隣町Boy





 チャンスに気がついた。
 それと同時にツナはカバンを振り回した。
 暗緑色の制服を着た男が四人、視界に入る。目を丸くする彼らだが、カバンの尾っぽが命中する方が早い。
 ウギャッと鳴いて男が顔面を覆った。
 その間に、小柄な体躯が路地を駆けた。
「逃げやがった!」
「ガキが! ぶっ殺すぞコラア?!」
(ひぃ――――っっ!!)
 朝方のアーケードに人影はない。辺りを見回すが、隣町だ。ツナには逃げるべき方角もわからない。
「ど、どっちに行けば並盛なんだよ!」
 頭を抱えたが、背後から響く足音に背筋が粟立った。よくもやりやがったな、とか、ボコボコにしてやるとか、そんな単語が鼓膜に突き刺さる。
 やみくもに走り出したツナの頬には、青みがかった痣がふたつ。
「逃げるとホネまでぶっ潰すぞガキが!!」
「か、勘弁してくださ――い!! 金はないんですってば!!」
「ざけんなっ。見てんだぞ! 封筒に金入ってたろうが!」
 ツナは瞬間的に母親を呪った。
 食事会にでかける後姿を見送り、しかし悪い話ではないと感じたのだ。手土産品を買った残りの金は、ツナの懐に収めて良いとの話だったのだ。
「ううっ。運がない……ッ」
 ブラウンの目尻に滲むものがある。
 コンビニに立ち寄ったのがよくなかった。不用意に封筒から金をだすべきではなかった……。
(でもこんな不良に会うなんて誰が思うか!)
 アーケードを抜け、道路を横断しようとしたところでツナは躓いていた。ガツンと派手な音が響き、少年の鼻頭にはハンマーが叩き付けられたような衝撃が駆け上がり脳天を突き刺した。目をチカチカさせている間に、二の腕を掴まれた。
 血の気が吹っとぶ。生きた心地がしない。
 油のないロボットのような動きで、振り返った。
 ニヤニヤと口角を笑わせた黒曜中の生徒が四人、ツナを囲んでいた。
「駄目な奴だな……。段差で転びやがったぜ」
「あ、あの。ごめんなさい、マジに勘弁してくださ……い」
「ざけんな! オラぁ、顔面を殴られたんだぞ!」
 腕を掴んだ男は無理やりにツナを立ち上がらせた。瞳を震わせながらツナが彼を見る、その途端に、拳が腹にめり込んだ。
「ぎゃっ?!」
 よろめいた体を、別の男がこづく。
「ほら、殴られるとイテーだろ? 暴力はいけねえなぁ……」
 四人で囲い、作られた円陣の真ん中。
 ツナは腹を抱えたまま、青褪めて少年たちを見上げた。全員がツナより背が高い上に肉付きもいい。まさにヘビに睨まれたカエルである。
 足は、もはや逃げる気力を失っていた。
「い、いちおう、聞きますけど。金をおいたら殴らないで貰えるんですか……」
 カバンを抱く腕がぶるぶると震える。
 男の一人、唇に三つのピアスをはめ込んだ男が、ニッコリとして両手を拳にして見せた。
「殴った分の慰謝料で金はもらう。逃げてくれたお礼に、テメーの顔はゴリラにしてやる」
「そ、そおですか」
 ハハと乾いた笑いがこみ上げる。
 ツナが涙を飲み込んだときだ。
 スッと声が割り入った。
「私が払ってあげましょうか?」
 一同がぎょっとして振り返る。道路を横切った反対側で、一人の少年が立っていた。
 四人の少年と同じく暗緑色の制服。
 手には学生カバンをさげていた。ツナは叫んでいた。
「ろっ、六道骸?!」
「ボンゴレ、久しぶりですね」
 オッドアイに青みの混じった頭髪。
 一ヶ月ばかり前に、並森中に喧嘩を売ってきた六道骸その人である。
 青褪めるツナと同様に、男たちも色を失い目をまん丸にしていた。歩み寄ってくる骸を凝視する、そこに浮かぶのはまさしく恐怖だ。
 骸は特にこわだりもなく、世間話のように気軽に声をかけた。
「センパイ方は本当に恐喝が好きですねぇ。これで、僕が登校してる最中に見つけるのは五度目ですよ」
「へ、へへ、へへへへ。いや……。これは、六道さんのシマを荒らしてるんじゃなくて、手伝いをしてあげようっていうんですよ」
「なるほど、それを聞くのは八度目ですね」
 目尻は穏やかに笑ったままだ。
 骨の筋がくっきりと浮き出た手のひらが、前髪を掻き揚げる。真ん中で分けられた頭髪がサラリと頬を撫でた。……獰猛な生き物が、得物を品定めにかけているような沈黙だった。
 掻き揚げたままの格好で、骸が嘆くように首を振った。
