死者に鞭打つなと貴方は言いましたけれど




 雨と雪が同時に降り注ぐ。
 奇怪だ、普段見慣れないものなんて全部奇怪だ。口の中だけで呟きつつ、骸は大の字になって雪原に転がっていた。彼の足元では、ぜいぜいと肩で息をする少年がひとり。額には真っ赤な炎が張りつく。
 彼は沢田綱吉だ。またの名をボンゴレ十代目。大量の汗をかいていて、殴り痕やら切り傷までこしらえている。綱吉は、喉を枯らした声でうめいた。
「もう、立つなよ……。お前」
 うんざりした響きが多分にあった。
 骸は、半分だけ瞼を閉じた。呼吸を整える。ぜえぜえ、彼も綱吉と同じように肩で息をしていた。
「死者に鞭打つなと貴方はいいましたけれど。死者がそれを望んでいる場合、貴方はどうするんですか?」
「意味がわからん……。もうヤメだ。お前、動けるんでも立つな。一時間くらいそうしてればリボーンも納得する」
「僕に敗北を認めろと?」
 のそり、骸が片膝をついて起き上がる。綱吉は絶望の滲んだ眼差しを返した。
「オレを壊す気なのか、お前は」
「……ずいぶん色っぽい例えをするんですね。ええ、そうですよ。僕は貴方をぐちゃぐちゃに壊してしまいたい」
「そう受け取るお前が変だ」
 綱吉は両眼を吊り上げる。額から立ち昇る炎は、辺りに舞い落ちる雪を雨に変えていた。綱吉の周囲に落ちてきた雪は、透明に近い煙をあげて、ただの水滴へと変わる。
 骸は顔面にポツポツと落ちてくる水滴を受けていた。綱吉の頭といわず肩といわず、全身がびしょ濡れになっていた。
 静かに、検分するように綱吉を見上げながら、骸は唇をニィッと笑わせる。
「熱いのか、寒いのか、僕にはもうわかりませんよ。でもこれがイイんです。本当は貴方だってそれくらいわかってるんでしょう? ……そういう目をするときの君は、とてもそそられる。僕がそそられるということは、つまり、君が」
 意味ありげに骸は眉間を険しくした。
「…………だからですよ。素質があるから、僕は君に惹かれる。こういうのって、理屈じゃないんですよ。空気でわかる。少なくとも、私にはそうだ」
 綱吉は冷めた瞳で骸を見下ろす。
「そう感じるお前が変だ」
 その両手にはイクスグローブ。骸が死者にさらなる追撃を加え、その死体を完全に消滅させたということで、綱吉はボスとしての罰を与えなければならなかった。それが、リボーンが綱吉に与えた罰でもある。部下の管理ができなかったとして。
 死ぬ気の極限を越えた体は、酷使をすると酷く痛む。数年前と違って、死ぬ気の継続時間を伸ばせるようになったため痛みは格別に酷くなった。
 骸は両眼をしならせた。
 じぃ、と、綱吉の茶色い瞳を――常よりも鋭く細められた、ともすれば別人にすら見える瞳を――覗き込んで、ぺろりと唇に垂れてきた水滴を舐め取る。
「うそつきだ、貴方」
「そう言うお前が一番ウソつきだ。黙れよ、もう。寝てろ。骸。もう付き合っていたくない」
 綱吉の体は、濡れても一定の時間を置くと乾いてしまう。必要以上には濡れないのだ。一方で、骸は傍らに炎の塊があるといっても雪原の中でコートもナシに戦っていることになる。唇の震えを自覚しつつも、骸は綱吉の宣告に逆らった。
 あからさまにボンゴレ十代目が舌打ちをする。そうした、明らかな拒絶は骸にとって新鮮味の伴うものだ。
「僕が死ぬまで付き合えばいいじゃないですか。貴方の一存で、意外とすぐ終わる付き合いかもしれませんよ。ボンゴレ、僕が……僕の死体に鞭を打てといったら、君はそうしてくれますよね?」
「しない。馬鹿か」
「何故。またうそつきになりたがるんですね。君は優しいから僕の言うこと聞いてくれるでしょう? ボンゴレ……、この後、どうなるかわかっているでしょう」
「…………。お前、殺されるぞ」
 綱吉が声の調子を下げる。怒りと呆れが半々、骸は喜ぶように頬をほころばせた。その瞳は、笑っていなかった。
「命を張るくらいには愉しいってことです。激痛で嘆く君を組み敷く快感……、それがファミリー全員を敵に回す行為なら尚のこと。僕には愉しいことだ」
 綱吉が、今までに起こったこと全てをファミリーの他の誰かに打ち明ければ、骸は殺されるのだろう。それは、綱吉にも骸にもわかっていることだった。
「…………」
 綱吉は眉間を寄せたままで目をそらした。それを追うようにして、骸は中腰になって――、一瞬のあいだに間合いをつめた。雪が軋む。抉るような足跡がふたつ、雪原に走る。
 綱吉の懐に潜り込むと、骸はツメの先を綱吉の眼球へと突きつけた。僅かに目を見開くが、綱吉には根底的な動揺が見られない。骸は鬱蒼と笑みを深める。
