憎しみながら愛を抱く、裏切りながら心を傾ける。奇妙なバランスの上で成り立つ奇妙なあいだがら、いつまで続くかわからないあいだがら。でも、僕は君を信じてる。
すべて死んでしまえ、
君だけが生き残ればあとはどうでもいい。
+. 「天使のうらぎり」
唇の中でつぶやいた。
「――僕の天使に手をだしましたね」
ひたり、と、背後から歩み寄りながら少年が腰を低くする。
相手方の男は、背後に現れただけで一挙に恐慌して叫び声をあげた。すかさず、こぶしが脇腹に命中する。抉りこむような一撃だ。男の体が、実にあっけなくスピンをしながら吹っ飛んだ。
「っづ、……たたたた」
中途半端にうめきながら、沢田綱吉は腰を持ち上げた。
六道骸が空から降ってきたことには突っ込まず、彼がかつての黒曜中学校の制服を着ていることにツッコミをいれた。
「普段着のよーなもんですから」
残った二名を一分もしない内に沈めて、骸は前髪を直した。
「ふうん……。痛い」
「殴られる前に止めたつもりですが」
「いや。腰を変な角度で打っちゃって……、たたたた」
「……そこまでは面倒みれませんね」
骸がそっぽを向く。綱吉は半眼で彼を見たが、おずおずと礼を口にした。
この頃はあまりなかったのだが、一人歩きのところを不良連中に狙われたのだった。年の瀬の買い物とばかり、綱吉はスーパーの買い物袋を手にしていた。
「よかった。何も壊れたり破けたりしてない」
袋を覗き込む綱吉の隣を歩きつつ、骸が低い声で告げた。
「送ります。僕が護衛を担当しているあいだに面倒なことに巻き込まれて欲しくないですから」
「そう? じゃあ、ついでに荷物もちとか……あっ?! やだな。冗談だよ! 年の瀬忙しいから他にも買いたいものあるってだけで、いや、別に――かえるよ。帰るからさ?!」
「…………」
冷めた右目でちらりと視線を返し、骸は何語もなかったように前を見た。
(僕の次にこの目を持つ者がいれば、災難ですかね)どれだけのものが、この中におさまっているのか。骸には見当がつけられない。幼いころ、なかば脅迫するように右目に教え込んだことが効いたのか、あの夜にいただいた飴玉のかたちすら未だ鮮明に思い出せる。
(赤と白。ストライプ。……あのあと、すぐに――適合ができてすぐに所員を皆殺しにした。あれから、もう十年くらいは過ぎたことになるのか。早いものです)
沢田家までの道のりは短いものだ。
玄関を前にして、綱吉は素直に礼を言った。骸は静かに二色の瞳を細くする。考えてみれば、二人きりになることは珍しいし、久しぶりだ。
(……君があのときの君なのはわかってる)
エストラネーオのアジトから脱出して、程なくボヴィーノファミリーが所持する特殊武器の存在を突き止めた。そのバズーカの奪取も考えたが、それによって歴史を変動させるのもマズイと思って止めたことがある。ふと、気がつけば沢田綱吉が訝しげに眉を顰めていたので骸は困惑したように片眉を動かした。
「……?」
「あの、骸さん?」
そこで、気がついた。
綱吉の手首を取っているのは骸の手だ。
「…………」まじまじと自分の腕を見下ろしつつ、骸がうめいた。
「言い忘れてましたから。メリークリスマス。あと、よいお年を」
「は。はあ」面を喰らった顔で、しかし、綱吉は言葉を続けた。
「骸さんもクリスマス祝う気持ち、あったんだ。なんか、無理やりきてんのかと思ってた」
(あー。相変わらず、素でむかつくことをいってくれますね)
くすりと、斜に笑って骸は拳に力をこめた。
「僕でも祝いますよ。クリスマスなんだから……天使がいるでしょう?」
「て、てんしィ? 骸さん?」
何いってんの? そんな響きを言外にはらんで、綱吉。
これには骸は完全に腹を立てた。手首をひきよせ、少年を腕の中に抱きこめる。間をおかずに首筋を唇でたどると、ギョっとしたように綱吉が叫んだ。
「なっ?! ちょ――何してんだよ?!」
「何って。知らなかったんですか。僕は、君になら何をしてあげてもいい」
「は、はぁっ?!」
素っ頓狂な悲鳴を聞く。
それはこれまでに何度かあった。けれど今日はなぜだか胸を打ち付ける。あの日、聖夜におりた天使のことを知るのは骸ひとりだ。それを人に教えるときには、ほとんど、妄想を語るに近いかたちになる。そのために骸は今までにそのことを口にしたことがない。
腕に力がこもる。骸が意図しない行動だった。
しかし、だからこそ彼は確信した。やはり、これが自分の意思。
「ねえ。僕といっしょに来ませんか」
懸命に体を引き離そうと、両腕を骸の肩にあてて突っ張ろうとさせている。綱吉に手放されて、再びスーパーの買い物袋が彼らの足元に落ちていた。骸が縋るように続ける。
「僕といっしょに復讐しましょうよ。この世界が憎くないですか?」
「…………っ、はあ?」
一瞬、抵抗が止む。
綱吉が困惑しつつも宣告した。
「やだよ。何いってんの」
骸がわずかに俯く。そうして腕をはなした。
「天使がそんなだから、僕は……」
「は?」
