お決まりのものを付けられましたね。外してみましょう」
「待て。ホントに骸か? 何でこんなところにいる?」
 視界が塞がれているために大気の変化に敏感になれた。綱吉には、相手が動揺したことがすぐ伝わる。気配が鋭くなった。
「骸……?」
「触らない方がいい。死体を動かしてる」
「オレの、隣に居るのおまえじゃないのか」
「僕ですよ。でも先の銃撃戦で死んだ男の体を幻で身代わりにしてるだけ。君は、ぐちゃぐちゃの内蔵に手を突っ込もうとしていた」
 無言で綱吉は腕を引っ込める。右手を触れられた。緊張を読み取って骸が声色に苦味を混ぜる。
「大丈夫ですよ。両手と両足がきれいな死体を、クロームに選ばせた……。いきましょう」
 カキンッ。鎖が硬く鳴って手首が軽くなる。手探りで骸の作った道を進んだ。ダンボールを重ね合わせた道だ。天井近くに窓があるらしい。
「僕はここから来た。はやく」
 外に出れば、雪原だった。綱吉は自分の肩を抱いた。
「傷口には、寒い方がいいかな。腐らない」
 骸に手を取られた。さくさくと早歩きで雪を踏みしめる。黒く閉ざされた視界の中で、ただ導きに添って歩むだけ。綱吉の思考は数週間前に感慨を蘇らせていた。
 握り合った手は冷たい。雪の上だから。相手が死体だから。辿り付いた先の山小屋で、綱吉は尋ねる。
「寒さ、感じるの? 冬だし雪だし……、今みたいに死体に乗り移ったときだ、し、くしゅっ!!」
「寒いんですね」
 短くうめいて骸が小屋の中をひっくり返す。綱吉の上にずしりと毛布が降ってきた。二枚、四枚、……八枚、十五枚。布なら何でも被せているらしい。
「お、重い」
「食事は? 水は?」
「水が欲しい。食事――みたいなやつなら、無理やり食べさせられた。まずかったけど」
「腐ったものじゃないでしょうね」
 疑わしげにした声が遠ざかる。水と硬いパンを持って帰ってきた。背中にどっさり乗せられた荷物も、暖まってきた頃だ。綱吉は最初にするべき質問を繰り返した。
「骸。なんで、おまえがここにいるんだ」
「君が危ないからです」
「具体的にいえよ。なんでだ?」
「……僕が君を助けたかったから」
「まだ曖昧だよ。だっておまえは復讐者に捕まってる。リボーンたちは? 単独行動か? そうなんだろ? じゃなきゃ、こんな変なところにオレを連れてきたりしないだろ」
「わかりましたよ。そうですよ。他の仲間は知らない。僕が夢を使ってクローム以外の者にも実態憑依できるとはね。前からスキをみてはボンゴレ構成員に契約をさせていたんです」
「いつの間に……。帰ったら詳しく話せよ」
 これには応えず、骸は綱吉の肩を探った。手当てするつもりらしい。
「朝になったら下山します。無事にファミリーまで送ってあげますよ」
「……死体に、励まされてもなァ……」
 監禁前に、手足を酷く強引に引き摺られた。その痛みはまだ残る。目隠しがあるので自分で傷の点検をすることは不可能である。
「…………。脱いでもらいますよ」
 されるがままに、綱吉は全裸になった。彼は身体中を探って手当てと確認をした。
「いった……。しみる」
「そっちの肩は、後で縫った方がいい」
 掌が背中を這い、腹をなぞる。足の付け根にも触れる。綱吉はほとんど身体中を包帯で巻かれた。ついには包帯が無くなる。
「応急処置ですからね。戻ったら医者に見せてください」
「そう……する、よ」
 吐き出す息は白い。綱吉はレザーの奥で顔を顰め、歯を噛んだ。身体中に消毒液を浴びせられたも同然で傷口が酷く痛む。
 処置が終わると、綱吉はぐったりとして横になった。骸がその上に毛布をかけ、必要以上に血で汚さないように、距離を置いた場所に座り込む。眠りなさい、と、言われたきりで会話が切れた。
(骸はオレを大事にしてる)
 存在は感じるが体温には触れることのない距離。骸との間には常にそれがある。すとんと腹に落ちた言葉を復唱して、沢田綱吉はレザー製の目隠しに感謝した。光の一切ない世界が、心地良かった。
(これがきっと骸の世界に近いんだ。この絶望が)
 生身の骸とは一回きり、その事実を重要と感じるようになった。先程の夢を綱吉は思い出す。中学生の頃に見たサクラと幻の中で口付けたこと。あの時から、きっと生身の体に触れてみたくなった。
(しっかりしなくちゃな……。復讐者の……アジトを、突き止めて、骸を引っ張り出すんだ……)
「眠れないんですか?」
 骸は、今は深夜だと時刻を教えた。綱吉は曖昧に頷く。眠気はなかった。昼間の襲撃で失神したのだから、丸ごと半日を眠ったことになる。そのせいだ。
「……体を横たえなさい。今は眠って体力をつけるときだ」
「おまえでも、母親みたいなこと口にできるのか」
「馬鹿なこと言ってんじゃありませんよ」
「怖い母さんじゃあないか……」
 言われた通りにすると、額に冷たいものを感じた。人の掌だ。前髪を摘んだりと児戯を繰り返す。綱吉は体を丸めて、体に覆い被さる毛布を口元まで引き上げた。
「わかったよ。骸は?」
「寝る必要がありません」
「とかいってぇ、牢屋の中じゃ起きてるも同然なんだろぉ……。素直じゃないよ」
「無駄口はやめておきなさい」
 ぴしゃりと、骸。綱吉は口角で笑う。
 うつらうつらとした頃に、額を撫でる指先がリズムを持った。
 一定の間隔で繰り返し額を撫でる。微かに、子守歌が聞こえた。イタリアの言葉だ。イタリア語は生活に不便ないくらい話せるようになった……。だが、綱吉には、骸が何を歌うのかわからなかった。聞き取れるはずが理解できない。六道骸に子守歌は似合わない。そう思うせいだ。