「身体中の筋肉が痛みに咽び、一動させるだけで泣き喚く君を強引に揺すりたてるときの……その悦楽は筆舌にしがたい。君だってそれは同じだ」
「やめろ。オレがここで身体に致命的な傷を負ってもお前は殺される」
「言わないでしょう? 僕がやったとは。今までと同じように。貴方はうそつきだから」
 茶色い眼球は、強引に明後日を向こうとした。綱吉の額に灯った炎が、激しく燃えて骸の額を焦がそうとする。雪から雨に変わった水滴が、頭頂を辿って額に垂れて、顎まで降りたところで滴る。
 長い沈黙だった。
 しんしんとした音はする。しかし雪はない。強い光を灯したまま、骸は動きをとめた綱吉を見下ろした。綱吉は、ゆっくりと視線を戻した。
「言ってほしいの? お前は本気で死にたいのか?」
「そんなことはない。僕は生に対する執着は人一倍強い。でなければ、今、この場に立ってもいなかったでしょうね」
 綱吉は、吊り上げていた両目を不意に和らげた。
「そうか。やっぱりお前のがウソつきだよ。それに変だ。やりたければやれ。オレはいつもそう思ってる」
「両目を潰したくらいで死ねると思うんですか? 僕なら、そうした上で適当な屋敷にでも押し込めますよ。ボンゴレが発狂するまで相手をしてあげます」
「骸……。お前はいつも口だけだよ」
「ボンゴレもね」
 骸は両目を閉じた。興醒めしたように体を離す。綱吉は、よろめいて雪に膝をついた。熱された彼の体は、じゅうじゅうと音を立てながら雪を溶かす。
「そろそろ限界だ……。身体が」
 切羽詰まった声音だが、綱吉は膝の上に手を乗せると力をこめた。
「お前、あと一発くらい殴りたかったのにな。残念だ」
「おや。君からそういう言葉が聞けるとは。じゃあ、今夜は特別に可愛がってあげましょうか」
「特別に虐待する、の間違いだろ」
「だって貴方がうそつきなものですから」
 くつ、と、肩を笑わせて、骸は痣だらけの自らの体を両手でまさぐって確認をした。まだ動ける。綱吉が倒れても、屋敷につれて帰るくらいの余力はある。つまりは骸の勝ちということだ。綱吉は雪の中に手のひらをついた。
「悪いことは言わない。いつ死んでもおかしくないよ、お前」
 水滴すらも雪を溶かした。しかし、額の炎が段々と小さくなる。綱吉は、びしょ濡れの体に寒さが浸透するのを静かに感じていた。
「オレに執着しても苦しむだけだ……。やめろよ、むくろ」
 骸はこの寒さを常に感じながら戦っていたはずだった。
「貴方からの指図は受けない。いつ死んでもおかしくはないと? くはは、その通りです。じゃあ、僕が死んだら貴方のせいだ。残りの一生、すべてを罪の意識に蝕まれながら生きろ」
 微かな微笑みと共に、骸は冷淡な声音で告げた。綱吉は両目を細める。その額から煙が立ち昇り、最後には、目を見開いてのた打ち回った。
「あっ、ぐっ?!」
 ばたばたと雪の中をもがく。
「き、きたっ。地獄のぎんにぐづう……っっ!!」
「…………」
 骸はパキリと肩を鳴らした。
 綱吉の打撃で、僅かに関節がズレたことは感じていたのだ。冷気の伴った視線は綱吉の神経を刺激する。直感で振り向いて、綱吉は青褪めた。
「……今更、怖がっても遅いですよ。遊びましょう? ボンゴレ」
「ひっ。ひ、ひっ……き、引き分けだろ。今日は。お前も反省したしオレもお前を反省させたっ。それでいいじゃん!」
 逃げに入り、綱吉が背中を見せる。無造作に襟首を掴むと、骸は雪原に向けて綱吉の顔面を叩きつけた。
「ぶっ!? っ、たっ、いだっ、筋肉痛だってわかって、る、だろお?!」
「うそつき。気持ちイイくせに。君は極度のマゾですよ。僕には君の匂いがわかると言っていい」
「も、妄想も大概に……っ、って。あっ、だだだだ――――っっ!」
 十数分にわたって、骸は無防備なボスの体を無理に動かした。痛みで完全に失神するのを見届けてから、跨っていた背中の上からどく。ひっくり返して下半身を入念に確認した末、薄ら笑いが口角に張り付いた。いつからかは、骸にもわからないが微かに反応している……。
 死ぬ気の炎という熱源が消えて急激に冷え込んでいた。
 爪先で引っ掻くだけで済まして、綱吉を背負い込む。気絶した体というのは、重い。寒さと痛みと、殴られた分のダメージとで意識がにわかに朦朧としている。両足の感覚は、ずいぶん前から消えていたから、ひたすらに下を向いて歩く位置を確認した。
 雪原の中、来た道を戻りつつ骸は呟いた。しとりとした雪の降る音が鼓膜をたたいた。
「僕は嘘吐けるくらいの子の方が好きですけどね」
 

おわり





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07.01.27