「一度、体で知った方がいいようだ」
 男の一人が完全に血の気を失う。
 ツナの背中が叩かれた。
「どうぞ! コイツ金をもってます!」
「ほう?」
 面白がるように瞬いて、骸の目が細められる。
「いくらですか」
 硬直したまま、ツナは首を振った。
 男のひとりが舌打ちしてツナの足を踏む。別の男が、すかさずに返答した。
「三万は持ってます」
 肩を竦ませたのは、骸だ。
「はした金ですね、センパイ」
 ふざけたようでも説教のようでもあり、本心がまったく見えない喋り口だった。
「それしきの額でガキを狙うもんじゃないでしょう。ほら、虎を前にしたウサギのように怯えきっているじゃないですか」
 ニコと微笑み、骸が腕を伸ばす。
 差し出されたままの格好でいたツナの頭をぽんぽんと撫でた。
(お、オレ、殺され……?)
 真っ青になって、ツナがうめく。
「き、気に入りましたか六道さんっ」
「じゃあ俺らはこれで!」
「待ちなさい」
 呼び止める声は穏やかだ。
「私がウサギが好きだってこと、知ってました?」
 やはり、こだわりもなく気軽に言いのけて、小首を傾げる。男たちは硬直した。言われた内容と、相反する骸の態度と、自分たちの末路を同時に考える必要があって反応できなかったのだ。
 骸はツナの頭に手を置いたままで囁いた。わずかな声量で、ツナにしか聞こえなかった。
「どうしてこんなとこに来たんですか」
「へ、――か、母さんに届け物頼まれて」
「困りますね。ウサギなら、うさぎらしく小屋に入っていないと」
(え、えええ? オレをなんだと思ってんの……?!)
 引き攣るツナだが、骸は体を男たちへと向き直らせた。
 丸めた片手を見せびらかせる。もう片手で、拳を包み込む。一連の動きは柔らかだのに、バキボキと酷い轟音がした。もはや胸中と言えども突っ込む気力はないツナである。気を失った方が楽かもしれなかった。
「落とし前はつけていったらどうですか」
 ぴくぴくと男たちが唇を振るわせる。はやくも逃げ腰だ。
「どうしてほしい? 私はこれでもセンパイ方に敬意をもって応対したいと常々思ってますし、ボコボコにするのはさすがに気が引けるんですよ……。ああ、そうだ。歯でも抜きましょうか」
「ろ。六道さん。勘弁してください!!」
 一斉に叫び、男たちはコンクリートに額を押し付ける。
 必死の懇願であることは明白だ。冷や汗、脂汗、ありとあらゆる汗を浮かべて真っ青である。
 悲鳴をあげて逃げ出したい衝動に駆られながらも、ツナは膝頭を笑わせるだけで動けなかったら。動いたらいじめると、骸が言ったなら恐らく真実なのだろう。
 骸は薄く微笑んだまま、冷ややかだった。
「上の歯列か下の歯列か。選ばせてあげますよ」
 制服の内ポケットへ潜り込んだ指は、バタフライナイフを引き連れて白光の元へと帰ってきた。
 ぢゃっと音をたて、無情に刃が突きだされた。
(も、もしかしなくても目の前ですっげえヤバいことが……!!)
「六道さあああん!! 知り合いに手をだしたことは謝りますからっっ。何をすればいいスか?!」
「そいつのクツでも舐めればいいですか?!」
「知り合いってほどでもありませんけど」
 ナイフをブラブラとさせ、退屈そうに骸が言う。
「そ、そうなら尚更! 見逃して――」
 男たちはすぐさま喰いつく。言葉が終わらぬうちに骸は首を振った。
「この子供がね、容易く君たちにやられるようでは僕のメンツに関わるんですよ。この町において、ボンゴレに手をだすなら相手になってあげましょう」
「な、ななななな……?!!」
 目を白黒させて、男たちがツナを見上げる。
 彼らと同じく青白い面持ちで懸命に首を振っていた。一刻も早く逃げ出したいのが本音だ、ナイフの切っ先を男の一人に向けて、骸は静かに腕をかざした。
「では、まずあなたから――」
「む、骸さん!!」
「?」
「や、やめましょうよっ。オレ、別にどこも怪我してないですからっ」
 不可解な顔をして骸は自らの頬を指差す。
 ツナの頬に痣があると言いたいのだ。ハッとして変色した個所を抑えて、しかしツナは首を振った。
「とにかくオレの目の前でスプラッタはやめて――っっ!!」
 ……これが本音であるが、骸と男たちは異なった方向で解釈したらしい。四人は一丸となって頭を下げた。