よっつ、記憶

 六道骸の父と母は研究者だった。不思議の力を研究して、現実に通用する武器を作る。夫妻は憑依現象のメカニズムを研究したが、これが原因でエストラネーオファミリーの崩壊は加速した。
 物心ができたころには、六道骸は孤児と化していた。両親はファミリーの仲間に憑依弾開発の咎で処刑された。ファミリーには小さな孤児院があり、そこで、ファミリー構成員の子どもも本当の孤児も集団生活をする。
「シスター、怖いおじさんが部屋を出ろというの」
「おかしいわね。今日は何の予定もなかったと思うけれど……」
 小さな教会に二十余りの子どもたちと二十歳頃の女性がいる。骸は、片隅にいた。手には弾込めされていないピストルがある。引鉄で遊ぶ内にシスターが戻ってきた。少女に笑いかける。
「急な予定が入ったみたいね。外で遊びましょう?」
 骸は二階にあがった。奥の部屋から話し声がする。耳を澄ますと、ピュウッと風鳴りの音がした。話し声が途切れる。
(殺した。どんな死体が中にあるんだろう)
 骸の肩に、そっと掌が置かれた。
「!」
「何をしてるんだ」
 シスターは冷たく告げる。
 教会を追い出されても、骸は子どもの輪には入らず、懐にピストルを隠した。町に向けて歩き出した。外出が禁止されたのは間もなくのことだった。
 シスターは夜になると子守歌をうたう。イストリアの子守歌だ。小さな木製のピアノを持ち出して、即興で詞をつくり歌い上げる。柔らかに鼓膜を震わせる音色。それは、骸にとって楽しくはなかったが、夜になる度に体に流れ込んだ。
 時はくる。エストラネーオファミリーの命日は三人の少年以外に平等に訪れた。六道骸少年は、三叉剣を手にしてシスターの前に立った。実験室の外であり、地上に向かう通路の途中だった。
「さようなら」
 ニッと口角を押し上げて剣を振り被る。シスターは、ジーンズジャケットの下から自動小銃を出したが、
「そ、そんな声をしてたの、ねっ」
 骸が胸を刺す方が早かった。少年は笑みを深めて剣を引き抜く。ぶわりと血が壁にこびりついた。
「おまえが喋るところ、初めて見た……。生まれつき頭がおかしいのかと思ってた」
「おかしい……。皆、おかしいだろう。君だってそうだ」
「…………」シスターは膝を折った。次の標的を求めて骸は踵を返す。弱々しい声音が、後を追いかけた。
「おまえは、きっと、取り返しがつかないことばかりする子になる」
 ファミリー構成員に義理などなかったが、骸は肩越しに振り向いた。女は血走った両目を大きく見開かせる。
「キスもしてもらえず独りぼっち。その歳で、こんな……ことを、するようじゃ、ぜったい、救われない……。地獄に落ちろ!」
「怨み言とはあきらめが悪い……」
 道を帰って、剣を持ち直す。心臓を狙って刺すと、ビクッと震えた末にシスターは沈黙した。これで呪いの言葉を紡げない。あの子守歌も紡げない。
 最後に、研究所に火を放った。六道骸は燃え盛る火柱を眺めて思う。ここでの生活で、得たものは何があっただろう?
(憑依弾、六道輪廻。どれも狂った贈り物だ)
 犬と千種が手を握り合って骸を伺う。少年は奪った金品をつめた袋を掲げた。食事を告げると犬が目を輝かせた。
(大量の死体を見た後でも食事ができるくらいの精神力……。それと、)
 炎は熱い。肌をじりじり焼こうとする。
(子守歌は、悪人が歌っても優しく聞こえること……)
 脳裏に呪いの言葉が蘇る。キスも貰えずに独り、救われることはない。少年六道骸は薄笑いを浮かべた。皮肉げに。
「上等だ。そんなものを望む日など来ない」





