4月1日



 エイプリルフールというものがある。
 ウソをついても良い日だ。ただ、国外から輸入された概念なので日本人にはウケが悪い。日本では報道番組が堂々とウソを放映したりはしない。
(ってことは外国人だったらいいのか)
 帰り道を一人歩きつつ、沢田綱吉は考えた。
(獄寺くん、ディーノさん、リボーンにビアンキにフゥ太も多分そうだろ。ランボもか。ああ、あと、六道骸)最後の人物の名前を反芻する。
 まさに、玄関のドアノブを掴もうとしたところだ。
 彼は私服姿で沢田家からでてきた。その少年の両眼は、ドアノブに向けて伸ばした腕をジッと見下ろす。宙ぶらりんになっている。
「…………。どうも」
 どうでもよさそうな挨拶だ。
 綱吉は顎を小さく引いた。これで、挨拶代わりだ。
 失敗したかな、と、即座に思ったが骸は気にした様子もなく綱吉の真横をすり抜けた。
 ただ、最後に、
「君はよくドウモって言いますけど」
 肩越しに振り返りながら、骸は明後日を見上げつつ呟いた。
「それって挨拶でも何でもないですよね。別に構いやしませんけど。自分の常識が他人にいつでも通じると思ったら大間違いですよ沢田綱吉」
「……す、すいません……」
(相変わらずネチネチしてンな!)
 というよりは、人を甚振るような習性でも持っているようだ。言葉を変えればサディストというやつだ。綱吉の脳裏に並盛の風紀委員長が浮かぶ。彼が肉体的なサディストであるなら、六道骸は精神的なサディストに該当しそうだ。
 何でオレが謝るんだろう、玄関の扉を開けつつ、綱吉は自らの言葉を後悔した。
 すると、突如として名案が浮かんだ。
(そうだ、やっちゃえ。イタリアなんてオフザケ激しそうだ。一年に一回の機会だし)幸いにも逃げ道も目の前にある。扉の内側に入って鍵でもかければ骸も手出しできまい。
 綱吉は鞄だけを置いて骸を追いかけた。
 すぐに見えた。一人、夕日とは反対側の方角に歩いていく影に向かって腕を振り上げた。
「骸さーん!!」
「? 沢田?」
「あの――……っっ。実はっ!」
(あ。しまった。何言えばいいんだろう。考えてなかった……、まー適当だ、適当!)
 次の一瞬、骸が僅かに上擦った声をだした。
「……えっ?」
「あ、あーと、だから、実はオレ、黒曜中に転校することになって。皆にはナイショなんですけど。でも骸さん黒曜中を掌握してるし、どんな学校なのかなって!」
 綱吉に向き直ると、骸はしげしげと靴先から天頂までを見つめた。
「君が黒曜中に」
「そう!」
(おお。真に受けてるっぽい)
「…………」次第に、眉間を皺寄せた。骸は戸惑ったような口ぶりで告げた。綱吉が初めて聞く種類の声だ。
「予言できますよ。沢田みたいなヒョロいのが来たら、カツアゲにリンチにパシリの嵐です」
「あ、そ、そう? やっぱりあそこって激しいんだ?」
 綱吉はへらりとする。あの六道骸が! こうも簡単に引っかかるとは珍しい。エイプリルフールってのも中々面白いじゃないか。
 骸は顰めツラを浮かべたまま綱吉を睨んでいた。
 本気で転校するんですか? と、重ねて尋ねる。綱吉は揚々として頷いた。いつになったらバラそうかな、と、それを考えるのが楽しくなってきた。
「骸さんは歓迎してくれないの?」
 オッドアイが見開かれた。直後、骸はそれを恥じたように眉根を寄せる。
「そんなことはないですが」
「じゃあ嬉しいんだ。あはは」
「嬉しい……」低い声でブツブツとうめき、骸はやがて手を伸ばした。綱吉の手首を捻りあげる。一瞬だ。
「ぎゃあっ?!」
「嬉しくてもこれじゃ喜べませんね。素直には。君のそのなりと実力じゃ言いように玩具にされるのがオチですよ。あそこは不良の巣窟だって理解してます?」
「だっ、たっ、痛い痛い!」
 手を離されると、反動で道路の上に倒れこんだ。
 実にさりげなく、骸が手を伸ばす。掴め、とばかりに手のひらを差し出されて当惑した。彼に親切にされたことなど数えるほども無い。
「骸さん?」
「まったくねえ。黒曜中なんかに来たら君を守るのは僕くらいしかいないじゃないですか……」
つっけんどんな声だ。だが、綱吉は訝しげに骸を見上げていた。彼はどう見ても笑いを噛み殺しているように見えた。
「骸さん。大丈夫ですか」
「はい? どういう意味で聞いてんですか? くは」
「いや……なんか……」
 綱吉の側頭部がヒリヒリと痛み出していた。
 まるで直感が危機を報せるかのようだ。半眼で骸を見上げていると、彼は、ニコニコとしてみせた。
(…………? あれ? オレってもしかして)
 この少年に嫌われているワケではないかもしれない。
 彼の育った環境を思えば無理もないが、当たり前のように六道骸は対応が違っていた。配下にしている千種や犬、髑髏とボンゴレファミリーの面々では対応が違う。とりわけて、綱吉に対する対応はイヤミっぽかったが。
「沢田は鈍いしどんくさいですけどね。逃げ足はそれなりに速いでしょう?」
「はあ……」
「またそうやって曖昧な返事をする。気に入りませんね」
 確かにネチネチしたイヤミだが、それを嬉しげな笑顔で言われると印象がぐるりと変わる。綱吉は背中が湿るのを感じた。
(やばい……かも)
「で、いつから来るんですか?」
「あ、や、その。えーっと」
 だらだらと汗が流れる音が聞こえるようだ。
 綱吉は、俯くと同時にうめいた。魂を搾り出したような、酷く掠れた声になった。
「骸……さん、あの、ええとな」
「何ですかモジモジとして目障りな」
 フンッと骸が鼻を鳴らす。数秒後、うめいた。
「今日ってエイプリルフール……」
「エッ?」笑みが石に変わる。六道骸は動かなくなった。
 綱吉は後退りした。骸は脱け殻のようになっていたので距離を取ることは容易かった。それだけが幸いだ。
「そ、それじゃ……!」玄関の扉をバタン! と、閉めた後で綱吉は脱力した。置き去りにされたままの鞄は、立てておいたハズなのに、いつの間にか横倒しになっている。
(あ、危なかった……なんか危なかった)
 ドキドキとしつつ、綱吉は心臓の位置に手を当てた。
(びっくりした。なんだ……何もあんなに喜ばなくてもいいのに)実は結構、彼も綱吉を好いてくれているのかも――、しれない。
 しばらく動けずにいると、通りがかった奈々が驚いた。
「つっ君、大丈夫? なんか凄い顔してるわよ」
「えっ。そう?」具体的にはどう凄いのか。
思ったが、知らない方がいいとはこの事だ。すぐさま自室に駆け込む息子を、奈々は心配そうに見送った。
 骸がそれから一ヶ月ほどあらゆる召集を無視したとか、それどころかしばらく国外に出て音信不通になったとか、綱吉は綱吉で骸の名前が出るたび赤面するようになったとか、事あるごとに骸に連絡をつけようとするとか、帰国してきた骸と綱吉の仲がまんざらじゃないようだ、とか、色々とあるにはあるが、それは4月1日を過ぎた後のことだ。それこそ、周囲にしてみればエイプリルフールだと宣言してくれ、と、いうようなコトの経過である。




おわり



07.4.1

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