「さすが六道さんの連れ合い! 慈悲深い!!」
「ありがとうごぜーます! さようなら!」
「あっ?!」
 ツナが叫んだ。
 オッドアイがツナを振り返った一瞬の間に、彼らは脱兎のごとく逆送した。アーケードを飛び越えてく後姿を心底うらやましいと妬むのはツナだ。
 骸は、不機嫌に眉根を寄せて目下の彼を睨みつけた。
「……どうして君は僕の楽しみを奪うんですかね……」
(楽しみなのか! あれで?!)
 肩を竦め、ナイフを畳む。冷や汗で背中を湿らすツナだが、骸は学生カバンを握りなおして道を引き返そうとした。
(あ、あれ。意外とアッサリ?)
「ココは並盛のように秩序立っていませんから。君みたいのがうろつくコトはおすすめしませんよ」
 ある意味でその先陣を切る人物ではあるが、六道骸の忠告はツナを震え上がらせるのに十分だった。両目を潤ませ小刻みに震えだしていた。しかし、動かない。
 骸は気味が悪そうに眉根を寄せた。
「? 聞いてました?」
「そ、それはよくわかったんですけども」
「じゃあ帰ったらどうですか」
「並盛の方角が……」
「はあ。ハイハイ、あっちですね」
 生返事をしながらも、右の指先で太陽とは反対の方角を指差した。
 軽い呆れが瞳にこもっていた。正面から、たった一人で彼の侮蔑の眼差しを受け止めるのは苦痛だ。度胸がいるとか勝つ自信がないとか、そういう理由ではない。ツナは息苦しくなるのだ。
(なんか、どう反応していいかわからないっていうか)
(窮屈な気分になってつらいんだよな……)
 反対側の歩道へと戻る背中はやや猫背だ。ツナがすっかり見送った気になったところで、しかしまた骸は振り返ってきた。
 声は遠くから響いて、掠れていた。
「帰らないんですか?」
(こういうこと言うからかな)
 首を振る。ツナは帰りたいに決まっているのだ。
 遠目でも、骸が顔を顰めたのがわかった。彼はそのままそこに直立した。再びツナのところに戻るまで、五分は直立したままだった。
 ツナの前まで戻ると、骸は疲れたようにうめいた。
「君、どうしてか私に勝ったでしょう? 君がそこらで醜態晒すと芋づる式に僕の評判も落ちるんですよ。迷惑だから、とっとと自分の巣に帰ってくれませんか」
「や、その。オレも帰りたいんだけど」
 なら帰れ。骸の両目が語る。
「だって……」
 言いにくかった。
「骸さん、動くなって言ったままじゃないですか……」
「…………」
 左右で色の違う瞳が、丸くなる。
 ほら、やっぱり忘れてる。ツナは胸中で囁いた。それでも律儀に守ったのは保険のようなもので、骸が視界から消えたら全力で町をでるつもりだったのだ。
 しばしの沈黙。やがて、骸が再びツナの頭に手を置いた。
 ぽん、もふもふ。掻き混ぜ、何かを吟味するように喉をうならせる。
「まあ……、ウサギが好きなのはウソじゃないですし……。コレなら置いておけるでしょうけど」
(な、何いってんのこの人……?)
「ふむ。ま、オッケーですかね」
「何がですか」
 骸は答えなかった。
 両手を使って、ツナの全身をペタペタと漁る。
 目を剥いて驚き硬直するあいだに彼は生徒手帳をポケットから引きだした。その、一番奥のページをめくり、小型のボールペンシルをカバンから取り出す。
「む、骸さんっ?」
 手早く書き殴ると、生徒手帳をツナに押し戻した。
「僕はこれから行くところがあるんで失礼しますけど。そういうことですから。いつでもどうぞ」
「へ……っっ?!」
 見れば、簡素なアドレスがかかれていた。
 電話番号と住所だ。メールアドレスもある。
「ど、どういう意味で……?」
「今度から、この町に来るときは僕を呼べばいい。君の身の安全は保障されますよ」
(そりゃあ骸さんがついてりゃ、どんな不良も手をだしてこないだろうけど?!)
 片手をあげ、骸が会釈した。
「動いてどうぞ。それじゃあ」
「あ。ども……」
 ほとんど流されて手を振って、ツナはハッとした。
「え? これって、連絡しないと仕返しがあるとか、そういうオチ?」



おわり


 



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06.07.10


>そういうオチです