いつつ、子守歌

 大火で炙られた横顔には狂気がにじむ。沢田綱吉はぼんやりした気持ちで夢の中身を思い返した。ついでに、六道骸と二度目に出会ったとき、彼の意識に感応してビジョンを見たことも思い出す。
「アイツが……骸が悪いんだ」
 自室のベッドに寝そべったまま、重くため息をついた。救出事件は一ヶ月も前の出来事である。骸はあの件で大きく消耗した。姿を現さなくなった。ふかふかの枕に後頭部を沈めると、半年振りにイタリアに来た女子大生――もとい笹川京子の前で大失敗をしたとか、オペラの歌声で骸の子守歌を思い出したとか、眠りが醒めると同時に気分が悪くなってしまったとか、様様に浮かんで沈む。骸が悪い、と繰り返した。
「ちぇっ。……うっ」
 奇妙な息苦しさが胸に残る。一ヶ月前もそうだった。骸に感応すると息がつまって鳥肌ができる。
(あの、独特の・……色んなものがしっちゃかめっちゃかになった塊……感情みたいな、よくわからないもの。あれに触ると胃がよじれる……)
 そのまま眠る気分にはなれなかった。ガウンのままで台所に向かう。帰り道で、駆け足が聞こえた。
「ボス。デートだったんじゃないの?」
 クローム髑髏は喜色ばんだ笑顔を浮かべた。
「ちょっとお流れってゆーかね。ウン。京子ちゃんに心配させちゃった」
「え。大丈夫ですか」
 綱吉が頷く。クローム髑髏はブラックスーツを着て、後頭部で髪を結んでいた。六道骸の模倣だ。丁度、先のことで骸が脳裏にいたからだ、別れの言葉を交わした直後に呼びかけた。クロームの背中が大きく震えた。
「骸! 一緒に酒でも呑まないか」
「! ――――っ」
 少女の立ち振る舞いがガラリを変わる。腰にしなを作って片手を当てて、振り向いた。魅惑的な笑みが口角に昇る。
「君から呼ぶなんて珍しいですね。お久しぶりです」
「本当に聞こえたんだ」
 内心で驚いて、綱吉は酒瓶を握り締めた。
 クローム髑髏は、寝室に入るなり六道骸の姿に変化した。左右でカラーの異なる両眼、滑らかな斜面を描く頬のライン、尖った顎。顔の整った美青年。彼は、全身にぴったり吸着する黒衣をまとった姿で椅子の背中を掴んだ。ベッドの横に向き合う形で置く。腰かけて、掌を上向けた。
 綱吉はその手にグラスをもたせて、琥珀色の液体を流し込む。自分はベッドに腰かけた。
「この前のお礼も兼ねて。ありがとう」
「本当はそんなこと言いたいんじゃないんでしょうね」
 達観と呆れを混ぜて囁き、骸はグラスを胸元に引き寄せる。
「感じましたよ。君が僕という魂を押しのけて体の中に入ってくるの」
「わ、わざとじゃなかった」
「君はいつもそうだ」
 二人揃って、僅かに唇を湿らせる。グラスの表面では、相手が横に引き伸ばされて投影された。
「何か思うことでもあったんですか? お説教がしたくなったんですか?」
「そんなつもりはない……」
 骸は刺を含んだ眼差しを返す。
「過去を見て軽蔑でもしたくなりましたか」
「今更、実際に映像として見せられてもおまえへの態度を変えるつもりはないよ。骸。今のオレたちはファミリーだろ」
「…………」
 黙り込む。それを見て綱吉も黙り込む。グラスが空になったので、注ぎ足した。骸にも注ぎ足してやる。
(なにか、言いたかったのかな。こいつに)
 まじまじと足組みをする少年を見遣る。骸はすっかりボスに付き合う気になっている。言葉がないが、退出する様子はなく、物思いに耽りながらグラスを傾ける。
「いつか、生身でもこういうことがしたいね」
「そうですね」
 おざなりの会話だ。また黙る。
 そうしたことを繰り返す内に、沢田綱吉は自覚した。
「骸」
「はい?」