「いえ。 馬鹿なことを言いました」
ものいいたげな茶色い瞳に牽制をかけたように、骸が首をふる。
「君が世界を守れというなら、守りましょう……。君の口をでたものならば僕は信じてみせる」
「骸さん?! ちょっと。ワケがわかんないですよ今日は!」
いつもだけど! 遅れて付け足しつつ、しかし綱吉は小走りになって立ち去りかけた骸の手首を掴んだ。先ほどとは逆の構図だ。赤と青、二色の瞳が、無感情に綱吉を見下ろした。
「――――」綱吉が、言葉を引っ込めたように沈黙する。
間をおいて紡がれたのは、本来意図したものとは違う台詞だった。
「ねえ。守護者、やめたりしないよね?」
「君は、ほんとう、たまに鋭い」
骸がくすりと笑う。暗さを孕んだ眼差しに、薄さ寒いものがある。
掴まれた腕を胸元に運び、そうしてから骸はその上に自らの手のひらを重ねた。ぎゅ、と、力を込めて綱吉の手を上から握る。
「教えてあげましょうか。僕のひみつを。僕は、天使に支配されてる身なんですよ……」
ぎょっとしたように綱吉が目を見開く。後退りしかけたが、そうはさせないとばかりに、骸は綱吉の二の腕を掴んで引き寄せた。
「ちょ、ちょっと。電波ですかっ?!」
「天使があたたかいこころを持ってるから。その天使が世界を守りたいというなら、僕は、自分を抑えてあげようと言うんです。ねえ、僕の――」
反対の腕を綱吉の頬にかける。
戦々恐々とした少年の顔がある。ああ、正気だと思われていない。少年の目に宿った怯えを見て、骸は確信をしたが。全身に浮かびかけた高揚感が霧散するようだ。両手を開き、少年を解放しようとしかけて――、しかし、途中でやめた。
空から雪が降ってきた。ひたり、と、手のひらに乗る。
その冷たさは、かつての記憶を呼び覚ます。地下室の床は冷たかった。死ぬ、と思ったし、死のうとも思った。でも、まだ生きている。右目はいたまない。骸は右目を支配した。
頬に当てた手のひらを、わずかにズラしていく。
人差し指で綱吉の目尻をなぞりながら、骸は低い声でささやいた。
「……僕の天使よ」
「? むくろさ」
二色の瞳が細く引き絞られる。
ゆっくりと綱吉に顔を近づける。掠めるように唇を啄ばむと、綱吉が哀れなほどに固く硬直した。それをスキと見て何度か繰り返す。すると、時間をおいて正気になったのか、綱吉が悲鳴をあげた。
「だあっ、うわっ、ぎゃああ――――っっ?!!」
至近距離での悲鳴に、骸はすぐさま手を離して距離をとる。
うんざりしたように綱吉を睨みつつ、耳を塞いだ。
「オーバーリアクションじゃないですか? それ」
「なっ、なにっ。ばかかおまえ――!!」
「なぜ? 僕の天使よ」
ワザと呟いてみる。綱吉はぞぞぞっと鳥肌をたてた。
「ど、どうしたんだ……っ。おかしーですよ! なんか変! クリスマスに何かあったんですか!」
「そりゃもう。十年くらい前に、トラウマになるくらい強烈な親切を受けまして……」
「はあっ? 親切が何でトラウマに……。十年前?」
綱吉がきょとんとする。そのとき、沢田家の二階から爆発音が響いた。綱吉が思わずといった調子で部屋を見上げ、小さく呟いた。
「ランボ。またオレの部屋で勝手に」
「……僕がここにいるのは、その親切のおかげですけどね」
独りごとのように呟きつつ、骸は肩を竦めた。
(ここまで正反対とはね。でも、だからこそ僕は恋に落ちちゃったワケか)
どうしたものか。一生、知られずに済むのもいいかもしれないとこの頃は思っていたのだ。骸は犬や千種、凪といった連中に満足していたし、今の生活に満足してもいた。それを壊す真似をして、――会うという目的は果たしているのだ、一応――あろうことかマフィアのボス候補に心を傾けるという現実を受け入れていいものかと思案した。
骸がふと気がつけば、綱吉は警戒したように塀伝いに我が家へ戻ろうとしていた。
まんじりともせずにそれを見守る。彼が逃げ切る寸前に、追いつめるように骸がくすりとして呟いた。
「もっと強く僕を裏切ってくださいね。僕の、天使」
「おまっ……、恥かしくないの! それ?!」
「ちっとも」
「どういう脳みそしてんだ!」
非難めいた叫び声に笑み返して、骸は落ちていた買い物袋を拾った。
「天使ともあろうものがヌケてますね。忘れ物ですよ」
反省の色もなく、堂々と言い切った。雪が空から落ちてくる。綱吉が、口をぱくぱくさせつつも赤面していった。少し青褪めてもいる。
「……ニックネームにしてみますか」
「嫌。本気でやめて」
「決定ですね」
「人の話を聞いてよっ?!」
涙交じりの絶叫に満足しつつ、骸は、買い物袋を渡すと沢田家をあとにした。
天使が世界を愛するたびに裏切られたような気分になるが――なにしろ彼は憎んでいるのだから――、まあ、そんなことは些細なものかもしれない。骸が彼を愛しているのなら。
end.
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06.12.26