「子守歌、聞かせて欲しいな。今度は歌詞の意味がちゃんとわかると思うんだ」
「それまた唐突ですね。いきなり歌いだす程に酔うことなんてありませんよ、僕」
「そうじゃなくて。あの時の子守歌だよ」
「……わかってますよ」
 フウ。浅くため息をついて、骸は首を振った。
「山小屋のでしょう。望むなら叶えてあげたいトコですけど、残念ながら覚えていません。そっくり同じにやれといわれても無理です。歌詞は即興なんだから」
「あ、ああ、そう言ってたな。じゃ、なんて言ってたか教えてよ」
 ぴくりと骸が眉を動かす。
「君は、あらゆる意味で人から仮面を剥ぎますね。変わった特技だ。なんて言ったか? そんなこと言いたくありません」
「ええ……。あの場限りだったの?」
「そうです」
 グラスに酒を注ぎ足して、オッドアイを閉じる。綱吉は諦めきれなかった。今ならば、骸の歌声を否定する気がしないのだ。
「骸ー、恥ずかしいの? もし、たった一回だけってわかってたらちゃんと聞こうとしたよ。だからさぁ」
「そんなにこだわるんですか」
「ようやくわかったよ。確かめたいんだ、オレは。あれは優しすぎて……骸が歌ってるとは思えなかった。もしかして、相当おまえに大事にされてるのかと疑った。どこにあんな声だせる仕掛けが作ってあるんだ」
「……歌は、君の胸に優しく響きますか」
 問い掛ける声は抑揚がない。骸は綱吉から目を反らして枕を見つめる。
 沢田綱吉は曖昧に頷いた。断固として声で言う。
「夢で見た骸はすごくつまらなさそうにシスターの歌を聞いてた……。でも、骸。オレは思うよ。優しい感情を知らなかったら、優しい歌い方はできない……。おまえの歌は特別に聞こえたよ。そうだよ、そうなんだ。オレ、おまえのこと、少し勘違いしてたかもしれない」
「綱吉くん。なぜ、そんなに悔やむように喋るんですか」
「悔やんでるからじゃないか?」
「もし、たった一回だけとわかっていたらって、先程、そう言いましたね。その気持ちはよくわかりますよ」
 か細い声でうめいて、骸はグラスを置く。自らの頬を緩慢な手つきで撫でた。椅子から立つと、同じ手つきで綱吉の肩に触れる。
 見つめ合いは数分続く。骸が言った。
「いつか、ね。僕らはいつもそれを言いますがあまり実現しない」困ったような声は、次第に毅然として変わる。
「僕は、君を励ましたかった。だから歌ってみただけです……」
 骸の手首を掴んで引き止める。綱吉の瞳は暗い光を秘めた。
「いいよ、骸。キスしようとしたのに何でやめるんだ」
「君には思い人もあるでしょう。この体の主も別にいます」
 綱吉がベッドから飛び起きた。肩を掴む。体を引き離したときには、六道骸は目を見開いて放心していた。おぼつかない手つきで、自らの唇に触れる。
「…………?!」
「これで二度目。一回きりじゃなくなった。骸はちゃんとキスも貰える」
「綱吉……」複雑そうに眉頭を八の字に寄せる。
 骸は、自分自身の言葉を確認するように、一文字ずつ力を込めた。
「あいしていいんですか?」
「すればいい。また……歌って」
「わかりました。そうしましょう……。ねえ、でも君も僕に歌って。君の声はきっと優しく僕に響き渡る」
 夢想に入るかのようにオッドアイが目蓋を下ろした。綱吉の前髪を掻き揚げる掌がある。綱吉は脳裏で子守歌を思い出しながら、彼からの口付けを受け入れた。キスに二度目があるなら、他のことだって二度目が作れる筈だ。骸は明け方に退出した。





おわり



07.10 ごろ

>>>もどる

>>かぼすさまからのリクエストで色々と詰めました…
  微妙に消化しきれ…うむむ。